戦死者の名誉について     大淵     寺嶋眞一



 私は、昨年 (2005) 四月、掛川市に合併した旧大須賀町の住民です。
 私の小学2年生のときに、わが国は戦争に負けました。その後、我が国は、子供の頃には想像もできないほど大きく発展しました。
 一九五六年 (昭和三十一年) 六月、子供の頃住んでいた大淵村が隣の横須賀町と合併して、大須賀町となりました。
 私は、一九七四年 (昭和四十九年) 十二月に岡原の土地四一二uを一三七万円で岩城ガラス株式会社に売却しました。この土地取引は、農村地域工業導入促進法に従ったものでありました。今では、その敷地には、コーニング・ジャパン株式会社の建物が立って、液晶画面の製造が順調で、現在も工場の拡張を続けています。
 コーニング株式会社は、アメリカのコーニング市 (Corning City, New York) が発祥の地で、大須賀町はコーニング市と姉妹都市関係を結びました。一九八九年 (平成元年)より相互に友好訪問団を編成して派遣しあい、今年は十八回目になりました。我が方からの派遣団の構成は、中学生十名、高校生五名、それから団長、副団長、指導の教師など総勢二十余名ほどであります。おかげで、かつての農村地帯にも英語学習の気分が盛り上がりました。私は、今までに夫婦で二回この訪問団に加わりコーニング市を訪ねましたが、アメリカ人の家庭に泊めてもらうのは訪問団の団員になってからが初めてで貴重な体験でありました。
 我々は、途中首都ワシントンD.C.に寄り、アメリカ人のみならず首都を訪れる観光客が皆ホワイト・ハウスとともに必ず訪れるアーリントン国立墓地を見学しました。イラクで戦闘がおこなわれているので、毎日墓を作っているとのことでした。観光客は内外を問わず盛んに墓地で記念写真を撮っていました。写真を撮るときにVサインをかざすなどの礼を失することのないようにと団長からも忠告を受けました。棺おけ以外は、全て国が用意しているそうです。石碑の位置が死者の頭の位置を示している。もちろん、墓地の手入れも国が行う永代供養であります。付近には、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争の銅像もあった。アメリカにおいては、戦争の勝ち負けにかかわらず、戦士の銅像は出来るようであります。
 振り返って我が国では、戦没者の取り扱いはどうなっているのであろうか。私の父は、一九四二年 (昭和十七年) 二月六日にフィリピンにおいて戦死したが、墓参りについては、毎年八月に遺族会の方々が、同病相哀れむ形で互いに参拝し合うだけであります。其の他、慰霊施設として旧大須賀町の忠霊殿もあるが、これには草刈に出かけるだけであります。アメリカの例にならって外国人も日本人と同様に我が国の戦死者の墓に参拝すべきでありましょう。我が国には、勝ち戦 (いくさ) の銅像もなければ、負け戦の銅像もありません。平和のために戦った兵士の魂は靖国神社に集結しているのでのであろうか。全てを水に流してしまったのか。戦争は、内外に広く知らせなくてはならない我が国の記念すべき歴史であります。これを忘れていては、歴史教科書も立派なものは書けないでしょう。総理大臣が隠れるようにして靖国神社に参拝するのは、総理にとっては遺族に対するただの言い訳にしか過ぎないということであろうか。
 遺族会員による忠霊殿の掃除も大変である。戦死者個人の遺骨も先祖代々の墓の中に入れるわけにはいけないでしょう。墓の掃除は誰がすべきなのでしょうか。「墓の掃除は自分の代まではどうにかするが、孫の代にはわからない」といって心配する会員もいます。「寺の供養も五十年までだ。何故、遺族会員があれこれ動くのか」と疑問を投げかける人もいます。戦争は、国が決めたことでありますから、戦死者の供養は国が責任をもつのが筋でありましょう。
 日本製のデジタル・カメラや乗用車が世界中に売れています。高輸出が、わが国民の高生活水準を支えています。だが、エール大学の歴史学者、ジョン・W・ホールによれば「日本は、世界語を持たない唯一の真に世界的国家である。日本は多くの面で、諸大国中、最も文化的に特異で、知的に接近しにくい国のままであり、この事実が世界の他の国との考え方、感情の交換をひどく妨げている」ということになります。
 英米人が知的に接近しにくい例として、イザヤ・ベンダサンこと山本七平の著した<ユダヤ人と日本人>の中での禅問答の部分を引用させていただきますと、
 、、、、 昔、あなたのようにはるばる日本に来た一人の宣教師がいた。彼がある日、銅製の仏像の前で一心に合掌している一老人を見た。そこで宣教師は言った「金や銅で作ったものの中に神はいない」と。老人が何と言ったと思う。あなたには想像もつくまい。彼は驚いたように目を丸くしていった「もちろん居ない」と。今度は宣教師が驚いてたずねた。「では、あなたはなぜ、この銅の仏像の前で合掌していたのか」と。老人は彼を見すえていった。「塵を払って仏を見る、如何」と。失礼だが、あなただったらこれに何と返事をなさる。いやその前に、この言葉をおそらく「塵を払って、長く放置されていた十字架を見上げる、その時の心や、いかに」といった意味に解されるであろう。一応それで良いとしよう。御返事は。さよう、すぐには返事はできまい。その時の宣教師もそうであった。するとその老人はひとり言のように言った「仏もまた塵」と。そして去って行った。この宣教師はあっけにとられていたというが、あなたも同じだろうと思う。これを禅問答と名づけようと名づけまいと御随意だが、あなたの言った言葉は日本教徒には全く通じないし、日本教徒の返事はあなたに全くわからないということは理解できよう。 、、、、、、(引用終わり)
 現在の地球は英米の世の中であります。そして、英語は、印欧語の一言語であるから、他の西洋人の考えと共通する部分が多い。印欧語には時制があり、日本語には時制がない。時制は、現在、過去、未来の内容を構文により区別する規則で、仏教の教えには、現世、前世、来世の内容を区別する構文が対応しています。文法上の違いは、考え方の違いとなって表れます。私は、外国語としては英語しか知らない人間であるので、その他の言語のことは想像となるのはやむをえません。
 上に掲げた例では、「仏もまた塵」が問題であります。仏は考え(非現実)の内容であり、塵は現実の内容です。非現実と現実を区別しないのが日本人の考えであり、区別するのが西洋人の考えであります。
 日本語には、実感がある。それは、日本語が現在構文 (現実構文) ばかりの言語であり、その内容が実況放送・現状報告に関したもの限られているからであります。
 考えは観念であり、非現実である。そして、日本人が大切にする言葉の中の実感はありません。時制のない言葉を使うと、人々は無哲学・能天気となるのであろうか。日本人の歴史には歴史哲学がなく、日本人の政治には政治哲学がありません。観念を掲げた日本国憲法は日本人にとって欺瞞の対象となりやすいのです。たとえば、第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。これを英訳したものは、Article 11. The people shall not be prevented from enjoying any of the fundamental human rights. These fundamental human rights guaranteed to the people by this Constitution shall be conferred upon the people of this and future generations as eternal and inviolate rights.であります。
 日本文の方は現在構文で、英文の方は未来構文で書かれています。だから、内容の次元が違います。現在構文は、実況放送・現状報告の内容を載せる構文で、will shall などを使う未来構文は、意思など「あるべき姿」を載せる構文であります。憲法の内容は「あるべき姿」の理想であり、我々の努力目標であります。だが、決して現実の内容ではなく非現実であります。
 同じ日本国憲法は、日本語の内容としては現実の中の嘘であり、英文の内容は非現実のものであります。だから、自分達の現実構文の中から非現実の内容を取り除くことに躍起となっている日本人には欺瞞となります。現実オンリーの世の中で、憲法の内容を主張する根拠は何処にあるかということになります。その根拠は未来構文そのものの中にあって、現在構文の中にはありません。英米人の頭の中にあっても、日本人にはありません。
 我が国に政治哲学がなく歴史哲学もないのであれば、この国の政治家は戦死者について語る内容を持つこともなく、内外の観光客に説明する内容もないので、慰霊の施設の建設もままならないでしょう。
 我々は、現在、英米の世の中に生きています。間引きをすることもなく、姥捨てもなく、江戸時代を通じて三千万止まりの人口は一億二千万にまで膨れ上がりました。我々は、「世界にあって、世界に属さず」(In the World, But Not of It) といわれる現在の状態をどうかして克服しなければなりません。
 かような国難を克服するためには、我が国の有識者・知識人は、英米流の考え方をも理解し、英語のみで考える能力をも備える必要があります。そのためには、英語圏への留学も心がけなくてはならないでしょう。英語を我が国の第二公用語として法制化することも、第三の開国を加速することに役立つことでしょう。

 

文芸 かけがわ