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その他(マスコミ)
104553 > 本当の勉強
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/25 PM01 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 64779 本当の勉強
> 小西康雄  ( 39 大阪 企画 ) 03/11/24 PM09 【印刷用へ】
> 教師や親たちは「今の受験勉強は本当の勉強とはいえない」との判断ははっきりと下せても、それに代わる「本当の勉強」とは何かを示すことが出来ません。

受験勉強は、人間の序列を定めるための手段です。83909
本当の教育は、初等教育 (読み書き・算盤) と高等教育 (哲学) です。82879
これ以外に必要なものは、生計を得るための実学 (技術) の習得である。95179

> 国がいくら教育改革を掲げても、教師や親自身が可能性を感じられなければ「好きなように、やりたいように」しか子供たちに伝えられるものがありません。それを、いくら見て見ぬふりを続けても潜在的な不全は高まるばかりだと感じます。

日本語の読み書きを練習しても理性判断は得られない。だから、「好きなように、やりたいように」は、恣意の自由になってしまう。84743
潜在的な不全は、正しい考えの得られない日本語の中にある。82057

> 多くの人々が考える本当の勉強とは、社会で必要となる知識・技術といった、役に立つ勉強のことだと思います。

実学 (技術) のことですね。それは、我が国に昔からある伝統です。83415
生活水準の上がった日本人が、英米人並みの教養を求めるのも尤もなことだと考えます。102886

> 過去を見ても、生産と消費の場が一体であった時代には農作業の手伝いや丁稚奉公を通して学んだことから特に勉強等は必要なかったでしょうし、寺子屋・私塾では「よみ・かき・そろばん」の実学や修身等の身分序列規範が教育の中心であったはずです。

初等教育が普及していたわけですね。修身とは、序列社会に適した人間作りを意味していた。93729

> また、「いい学校→いい会社→いい暮らし」というレールが成立していた時代では勉強内容そのものの必要性は怪しいものですが、受験競争に勝つことが社会で共有されていたからこそ手段としての受験勉強も価値が認められていたのでしょう。

人びとは平和を望んでいる。果し合いで序列を判定するのでは、犠牲が大きすぎる。「上と見るか、下と見るか」の考え方によれば、どうしても真の序列を見極めたいとの思いに駆られる82023。そうでなくては、納得できない。それで、序列のための競争が開かれている。95232

> 社会における人々の価値観(=統合様式)が変われば、勉強の中身が変わるのは必然です。今の学者や官僚には答えが出せない以上、我々自身が彼らへの責任転嫁を抜け出し、現実に目を向けて社会を共に考える場が広がることによってしか次代の教育は見えてこないのだと思います。

同感です。次代の教育には、英米人の考え方が参考になります。103548

> 高まる不全を背景に、無数に並べられた小手先の教育改革よりも、単純なこの事実をみんな(=社会)で共有することの可能性にみんなの意識が向かいつつあるように感じます。

目先・手先に関する考えは、日本人の得意とするところですが、それを何回繰り返しても何処にも行き着かないでしょう。 だから、哲学を含む英米人の考え方が参考になります。83769
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職場の悩み相談
104514 > 本音を言える関係
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/24 PM06 【印刷用へ】

> 職場の悩み相談
> 3138 本音を言える関係
> 野崎章 HP  ( 27 福岡 会社員 ) 01/04/12 PM11 【印刷用へ】
> 仲間と集い、本音を語り合う。なんだかいい響きです。しかし、「本音」というのが、何かに対する「愚痴」(暴露大会)になってしまう事が多くあります。すぐにイメージできるのが、会社員が一杯やりながら、「○○のここが気に入らない」「○○のこんなところが嫌だ」などと好き勝手に言って「そうだよなー」と同調しストレスを発散しています。確かに皆で何かに対して文句をいうことは、その場においては(言った直後)はすっきりしているように感じますし、イージーな方法で共感が得られることもあります。しかし、考えてみましょう。そこから何か生まれているのでしょうか。発散と言うくらいなので、所詮発散しているだけで、何も自分の中に蓄積されていませんし、なんら状況が改善されているわけでもありません。方向性がないのです。

同感です。進むべき方向を示すのでなければ、指導性は発揮されませんね。83954

> 現在の社会において、会社は多くの人々にとって自分が属する集団として存在します。前回の投稿で、純粋な期待を感じるためには相手の背後に自分の属する集団を意識することが重要であるといいましたが、「愚痴を言う」ということはその集団を否定視しているので、そこに純粋な期待を感じることはできません。

そうかもしれませんね。現実は否定できない93461。根拠・論拠がない102335。それで、否定視するのですね。子供が「いやじゃ。いやじゃ」と言っているようなものですね93306。

> なぜ、「愚痴」になるのでしょうか?それはその集団を自分の集団(自分で作る集団)として感じることができていないからだと思います(個人経営の人が自分の会社に対して愚痴るなんてことはありませんし)。そのために、現在の多くの会社がまずやるべきことは社員に対して(集団に対して)すべての情報を公開し、自分たちの会社を自分たちで作っていると意識させることだと思います。

同感です。社員に対して(集団に対して)情報公開ですね。94946

> ストレスを発散することが本音を言える仲間ではありません。「発散」ではなく、もっと「プラスになる」ことが仲間との関係にはあるのですから。

同感です。 建設的な意見が必要です93494。本音は恣意ですね。大きな声で公言できない81994。
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その他(性と家庭)
104460 > 現実肯定
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/23 PM02 【印刷用へ】

> その他(男と女・性・婚姻)
> 22142 現実肯定
> 廣重圭一  ( 38 東京 技術者 ) 02/01/25 PM09 【印刷用へ】
> 現実肯定というと何を肯定すべきかということに成ってしまいますが、ここでは、(自分がとらえている)現実を取りあえず受け止めてみる(対象化する)というように考えてみたらどうでしょう。”

日本人は、現実を否定できない101180。それは、現実を見せると、日本人はそれで黙るからである。日本人は現実を否定できない82057。だから、日本人は、現実肯定主義である82615。「ノー」と言えない日本人である18130。それが、歯がゆい日本人の実態である。
現実の有様に批判を加えるためには、現実にはない「あるべき姿」という基準が必要である。基準と現実を比べて判断を下す。これは、根拠のある判断となる理性判断である。84641(正誤表:外国語の→公用語にの)
基準は、自分自身で考えるものである82478。だから、個人の存在は認められる必要がある。この要求に答えるものが個人主義である。83415

> 現実はそうなんやけど、実態はちがうんだけどな・・・”というのはよく感じますが、ここでの”実態は・・・”という事も含めて受け入れてみるということではないのでしょうか。

実態は現実そのものである。現実以外に実態はない。84047

> その実感も含めて何が本来のあり方なのか、何が充足するのかを考えた後で、何が”肯定”出来るのか考えたらいいのではと考えてます。

自分自身で「本来のあり方」が考えられるならば、それを基準にして現実・実態が肯定できるものか、それとも否定できるものかを判断できます。102335
もちろん、「本来のあり方」に100%合致する実態などこの地上にはありませんから、現状を考慮して自分自身でリーズナブルなところで手を打つことは個人的な判断であり、個人主義に基づく大切な結論であると考えられます。82354

> 自分自身、この考え方を聞いた時、仕事の場や、家庭での場でも何かよくわから無いけど、基準がそうなっているから、昔からそうしていたから、自分がそうしたいからということで無理に自分を納得させてる自分に気づきました。そんな固定観念に捕らわれずに考える。当たり前かも知れませんが自分には新鮮に聞こえました。

現状よりも優れた基準が考えられるならば、そちらの基準を採用するのが理に合った考えであります。93729
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なぜ勉強しなければいけないの?
104420 > 勉強は必要!ただし転換も必要!
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/22 PM02 【印刷用へ】

> なぜ勉強しなければいけないの?
> 104406 勉強は必要!ただし転換も必要!
> 高田敦  ( 41 大阪 塾講師 ) 06/01/22 AM01 【印刷用へ】
>>現実への不可能視や課題捨象の言い訳が横行する大人社会の実情も、こういった現実(実感)と勉強(観念)の断絶が根底にあり、今また子供達の教育の場で繰り返されているとしたら、それは忌々しき問題です。現実の役に立たない勉強で社会(みんな)の役に立たない人間ばかりが増えている。社会の根幹を成すのが“教育”ならば、現実課題に答えを出すための勉強、みんなの期待に答えるための勉強、現実(実感)とつながった勉強の再生が急がれます。(103852)
> 仰る通りだと思います。

実学 (技術) の教育が大切だということですか84032。それとも、個人的な世界観を得るための高等教育が必要であるということでしょうか83415。どちらも現実(実感)とつながった勉強であると考えられますが103870。意思の有無にも問題がありますね82057。

>>一昔前は勉強する意味がはっきりしていました。「勉強しないと将来苦労する」という言葉が示していたように、「いい大学→いい会社→いい生活」という確実な人生コースを歩むためには「勉強が必要」だったのです。つまり、貧しさから脱出する、あるいは惨めな生活に転落したくない、という絶対的な圧力があったが故に、人々は「お金や地位」を求め、そのための学歴、そのための勉強という形で「勉強の必要性」を感じとっていたのです。<<(103852)

序列社会・縦社会の仕来りが崩れてきていますね95237。食い扶持をへらすための丁稚奉公も必要ない。のらくろ (野良犬のくろ) の立身出世も必要でなくなった82373。

>>ところが現在、フリーターの激増や、特に出世したいと思わないという若者が過半数ということに象徴されるように、貧困が消滅し、豊かになった結果「お金や地位」は明らかに第一義的価値ではなくなってきました。その結果、子どもたちの中でも、勉強しなければならない根本理由が曖昧になってきています。今や、成績がよく、一見何の問題もなさそうな子も含めて、ほとんどの子どもにとって「勉強の意味」が肉体的にリアリティを持たなくなってきているのが実情です。<<(103852)

無哲学・能天気の人たちに囲まれて生活していれば、横並びの比較により「勉強の意味」は見出しにくいのではないでしょうか。82144

> 「いい大学→いい会社→いい生活」を目指すのは、私権の獲得が目的です。つまり、この間の状況は、貧困が消滅し豊かさが達成されるにつれて、自分発の活力源が、どんどん衰弱してきました。

向上心や出世欲がなくなったわけですね。小さな体に大きな望みといったような一寸法師のような子供が少なくなった。102628 (正誤表:層懺悔→総懺悔)

> 従って、もはや自分発では大した活力も勉強に対する意欲も生み出せなくなっています。これらの現れとして、子どもの疲労感、学力低下、登校拒否、ひきこもりなどが増加しています。また、仲間収束がクラブなどに引っ張られ、知能の高さに関係なく、勉強よりもスポーツやメールのやりとりに熱心すぎる子供達も多く存在します。

スポーツやメールのやりとりと言うよりも、勉強の内容そのものが問題なのではないでしょうか。97960

> では「勉強は必要でないのか?」と言うとそのようには思いません。環境問題、精神破壊、国の借金など我々の未来は未明課題が山積しています。このような外圧を前に過去の人類は、共認機能と観念機能をフルに稼働させ突破してきました。『現実課題に答えを出すための勉強、みんなの期待に答えるための勉強、現実(実感)とつながった勉強』とは、様々な未明課題を突破していく為の勉強だと思います。

様々な未明課題を突破していく為には、あらゆる分野で理性判断が必要となります93729。 この種の教育は、一般教養に入ります84032。
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観念機能(→言語機能)の成立過程
104383 > 無文字社会
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/21 PM10 【印刷用へ】

> 観念機能(→言語機能)の成立過程
> 104243 無文字社会
> 阪本剛 HP  ( 32 千葉 SE ) 06/01/19 PM02 【印刷用へ】
> 少し前になりますが、2005年9月8日の読売新聞に掲載された「無文字社会の歴史」の著者、川田順造のインタビューが興味ぶかいので、一部を紹介します。
>> −西洋を中心とした歴史観とどう違うか。
>> 「過去、現在、未来という一直線上に並ぶ時のとらえ方は、多分に文字文化とヨーロッパの言語の時制概念によって作り出されたものだ。さらに、人類の歴史には始まりと終わりがあり、最後の審判を迎えるという旧約聖書的な意識がある」

民族のメンタリティ (考え方) は、使用言語の文法により制約され特長付けられているのでしょうね。84361
哲学入門書 (小説)「ソフィーの世界*」から私が得た知識では、以下の如くになります。
セム族 (ユダヤ人・アラブ人) は、アラビア半島に住んでいた。彼らは、インド・ヨーロッパ語族とは文化も言語も関係のない民族である。セム族に特徴的なことは、早期から一つの神を信じることでまとまっていたことである。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教は、全て、一つの神が存在するという基本的な考えを共有している。コーランも旧約聖書もセム語で書かれている。共通の直線的に進行する歴史観を持っている。最初に、神は世界を作った。それが歴史の始まりである。しかしながら、ある日、歴史は終わり、これが神が生者と死者とを判別する最後の審判の日である。歴史によりなされる役割は、これら三つの西洋の宗教の重要な特徴をなしている。歴史は神の意思を世界に示すためにあるのだが、神は歴史の進路に干渉すると信じられている。

これに対して、インド・ヨーロッパ語族は、黒海とカスピ海の間の土地に住んでいた。多数の異なった神々を信じていた。
インド・ヨーロッパ語族の歴史観は、周期的であった。つまり、一年の四季のように周期的で、初めも無ければ、終わりも無かった。かようにして、東洋の二大宗教であるヒンズー教と仏教の起源は、インド・ヨーロッパ語族にある。

著者は、大和民族のメンタリティについては言及しておりませんが、私の観察したところでは、日本人は「刹那=永遠」の発想をするように見受けられます。41332
「刹那=永遠」の発想は、日本語に時制がないことに関係あるかもしれませんね。90706
現在と無限遠の間の過程に考察の余地が見出せないと、周到な現実支配の手順も考え及ばぬことが多くなるのではないでしょうか。98123

*Jostein Gaarder, Sophie’s World. Berkley 1996

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実現思考とは、何か?
104323 > 事実の価値、媒体役の価値
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/20 PM06 【印刷用へ】

> 実現思考とは、何か?
> 104293 事実の価値、媒体役の価値
> 西知子  ( 31 京都 秘書 ) 06/01/20 AM03 【印刷用へ】
> これまでの社会では、事実よりも感想や主張に価値がおかれていた気がする。

気分・雰囲気を重視する歌詠みの世界ですね。82144

> 全体の構造を淡々と語るより、ある側面だけに焦点を当て、それをどれだけ面白おかしく(あるいは痛々しく)表現できるかが重視されていた。

人びとの感情を操作するために使われたのですね。82476

> テレビや小説なんかはその典型だが、人物評価においても端々に見受けられる(事実を述べるだけなんて芸がないetc)。
> しかし実際は、仕事をする上で、全ての基本となるのは事実。

同感です。目先に関すること・手先に関することの内容は、日本人の注目するところです。85728

> 状況や相手の心境を、関係者が共有することから、仕事は始まるといってもいい。

意思の表明ですね。意思があれば、その方法は見付かる可能性が出てくる。82057

> 仕事の成果は、それらをどれだけ深く正確に(リアルに)掴み、伝えられるかにかかっている。(逆に、トラブルやクレームは、事実誤認や伝達不十分が原因で起こることが多い)

事実直視の程度が重要ですね。それに比べて、歌詠みは、勝手な解釈の方を重視しますね。102467

>>書く上で、「事実」に優るものはない。102324

言葉は、もともと話すもの聴くものであった。104183
ごく最近になって、言葉は書くもの読むものとなった。97350(正誤表:なるしょうね→なるでしょうね)
事実は、アニマルとも共有できる内容です。82285

> ここでいう「ストーリー作文」とは、もはや「作文」ではなく「記録」に近いものではないだろうか。
> そうであれば、事実をありのままに受信し発信する訓練が、本当の学力=現実に役に立つ力を培うというのは、すごく納得できる。

現実に基づく考えが出来るようになれば、経験哲学になりますね。101884

> 実現基盤は、現実の中にしかない。現実をとことん直視することからしか、突破口は見つからない。

現実を制御するには、現実を直視することが大切です。さらに英米人は経験哲学 (科学) の上に立って現実の世界を支配している。84641(正誤表:外国語の→公用語にの) だから、科学は事実そのものではない。事実を確かめた上で判断した英米人の考え (哲学) である。84032

> 又、事実を伝える能力があるということは、その場にいない人をも参加させることが出来る能力を持つということであり、それはイコール、供給者を生み出す能力だとも言えるだろう。

同感です。学問とは、そういうものです。事実には、各人の解釈が可能です。104135
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るいネットをどう変える?

104263 > 論駁とは
  寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/19 PM09 【印刷用へ】

> るいネットをどう変える?
> 3987 論駁とは
> おかようこ  ( 21 大阪 学生 ) 01/05/10 AM09 【印刷用へ】
> 自分の意見を主張するときは、対象を批判した方がやりやすいとされています。
> 論文の書き方のコツとして、やはり反論を持ち出す方か書きやすいと言われます。

相手の意見に部分的な否定の補足を加えるほうが、論文の筋書きは容易に作れますね。96666

> しかし、実際的な議論とは、相手を批判して持論を掲げることではありません。(それが仕事の野党もいますが)

同感です。他人の意見があろうがなかろうが、自分自身の「あるべき姿」の内容を主張することは可能です。94865
反論のあるなしにかかわらず、持論は持論です。83201

> にもかかわらず、何かと相手の言葉尻を取って相手を攻め立て、自己を正当化しようとすることがよく見られます。
> 些細なことに過敏に反応し、揚げ足を取ることに躍起になっているのです。

ヤクザの言いがかりのようなものですね。103548
相手の言葉尻を取るのであれば、知的低水準の人でも可能になるのでしょうね。103813

> これは、正式な論争の場においてのみならず、日常の身近な場面でもいえることです。

自己の考えている「あるべき姿」の内容がないと、自己主張はできないですね。82180
自己の世界観がないと、主張も恣意 (私意・我儘・身勝手) の主張のようなものになる。誰も聞く耳を持たない。81994

> 自分の非を認める前にまず相手を咎め、意識化では自分の誤りに気づいているからこそ、余計にそれを指摘されることをおそれ自己防衛の気持ちが働き反発的になる、といったものです。

恣意の人たちであれば、相手の主張はお互いに認められませんね。言い合いは、果し合いのようなものになるでしょう。82027
ボクシングのようなものですね。相手から一発見舞われたら、手数を多くして防戦する必要がありますね。そうでないと、身が危ない。

> もちろん、主張したい意見に実証的な根拠と正当性があるならば大いに反論すべきだとは思いますが、意味もなく「反論する」という行為自体に意味を見出していることがあるようです。論駁の難しさとは、こういった事柄のバランスなのでしょうか。

根拠なくして主張し、根拠なくして反論するというのであれば、議論とはいえませんね。102335
意味もなく「反論する」という行為自体に意味を見出すことは、至難の業ですね。

> 議論において求められるのは、相手の意見を尊重した上で、共感・共認できるものには大いに賛同することであり、また反対意見を持ち出す場合は相手の理解を得ようとする真摯な態度と受ける側の柔軟な姿勢であるのだと思います。

自己の意見を聞いて下さる方がいるのであれば、感謝する必要があります。99069
反対意見があるのであれば、相手の理解が得られたときにも感謝する必要があるでしょうね。94775
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その他(マスコミ)
104194 > 日本は仙人になるべき2(アメリカの行く末)
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/18 PM08 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 33700 日本は仙人になるべき2(アメリカの行く末)
> hiro  ( 23 つくば研究学園都市 学生 ) 02/06/15 AM01 【印刷用へ】
> 21世紀を向かえた時、アメリカであの様な衝撃的なテロ事件が起こる事を予想し得た人はほとんどいなかったであろう。熟睡していた自分は、友人の電話で起こされテレビを付け愕然とした事を今でも鮮明に覚えている。

西太平洋における真珠湾攻撃のようなものですかね。99912

> では10年後アメリカはどうなっているのだろうか?ある朝、起きてテレビを付けるとそこには核兵器によって消え去ったニューヨークやロサンゼルスの地獄絵図があるなどという現実が無いとは誰も言えないのではないか?少なくとも自分はその可能性は、関東大震災が起きるのと同じくらい現実的であると考えている。

想像力をたくましくすれば、地獄絵図はすぐにも描ける。地獄絵図が現実に起こらないことを祈っております。103689

> アメリカは個人的に嫌いではないが、敵を作り過ぎる傾向がある。すべてを自分本位の力でねじ伏せようとする姿勢は他国から好意的に見られておらず、心から賛同する国はごく少数である。絶大な経済力・軍事力の前に同意せざるをえないというのが実情であろう。

「力は正義」である。アメリカは、同盟国の力を頼りにしている。104012

> 実際、アメリカは世界中のテロリストから狙われている。そして自分が危惧するのは、テロが国家単位の敵でない為アメリカの軍事力の抑止力が効かない事、科学的水準が上がり限られた国で無くとも大量殺りく兵器(特にスーツケース型核兵器等)を保持する事が可能である事等である。これらの事はアメリカがテロリストの侵入を防ごうとしても100%防ぐ事は現実的に不可能であり、いつかは大量殺戮兵器によるテロを許すという事を意味している。

だから、アメリカはテロに神経質になっている。彼らは、それ相当の覚悟をしなければならない。83749

> 自分がこんな悲愴的な事を言うのは、日本がそうなって欲しくないからである。先日、「日本も核兵器を保有する事が可能」等と言う愚かな発言をした政治家がいた。武力で平和を得られない事は歴史が証明してきたのではないか?

我が国もアメリカの武力の前に、平和を望むこととなった。その後も、英米の世は、グローバル化の程度を深めている。102033

> グローバル化する世界で真の平和を得る事が出来るのは敵を作らない事だけである。

アメリカは、この地球上から敵を消すつもりでいるのでしょう。そういえば、ソ連も消えた。99241

> 武力の放棄、良識的な外交、今まで同様の経済支援・環境問題への取り組み、例え世界第二位の経済大国でなくなろうとも平和には変えられない。

アメリカは、自己の市場への参入を日本に許した。そして、日本は英米の世で世界第二位の経済大国になった。97858

> 日本は争いを嫌い、平和を愛し、世界平和を本当の意味で実践する国として世界の模範になるべきであるし、それが出来る国民性と、実践出来る国力がある。

西遊記に出てくる孫悟空は、自己の有能さに得意になっていた。だが、釈迦如来の手のひらの中から外に出ることはできなかった。孫悟空には、世界観がないのであろう。83201

> これが自分の言う「仙人」である。

仙人か、俗人か、分かりませんね。私には。94960
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その他(認識論・科学論)
104135 > 大学の自治
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/17 AM09 【印刷用へ】

> その他(認識論・科学論)
> 33058 大学の自治
> 辻一洋  ( 36 北海道 企画 ) 02/06/08 AM03 【印刷用へ】
> 大学の自治という言葉があります。 統合の専門家の中でも学者たちが問題の矢面に立たされることはなく、彼らは常に高見に立つ傍観者でしかない。

日本人の学者は、傍観者にしかなれませんね。94960

> 大学でも理事長を始めとした経営者は少子化の中で生き残りをかけ、現実に立脚した対応策を考えています。たとえどこかの短大のように中国から留学生を大量に受け入れるような愚作を施しても、彼らなりに必死に考えた結果であることは理解できます。

大学の目的は高等教育ですから、高等教育のなりたたない大学は正しい手段にはなりえませんね。94159

> 学生が大学に進学するのは私権闘争の中での評価軸として学歴が残存しているからであり、特に文系においては専攻する学問がほとんど現実に役に立たないことは承知の上なのです。だから、せいぜいその中でも興味のありそうなものを選ぶに過ぎないのです。

日本では、学歴は学習の個人史になっていません。序列形成の言い換えに使われています。97858
「学問がほとんど現実に役に立たない」ということは、たいへん不幸なことですね。英米の学問は、日本人の生活には存在しないので、ほとんど役立たない。84032
もし役に立つのなら、日本でもその要求を満たす大学はできるはずである。94251
それも出来ないとしても、英米に留学して個人的に解決することも出来る。102212
だがしかし、英米で本場の学問を身に付けても、日本人社会では役に立たないということであれば、形骸化した日本の大学で十分間に合うということになる。83415
それで、学問に役立たない大学の存在価値が日本人自身に認められているのである。異なる用途、すなわち序列形成に使われて役立っている。30568

> たとえば文学などはただの解脱の道具に過ぎず(解脱はそれなりに追求することはありますが、彼らはそれが解脱様式であるとの認識はない)、「学」がついただけで権威化され、最もらしく解説を論文と称して発表するだけで身分が保障されます。本質的にはワールドカップを熱く語るサッカーマニアと同じことをしているのです。

日本人の目的は、快適な気分・雰囲気を得ることです。それ以外のことは、眼中にないようです。82144

> 近年、大学の自治を振りかざし躍起になることがあります。国立大学の独立行政法人化が盛んに議論され始めた途端、マスコミを始めあちこちで自分たちの正当性を語り、文部科学省に抗議声明まで出しています。さらに彼らは学者こそ最高の身分であり、彼ら自身を評価することは他の誰にもできない等とぬけぬけと語り続けているのです。

評価することは他の誰にもできない最高の身分というのは、解せませんね。評価されて後に最高の身分があるのでしょう。しかしながら、これは英米流の考え方で、我が国においては、評価を超越した人間を考えることは、そう珍しいことではないようです。日本人には、リーズナブルな答えを求めるメンタリティがないからです84116。いかさまの大学か。
ルース・ベネディクト (Ruth Benedict) は<菊と刀>の中の<戦時中の日本人>で、天皇について下記のごとき事実を記している。

、、、、、しかしながら、天皇は、彼らにとっては、日本から切り離すことのできないものであった。「天皇のない日本なんて考えられない」。「日本の天皇は日本国民の象徴であり、国民の宗教生活の中心である。天皇は超宗教的な対象である」。たとえ日本が戦いに敗れたところで、敗戦の責任は天皇にはない。「国民は、天皇が戦争の責任を負うべきものとは考えていなかった」。「万一敗戦となっても、責任は内閣ならびに軍の指導者がとるのであって、天皇に責任はない」。「たとえ日本が負けたとしても、日本人は十人が十人まで天皇を崇拝しつづけるであろう」。かようにすべての人が一致して天皇を批判を超越したものとしていることは、人間ならば、どんな人に対しても懐疑的なせんさくと批判の除外例を認めないアメリカ人にはいかさまらしく思われた。

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その他(マスコミ)
104119 > 現実のイメージ
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/16 PM10 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 72438 現実のイメージ
> 内藤琢 HP  ( 24 京都 会社員 ) 04/05/24 PM00 【印刷用へ】
> 我々はともすると多様で複雑な「現実」の中でどうにかこうにか生きていると考えてしまう。友人関係での「現実」、会社での「現実」、学校での「現実」・・・。

日本語には、現実構文 (現在構文) しかないから、日本人の考えは現実の中に収まってしまう100065。考えが現実の外には出られない84909。

> この相矛盾する現実に囲まれて生きていると考えると、まとまりのある「現実」など捉えようもない。そこで、断片的であれ「現実のイメージ」を与えてくれるのは、テレビや新聞などのマスメディアのみだと考えてしまう。「現実はこうなっているんだ」と信じ込むことで、何とか落ち着きを取り戻しているような状態だろう。

現実の変化は多様でめまぐるしく変化する82320。テレビや新聞などのマスメディアは、実況放送・現状報告の内容を伝える82057。それを基に各人は「世の中は、、、、、」の発想をまとめる82942。

> このような状態であれば、メディアは単に事実を報じているだけだ、というのも欺瞞だと分かる。現代人の今までの世界観を支え続けたのはマスメディアであり、それ故にある人々に取とっては「見ていないと不安」でしょうがないという状態を作ったのだ。

日本人の世界観は、現実 (現在) の一枚画像である。英米人のように、現在・過去・未来の三枚画像にはならない。103994
日本人の世の中は、マスメディアにより作られる82504。それで、「見ていないと不安」でしょうがないと、目先のこと・手先のことなど身近なことに更に神経が集中する85728。
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