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出口を塞いでいるのは、頭の中に巣くう固定観念
103487 > 活力源を枯らす「こうあるべき」思考
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/02 AM04 【印刷用へ】

> 出口を塞いでいるのは、頭の中に巣くう固定観念
> 103312 活力源を枯らす「こうあるべき」思考
> 野田雄二  ( 44 大阪 営業 ) 05/12/29 PM07 【印刷用へ】
> 全ての生物は、生存圧力を受けて、もっとも生存可能性が高い方向に収束する。それは一個体の行動を見てもそうだし、種としても適応可能性の高い方向に進化していく。

アニマルは、非言語活動をする99945。人間には、非言語活動に言語活動が加わる83909。

> 人間だってあたりまえだが、可能性が感じられる方向に自然と向かう。ただし、人間の場合厄介なのは可能性を潜在思念(本能や共認)で感じるだけで無いことである。人間は可能性を観念で捉えてしまう。

言語活動においては、全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない92480。考えであれば、誤りを指摘できる。潜在思念であっては、それもままならない。気分・雰囲気の中だけにいるアニマルの段階に留まる90820。

> 社会変革の可能性を観念で捉えたときの問題は、いろいろあるが最近多いと感じるのは、社会変革とはこうあるべきと言う観念がせっかくの社会変革の可能性にふたをしてしまうケースである。

理想社会の実現は、我らの目的である。社会変革は、その手段となる。目的の内容が明らかにならなければ、手段も決められない。手段の目的化は空しい。101712

> 潜在思念では、今の社会がおかしいと強く感じ、社会変革を強く望んでる。しかし、いざ社会変革の可能性を観念で捉え実行に移そうとすると、社会変革はこうあるべきだと言う、あるべき観念が浮かんでくるのだ。

理想社会がなければ、現実を観察して社会変革はこうあるべきだという結論には達しませんね。つまり、理性判断ができない。82615

> 社会変革は片手間ではいけない。本気じゃないといけない、命を賭けないといけない、全存在をかけないといけない、必死じゃないといけない、etc.本当だろうか。こんなことを言っていると、出来る人などいなくなってしまうのではないか。

空念仏に命を賭けていては、どうしようもない。83954

> これは、社会変革は何か特別のことで、特別の人だけがやることという観念に基づいている。特権階級がやるべきことだから庶民は考えなくて良いと言う愚民化政策の結果かもしれないし、偉大な宗教家や思想家をたたえるために凡人には出来ないことだと教えてきたからかもしれない。

無哲学・能天気の国民の存在は、愚民化政策の結果かもしれない82144。当然なことながら、自分達の社会は自分達で作るものです。

> 社会変革も大事だけど、それ以上に自分のことがまだ大事だから、出来ない理由を探しているのかもしれない。多くの人は、大事なことだと言いながら、そんな大事なことは簡単には出来ない、好い加減な気持ちでは出来ないと、出来ない理由を探してしまう。

社会変革できる理由を探すよりも、できない理由を探すほうが容易ですからね。目的が決まらなくては、変革の内容も決まらない。102478
できる理由を探すには、意思 (will) も必要です。82057

> あの人は社会変革とか言っているけど、そんな大事業が仕事の片手間で出来るわけが無い、言ってるだけで本気だとは思えない。こんな感じで、自分だけでなく周りの人まで出来ないことにしてしまう。

意思がなければ、本気にはなれないでしょうね。82180

> このような、こうあるべきという思考は、一見、実現するための思考のように見えるが、実は全く逆で、実現出来なくしてしまう思考なのだ。実現不可能な理想の姿を自分で勝手に捏造し、それ以外は全て偽者だと切って捨てる論理なのだ。

理想の姿をこの地上に実現することは不可能でしょうね。一生をかけて、理想に近づく努力が必要です。それが、とりもなおさず我々の人生ではありませんか。84116

> 「こうあるべき」思考は、実現の意思があるかのように装って、その実はみんなの活力源を枯らす、実現否定のための論理である。

「あるべき姿」は、おいそれと実現できるものではない。一生をかけて、理想に近づく努力が必要です。目的も無く、「こうあるべき」の内容が手段の方に付けられていては、せっかくの活力も枯渇する。83769
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潮流3 出口が見えない、答えが欲しい(収束不全)
103454 > 若者の不安心理
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/01/01 PM05 【印刷用へ】

> 潮流3 出口が見えない、答えが欲しい(収束不全)
> 4233 若者の不安心理
> あべひかる  ( 24 新潟 学生 ) 01/05/17 PM04 【印刷用へ】
>>さて、ここで疑問なのですが、今の若者の不安の中身とは一体何なのでしょうか?4113
> 私たちの世代は、個人主義という言葉に対しては、反応しかねる部分があるように思えます。むしろ集団の中においては、横並びの平等主義が蔓延しているように感じます。

同感です。我々が個人主義を理解することには根本的に無理があります。それに比べて、横並びの平等主義の方は分かりやすい。82942

> 不安心理が生じるのは、主に集団の中にいる時のものです。その証拠に集団から解放された時の若者は、多様性をもち、個性的な主張をしているように感じます。(マチに出た時に個性的な(奇抜な!?)格好をして歩いている人達もその例)

同感です。「義理が廃れば、この世は闇だ」と考えて、集団の中にいながら不安ですね88971。集団には絶対基準がなく、仲間の判断である見栄と外聞を気にして生きなければならない。84743

> 集団の中にいるときに、一人でいるのが不安であるという心理は、人と違うと思われたくない、友達がいないやつだと思われたくないという感情が働いています。集団(主に学校での生活を指す)が形成されたとき、その中では、全体の意見、不特定多数が賛同すると思われる方向に流される風潮があります。

横並びの比較による不安ですね。翼賛会の会員のような風潮ですね。102795

この中で、異端となったときに、この人は、1対不特定多数という感覚におちいっていきます。この不特定多数の中には、この人に共感する人もいるのですが、自分が、この1になることを恐れ、黙認してしまいます。こうして、異端となった人には不特定多数の圧力がのしかかり、ことなかれ的な方向に収まろうとしてしまうか、ドロップアウトしてしまうかということになっていきます。

他人と内容が違うことは、事実誤認と考えられる。82123
だから、御唱和に加わっていることが安全な道なのである。83415
1対不特定多数は恐ろしいですね。何しろ、自分には基準がない。102309
寄る辺なき身に不特定多数の圧力がのしかかり、「出る釘は打たれる」という諺通りですね。没個性となる。83909

> (この中で、異端を貫ける人も稀にはいますが)こうして異端に対する恐怖感、つまり人と違うことが不安であるという感情が刻まれていきます。

人と異なることに報いの無い社会である。没個性の人間のねたみもその要因となっている。94856
フランク・ギブニー (Frank Gibney) は、<人は城、人は石垣>の中の<日本文化のエコロジー>で、異端に対する恐怖の事実を下の段落の如く述べている。

確かに、正式の指示とか教化がなくても、あれだけ多くのデスクや記者の意見が同じ一般的な大官的主流に従っているのは日本人の等質化傾向のせいである。他のほとんどの新聞でもそうだが、「朝日」では、ちがった意見の持ち主は一般に退社するか、調査部門ないし出版部門で終わる。日本のジャーナリズムでは「異なっている」ことに酬いがない。それは客観的であろうとすることも含む。

> こうした風潮が現在の集団の場(主に学校において)には根強くあると思います。(むしろ、一昔前より強くなっているのではないでしょうか?)
> こうした現象は、私権規範が崩壊し、仲間との親和収束の流れとして考えていけばよいのでしょうか。
> 私は、若者のもつ不安心理への一考察として、個性が認められない集団環境が上げられると思います。集団における横並びの平等主義(適切な表現ではないかもしれませんが)が個性(良くも悪くも)を発揮しようとする人達をひきずりおろしてしまう、そのため、個性の発揮による自己価値を感じようとせず、不特定多数の一員となっていることが自己価値や安心感の規準となり、一人でいることに対して不安を感じてしまうのではないでしょうか。

日本語には、時制がない。82320
だから、日本人は現実構文 (現在構文)の内容だけを考える。つまり、「今ある姿」のみを考慮の対象とする。82180
日本人の判断は、「今ある姿」対「今ある姿」になり、これは横並びの比較になる。82596
そして、比較した結果は、同次元の事柄に関する格差である。格差の存在を不満として平等主義を主張し、その為の格差是正を要求する。82942
その反面、日本人の社会がドングリの背比べの状態にあることには、あまり気に掛からないようである。102335
それよりも、何よりも、一人でいることに対して不安を感じる。これが、付和雷同の根源である。101765

個性が生きる考えの内容は、英語の未来構文の中にある。「あるべき姿」の内容を表現する構文の中にある。81994
「あるべき姿」は理想であるから、「今ある姿」とはかけ離れている84082。「どうせ人間のすることだから、、、、、、」ということで、「今ある姿」間の格差については、大して気にならない。それよりも、「今ある姿」を「あるべき姿」の方向に導く方策が気がかりなことになる。それは、個人の使命である。94159
「あるべき姿」は、個人の世界観である。その内容も各人で違っているから、それらを訊ね求めることは、個人主義を前提としなくてはならない。99693
このような事情により、「今ある姿」ばかりの考え方の中で、個人主義を理解することは難しい。53
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思考パラダイムの逆転
103296 > 現実肯定を巡って、初歩的な確認
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/12/29 AM06 【印刷用へ】

> 思考パラダイムの逆転
> 21386 現実肯定を巡って、初歩的な確認
> 三ヶ本万州夫  ( 壮年 兵庫 講師 ) 02/01/18 PM01 【印刷用へ】
> 「現実」という語の解釈が、どうも旧観念に災いされて揺れているので、初歩的なところから咀嚼しなおしてみたいと思います。「来世」という幻想を逃げどころとした古代宗教は、現実否定というより現実捨象の方がふさわしいでしょう(否定なら、まだいったん対象化はしている)。

旧観念とは、日本語のことなのでしょうね。101092
英語には、現在・過去・未来がある。100065
だから、英米人には、「現世」「前世」「来世」もあるのかもしれない。44066
日本語には時制がないので、考えとして現実 (現在) に関する内容しかない。84217
日本人の議論には、現実を容認するか、しないかの判断しかない。果し合いのようなものか。84116
これが英米人の議論であれば、未来の国の有様の個人的考察から、現実を未来に近づける方策までさまざまな考察が可能になる。82354

> 次に「現実」を、我々が生活している社会環境と捉えると、「人類社会全体」から「一人一人の日常社会空間」にいたるまで、幅があって議論にズレが生じやすい。そこへもってきて、「ありのままに肯定する」というのを、「今のままでいい」とする誤解も、下手をすると混入する。こういう日常語としての旧観念を頼りにしている限り混乱は避けられません。

現実は多岐多様に亘るので、これを基準にとれば、結論はでない。当然のことながら議論が混乱するでしょう。Msg:93381
「今のままでいい」は、現実容認ということですね。82615
「ありのままに肯定する」は、現状を是認するということではないのですか。
日本人の考えには、基準 (論拠) がないので、現実を批判することができない。102309
つまり、日本人には、現実を否定することはできないですね。102478
私も若い頃、何回となく「現実を否定してはいけない」と強く忠告を受けました。86547
不満ながら黙っていれば、現実を黙認したことになる。82242
だから、我々には現実を是認したという結果しか残されていない。
現実肯定主義者となるのですね。82615

> ついでに言うと、「現実肯定」を、その気にさえなれば何でも実現する、という安易な精神主義的楽観論(つい勢いで、そうだそうだ、と考えたくなってしまう)と結び付けてしまうのも、問題ありと思われます。

何でも実現するとは、神様のようなものですね。
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現代意識潮流を探る、その深層には?
103235 > 社会に対する恐れ
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/12/27 PM09 【印刷用へ】

> 現代意識潮流を探る、その深層には?
> 48317 社会に対する恐れ
> 内藤琢  HP ( 24 京都 会社員 ) 03/01/23 AM00 【印刷用へ】
> 実際に私の周りの友人にも何名かいるのでだが、大学を卒業してすぐ、若しくは大学を卒業して2〜3年働いて専門学校に通う人が増えているように思う。
> 資格取得に躍起になる人の増加考えても、単純に「働きたくない」というよりむしろ、「何かなければ、社会に出て生き残っていけないのでは?」という社会に対する恐れがそうさせているのだと思う。

「芸は身を助ける」と言いますからね。まだ見ぬ社会に対する恐れ・不安が資格取得に躍起にならせているのでしょう。102587
目先のこと・手先のことには金儲けにつながることが多いし、励む価値がある。85728

> 社会に対する恐れとは、「得体の知れない。よく分からない。」から来るものだが、これに対する上の世代からの助言は大抵「働いてみないと分からない」「社会のことなどしらなくても食っていける」などであった。要するに自分達もよく考えたことも無いと言うものだ。

「理屈などどうでもよい。現実を見れば分かる」というものでしょう。学問には縁が無い。100053
要するに、無哲学・能天気で生きているしかないということです。82144

> 若者、特に学生に新しい認識を話すとき、向こうが食い入るように聞くのは、今までその恐れを解明してくれる人がいなかったからだろうと思う。

若者は、未来に不安を抱えているのです。不安が解消できれば幸福です。91780
未来の有様は、未来構文の内容により表されるが、日本語には未来構文がない。82285   
だから、今までその恐れを解明してくれる次元の話をしてくれる人はいなかったし、議論の対象にもなりえなかった。82320
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閉塞の元凶は、個人主義
103191 > 個人主義は利己主義を正当化しただけ
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/12/26 PM09 【印刷用へ】

> 閉塞の元凶は、個人主義
> 879 個人主義は利己主義を正当化しただけ
> 北村浩司  ( 壮年 滋賀 広報 ) 01/03/06 AM05 【印刷用へ】
> 個人史を振り返っても、また最近の社会の流れをみても「個人の尊厳」や「個人が原点」という教育は、結果として「文句言うな、俺の自由だ」「人に迷惑さえかけなければ何をしてもいい」等の、価値観と言うにはあまりにもお粗末なものだけを植えつけたにすぎないのではないかと痛感します。

同感です。「個人の尊厳」や「個人が原点」という教育は、恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由を植えつけたということですね。84743
何処の国でも恣意の自由は認められていませんね。84027 恣意の人は、相手の恣意を容認しない。
 
> 実際、自由な個人の名のもとで、あらゆる規範や義務はどんどんないがしろにされていくばかり、その崩壊のスピードは目を覆わんばかりです。(そんな状態を作り出した中心は子供や若者達ばかりではなく、戦後教育のもとで育った大人も同様です)。

戦後に起こった自由の履き違いですね。英語を日本語に訳すと、こういうことになりますね。102748
誤解の原因は、訳語に使われている漢字からの連想によるものでしょう。個人主義 (individualism) は、漢字の生みの親である中国人にはない。

> それは「本来の個人主義ではない」「個人主義の未成熟」などと識者は盛んに弁明していますが、国家と教育者総力を挙げての教育の結果がこうなわけですから、むしろ現況は個人主義教育の必然と捉えなおすべきでしょう。

日本人の個人主義は、利己主義に限りなく近い主義なのでしょうね82123。
未熟の原因を識者もはっきりと指摘できず、ただ結果が違うということを未熟とだけ言っているのかもしれませんね。

> おそらくこの観念は社会や相手などの対象を、もともと欠落させ捨象しているが故に、(人のために今)何をすべきかという視点をすっかり見失わせてしまうのでしょう。

世界観がないのですね。理想社会に関する構想もない。91780
「あるべき姿」の社会は、未来構文の内容になる。81994
だが、日本語には未来構文がない。それで、未来構文の内容「あるべき姿」は、もともと日本人の脳裏から欠落し、捨象されているのでしょう。82057
 
> 個人主義の価値観は「滅私奉公」に対するアンチテーゼとして登場し、都市生活の拡大とともに浸透していきました。しかしそれは所詮アンチです。

滅私を逃れる苦肉の策として誤解に基づいた個人主義がもてはやされているのかもしれませんね。102748
正の「滅私奉公」と反の「誤解に基づく個人主義」の止揚により、合となる日本人の恣意を滅ぼす方策が考えだされる必要があります。99069
私は、言語理解を通して解決の方策を得ることができると考えております。99076
 
> 集団や社会を人間が必要とする限り、(更には集団動物であると言う事実に立脚して)活力ある集団や社会を成立せしめる構造や仕組みを曇りのない目で見据える中、認識を組み換えていく、そのような時代的必要性を強く感じます。
 
同感です。 
個人の世界観と、それに基づく社会建設が必要ですね。102080
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アメリカ支配が続くのは、何で?
103111 > 危険なのはブッシュの「神がかり」的な思想と理想
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/12/24 PM09 【印刷用へ】

> アメリカ支配が続くのは、何で?
> 103084 危険なのはブッシュの「神がかり」的な思想と理想
> 亀若雅弘  ( 40代 大阪 塾講師 ) 05/12/23 PM11
> 以下 田中宇「国際ニュース解説」より引用
>>> ブッシュ大統領は、イラク侵攻を皮切りに世界を民主化する構想にまだ強くこだわっており、今もイラクへの侵攻は良いことだったと確信している。ブッシュは12月9日、米ミネソタ州で政治集会での演説で「50年前にアメリカが日本を打ち負かして『民主化』したことが世界から評価されているように、今から50年後には、アメリカがイラクを皮切りに世界を民主化していくことが、素晴らしい業績として評価されるに違いない」と語っている。 <<<
>>> ブッシュのこうした確信は「神がかり」ともいうべき、宗教的な原因で起きているという見方がある。ブッシュ政権の元高官によると、911事件の後、ブッシュは「神様は、世界を民主化するために、自分を大統領の座に据えたのだ」と信じるようになり、その確信に基づいてイラク侵攻を行った。<<<

歴代の米大統領は、似たような考え方ですね。
アメリカは、軍国主義国家の日本とドイツを民主的で平和の国にしてやった。3033
彼らは、国際社会の手本とならなくてはならない、といった調子になる。83168
我々のメンタリティ (考え方) とは違ったものになる。84361
我が国民は、国の内外に対して、説教じみた発言はできない状態にある。102033

> こういった考えは多かれ少なかれブッシュのように大人になってから積極的にキリスト教信仰に目覚めたアメリカ人特有のものらしく、彼自身熱狂的なキリスト教原理主義者なのである。

ブッシュはアメリカ人だから、熱狂的であることも考えられますね。83281
アメリカには、くれぐれも用心しないといけません。98820
ところで、ブッシュが熱狂的なキリスト教原理主義者であれば、あなたには何か良い方策がおありでしょうか。82057
日本人は、蚊帳の外に留まることになるのでしょうか。94960
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ガタガタの原因は、私権の衰弱と序列原理の崩壊
103009 > 序列原理の崩壊は劣化収束も生じさせているのでは?
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/12/22 PM04 【印刷用へ】

> ガタガタの原因は、私権の衰弱と序列原理の崩壊
> 102991 序列原理の崩壊は劣化収束も生じさせているのでは?
> 高田敦  ( 41 大阪 塾講師 ) 05/12/22 AM11
> 私権の衰弱と序列原理の崩壊は、新たな可能性を期待させます。しかし、過渡期において別の問題も生じさせているように思えてなりません。
> 経営トップは、右肩上がり経済成長の売上重視と異なり、さまざまな情報から組織を運営しなければならなくなりました。少なくとも集団のトップは、己の都合だけでは体制は成り立つはずもなく、認識力・人々の意識潮流・次代を読む力が必要になっています。
> 序列原理の崩壊は、経営トップと末端社員や企業と顧客との関係まで変えてしまったように思えます。相対的にどちらが上位にあるのかわからない状況を作り出しています。将来集団を担うはずの新入社員や生産に携わらないのに上位にいる消費者の認識転換なしに生産活動の閉塞から抜け出せないように思います。

日本語には、階称 (言葉遣い) がある。82023
だから、「上と見るか、下と見るか」の判断は、日本人に欠かせない。88971
周囲の事柄に関して自分自身の上下基準を持つようになると、序列観念が完成して序列人間となる。92478
日本語は、頭脳に刷り込まれた日本教徒のバイブルのようなものである。
日本人の礼儀作法は、序列作法である。だから「序列なきところに礼儀なし」である。92478 (正誤表: 定時→呈示)
日本人には、序列判断があって、理性判断がない。だから、序列がなくては、判断に困るのである。93792
リーズン (理性・理由) は求めないが、序列は求める。94416
もしも、日本人が序列観念による閉塞から抜け出したときの体験をしたいと考えるならば、それも可能である。
そんな時は、英語圏で生活してみればよい。序列は求められないが、リーズン (理性・理由) は求められる。94865

あなたは、話をするときに、言葉遣いに注意していますか。
あなたは、礼儀正しい日本人ですか。

日本人が序列と縁を切る生活を始めることは容易ではない。94416
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人類500万年に亙る共同体社会
102988 > 共存の困難さ
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/12/22 AM05 【印刷用へ】

> 人類500万年に亙る共同体社会
> 7900 共存の困難さ
> 岡本誠  ( 47 兵庫 経営管理 ) 01/08/11 PM04 【印刷用へ】
> 複合民族の共存は今後の課題ですが、少なくとも白人が到来するまでのオーストラリアでは、いくつもの民族と、異なった言語やライフスタイルをもった250あまりの独立した人間集団が、はるか昔から共存していました。
> 白人と先住民族の共存は遠い道に感じられる。共存を阻んでいるのは白人の価値観の方にあるのだから。

同感です。
我々は、歴史から学ばなくてはならない。95542
英米人は、その知的能力により、この地球を英米の世にした。93494
アングロ・サクソン族と先住民族との共存が難しい。84361
私が心配しているのも、アングロ・サクソン族と大和民族の共存のことである。82320
我々日本人も、先の大戦で一億玉砕をしなくてすんだ。83554
それで、こうして英米の世にながらえている。85831
しかし、これで相互理解が得られたわけではない。100260

英語と日本語を話すことは、同じ意味を二通りで話すことではない。102212
まったく違った意味を考えることができるということを示すものである。101455
英語と日本語の違いを話す人は多い。だが、英語を話すことが、考えを正しくすることであると説明する人は少ない。101092
日本語を話すこと自体が、理性の妨げになることを説く人も少ない。84909
これは、我々の言語に対する認識不足の表れであると考えている。
言語は、考えるための道具である。82373
言語を選ぶことが、考えの質と鋭さを決めることにもなる。83954
だから、我が国の有識者・知識人は、英語で考える能力をも身に付ける必要がある。82285
そうすれば、アングロ・サクソン族の価値観を理解することができる。98795
相手を知ることが、自己の安全を計る第一歩となる。82285
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私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)
102897 > 序列批判を繰り返すだけでは決して序列原理はなくならない
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/12/20 PM02 【印刷用へ】

> 私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)
> 102876 序列批判を繰り返すだけでは決して序列原理はなくならない
> 西知子  ( 30 京都 秘書 ) 05/12/20 AM03 【印刷用へ】
> 私が入社した頃、周りから出てくる不満は「俺は(私は)〜〜したいのに」でした。もちろんそんな人には「じゃあやれば」とウンザリしつつ言っていたのだけど、最近、出てくる不満が「誰々が(どこどこが)〜〜してくれない」「誰々に(どこどこに)〜〜と言われた」に大きく変わったと最近感じていました。

能動態が得られなければ、受動態で考えるのですね。82242

> そしてその時に出てくるのがまさに、>>多くの若者(男性)が、「私権」や「序列」という概念(言葉)に、最初は強く収束する。そして、その言葉を使い何をするかと言えば、自分の働いている企業への批判でしかない102725。> で、そんな言葉を聞くたびに、違和感を感じてモヤモヤしてました。> だから、内藤さんのこの投稿を読んで、凄くスッキリです!!

批判ができれば立派なものです。大多数は、愚痴に終わる。102080

> 社会構造はすでに共認原理に転換している。なのに何故、未だ序列原理が残っているのか。

責任に関する序列は、必要ですからね。日本人の泣き所は、序列に関して責任感を伴わないこと。責任の所在に関する無知があること。98352

>>なぜ国家(や身分)が未だに統合機関なのか?それは、社会の統合の必要(実体的には私権闘争や掠奪闘争の統合の必要)は誰もが認めざるを得ないことであり、人々が「それ」を統合機関として認めれば、統合機関になるからである。
>>つまり、国家の主柱を成す力の序列⇒身分制度が表面上は無くなっても、他に代わるものがないので、これまで社会を統合してきた国家機関を、人々が仕方なく統合機関として共認することによって、統合機関としての面目を保ち、今も社会を統合しているに過ぎない。(32086)
> これは、国家でも会社でも同じ。

このことは、日本人の社会は全て同じ。そして、責任に関して形骸化しているところも同じ。102628

> つまり、集団の統合の必要は絶対である以上、序列に代る統合様式(事実⇒構造認識を軸にした共認統合)がない限り、序列で統合するしかないからです。

答えを出すために序列がある。答えを出す人に責任 (responsibility) というものがある98352。だが、日本人はこの英米流の責任を理解していない。だから、序列は形成するが、責任の所在について極めておろそかである100700。つまり、答えを出す能力以外のことで序列をつくる。日本人の感覚では、責任は古風なハラキリのことかな。
「わが国の政治に片時も空白があってはならない」と何回となく政治家から分かったような説明を聞かせられたが、小渕首相が急死したときには、すぐには彼の後任が見付からなかった。つまり、政治の空白が生じた。83747

> 序列を残存させているのは他でもない、答えを出せず序列にすがるしかない己自身にある。

序列に従って答えを出すのが規則である。それ以外の基準で序列を作るところに我々の問題がある。102628

> そこに気づけば、無駄な序列批判から、答え探索⇒認識吸収に頭を切り替えることが出来るのではないかと思います。

批判ができ、答えが出せれば、序列昇進は可能ですね。101765  
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閉塞の元凶は、個人主義
102886 > 戦後、日本がうけいれたもの
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/12/20 AM11 【印刷用へ】

> 閉塞の元凶は、個人主義
> 5287 戦後、日本がうけいれたもの
> 清水健作  ( 20代 大阪 塾講師 ) 01/06/15 PM01 【印刷用へ】
> 戦後、日本がアメリカより無条件に受け入れたものによって戦前より日本が持っていた考えや風習を野蛮・低俗なものとして排除するようになり、本来日本人が持っていた「気質」というのもかなり変化してきたと思います。

同感です。

> 明治の近代化の時にも、それまでの儒教的な考えを否定して、合理的な精神によって日本の近代化を目指し、様々な日本の風習を廃するようなことをしていましたが、「気質」においては根本的に揺るがなかったと思います。

同感です。

> (「気質」の中身につきましては、今後詳しく述べていきたいと思っていますが、何方か見解を示していただければ幸いです)

日本人の気質は、その時その場の感覚に基づいているナウな感じの気質です。84217

> では、戦後の日本はいったい何を元凶として受け入れてしまったのでしょうか?
> 私はそれは、『個人を原点とする考え方』つまり『人権』思想を原点とした『個人主義思想』であると思っています。

個人主義は、大切ですね。82123

> こういったことをいうとおまえは「ファシスト」「全体主義」だ!「人権被害者の身になってみろ!」という声が聞こえてきそうですが、
> 逆に私は言いたい「個の自由だ権利だ」ということをかさに着て要求を繰り返し周りのことなんかちっとも考えない自己中心的な己の欲にしか反応しない人間こそ「ファシスト」であり、世に言う「人権被害者」すなわち「社会的弱者」の敵であり、加害者であると。

「個の自由だ権利だ」がお題目のようになっているのですね。96631
自己中心的な己の欲にしか反応しないのは、利己主義ではありませんか。90706
「ファシズム」は、反対や批判を容認せず、国家主義と (しばしば) 反共産主義を強調しながら、国家の全ての国務を支配する強力な集権的な権力を持った政府体制ですね。3033
どうも、世の中には被害者が多いようですね。82242

> また、個人の尊厳・権利を守るために「基本的人権」は存在するのだという意見があります。が、
> ということは、戦前の日本人には『個人の尊厳』はなかったということになるのでしょうか?

何事も「お国のために、、、、、」であって、「個人のために、、、、、」はなかったようです。94865

> いやむしろ、自集団から役割を与えられ期待されることによって(一人からではなく皆から)自らの存在を自覚でき、その役割を認識する際、己より皆がさきにあると思える。

気分・雰囲気作りにより、個人の自発を促す。山本七平によれば、それは「空気」である。82476

> (断っておきますが、これは「個人の意思の放棄」ではなくむしろその役割に対しては現代人なんかよりも強い意思・主張をもって臨んでいたと思います)
> そういった土壌の下で皆から認められた個性こそがホントの意味での『個人の尊厳』ではないでしょうか?

『個人の尊厳』は、その場の「空気」のようなもので作られるのですね。見栄と外聞ですか。84743
責任の所在はどこにあるのでしょうね98352。自発であるから、当人個人の責任ですね。100479

> ところがいまは、『個人の尊厳』を守るためには、「個人」「個人」バラバラに考えてそれぞれに自立を促し、自由・平等の名のもと「公共の福祉」に反しない限り、自分の意思で判断すればなにをしてもいいという風になっている。

その通りです。何をしても良いということは、悪いことをしても良いにはならないですね。82193
アメリカ人は、’independent’ (独立している) が個人に対するほめ言葉です。英米人は、「小人閑居して不善をなす」とは考えていないようです。

> 「公共」の精神を解体しておいて「公共の福祉」を説いても馬の耳に念仏にしかなりませんよね…。

「公共」の精神は、個人の頭の中にある。個人の世界観の一部ですからね。102840
だから、「個人」「個人」バラバラに考えても、自立を促しても、「公共」の精神は解体されないはずですが。83201

> しかし昨今、生まれた時から物質的に恵まれた環境にいる次世代の子供たち若者達は精神的な豊かさを求めはじめ、意識は周り、すなわち「仲間」に向かいつつあります。

精神的な豊かさは必要ですね。「衣食足りて、礼節を知る」ですか。今の日本は、「教育あって、教養なし」の状態ですからね。94775
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