プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
101884 > なぜ人々はやすやすと観念支配されるのか
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/12/02 PM11 【印刷用へ】
> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 101861 なぜ人々はやすやすと観念支配されるのか
> 吉国幹雄 HP ( 53 鹿児島 講師 ) 05/12/02 PM03
> ●なぜ閉塞するのか
プロ(統合階級)によって観念支配され、観念統合を推し進める共認充足の場もないこともあって、支配観念に替わる新観念を見つけられずに思考停止状態で閉塞。
日本語には、未来構文がない。そして、未来構文がなければ、別世界 (正しい世界) を考えることができない。思考停止状態で閉塞・諦観へと続くのがわが国民の伝統である。98699
> 現実突破の答えにならない旧観念(恋愛・自由・平等など)なので、突破口を見出せず閉塞。しかも旧観念は感応回路を刺激する倒錯性の高い私権観念なので、頭の中だけで充足して現実捨象してしまう。その結果、社会はますます閉塞。
突破の意思あるところに方法がある。意思もなければ方法もない。82057
意思は未来構文の内容である。だが、日本語には未来構文はない。82285
日本語で観念を取り扱うと、支離滅裂になる。それは、別世界に関する世界観を構成することができないからである。82354
> ●なぜ観念支配されるのか
しかし、私権時代ならいざ知らず、私権観念は今や闘争の制覇力にも活力源にもならない。「愛が地球を救う」というマスコミキャンペーンを聞いても空々しさだけが残る。
「愛が地球を救う」は、実況放送の内容でもなければ、現状報告の内容でもない。日本人の信念にもならない。85322
> にも関わらず、現在においても「民営化」や「自由化」と聞くと、「いいもんだ」とたやすく洗脳されている感がある。いったい、なぜ人々はこうもたやすく観念支配されるのだろうか?
これらは全てお題目である。気分・雰囲気を盛り立てるキャッチフレイズである。こうした現象は我が国の伝統である。83747
> といって、周りを見ても、特定の観念にどっぷりと嵌って、例えば「民営化」に賛同してまともに行動している人など、1%どころかほとんどいないだろう。プロの放つ旧観念の呪縛にやすやすとかけられて、しかもその効力の無さを看取しつつ、呪縛を解こうともしないおかしな構造…
呪縛にやすやすとかけられるのは、今に始まったことではない。気分・雰囲気に乗って歴史は何度でも繰り返す。82144
「理屈は子供にでも分かる」「理屈などどうでもよい。見れば分かる」。そして、知的低水準から抜け出せない。82320
> ○人類の観念機能
人類は共認動物であると同時に徹底した観念動物である。人のいない空間に一人でいると狂ってしまうのと同じで、言葉の無い世界に留まる事は出来ない、それが人類。
それにも関わらず、現実直視ができない。90895
> 換言すれば、共認機能も観念機能も絶えず作動し続けているのが本来の人類の姿。
そして、人類が獲得した適応機能の先端にあるのが観念機能。
人類は、狂ったサルか。観念があるから、アニマルにもなれない。93930
> 仮に一人で部屋に閉じこもって研究していても、あるいはストレスがたまって休息しようとしていても、観念を駆使して眼前にいない人を想い、身近な世界を、あるいは遠くの未だ見ぬ世界に思いをはせ、絶えず観念機能を作動させている…
日本人の場合は、観念機能を作動させていると、目の前が夢幻の如くになる。つまり、雑念が湧く。だから、現実直視ができない。90895
> 原始本源集団の時代なら、共認機能をフルに使ってみなの評価を羅針盤に探索することで共認充足がえられ、それを肥やしにして観念機能による探索が継続しただろう。あくまでも観念は共認機能の後押しがあってまっとうに作動する。
日本語で観念を取り扱うと、支離滅裂になる。それは、別世界 (正しい世界) に関する世界観を構成できないからである。83201
> ●評価の社会共認
対面可能な本源集団から肥大集団となり、地球や社会を対象とするようになると、目の前の「みな」の羅針盤も、目に見えない「社会」の羅針盤へと進化していく。社会共認こそが観念機能の最大の肥やしとなる。
権威にすがる。これが構成員の欲望。82504
> みんなの羅針盤そのものを巧みに作り出してきたのがプロ。学者の言うことは正しい(という評価)、マスコミは事実を報道しており、みなの羅針盤になると自ら広報してきたのがマスコミ。その「社会」の羅針盤があるもんだから、収束したがっている観念機能は「よい」と評価された観念に(目先)収束して観念支配されていく…
耐震強度偽装問題で、社団法人日本建築学会の村上周三会長は、2005年12月2日「この事件を偶発的なものではなく構造的な問題と位置づけ、対応策を検討し、学術団体としての社会的責任を果たす」と声明を読み上げた。きっと、社会の構造は、脳の構造に基づいているのでしょう。100479
> ●みなの羅針盤はみなの手で作ってこそみなの羅針盤を形成する基盤を剥奪された素人が容易く観念支配されるのは、この社会の羅針盤はプロが形成するのが正しいと信じ込まされている、というのが一番大きいのではないだろうか。洗脳されている一番大きな問題はここにあるのではないだろうか。
序列判断に基づく権威主義が問題ですね。82023
> 「お上がきめたことだから」「マスコミでも報道されていたから」「○○先生もそういっていたから」では、いつまでたっても観念支配の呪縛から逃れることはできないように思う。特にその形成に深く関わってきたマスコミを全的に否定することが必要だろう。
受身の姿勢による思考停止ですね。自分の頭を使って考えるのは、難しいことですからね。82242
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マスコミによる共認支配の怖さ
101786 > 傍観していると
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/12/01 PM06 【印刷用へ】
> マスコミによる共認支配の怖さ
> 101779 傍観していると
> 大島健男 ( 23 埼玉 会社員 ) 05/12/01 PM02
>>いつまでも傍観していてはこの実感のない10万人という死者の数に対し、否が応でも実感を伴わなければならない日が近いうちに来るのかもしれない。<<101142
> 中国、アメリカとの戦争に突き進んだ頃の日本が思い起こされた。98352 終戦後、戦争の責任は誰にある?とみんなで顔を見合わせた。大衆は、政治家や官僚がこう言った、いや、それを追求できなかったマスコミの責任だと言った。100700
> 指をさされた側はどうかというと、上司の命令で、上からの圧力で、と更に上を指す。
上意下達ですか。100803
受身の考え、受身の態度ですね。82242
> じゃあ、最終的にトップにいた人間一人、二人の力でみんなが騙されているのかといえば、それは不可能である。
トップにいた人間一人、二人の力ではみんなが騙されるのは不可能である。101707
> みんなが考えることを止めて、国による誤魔化しを認め、国に騙されることを望んだのだ。
同感です。リンク
> 当事者として発信すること。これは、人間が社会、集団、組織に属して生きていく生物であるからには必要なのだと感じた。
同感です。
だがしかし、日本語は、現実構文 (現在構文) ばかりの言語である。82123
現実構文の内容は、実況放送、現状報告の内容となる。82057
つまり、あくまで第三者としての発言になる。101558
それで、日本人は当事者として発信することが難しい。98872
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閉塞の元凶は、個人主義
101765 > 同感です>小寺さん
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/12/01 AM04 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 4164 同感です>小寺さん
> 三ヶ本万州夫 ( 壮年 兵庫 講師 ) 01/05/16 PM01 【印刷用へ】
> 同業者としては、基本的に同感です。進学先の決定など、私権時代においては、個人的な決断が当然必要とされていた課題でさえ、「友達がいくから自分も・・・」といった感じで、よく言えば「皆の課題」にしている。もちろん私のような旧世代の発想からすれば、「付和雷同」「主体性の欠如」と映ります。
意思 (will) は未来構文の内容である。101558
日本語には、未来構文がない。101180
だから、日本人は意思薄弱に見える。82735
日本人が行動に出るときは、何も考えずに一思いにやる。82144
そのために根性を鍛える。掛け声を掛け、気合を入れる。91933
「がんばって」と周りから声を掛ける。100430
「付和雷同」「主体性の欠如」と映ります。99076
> しかし時代は既に、「立身出世」を価値軸とする「学歴社会」から離れるベクトルで動いているのであり、旧価値観から脱却しなければならない、したくてもなかなかできない、しなければならないことにも気付かない大人たちより、仲間収束の流れに乗っている子供たちの方にこそ、新時代構築の可能性が開かれていると思います。
日本人は開国以来、序列の基準を身分から学歴と変更した。だが、あくまで序列観念に基づく序列社会を形成していることには変わりない。「上と見るか、下と見るか」の判断は、日本語の階称 (言葉遣い) による。日本人に、日本語の言葉遣いとそれに伴う序列観念を捨てさせることは難しい。93729 少なくとも、この世には別の考え方の存在することを理解してもらうしかない。101092
> ただ彼らには「遊び課題」を中心とする表層的・恣意的な集団しかないのが、最大の問題でしょう。
最大の問題ですね。同感です。
無哲学・能天気の人間は、表層的・恣意的にならざるを得ないのでしょう。83513
> 絶対的な課題を共有する運命共同体的な集団、というのが最終的に必要ではないでしょ
うか。
同感です。我々には最終目的が必要です。97911
> 「自分」が選んだり、拒否できる集団というのは、逆にいえば、その集団の成員から、自分が簡単に選ばれたり、拒否されたりする、ということを意味します。だから上っ面だけで顔色をうかがったり、存在不安に囚われたりするのでしょう。
同感です。命を捧げられるような社会にしたいものですね。そうでない戦いには意味がない。82123
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その他(若者と老人)
101712 > 旧認識の「踏絵」をさせる受験制度
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/30 PM02 【印刷用へ】
> その他(幼・少・青・壮・老)
> 39996 旧認識の「踏絵」をさせる受験制度
> 佐藤英幸 HP ( 39 新潟 塾長 ) 02/09/13 PM05 【印刷用へ】
> ■入試には新しい認識が一つもない。
> ●旧認識の統合・・・入試が統合されることで、生徒が習得すべき対象も統合されます。旧認識は、「こうあるべき」目標が定まっていて、目標を共認する集団によって運営されています。目標は古代思想・近代思想をベクトルとした私権社会という「場」における、「優秀な人物」もしくは「優れた手足」です。
「あるべき姿」の世界という現実とは別の世界が念頭にあるわけではない。81994
ただ、「こうあるべき」目標が現実に設定される。最終目的がないので、必然的に手段・目標が目的化される。98541
そして、日本人の励みは、この世の中を迷走する。97794
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<<システム>に仕える人びと>で下記の段落のように述べています。101707
日本の児童生徒が、国際的な筆記テストで高得点をとるのは、別に驚くべきことではない。まさに、そのたぐいのテストのために、小学校から高校まで訓練されるのである。しかし、そのテストが、たとえば自分で考えて結論を引き出したり、事実を抽象し、その抽象を理論的に構成したり、自分の考えを小論文にまとめる、あるいは外国語で自分を表現する、あるいは、単に質問する能力でもよいのだが、そういった能力を評価するテストであれば、たちまち、日本の教育制度の欠陥がどこにあるかが露呈してしまうだろう。
> ■入試は社会に役立たない。
> ●偏差値(相対順位)・・・偏差値は旧認識教育機関内の相対順位であり、新しい社会の役割を一切考慮していません。旧認識が使えるかどうかは、新しい観念装置を使えるどうかとは無関係です。
「上と見るか、下と見るか」の判断を個人個人で繰り返せば、序列社会が見えてくる。82023
序列順位に従って、自己利益を分け合う方法が確立されている。82373
偏差値は、武力を用いることのない果し合いである。84341
知的低水準は、限りなく持続する。82320
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<<システム>に仕える人びと>で下記の段落のように述べています。
かねてより日教組は、あきらさまに<システム>に奉仕することになるであろう道徳教育の導入を強力にはばんできた。管理者(アドミニストレータ)階級の重要な成員は、日本の教育はこのため大きな欠点を抱えていると考えているのだが、日本の教育はひそかに、そうとはわからない形で<システム>に好意的なイデオロギーを教えているのだ。しかしもっと重要なことは、教育が、試験選抜制(メリット・システム)にもとづくヒエラルキーの維持にほぼ完全に服従していることである。学校が、いく重にも重なり合うさまざまなヒエラルキーの成員となる人材を集め選別する、人材選別マシーンとして機能しているのである。この選別機能は、あらゆる段階での有名校に顕著で、人材選別以外の学校の機能はどこかに忘れ去られたと思わされるほど強調され、その結果、日本の若者の知的成長を大いに阻んでいる。
> ●旧身分階層化の原因・・・所有格差が特定の富裕階層を除き減少した現代社会で、残存する旧身分格差は学歴です。学歴は資格時代を迎えて「学校歴」から「学習歴」に変わりつつありますが、「資格試験の受験資格」は多くの場合、「学校の卒業」です。また、資格試験の内容自体が旧い認識のままです。
私は、昔「文部省に認可されていない大学を卒業したのでは、学歴とは認められないから」と忠告を受けたことがあります。英米系の大学卒が、我が国で影響力を持っていないのは、こうした制度によるものと気が付きました。97858
今では、こうした制度はどのようになっていますことやら。
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<<システム>に仕える人びと>で下記の段落のように述べています。
日本の高等教育は、東大、もっと具体的に言えば、その法学部を頂点とするヒエラルキーを形成する。東大の卒業生なら、首相の座や自民党の重要ポストを獲得するための一番の跳躍台である大蔵省に入るチャンスが多い。東大はまた、将来の産業コングロマリットの経営者の人材も供給する。東大とほぼ同じレベルの京大や他の旧帝大もエリート層の一部分をなす。東大ブランドが、どれほど尊重されるかは語りつくせない。過去一世紀にわたり、東大法学部は日本のトップ管理者(アドミニストレーター)のほとんどを、”聖選”してきた。その卒業証書は実質上、日本の支配階級へのパスポートである。
> ■旧観念の観念統合は閉塞します。逆に、旧観念同士の価値対立は社会統合しえません。受験制度は幼少期に、旧い認識の踏絵を何度もやらせている制度と言えるのではないでしょうか。
旧観念は、駄目ですね。101643
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<<システム>に仕える人びと>で下記の段落のように述べています。
日本の典型的な子育てでは、世の中はどう機能するかという普遍的な成り立ちを教えるのではなく、子供の気持ちを操作することによって、何が正しいおこないなのかを、教えることが多い。99864したがって、たいていの場合、子供は、母親の顔色を見て善悪を見分けるようになる。つまり、教育ママは自分の子供に強い罪の意識をうえつけることもできるので、それを彼女は、子供の勉強に拍車をかける手段に使うわけである。
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閉塞の元凶は、個人主義
101707 > 責任
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/30 PM01 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 25078 責任
> 酒井典子 ( 27 富山 人事 ) 02/02/27 AM00 【印刷用へ】
>>このような共同生活を円滑に行うためのポイントは「相手あっての私」という心持でしょうか。この気持ちがうすれてゆくと制度や罰則で縛らなければ集団が維持できなくなるのだと思います。 (24840阿部さん)
「相手あっての私」に同感です。
社会が大きくなると、「相手あっての私」の感覚が薄れるのでしょうね。
序列社会の機能サイズには限界がありますからね。94416
> (共同生活でも、家族でも、学校でも、職場でも、地域でも、何でもいいのですが、)何か問題が起きたときに、よく、「これは〜の責任」というように責任の所在を明らかにしようとします。そうすることによって、問題自体も解決したように思ってしまいますが、そこには「〜の責任だから私には関係ない」という、とても冷たいものを感じます。
この場合、責任とは応答責任のことでしょうね。101058
適切な応答がなければ、責任者の無責任という罪になります。99205
さっそく責任者を入れ替えて、適切な応答が出るようにしなければなりません。97350
そうすることが各構成員の責任になります。99195
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<”ジャパン・プロブレム”>で下記の段落のように述べています。なお、彼の指摘するグループとは、序列組織のことであります。95237
日本では、何世紀にもわたり、権力を分け合う半自治的ないくつかのグループの力のバランスをはかることによって、国政がおこなわれてきた。今日もっとも力のあるグループは、一部の省庁の高官、政治派閥、それに官僚と結びついた財界人の一群である。それに準ずるグループもたくさんあり、たとえば、農協、警察、マスコミ、暴力団などである。これらすべてのグループは筆者が本書で<システム>と呼ぶことになる権力構造の構成要素である。ここで<システム>という用語を導入したのは「国家」という概念と区別するためである。個々のグループはどれも、究極的な責任は負わない。これら半自律的な<システム>の各構成要素には、国家の権威をおびやかしうる自由裁量権が与えられているが、それらすべてを統率して牛耳るいかなる中央機関も存在しない。
> “なあなあ”な関係がよいというのではもちろんありませんが、問題を「〜の責任」で片付けるのも、「相手あっての私」という心持がうすれている表れなんだろうな、と、阿部さんの投稿を読みながら思いました。
“なあなあ”な関係は、「とかく、この世は無責任」ということですね。84432
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自分って、何?生きるって、何?
101643 > 応望性の高い壁
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/29 PM00 【印刷用へ】
> 自分って、何?生きるって、何?
> 36 応望性の高い壁
> 平川要 HP ( 22 佐賀 経理 ) 01/02/08 PM11 【印刷用へ】
> マスコミのうそに気がついた今、われわれが指針とするもの、つまり、基準にするものとはなにか?これは私が22年間問い掛けてきた問題であった。
われわれが基準にするものは、理想の世界でしょう。82879
理想の世界は、われわれの頭の中にある。もちろん、考えない人には理想の世界はない。84220
理想の世界を作り上げるために、われわれには高等教育が必要である。82320
個人の持つ理想の世界を保護育成することが個人主義になる。82123
思想や信教の自由も同じ趣旨である。83281
> いつまでいってもどうどうめぐりである。そんな私に類の提案は非常に魅力的なものに思えた。応望性に生きるーーーーー。試してみる価値はありそうではないか。しかし、実際私にその生き方はできるのだろうか?この近代思想にどっぷりつかっているこの私に。具体的にはどうなのだろう? どう思います?ほんとにできますか?
難しいですね。具体的にはあなたが日本語の環境から離れることが必要なようですね。
近代思想は旧観念9560で、旧観念は日本語による考え方ですから。82879
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その他(市場時代)
101558 > 価値観念では原因分析すらできない
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/28 AM09 【印刷用へ】
> その他(市場時代)
> 40205 価値観念では原因分析すらできない
> 雪竹恭一 ( 38 大阪府 営業 ) 02/09/17 PM11 【印刷用へ】
> 原因事実がわからなければ、答えが出しようがないのは自明のはずですが、まともな原因分析すらしようとしないのは、やはり、価値観念でものを考えているからではないかと思われます。相変らず「経済は成長すべきものである。」「政府は経済成長に対して責任を負うべきである。」「景気刺激策を行えば景気は回復するはずである。(景気が回復しないのは景気刺激策が足りないからである)」といったように、価値観念で「あるべき姿」ばかりを夢想し、要求するばかりでは、冷静に客観的に原因分析をするという思考にはいたるはずはありません。
> 価値観念の恐ろしいところは、「かくあるべし」というところから発想し、その価値意識自体を疑うことができないが故に「あるべきようにならないのは、やり方がおかしいからである。」という思考に陥ってしまうという点です。
原因分析をする意思がなければ、実行されませんね。101058
古代の人々と同じです。ただ憶測するばかりです。92500
意思あるところに方法がある。83747
意思は未来構文の内容である。95392
日本語には、未来構文がない。81994
原因分析をする意思がなければ、実行されない。
空理空論と無為無策で過ごすか。82285
日本人の精神は、戦前と戦後であまり変わっていませんね。100288
大河内一男は、<自分で考える>の中で、下記の如く述べています。
これは部分的には「行動の人」と対立する「傍観者」をプルースト的に不当に高く評価した明治の文豪、夏目漱石が培った教養趣味と、部分的には戦前の政治の右傾化に対する知識人の嫌悪にもとがあった。インテリは当時発展しつつあった気運に反対し、初めから否定的態度をとり、行動忌避を見せた。その結果、インテリ自身、頭蓋骨ばかり大きく手足が縮んだグロテスクな達磨さんのようなものになってしまった。これを考えると、彼らの批判精神、彼らの修正し説明する作業、からみ合った原因結果の説明には不向きだった。しかし彼らは何をなすべきかを語るどころか、しゃべる性向さえ失ってしまった。こうなると「傍観者」になるほかなかった。この種の生き方が知識人の間で高く評価されるにいたった。いかなる建設的計画も否定的に見、目前に出されたものしか眺めず、すでに起きたことに説明をつけ加え、それを批評するのはいうまでもない。これが彼らの生き方になっただけでなく、知識人の社会的義務を取りこむものと考えられた。
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その他(猿と人類)
101455 > RE:理の西洋人、情の日本人
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/26 AM07 【印刷用へ】
> その他(猿と人類)
> 22839 RE:理の西洋人、情の日本人
> 大串幹夫 ( 48 米国オレゴン州 技術翻訳 ) 02/02/02 AM03 【印刷用へ】
> アメリカ人だって感情はあるのですが、感情を除外した対人交流モードというのがはっきり存在します。
冷静ですね。98364
感情を除外した対人交流モードは、人間特有の言語活動ですね。100729
> 情というのは各文化に固有のもので、しかもそう簡単には変わらない、だから文化の違うところから来たもの同士が交渉する場合には情が表に出るとやたら紛糾してどうにもならなくなります。
感情は議論の対象にはなりませんね。83954
感情に基づく行為は、人畜共通の非言語活動ですね。92478
> それにたいして理は普遍的だし変化に対応するのも速い、だから新世界では理が強くなります。
英語を使った理詰めの議論ならできますね。84361
そこで、アングロ・サクソンは、他の民族を出し抜いた。83554
> 日本では理はすべて制度に組み込まれていて、情だけが個人のもの、みたいな感じですね。だから情が自由だというよさがあり、逆に情が情だけにとどまって理との間の相互作用に欠けるうらみがあります。
義理と人情の世界ですね。101309
情をバネにして理を働かせることができないようですね。これは人畜共通でしょう。98265
> 西洋は情も理も個人管理なので、個人の負担が重いですが、そのかわり情理の相互作用が豊かになります。
英米人は情を訴えて、個人同士が理で結束することができますね。95435
理性的な行動であれば、現状打開の可能性も出てきます。90887
英米人から学ぶところは多いと考えます。100729
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その他(国家時代)
101309 > 「世間」という現実肯定観念A
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/23 PM03 【印刷用へ】
> その他(国家時代)
> 21332 「世間」という現実肯定観念A
> 山澤貴志 ( 36 鹿児島 建築士 ) 02/01/18 AM01 【印刷用へ】
> 近代の教養=個人主義は、「世間」を気にして「本音」と「建前」の2重構造を持つ日本人の意識構造は、「あいまいで個人が確立していない前近代的な否定すべき意識構造」であると否定してきました。
「あるべき姿」と「今ある姿」の比較から個人意見を割り出す英米人から見たら、日本人は個人が確立していませんね。82251
「本音」も「建前」も、「今ある姿」の中にある。「世間」による注視の中にある。93381
だがしかし、「あるべき姿」が語られていない。「あるべき姿」は、この世の外にある。100847
この世の外の内容を知れば、個人的な違いが明らかになる。82123
その違いを大切にすれば、個人主義となる。大切にしなければ前近代的となる。83415
> 1. 私権時代である以上、私権の現実に適応する必要があり、現実を否定視しない人々は「自分を生かしてくれているこの私権の現実≒まわりの私権共認」が求めてくる「役割」に忠実に応えようとした、従ってそこにあるのは「己の私権欠乏よりもみなの私権共認にもとづく課題を解決しようとする期待応望の心」である。この「共認された私権課題=役割に対する期待応望の心」こそが「義理」であり「建前」ではなかろうか?
序列社会 (縦社会) においては、「義理」(序列) が「建前」(規範) となっています。88971
> 2. 同時に、私権時代である以上、社会=武力支配であって、つまり真の本源の可能性は超集団の地平には開かれていない。そこで世間=武力支配の現実の中で、かろうじて充足可能性のある「士族タテ関係における“仁”の世界」や「男女間の和合空間である“色”の世界」といった解脱空間において「本源的な期待応望の心」の充足を求めた。この「世間=私権統合の枠内での和合の心」こそが「本音」であり「人情」ではなかろうか?
そうかもしれませんね。
しかし、封建社会のガス抜き技術だけでは、現今の英米の世に対応できないものと考えられます。83554
> このように理解すると、ヤクザ映画が何故、今日に至るまで私たちの心をつかむのかが理解できる。日本人の「本音と建前」とは「義理・人情」とは実は「私権の現実」という条件付ながらも「本源の心」の闘争と解脱の2面性のことをいっているのでしょう。
「本音と建前」「義理・人情」共に現実の中にあります。にも拘らず、日本人は現実直視が容易に出来ない。90895
それは、頭の中に雑念が浮かび、それが現実直視を邪魔するからでありましょう。94286
> しかし、どうも近代の個人主義はこの「本音と建前」をねじまげてマイナス視しているのではないでしょうか?つまり「日本人は自分の自我・私権という本音を影に隠し持ちながら、建前でいつも奇麗事ばかりいっていて、まるで自分の意見がない。こんな人格が不確かな存在とはつきあえない」という見方です。
自己の「あるべき姿」を表明しない個人は、つかみ所のない人といえます。82478
> 近代個人主義者とは「本音=自我・私権」であり「建前=自我・私権」ですから、迷いがないわけです。しかしこれは自我私権派にとっての「本音と建前」論に過ぎません。日本人にとって「世間」という枠組みの中の「本音と建前」は実は本質的には矛盾していないのです。(従って、世間という現実直視の状況認識を土台にしている日本人は、建前と本音、義理と人情という2つの力関係が逆転することはありません。闘争あっての解脱という現実は当たり前の認識としてあるからです)
「本音と建前」は「世間」という枠組みの中にある。「世間」という枠組みの外には何もない。93381
真理は「世間」という枠組みの外にある。95538
真理は個人の頭の中にある。98535
> このように世間とは私権闘争という現実を直視した世界認識の概念装置であるように思われます。そしてこの世間という外向認識のための概念装置によって、価値意識も規範意識も制御されてきたのではないでしょうか?「社会変革は否定思考の倒錯観念」であることが明らかになった今、私たちは「現実直視の概念装置」として「世間」を見直してみる必要があるのではないでしょうか?それは世間=現実=人々の意識が本源の可能性へと開かれた現在、極めて重要なことのように思われます。
世間=現実=人々の意識は、「今ある姿」の内容であります。93835
そして、「あるべき姿」の内容がない。この事実が無哲学・能天気の根源となっています。82144
「あるべき姿」と「今ある姿」の比較により現実批判をする。この比較ができないところに知的低水準がある。83300
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その他(マスコミ)
101180 > 旧観念では現実を生きることはできない
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/21 AM09 【印刷用へ】
> その他(社会統合)
> 39345 旧観念では現実を生きることはできない
> 熊谷順治 ( 35 大阪 企画 ) 02/09/05 AM01 【印刷用へ】
>>旧観念=近代思想と私権規範は、ともに価値観念である。つまりそれらは人間のあるべき姿や目標を観念化したものであり、頭の中を価値意識や目標意識で統合するためのみに存在する。だからこそそれを受容する際には「共鳴」が不可欠である。逆に共鳴できなければ価値対立or無視される。<(39125)
> 旧観念、その代表格である自由、人権、平等、博愛は、「そういう世界(社会)があるべき姿(目標)だ」として提示するが、どうしたら実現(万人が実行)できるのかは言葉からは分からない。
「言葉からは分からない」同感です。82285
自分自身でそれぞれに考える必要がありますね。86026
能動的に生きる力を得るには、意思が必要ではないでしょうか。82057
> その上、どの言葉も価値観念であるがゆえに、別の価値と対立し簡単に実現できない。だからこそ崇高な目標になる。と同時に「現実にはできていない」現実に対する否定意識が根底にある。現実を否定し・対象化していないのだから実現できるわけがない。(20354現実否定の倒錯思考)
天国は地上ではない。理想は現実でない。現実は否定できませんね。82615
> それだけではない。旧観念=価値観念はプラス価値を含んでいるから、それが実現できると信じたり、(一部は)実現できていると思い込むだけで充足できてしまう。つまり、なにも実現しなくとも充足できる。だから、旧観念に嵌るほどに現実離れしたり、それが答えと思い込んで思考停止し、日々変わり行く状況に適応することができず閉塞していく。(近代思想は、少なくとも200年も前の答えだ)
「思い込むだけで充足できてしまう」というのは、気分・雰囲気に酔っていることですね。82144
「現実離れ、思考停止、現状に適応不能、閉塞」は、日本人の特徴ではありませんか。86547
西洋の近代思想は、我が国における危険思想のようなものかもしれませんね。開国が国を危うくした。100065
> 答えとは現実の中にある。私権圧力から同類圧力の場に移行した今の現実とは人々の意識である。(20355参照)それを解明したのも新しい言葉や認識だ。事実認識や構造認識は、現実を対象化し理解するための新しい概念装置であり(26869参照)、だから現実を切り開く答えを導き出すことが出来る。これと対立するものと言えば現実を否定した意識だけであろう。
現実は否定できませんね。82615
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