なぜ勉強しなければいけないの?
101134 > 何故勉強しなければいけないの?〜一例として、幼児・小学生への英語教育考
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/20 PM04 【印刷用へ】
> なぜ勉強しなければいけないの?
> 93418 何故勉強しなければいけないの?〜一例として、幼児・小学生への英語教育考
> 田中令三 ( 48 香川 総務 ) 05/06/26 PM11 【印刷用へ】
> 得意とも不得意とも感じたことは無かったので、人並みに出来たのだろうが、最初に「英語」への渇望に近い学習意欲が湧いたのは、なんと19歳の春からの1年半の期間だった。
> 入門を許された大学のゼミの教授がハーバード大学出身で助教授がスタンフォード大学出身、皮肉も多くが英語で発せられ、アメリカ合衆国で使用されている原書を同時・徹夜で多人数輪読、意味を解釈する毎日の中で英語三昧?、我が身の英語力の無さを恥じる毎日でもあった。
> 次に「英語」と真剣に向き合ったのはそれから6年後の27歳の時だった。
> 当時複数のアメリカ人の顧客と仕事を6ケ月間一緒にした。
> 俗に言う「テクニカルターム」と「日本の関連法規」との兼ね合いを付ける仕事を板書とジェスチャーの助けも借り、説明しながら、なんとか切り抜けた。
> つまり1年半+6ケ月=たった2年のみが、真剣に「英語」と対峙した期間であると言っても過言ではない。
> だけど、その2年間のおかげで、なんとかABCNEWSも聴けるし、英字新聞も読めるし映画だって字幕スーパーを見ずとも鑑賞出来る(概ね全て50〜70%だが)。
> それは、今になって考えてみると英語の機能を体感した経験と、かつ英語圏の文化・息吹に接することで彼らの考え方をおぼろげながら、理解出来るようになった経験が源になっているのだろうと思う。
「智識ヲ世界二求メ、、、、、、、」といっても、我が国には、その受け入れ態勢が整っていません。84361
英語圏に留学して帰国すると、後が大変ですね。101092
日本人と話が合わない。84220
いじめを受ける。82677
西洋哲学から繰り出される要求に、日本人は対処できないからです。100065
英米の高等教育は、我が国の危険思想なのかもしれない。82320
> でもその経験群と中学・高校を通じて6年間学んだ「英語」とは全く無関係のように思う。
> だって今中学・高校の英語の教科書を読んでもチンプンカンプンだけど(特に文法の分野)、実際の英語の意味は、何とか判るから・・・・。
時間の無駄でしたね。86547
> 私は、思う、幼い子供達にはもっとこの国の言葉や歴史などを正しく、深く吸収させ、その上で、将来の進路を考える時、必要性を感じれば、真に英語を一から徹底的に学ぶ、それでも良いのではと?
> 要は、「英語」を何のため(目的)に使うか、それを自分で把握すること・出来ることが、一番大事だと考えるからだ。
同感です。私は、日本の大学で医学を教えていましたが、外国人留学生は、本国で日本語を一年程度学んだ後、我が国にやって来ます。通常は、三・四年後に博士号を授与されて帰国します。完全な日本語の習得は無理ですが、博士号取得の目的には全員が問題ないように見えます。幼い子供の時から日本語を教えられたという話は、彼らから聞いたことがありません。
> 真の意味での、英語教育を再考する時期の到来〜その嚆矢としての「幼児・小学生への英語教育」考なのだと思う。
同感です。英文和訳を山のようにやっていては、真の英語理解は得られないのではないでしょうか。101058
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応援板
101092 < 旧観念の呪縛は解ける
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/19 PM10 【印刷用へ】
< 応援板
< 2907 旧観念の呪縛は解ける
< 赤澤功 ( 37 東京 技術者 ) 02/08/07 PM02 【印刷用へ】
< 先日知り合った友人から思う事なのですが、無惨にも自由・平等と云った旧観念が唯一無二の絶対的な思想としてのしかかっている人が多いのではないか?と云うことです。
自由・平等は、日本人には理解不能の内容かも知れませんね。101052
絶対的な思想も詰め込み教育の結果でしょうね。83415
< その友人も、素直なだけに、逆にこれまで植え込まれてきた旧観念に従順と云った印象を持ちました。
< 旧観念には可能性がない事に心では感じていても、顕在意識化出来ていない。
< そしてその旧観念しか知らないから。
日本語しか知らなければ、かごの中の鳥であることも仕方のないことですね。82879
< しかし本当に素直であれば、旧観念に反するものであっても可能性を感じればそこに収束するはず。
< 素直であればこそ、旧観念との決別が容易なはず。
< 動き出せば、一気に旧観念の呪縛から解き放たれ、可能性収束できる、そんな思いを改めて感じます。
旧観念による呪縛は、日本語による呪縛でしょう。101058
英米人にはない苦しみですね。100729
だがしかし、日本人以外にもメンタリティ (考え方) の違いで苦しんでいる民族は沢山あると考えられますね。83554
現在の地球は、英米の世の中です。83554
少なくとも、我が国の有識者・知識人には英語の勉強が必要と考えられます。82285
フランク・ギブニー (Frank Gibney) は、<人は城、人は石垣>の中の<義理と人情のクモの巣社会>で、下の段落の如く述べています。
日本語は英語のように、キチンとしたアリストテレス的文法に閉じ込められていない。言語として、日本語は「いま、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味を持つ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず論理的な価値判断を行う言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば日本語には “to be” に当る適当な動詞がない。 “being” とか “reality” のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」(concept) でさえ人工的につくらねばならなかった。
また別のところで、彼は「英語は範疇化と意思決定によい言語だが、日本語は議論の引き延ばしですぐれている。」と書いています。つまり、日本語でいくら議論しても努力の割には結論が出ないということでしょうかね。82057
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るいネットをどう変える?
101058 > 自分の言葉
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/19 PM01 【印刷用へ】
> るいネットをどう変える?
> 13161 自分の言葉
> 西田祐子 ( 23 大阪 秘書 ) 01/10/10 PM10 【印刷用へ】
> 自分が感じたことを言葉に出してしまうなら、それには責任を持ちたいし、隠す必要はどこにもない。
> 間違っていれば間違っていると指摘をされる方が有難い。
同感です。だがしかし、責任という単語は日本人と英米人では違いがあります。
それで、このことでも混乱を起こしますね。98352
イザヤ・ベンダサンは、<日本教徒について>の中の<「お前のお前」の責任>で、下記の段落のように述べています。
「責任」という日本語には「応答の義務を負う=責任 (レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。従って、もしこれに対して責任を追及すれば (応答の義務の履行を要求すれば)、逆に「相手は自分の責任を認めているのだから追求するな」といわれ、追及する方が逆に非難されます。
これは非常に面白い状態ですが、このことの特異性は日本人も気づいているらしく、外国旅行の案内書などには「外国では絶対に軽々しく『私の責任だ』などと言ってはいけない。そんなことを言ったら、とんでもない目に会う」という注意書きが載っております。 、、、、、、 「相手が私の責任だと言っているののだから(すなわち 『純粋人として対話の関係に入ろうとしているのだから』)お前も何とかいったらどうだ (それに応答すべきだ)」ということになります。
> 何かを創っていこうとする時、名前を出さないのをいいことに、適当な言葉をつらつらと並べても、何も生まれないし何も変わらない。
空理空論を差し控えるべきことについて同感です。82285
だがしかし、「適当な」という単語にも問題がありますね。
我が国では、「適当な」は不適当でもかまわないといった逆の意味にも使われることがあるからです。98465
英語のリーズン (reason) は、理性・理由・適当ですね。87086
リーズナブル (reasonable) とは、適当なことであり、理性・理由となり得ることですね。84116
自己のリーズンを表明して説明責任をとることは、アカウンタビリティ (accountability) 、つまり応答可能性を示すことでありますね。98352
‘There is no accounting for tastes.’とは、「趣味には、論拠がない」という意味です。95847
歌詠みの政治は、論拠 (basis) がない。あるのは感じだけ。82615
だから、説明責任は取れないですね。何も生まれないし何も変わらない。97350
とかく、この世は無責任か。84432
我々は、「理屈は要らない。見れば分かる」といった世界に住んでいます。95419
西洋の観念を日本語に翻訳することが難しい。90820
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閉塞の元凶は、個人主義
101052 > エンジェル係数は下がったというけれど・・・
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/19 AM08 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 14589 エンジェル係数は下がったというけれど・・・
> 松下直城 ( 38 大阪 塾講師 ) 01/10/26 PM00 【印刷用へ】
> ところで、くもんこども研究所の調査によると、小4から高3までの子ども達の好きな言葉の第1位は「自由」で第2位は「夢」だそうな。いまどきの子どもらしい回答だと思うんですが、同時に「自由」には責任が伴い、「夢」を叶えるにはそれなりの努力が求められるということを教えたいところですね。
同感です。
ところが、ここに難しい問題があります。
自由は、意思の自由 (自由意思) のことですね。84743
日本人には、意思がなくて恣意があるので、意思の自由は得がたいものになりますね。82242
意思の自由が恣意の自由と解釈されて、自由の履き違いが起こります。84743
夢については、未来に関する筋の通った計画がないと、夢を正夢にすることは不可能でしょう。84047
夢は、未来に関する内容ですね。日本語には、未来構文がないから夢の内容にも辻褄は合わせることが難しい。94775
そうすると、日本人の夢は意味を構成することなく、気分・雰囲気を残すだけのものとなりますね。82144
ああ、空しい。
> そこをすっ飛ばして大人が「憩いの場」を作ろうと躍起になると子どもはいつまでたっても子どものままで、おっしゃる通り「教育は成立しにくい」んでしょうね。
子供のような大人が出来上がるのでしょうね。81842
理性の教育が必要ですね。82032
> これまで、無意識に擦り込まれてきた「自由」「平等」や「個人の尊重」ということ自体も懐疑的に見直す必要もあるかと思います。
平等は、法の下に平等ということですね。42086
黒い顔が白い色になることでもないし、金太郎飴のような顔をした人間が多数作られることでもない。82942
個人の尊重は、人の個性を尊重することですね。82879
言語を特徴づける個性は、未来構文の内容に表れますね。82180
だが、日本語には、未来構文がない。81994
現実構文の内容では、どの人も意見が同じようなものになる。83415
「日本人の意見は、一人聞けば全部が分かります」と英米人が言います。82123
我が国の外来語の翻訳自体も懐疑的に見直す必要もあると考えます。82320
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<とらえどころのない国家>で下記の段落のように述べています。
多くの日本人が自分でそう思いたがるように、日本が、外国人には”理解”できない所であるわけでもない。ただ、この独特の複雑さを解明する目的にはほとんど役に立たないばかりか、かえって物を見えなくさせる西欧の政治用語には頼らず、しんぼう強い努力を続ける必要がある。日本における政治の世界の現実 (リアリティ) は、つかんだと思ってもすぐ指の間からするりと逃げてしまう。筆者が日本についての記事を書くとき、いたる所で、普通に使っている用語を定義し直したほうがよいのではないかと思わせられる。というのは、これらの用語から受けるイメージと日本の現実とが、まったくではなくとも、かなりの部分、違うからだ。正直なところ、日本の権力構造について真剣に考える人なら、政治分野の語彙をすっかり書き直してしまいたい衝動にかられるにちがいない。
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事実って、何?
100945 > 事実が一つでは無い理由
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/16 PM10 【印刷用へ】
> 事実って、何?
> 88601 事実が一つでは無い理由
> 沼田竜一 ( 45 北海道 エンジニア ) 05/04/09 PM09 【印刷用へ】
>>「事実の認識」とは永遠に一ところにとどまらない、しかしどんどん高度化していくものだと私は思います。科学もそのうちの一つです。柔軟性を失い固定化されたとたん、それはイデオロギーに変貌します。2058
>>定説をまるで完成された事実のごとく信じ、それとは異なることを言う人間を、頭から間違っていると決めつけるスタンスは、とても科学的認識とは言えないでしょう。 (2058 事実の体系とは永遠に進化しつづけるもの)
同感です。84032
イザヤ・ベンダサンは、<日本教徒・その開祖と現代知識人>の中の<破文の思想>で、現代の日本人の祖形であるとされるハビヤンについて、下記の段落のように述べています。
彼は常に、その「破棄した部分」しか口にせず、その「内なる自らの基準」は明示していないのである。これは前述のように今の日本人も同じであって、「反論」はできるが、その反論の基準となっている自らの思想を論理的・体系的に明示せよと要求すると、できなくなってしまう。従って日本人には論争は不可能である。だがそれでいてこの状態を日本人は、”科学的”と考える。その意味ではハビヤンは、まことに”科学的”で、現代の日本人特に進歩的文化人とそっくりだが、実をいえば、この状態ぐらい非科学的な状態はないのである。
> まず辞書には、「事実」とは「実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。」とあり、普通の人は事実は一つしかない、と捉えていると思いますし、多少の誤差や相違を無視すれば(無視して差し支えのない範囲に限定して論ずれば)事実と言って差し支えないことも多いと思われます。
> 但し、多くの現象や過去の事柄(歴史も含む)は唯一絶対と言えるほど単純なものは少なく、観察者や記述者の思惑を含んだり、現象の一面を捉えたに過ぎないものが数多くあります。現在いわれている事実の大半がそういったものだと言って差し支えない位です。
同感です。
事実は否定できない。93461
されど、人間は誤りをおかしやすい。語られた事実には、事実誤認とか虚偽が含まれていることが多い。99510
イザヤ・ベンダサンは、<日本教徒について>の中の<「百人斬り」と「殺人ゲーム」>で、下記の段落のように述べています。
ファクタ (事実または行為、複数) とファクタ=ディクタ (「語られた事実または行為」もしくは「権威的に語られた事実または行為、複数」) について考えてみましょう。何を今更と言われるかも知れませんが、少なくともわれわれにとっては、ファクタとファクタ=ディクタを峻別し、両者が同一であることはありえないと考えることが知識のはじめでした。 、、、、、、それの行為者以外はすべて「語られた事実」を知っているだけで、「事実」は知らない。しかし「語られた事実」と「事実」は別だという明確な意識がない世界では「語られた事実」は「事実」ではないという、ごく当然のことを口にしますと、この「語られた事実」を口にした人はすぐこの「語られた事実」を「事実」だと強調して証拠を提出して来ます。 、、、、、、なるべく大きく、しかもさまざまな方向で、またあらゆる面で、徹底的に矛盾した、なるべく多くの「語られた事実」 (複数) がなければ、「事実」に肉薄することは、少なくとも人間には、不可能です。 、、、、、、「語られた事実」を「事実」そのものだと言ってしまい、この「事実」を証明する証拠を、さらに「全員が同じことを語る」ように集めれば、すべてが沈黙するのと同じことですから、「語られた事実」が「事実」になって、真の「事実」はわからなくなります。 、、、、、、その「語られた事実」は「事実」ではないといえば、日本人は一心不乱に多量の「証拠」を集めます。なるべく同等同内容で量のみ多くする。しかし「全員が同じことを語れば全員が沈黙しているに等しい」とは思いませんし、この証拠すなわち「語られた事実」 (複数) も最初の「語られた事実」 (単数) も共に同じく「語られた事実」にすぎないのだから、両者を等しく同一平面上に並べて、その矛盾からファクタを追求しようとは、絶対に考えないのです。
> 事実が唯一絶対と捉えられない最大の理由は、ほとんど全ての現象は様々な要因が関係し合って生じている複雑系の現象だからです。
> 但し、疑うだけでは混乱するだけなので、その指針たるモノが必要になります。今求められるのは、その指針たり得る根本理論なのではないでしょうか。
同感です。
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認識機能(本能⇒共認機能⇒観念機能)を解明する
100923 > コンテクストという状況共認が一体感を生む1
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/16 AM06 【印刷用へ】
> 認識機能(本能⇒共認機能⇒観念機能)を解明する
> 16230 コンテクストという状況共認が一体感を生む1
> 本田真吾 ( 44 香川 建築家 ) 01/11/15 AM01 【印刷用へ】
>日本人の「以心伝心」という感覚は西欧人には理解できない構造にあるようです。そこで日本人と西洋人の共認構造に違いに注目してみました。
> まず日本人の会話では、相手もこのことは解っているだろうと言う範囲がかなり広く、それに当てはまる部分はたとえ主語であろうととことん省略します。もう一つは、相対的状況を表す言葉が多いことです。たとえば、日本語に特徴的な、人間関係の相対的状況をあらわす敬語は西欧社会では使われません。
「上と見るか、下と見るか」の判断は、日本語を使う人たちには重要ですね。82023
敬語無視では、正しい日本人にはなれないでしょう。100777
> また、人間という言葉も語源としては「人の世」とか「世の中」という意味であり、人をその個人だけ取り出して認識するようなことはなく、個人よりも他者との「あいだ」を重視する共同体的意識で結ばれていたのでしょう。
「人の世」とか「世の中」という言葉も、「今ある姿」の世界を意味するものでしょうね。100260
> 一方、『本当に、西洋人はひとこと、ひとこと正確にきちんといわなければ理解してくれない。日本人どうしなら「寒い!」と聞いただけで、窓を閉めたり、ストーブをいれたり、時と場合によっては抱いてあげれたりするものなのに、と連中のことを恨みがましく思ったりする。』
> とあるように、会話で何かを伝えるとき、西洋人は日本人のように省略できる「何か」がありません。極端に言うと、すべての現象を一から説明する必要がある訳です。その過程では、日本人よりはるかに、多くのことを伝達するため、前提条件に遡り内容を構造的に説明する必要が出てきたのではないかと思います。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。92480
勝手な解釈を得意とする日本人には、相手の考えを把握しがたい。100784
もしかすると、理解という単語の意味も理解できていないのかもしれない。
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本・権力構造> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。
“信念”が社会・政治的状況によって変わり、”リアリティ”も操作できるものであるとすれば、多種多様な虚構 (フィクション) を維持するのはかなり容易になる。このような虚構によってもたらされる国際的な言語表現上の混乱は、日本の評論家や官僚が “理解” という言葉を口にする時の特別な意味づけによって、さらに複雑になる。”相互理解”をさらに深めることが急務である、という表現が熱意をもって強調されることが多い。ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の日本語の “理解” は、同意するという意味になる。 、、、、、、というわけで、”相互理解” というのは実際には、外国人し日本のスポークスマンが述べる日本に関する説明をそのままの形で受け入れなければならないという意味になる。したがって、日本側のいろいろな説明にもかかわらず、日本の貿易のやり方に抗議しつづける外国人は、不断の理解のなさを示していると見られる。 、、、、、、、
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子育て悩み相談
100847 > 学校教育と私権について
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/14 PM10 【印刷用へ】
> 子育て悩み相談
> 4468 学校教育と私権について
> 足立晴彦 ( 46 大阪 塾講師 ) 01/05/23 PM01 【印刷用へ】
>>なぜ、学校教育の場で、均一化が不自然なほどに求められているのでしょうか。それは、いよいよ激化する淘汰の予感がそうさせるのだと思います。<<4326
> 運動会の100メートル走で順位をつけずに一緒にゴールの事例をとっても、子供達の将来にとって今何が必要なのかを追求して対応するより、皆一緒にしておいた方が、波風も立たず、トラブルも起きずに楽という事なかれ主義からの発想でしょう。
オリンピックの競技では、選手は一緒にゴール入りしませんね。
相撲取りがやったら、八百長相撲になるでしょう。
子供にも、まじめな大人社会の真似事をさせたらどうでしょうか。2994
負けたら残念。大人も残念。子供も残念。
擬似体験というのでしょうか。
>>大事な知識の習得が、費用の面など家庭の環境に左右されてしまい、教育による(現今の社会で成功していける者と、自立するまでに既にその可能性がない者、という)二極分化が起こってしまうでしょう(すなわち、淘汰が起こってしまう)。
勝ち組と負け組みのことですね。4163
子供にとって大事な知識の習得には、社会が責任を持つべきものと考えられます。
> 習い事が盛んであるのは、多様化した子供、保護者のニーズに学校教育が対応しきれていないこと。
> 母親の子育て不安からくる、よその子に合わせる横並びの発想が原因ではないでしょうか。
横並びの発想が問題ですね。82942
我が国の学校教育が、個人格差の検出を目的としているからです。82942
格差の検出結果が公平であり厳密であるためには、その比較が限りなく同次元・没個性である必要があります。94438
それで、没個性的な訓練が必要になると考えられます。
学校には、個性的な多様化した教育をする余地は少ないものと考えられます。
(1).人間の「あるべき姿」と子供一個人の「今ある姿」の比較から、教育方針を割り出すか、94682
(2).子供一個人の「今ある姿」と他の子供の「今ある姿」の比較から、教育方針を割り出すか、82596
により、教育結果は変わってきます。
(1)の方法で教育すると、個性的な教育が必要です。100479
(2)の方法で教育すると、公平を期した同次元で没個性的な過酷な教育になります。97858
教育あって教養なしの国になります。94775
残念ながら、我が国は(2)の状態にありますが、それは、日本人に「あるべき姿」の内容が考えられないからであります。82478
「あるべき姿」の内容は、未来構文の内容になりますが、日本語には未来構文がありません。81994
教養の面でも英米人に追いつくためには、我が国の教養人にも英語の習得が必要になると考えられます。82285
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共認形成の場を作ってゆく活動こそ、真の社会活動
100803 > 上意下達
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/13 PM10 【印刷用へ】
> 共認形成の場を作ってゆく活動こそ、真の社会活動
> 100788 上意下達
> 匿名希望 ( おじさん 大阪 会社員 ) 05/11/13 PM04
>>今の「勝ち組」は結局のところ目立つ事のみで私権を獲得している層であり、瞬間風速を超えたら終い、というのは目に見えている。さらにそれが同化対象とならないのは、みんなの求めている評価軸とズレているからなのだ。<<100388
> 今の勝ち組みとは、上意下達による統合様式によって、「一時的に」私権を獲得している層であり、それはいつかは必ず滅びるというのは歴史の証明するところである。たちの悪いのは、破滅するまで社会に、環境破壊、精神破壊などの負の遺産を必ず撒き散らすことである。
上意下達というけれど、恣意 (私意・我儘・身勝手) の上意下達か、意思の上意下達かの問題がある。95237
日本人には、恣意 (self-will) があって意思 (will) がない。82242
責任を持つということは、意思を表明することである。意思そのものが存在しないならば、意思決定もありえない。90612
意思があるならば上意下達は責任体制としてなくてはならぬ。恣意しかないならば上意下達はあってはならぬ。93729
恣意には滅私奉公を要求することになる。責任者の意思ならば尊重しなければならない。だが、意思と恣意の区別は日本人には難しい。82735
責任を持つ個人が見つからなければ、応答は不可能であり、無為無策となる。これが、我が国の危険の正体である。100700
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どうしたら、社会を変えられるの?
100784 > 「誰かのせい」でははじまらない。>はらいさおさんへ
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/13 PM00 【印刷用へ】
> どうしたら、社会を変えられるの?
> 2938 「誰かのせい」でははじまらない。>はらいさおさんへ
> 森本亜希子 HP ( 20代 岐阜 デザイナー ) 01/04/07 PM11 【印刷用へ】
> 何かの問題が問われる際、その原因を「何かのせい」にしてそこまでで終わらせてはいないだろうか?
原因が突き止められても、原因除去にはならないですね。82285
>>人間としてのモラルが完全に欠如してしまっているのだ。これは誰のせいでもない。我々大人が末期状態になるまで放置していたごく当然の結果である。<<
> 誰のせいでもないといいながら、暗に大人(自分達)のせいである、としていますよね。そして、
>>おそらく少年たちも社会に対して、また大人に対して「おまえたちが悪いんだ」と 潜在的に感じているのではないだろうか?<<
> またもや大人のせいにしてますよね。
勝手な解釈と、それに対する批判を繰り返していれば際限がありません。94682
> 問題がある以上、原因も必ずあります。けれど、それは単なる責任の所在だけでもなければ、一面的な範囲の話ではないはずです。逆にそうすることによって、根本原因には触れずに、目先のことだけを変えていくような、ゴマカシの方法論が今の現状の政策の全てではないでしょうか?
同感です。
責任の所在で停止しなければ、原因探しも徒労に終わります。100700
責任の所在は、意思の所在です。98352
意思があれば、責任を負わなくてはなりません。93729
意思がなければ、罪もない。82193
天災と人災の区別も必要です。
> 本当に何かが間違っているのなら、その全ての背景から見直すべきだと思います。また、本当に自分達が間違っていると思うなら、まずなにが間違っているのかを把握し、本当に変らなくてはならないと思います。それをせず、小手先の方法論で対応していても、いずれ破綻するのは目に見えています。
誤りがあるならは、それを正せばよい。しかし、本人に正す意思がなくては、問題は解決しない。82057
> 何かのせいにして守りたい「自分(自我)」があるうちは、その判断はことごとくゴマカされていくように思います。
恣意 (私意・我儘・身勝手) の働きもあるでしょうし、意思に焦点を合わせた考え方も難しいからでしょう。82242
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
100777 > 肩書き社会の典型 いま外務省
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/11/13 AM05 【印刷用へ】
> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 30733 肩書き社会の典型 いま外務省
> 椿伊津子 ( 熟年 京都 etc ) 02/05/13 AM01 【印刷用へ】
> 今、外務省が中国問題で大揺れに揺れています。政府執行部の責任だと抗議し辞任を迫る政治家たち。こうしたことは先ず権力争いの感があり、これまでの上級職公務員の実態に目を向けているとは到底考えられません。
> 日本の肩書き社会、権威にはひとたまりもなく、批判的な者は排除される世界。外務省は氷山の一角に過ぎないとの有識者の指摘もあります。
日本人に現実批判はできないかも知れませんね。82251
> 人々の肩書き信仰、これはもうどうしようもないでしょう。現実には何を言っても結局肩書きで決まるのを、嫌でも知らされるわけですから。ただ、自分が純粋な目でみることができるかということにかかっていると思います。
「上と見るか、下と見るか」の判断は、日本人ならば等閑にできぬ事柄である。82023
それは、日本語に階称 (言葉遣い) があるからである。88971
世俗の上下を疎かにする人間には、正しい日本語も話せない。正しい日本人にもなれない。99945
礼儀正しい日本人は、序列作法に従うことのできる人である。97858
現実は、肩書きで決まる。100529
だが、肩書きは理屈では決まらない。93729
だから、問題の解決もままならない。82242
切って揃えられたような知的低水準のなせる業である。82320
問題の根源は、日本人には理性批判ができないことにある。92478
> 旧い日本の良識に「強きをくじき、弱きたすく」とあります。今ではあまり使われなくなりましたね。ここには「肩書き」などはございませんね。
官僚は、理屈に弱いのです。だから、法律を使って理屈に強い人を挫くのです。98535
> 外務省は一つの企業だと仮定いたしましょう。個人の意思を尊重し、何が勤務か、何が自分たちの責任かということを知らしめる企業主の器、結局そこに問題がありますし、先輩後輩の資質にもかかっているといえそうです。
上下関係のみにとらわれて、序列作りに励む日本人の欠点を露呈しているのでしょう。98634
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