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実現論って、何?
104107 > 二重性を持つ言語 2:差異化の背景
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/16 PM06 【印刷用へ】

> 実現論って、何?
> 938 二重性を持つ言語 2:差異化の背景
> 水元史樹 HP  ( 20代 大阪 出版 ) 01/03/07 AM00 【印刷用へ】
> さてここで「価値の多様化」が叫ばれてきた背景を考えてみよう。もちろんそれは戦後民主主義教育の賜物と言わざるを得ない。
> 戦争の理由を「国民の思想統一」に重点的においた教科書や憲法にて、我々は潜在的にも顕在的にも「思想の統一は危険である」と認識しがちだ。現代において宗教が敬遠される理由の最たる理由も、「価値を一様化させる」というイメージがつきまとうという点に尽きるだろう。

諸外国は、特に神道を怪しんでいるようですね。99655

> それに加え、「他人は他人」「個性尊重」「個人の自由」という言葉に代表されるように、個人主義の普及によって我々は常に「他人と自分は違うもの」、または「違うからこそ良い」という前提を置きがちである。それは言うまでもなく、共同体を解体する原動力になったものでもあり、またその行為を正当化する唯一の根拠でもあった。
> しかしながら、昔の村落共同体や戦時中に、「個性」のない人間がいたとは到底考えられない。

言語活動としては、一億一心ではなかったでしょうか。100729

> 特に村落共同体は、その集団ごとの規範に則り独特の文化を築いていた。何も「十人十色」とは近代以降に唱えられた言葉ではないのだ。

「十人十色」は、主として非言語活動に関した事柄を指していたのではないでしょうか。103487

> また、宗教が「価値を一様にさせる」ものであるならば、それこそ「新興宗教」などというものがでてくることがおかしい。キリスト教と言ってもプロテスタント、カトリックと大きく別れており、その宗派が際限なく分派、統合を繰り返していることは事実である。

「価値を一様にさせる」ご唱和は、当該分派内用の掛け声に限って有効とされているのではないでしょうか。82123

> 従って、宗教や、戦前の教育が価値を一様にさせる(個性をなくす)というのも、どうやら一つの固定観念に過ぎないということがわかってくる。

日本語のみを言語として正しく教えると、階称 (言葉遣い) の励行に伴って、没個性の序列人間ができる危険があると考えられます。95182

> 言い換えると、宗教者だろうが何であろうが、「個性」や「文化的特色」は実際に存在する=なくすことはできないのである。従って現在の「個性礼賛」状態は、個々人の特異性、差異性を“無理に”演出しているのだと考える方が妥当である。

無哲学・能天気も「個性」や「文化的特色」と考えれば、これらは我が国に実際に存在します。日本語の世界に入り浸れば、これらの「個性」や「文化的特色」は、なくすことはできないと考えられます。82879

> そもそも、「価値の多様化」「個性尊重」「自分探し」という言葉自体に「人それぞれ」の価値が付けられ、結局そこに中身はない。それなのに(大きくは)メディアの影響により私たちは無意識にもそれを追い求めているといっても過言ではない。

そもそも、「価値の多様化」「個性尊重」「自分探し」という言葉自体に「人それぞれ」の価値が付けられているにもかかわらず、結局、我が国にはその言語活動としての実態がない95706。それなのに(大きくは)メディアの影響により私たちは無意識にもそれを追い求め、その気分・雰囲気に酔いしれているといっても過言ではない82144。
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実現論って、何?
104107 > 二重性を持つ言語 2:差異化の背景
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/16 PM06 【印刷用へ】

> 実現論って、何?
> 938 二重性を持つ言語 2:差異化の背景
> 水元史樹 HP  ( 20代 大阪 出版 ) 01/03/07 AM00 【印刷用へ】
> さてここで「価値の多様化」が叫ばれてきた背景を考えてみよう。もちろんそれは戦後民主主義教育の賜物と言わざるを得ない。
> 戦争の理由を「国民の思想統一」に重点的においた教科書や憲法にて、我々は潜在的にも顕在的にも「思想の統一は危険である」と認識しがちだ。現代において宗教が敬遠される理由の最たる理由も、「価値を一様化させる」というイメージがつきまとうという点に尽きるだろう。

諸外国は、特に神道を怪しんでいるようですね。99655

> それに加え、「他人は他人」「個性尊重」「個人の自由」という言葉に代表されるように、個人主義の普及によって我々は常に「他人と自分は違うもの」、または「違うからこそ良い」という前提を置きがちである。それは言うまでもなく、共同体を解体する原動力になったものでもあり、またその行為を正当化する唯一の根拠でもあった。
> しかしながら、昔の村落共同体や戦時中に、「個性」のない人間がいたとは到底考えられない。

言語活動としては、一億一心ではなかったでしょうか。100729

> 特に村落共同体は、その集団ごとの規範に則り独特の文化を築いていた。何も「十人十色」とは近代以降に唱えられた言葉ではないのだ。

「十人十色」は、主として非言語活動に関した事柄を指していたのではないでしょうか。103487

> また、宗教が「価値を一様にさせる」ものであるならば、それこそ「新興宗教」などというものがでてくることがおかしい。キリスト教と言ってもプロテスタント、カトリックと大きく別れており、その宗派が際限なく分派、統合を繰り返していることは事実である。

「価値を一様にさせる」ご唱和は、当該分派内用の掛け声に限って有効とされているのではないでしょうか。82123

> 従って、宗教や、戦前の教育が価値を一様にさせる(個性をなくす)というのも、どうやら一つの固定観念に過ぎないということがわかってくる。

日本語のみを言語として正しく教えると、階称 (言葉遣い) の励行に伴って、没個性の序列人間ができる危険があると考えられます。95182

> 言い換えると、宗教者だろうが何であろうが、「個性」や「文化的特色」は実際に存在する=なくすことはできないのである。従って現在の「個性礼賛」状態は、個々人の特異性、差異性を“無理に”演出しているのだと考える方が妥当である。

無哲学・能天気も「個性」や「文化的特色」と考えれば、これらは我が国に実際に存在します。日本語の世界に入り浸れば、これらの「個性」や「文化的特色」は、なくすことはできないと考えられます。82879

> そもそも、「価値の多様化」「個性尊重」「自分探し」という言葉自体に「人それぞれ」の価値が付けられ、結局そこに中身はない。それなのに(大きくは)メディアの影響により私たちは無意識にもそれを追い求めているといっても過言ではない。

そもそも、「価値の多様化」「個性尊重」「自分探し」という言葉自体に「人それぞれ」の価値が付けられているにもかかわらず、結局、我が国にはその言語活動としての実態がない95706。それなのに(大きくは)メディアの影響により私たちは無意識にもそれを追い求め、その気分・雰囲気に酔いしれているといっても過言ではない82144。
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学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
104052 > 日本語滅亡
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/15 PM05 【印刷用へ】

> 学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
> 5847 日本語滅亡
> 松本直也  ( 40 大阪 塾講師 ) 01/07/06 PM01 【印刷用へ】
> 今や国際化は当たり前、何でも国際化の名の下に変化しようとしています。その一つに日本語そのものの喪失があるのではないでしょうか。アイヌの言葉などはぜひとも残ってほしいと思いますし、他にも日本にはその土地々の言語(方言)が数多くあり、これも大いなる文化であると思うのですが、日本語そのものが今空洞化しているのではないか、そう思えます。

絶滅に瀕している言語の保存が大切ですね。
全世界には6760の言語があり、全人口のたった4%の人びとがそのうちの96%の言語を話しているそうです。
あと100年もすると、全言語の95%は消滅するかもしれないとのこと。
 
> 大学生になっても、まともな日本語が書けないという話はよく聞きます。(例えば「こんにちは」と書かず「こんにちわ」と書くことがよくあるとか。)
> 今の日本は英語力の低さに対して焦りを募らせるあまり、日本語自体の能力については意外なほど軽視しているのではないでしょうか。

英語力と日本語力の間に格差がなくなれば、この問題は解決されたと考えられるのでしょうか。82942

> 言語がまるで消耗品であるかのように一大学(高校)の中だけで使われる、あるいは狭い世代だけで使われる学内方言や世代方言のようなものが溢れる中で、そうした方言は実に速く誕生と消滅を繰り返しているという指摘もあります。

実に速く誕生と消滅を繰り返しているナウな感じのする言語ですね。84217

> 言語というものはそれ自体が自ら進んで腐敗していくことはなく、あくまでもその言語を使う側の人間そのものに原因があるはずです。よく政治家たちがが「誠心誠意努力し・・・」などと言いますが、何となく彼らのその後の行動を見ていると、この「誠心誠意」という言葉の重みが軽くなってしまったように感じます。
> それに対して相手の期待を感じ本当にそれに応えようとしている人の言葉として使われればどうでしょうか。

日本語は英語と比べて、言葉の重みが少ないですね。それは、日本語の内容に感じが多く含まれているからだと考えられます。82144

> 作家の村上 龍氏は「文化を守り、伝えようとする民族や共同体は、必ず、言葉を残すものだ。だから、日本語がどんどん変質したり、カタカナがあふれているということは、日本の文化に、守るべきものがない証拠だ」と述べています。

フランク・ギブニー (Frank Gibney) は、<人は城、人は石垣>の中の<日本文化のエコロジー>で、我が国の文化人について、以下の如く述べています。
多くの小説家や他の文化人は、外国語、とくに西欧語との接触を故意に避けているが、これは自分のスタイルがその間に外国語に伝染し、失われると考えているからである。 、、、、、、しかし外国の言語ないし文学の感染を避けようとする流行は、天才よりも凡庸な作家の工夫であることが多い。私は無能を正直なナショナリズムに偽装しようとして、微笑しながら「それは日本式のやり方でありません」とか「われわれ日本人はこういうふうに書いたり、編集しさえすればよいのです」という議論をどれだけ聴かされたことか。

> 日本語を滅亡させないためにも、今一度日本語についてしっかりと考えていく必要がある、そう思います

日本語と英語は、我が国の公用語として徹底した教育を計るべきだと思います。88345
日本語は、我が国の経済発展の基礎となる言語です。85728
英語は、我が国が世界国家になるための言語です。103689
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国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?  
104012 > 本能原理(力の原理)から共認原理へ
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/14 PM10 【印刷用へ】

> 国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?  
> 59436 本能原理(力の原理)から共認原理へ
> 石橋直樹  ( 38 大阪 企画営業 ) 03/08/02 AM00 【印刷用へ】
>>この様な欲と欲がせめぎ合い、自我と自我がぶつかり合う性闘争・私権闘争は、力によってしか制圧されない。そこで真猿は、性闘争・私権闘争を制圧した力の序列を共認することによって(力の序列を秩序原理とすることによって)、性闘争・私権闘争を止揚し、共認の破壊=集団の崩壊を喰い止めている。(実現論1_5_04)
> 集団で生きる限り秩序化は不可欠であり、それは序列原理でしかなし得ないものと考えていました。しかし、上記実現論の引用にあるように、それは力による制圧に基づく秩序です。
> 制圧する力は腕力、武力、資力や知力、多数決による数の力等々、時代と共に変遷し、見かけ上は動物とは違う次元(共認や観念)に進化したようでも、敵であれ仲間であれ、相手を制圧するという力の原理で統合してきたことに変わりありません。

「力は正義」(Might is right.) である。それで、人々の力をどのようにして集められるかが問題となる。83579
日本人は、「今ある姿」の感性に訴えて力を集める。93729
英米人は、「あるべき姿」の理想を訴えて力を集める。103794
だから、日本人は、アメリカの大統領が現実には存在しないこと挙げて国民に呼びかけているところを見て、安心してはいけない。98820
彼らは、理想の下に結集するからである。そして、その力により現実を支配するのである。83554
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本・権力構造> (The Enigma of Japanese Power) の<世界にあって世界に属さず>の中で下記の段落のように述べています。

キノコ雲は、日本の大手映画会社が作る戦争映画に義務づけられているのかと時どき思えるほどだ。広島と長崎の原爆投下は被害者意識の極限の形である。日本人のユニークさの信念がこれによって特別に強化される。日本人は単なる戦災ではなく、ユニークな戦災を経験したのである。民族的受難といってもだれも反対はすまい。日本人の間では、原爆投下が戦争行為の中でも極悪だと見るのが普通になった。一部の人びとは、今世紀最大の犯罪だとさえ見る。年配の日本人は、これらの出来事についてもう少しバランスのとれた見方ができる。広島が廃墟と化す前、軍司令官たちが十五歳から六十歳までの男女二八○○万人の民間防衛国民軍を作り、上陸してくるアメリカの侵略者たちを波うち際で竹槍で食い止める訓練をしていたのを、覚えている人もいる。だが、日本の知識人や公職にある人びとがもし原爆投下という犠牲によっておそらく何百万、何千万もの命が救われたと言おうものならただではすまされないであろう。そして、八月の一週間、マスコミが描いてみせる自己憐憫に国中がひたる。広島の「平和公園」と原爆記念館は、多数の外国の反核運動家や平和運動団体の巡礼のメッカでもあるが、ここを訪れるおびただしい数の日本人に、原爆に至るまでの歴史についてはなにも印象づけない。

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どうしたら、社会を変えられるの?
103998 > 当事者であるか,傍観者であるか
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/14 PM05 【印刷用へ】

> どうしたら、社会を変えられるの?
> 37175 当事者であるか,傍観者であるか
> 壱岐敏直  ( 24 大阪 意匠設計 ) 02/07/31 PM11 【印刷用へ】
> 我々は,社会を変革すべく、様々な取り組みをしてきている。その認識形成で培ってきたものは,今、確実に実になろうとしている。
> しかし、知人からある話を聞いてすごく考えさせられた。神戸に住むその人は,地域の活力を上げ,地域発信によって何か出来ないものかといろいろ地域に対して尽力された人である。その人がつい先日、「いろいろしてるけど、あなたは結局、傍観者でもなければ当事者でもない。一体何をしたいんだ・・・」と言われたそうである。

傍観者になるには、手出しをしてはならない。高踏主義の人か。94960
当事者になるには、当該地域の序列人間とならなくてはならない。滅私奉公の人か。93930
自己の世界観の実現などは、日本人の考え及ばぬところである。それが当面の問題である。83201
「一体何をしたいんだ・・・」とは、恣意の有無、及びその内容を尋ねているものと考えられます。82735
これが日本人の考え及ぶ限界なのでしょうか。84361

> すごく難しいなと思った。社会を変えるために何かしようとか、なにができるとか考える時点で当事者だと思うことは、間違っているのでしょうか?彼ら(地域の人)から見れば、そこに根付いていない人間や専業と違うことに足を入れる人間は,それを専業とする人たちからすれば、傍観者なのでしょうか?
> これは、既存の社会(私権時代)が落としていった歪曲した認識なのか、はたまた、それが社会統合における現実課題なのでしょうか?
> ちょっとわけわからなくなってきました(笑)
> これが当事者になる難しさであり,この壁を乗り越えれば、真の当事者になれるのだろう。
 
現実構文の内容しか頭にない日本人の現実課題である。82057
自己の世界観を考える時点で自分は当事者である。99693
日本人が世界観を持つことの難しさが、当事者になることの難しさでもある。102351
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その他(マスコミ)
103994 > 義による務め
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/14 PM01 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 34518 義による務め
> 中村朋子  ( 54 大阪 教育 ) 02/06/25 PM01 【印刷用へ】
> 少し古い話になりますが、6世紀のアングローサクソンイングランドでのことです。(BEDE, Historia Ecclesiastica gentis Anglorum)
> ローマからの伝道者を迎えたケントの王は“witangemot"(邦訳「賢人会議」)を開き、キリスト教を受容するかどうかを諮ったところ、出席者の一人が、冬の嵐の夜、窓から飛び込み去っていった雀の例を挙げ、「我等何処より来たるや、我等何者なりや、我等何処へ行くや」を示してくれる教えであるから、受容するのが良いと論じ、それが可とされて、以後のケント、更にアングローサクソンイングランドのヘプターキー(邦訳「七王国」)やウエセックスによる統一イングランドの「統合の軸」としてキリスト教は機能したのです。このイングランドの王権のあり方がヨーロッパの王権のあり方を規定しました。

何処から来たか(この社会はどう成立したか)、は、過去構文の内容である。92653
我らは何者(どういう存在)なのか、は、現在構文の内容である。82285
何処へ行くのか(何を目指すのか)は、未来構文の内容である。95210
これらの三点を明示し、それについて考えさせるものであることが、とりわけいつの時代であれ、時制のある英語の考えには必要なのでしょう。84217

> 「日本人」というよりは「日本」とされる、その特性を備えた「社会」で生育し、その成員・構成者たる人間として、その必要な統合軸を、思考する基盤を模索しているのが、現在の状況でしょう。

現在の状況は、現実構文 (現在構文) の内容である。91717
この一点を明示し、それについて考えさせるものであることが、とりわけいつの時代であれ、時制のない日本語の考えには必要なのでしょう。82476

> その希求されているものを、それを知ったものが伝播するのは、人間としての義務ー義による務めと考えます。

だがしかし、現実構文 (現在構文) の内容は、実況放送、現状報告の類となる。つまり、傍観者の発言となる。84687
未来構文の内容である意思 (will) が表現できないと、現実を変える方法 (way) は獲得できないのではなかろうか。82057
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古墳時代と律令制
103971 > 花見と天皇(日本的なもの) 下
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/13 PM09 【印刷用へ】

> 古墳時代と律令制
> 3119 花見と天皇(日本的なもの) 下
> 今井靖明  ( 29 長野 営業 ) 01/04/12 AM01 【印刷用へ】  
> 実際、天皇は「万世一系」と謂われても、実質的な権力者として威勢を発揮していた時代は意外と短く、断片的です。現実の天下国家を統べる権力者は、日本の「正統」である天皇とは全く別ものとして、たいていの時代々々には君臨していました。

天皇家は、序列系列の威力を発揮しているのですね。天皇家は、数ある家元制度という序列奉公システムの代表格といったところか。94865

> かといって、西洋の教皇のようであったかというとまた違って、神話性を帯びながらも明らかに「建国」の祖、日本という「国家」あるいは「天下」の統一と持続を象徴するものとして、認識されてきただろうと思います。天皇なる概念なしには、日本という枠組みすら存在したことにならない、とさえいえるでしょう。

天皇、すなわち序列でしょうね。それ以外に意味はない。85091

> そこでは、「一系」で存続すると認知(≒共認)されることこそが重要で、物理的な「血脈」の継承などは二義的でしかなかったのでしょう。あるひとつの社会的統合を「一貫して受け継ぐ何か」さえ在ればそれでよく、その社会的な潜在期待が特定の家筋に転嫁された結果が、天皇だった(それが皆にとって都合がよかった)に過ぎない、と考えるのです。

「一貫して受け継ぐ序列」さえ在ればそれでよくでしょう。社会的な潜在期待とは、「上と見るか、下と見るか」の判断に資する上を求め続けていることでしょう。「ねずみの嫁入り」の話に出てくる花嫁の両親のような心情か。82023 

> だからこそ、武力において天下を制した時の権力者が、力にまかせ脅すようにしてわざわざ「征夷大将軍」などと任命させた上で、実際の治世上は全く以って天皇など無視し続けるといった不可解な慣習が、数百年にも亙って踏襲されたのではないでしょうか。

序列系列は、お互いに排他的ですね。内の者とよそ者との差別が厳しい。昔の陸軍と海軍の間柄のように。103784

> 封建体制下の覇者にとっての天皇(象徴、超越存在)とは、さも花見の「花」のごとくつかず離れず、本質のようなどうでもいいような、極めて微妙で日本的な関係だったといえるかもしれません。

天皇の本質は、日本語の中の階称 (言葉遣い) に隠されているのでしょう。102851

> 近年、「日本ということ」が徹頭徹尾懐疑され尽し、価値と秩序において混迷の極みに至って(漸く)、日本の「文明」を、天皇など日本の固有文化を、改めて価値付けし直そうとする論陣と世論が台頭しています。
> アメリカの影を慕い続けたとされる現代日本においてなお、老若男女、花見を好む。

日本人は、無哲学・能天気がよく似合う。82476

> 日本を見直そうとする我々の求めるところは、西洋的な「アイデンティティ」などでは決してなく――そう錯覚しているフシもありますが――、「変わらず受け継がれる」超越性や皆との、えもいわれぬ微妙な「間」を失いたくはないという、社会的な「心情」の共鳴なのではないでしょうか。
 
社会的な「心情」ですね82144。同感です。
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潮流4 焦りの適応主体と目先収束
103932 > 私権の強制圧力とは強迫観念の生成装置
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/12 PM08 【印刷用へ】

> 潮流4 焦りの適応主体と目先収束
> 58019 私権の強制圧力とは強迫観念の生成装置
> 土山惣一郎  ( 45 山口 デザイナー ) 03/07/03 AM09 【印刷用へ】
> 私たちは、例えば「言われたことしかやらない」とか「無理やり言われたとおりにやろうとして逆に問題をおこす」など、しばしば「擬似強迫神経症」と思しき場面に日常的に遭遇します。これらは、「言われたこと=指示されたこと」が半ば強迫観念化して、その場その場の状況判断を捨象した硬直的な言動に駆り立てられている事例だと思います。

言っていることと、やっていることが違っているのは矛盾していることになるのでしょうね83850。実況放送・現状報告の内容のみが真実であると考えれば、そのようなルールからの逸脱は恐ろしい誤りになるのかもしれませんね93381。なにしろ、滅私を要求する個人主義の希薄な社会ですからね82735。

> この視点を少し拡大して身の周りを眺めてみると、交流会などで「行き詰まっていない」とか「何とかなる」とか「過去の原因より先の話が重要だ」などと言っては楽観的主張を何度も繰り返すだけの人たちにも、似たような臭いを感じます。彼らに共通しているのは、「目先のことしか見えない」あるいは「頭がガチガチ」ということかもしれませんが、それは、所謂‘観念的タイプ’とは違っていて、難しい話を敬遠しては追求ムードに水を注し、ひたすら目先の課題に没頭したがっている風に見えます。しかも、この手のタイプは、全世代にまたがって結構大勢います。

「そのうち、何とかなるだろう」ということですか。「縁起でもないことは、口にしてはいけない」と私は何度も忠告を受けました91331。相手は無哲学・能天気ですね82144。「理屈などは、どうでもよい。現実は、見ればわかる」ということのみでしよう99912。

> これは、「固定観念」と呼ぶよりも「強迫観念」と呼ぶ方がふさわしい感じがします。
> もともと私権時代とは、「勉強しなければ・・」「仕事をしなければ・・」「命令には従わなければ・・」、さらには「景気は右肩上がりでなければ・・」というかたちで課題を強迫観念化し、その枠内に人々を囲い込んできた時代です。別の言い方をすれば、私権時代とは、期待や課題を狭い枠組みの中に押し込んで固定化・絶対化することで、万人を社会的な強制圧力の奴隷にしてきた時代です。

日本人は、議論ができない。100288
それは、個人的な基準が持てないことにより論拠が示せないからである。82251
個人的な発想は、未来構文の内容として表現されるが、日本語には未来構文がない。82123
それで、日本人には「あるべき姿」の議論が難しくなっている。81994
なーなー主義 (馴れ合い) でないと他人の協力が得られない。94602
馴れ合いという肌と肌との触れ合いにも、その及ぶ範囲に物理的な限界というものがある。102033
だから、自己の意図を広く社会に及ぼすためには、相手に有無を言わせない問答無用の絶対化した現実が自己の主張に必要となる。85449
序列観念から発想して、日本人は勝者を絶対化する。これはカミの実力行使ではなくて、相手への脅しに類するものである。序列による権威付けか。85091
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べている。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べている。

> ここからは、私権の強制圧力とは強迫観念の生成装置になっていたことが伺えます。しかし、私権の強制圧力が見る影もないほど衰弱してきているのに、期待や課題を強迫観念的にしか捉えられず、その結果、目先のことしか考えられないでいるのは愚かなことです。この点は、あと一押しすれば気付いてくれる人も、逆に多いのではないかと感じます。

あと一押しが非常に難しいことと思います。それは、日本語の文法に関係したことですから、よくよく考えてみること自体が難しい。 83281
だが、私は希望を持っております。83201
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閉塞の元凶は、個人主義
103915 > 改めて、学校には期待できない
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/12 AM05 【印刷用へ】

> 閉塞の元凶は、個人主義
> 1258 改めて、学校には期待できない
> 新川啓一  ( 41 神奈川 建築家 ) 01/03/13 PM03 【印刷用へ】
> 総合高校や総合選択制でとられている、数多くの科目を用意し生徒が自分の興味・関心に応じて選択していくシステムです。一般の学校でもその流れが流行ってきています。

興味・関心に焦点を当てた教育は、大切ですね。100239

> 画一的な一斉授業では生徒が授業に興味を示さない、生徒の個性を尊重すべきと言うのが導入の理由のようです。個性、個人を何よりも大切な物とする価値観が、教育改革を動かしています。

我が国にも個人主義が根付くとよいですね。103454

> 詳しい実態は分かりませんが、単位を取りやすい科目を選ぶ、友達と同じ科目を選ぶと言った状況のようです。また、クラスという単位が無くなり、授業時間ごとに一緒にいる生徒が変わるため、生徒同士の人間関係は希薄になっていくのではと思います。

学校内だけが人間関係ではないですからね。102212

> 集団を無視した個人など、本来あり得ないはずですが、また、集団より個人を優先してきた結果が現在の荒廃状況を招いているのは皆さんが指摘しているように明らかですが、学校の現場では個人重視をさらに加速しようとしているようです。

されど、本来あり得ないものがこの国にはある。言語的な障害があって、個人を優先しても、個人の世界観は発展しない83201。個人個人が世界、国家、社会の「あるべき姿」を持つことが難しい85728。その結果が現在の無軌道による荒廃状況を招いている81994。無哲学・能天気の人びとに対する無批判の個人の重視には問題がある82251。つまり、片手落ちになっている。
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どうしたら、社会を変えられるの?
103884 > “私流”マスコミ考
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/11 AM10 【印刷用へ】

> どうしたら、社会を変えられるの?
> 3852 “私流”マスコミ考
> 木村あきこ  ( 21 静岡 学生 ) 01/05/03 AM03 【印刷用へ】
> 『実現論』を読み、「社会の統合と改革という仕事は、それで飯を食っている政治家や官僚や学者やマスコミ等、統合階級の手に握られており、人々には社会を変革し、統合するという役割を担う場が与えられていない」という一節に衝撃を受けた。

事実の指摘に衝撃を受けたということですね。82504

> なぜなら、私自身、出版社の編集部でアルバイトをしており、マスコミ業界の現場に携わっているからである。そこにあるのは、自己収束(自己閉鎖)性だけではない。読者アンケートの集計を吟味し、それを最大限誌面に生かそうという「期待と応望によって自分たちが作り出す圧力」があるのだ。市場の拡大や身勝手な理論をかざして自己保身を図るためだけに活動しているわけではないのだ。「最初に読者ありき」の姿勢なのである。

読者の期待や願いがどのようなものか、出版社の編集部ではっきりと把握されているわけですね。10358

> その活動が社会を歪めてきた。この事実にわたしは寂寥感を覚えずにはいられなかった。今後、この社会の歪みを正していけるのは、紛れもなくわれわれ(読者であり一般者)である。編集者に限っては、われわれの期待に応望しようという気概があると、わたしは断言できるのだから。社会を変えるということは、ものすごく草の根的なところから始まるのだとわたしは思う。

自己意識の薄い日本人のメンタリティは、日本語を話すという ものすごく草の根的なところから生まれてくるものと私は考えています。83909
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