潮流4 焦りの適応主体と目先収束
99076 > 「ダメ観念」の深さが
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/14 PM01 【印刷用へ】
> 潮流4 資格・制度・観念のバブル化(目先の秩序収束)
> 88201 「ダメ観念」の深さが
> 佐々木美穂 ( 22 秋田 会社員 ) 05/03/31 PM11 【印刷用へ】
> 自分の実感として強く感じるのはやはり「ダメ観念」。
ただ私の場合は現実に対する「ダメ」観念というよりも、自分自身に対するダメ観念が強いように思えます。(もちろん今の社会には、もうどうなってるんだとか、行き詰まりを感じますが)
これは学生時代から変わっていない感じです。
ダメ観念は、自分の考える内容を消去法で示そうとする日本人の方法でしょう。96666
日本人の正統派の考え方ですね。
> 人から評価されること、認められることで自分の存在を確信しようとしていたんですね。
ダメ観念の他人から評価されることは、たいへんな努力が必要ですね。84220
> 「ダメ観念」、存在不安という思いがあって、一方でまたとりあえずの目先の役割充足に向かってしまいました。
ダメ観念の他人を喜ばせるのも大変なことですね。
> さて、「役に立ちたい」意識、これでは自分の意識と周りの必要性と一致しないことがあるわけです。
> ただの自己満足に終わってしまうことも。
勝手な解釈では、他人の要望に対応しきれないですね。人さまざまですからね。
以心伝心も頼みにはならない。85176
> 皆が必要とするもの、では皆は何を必要としているのか。
> そのような探索を含め、核心に近づいてきているんですよね。
哲学的思索ですね。97858
天国のようなところでは、人々の暮らしはどのようなものになるかといった内容のものですね。
>>彼らの「ダメ観念」は全てを否定しているのではない。自己否定ではあるが、自分や自我に捕らわれているわけでもない。「ダメな現実」から脱却するために、新観念や統業の必要性・可能性を誰よりも切実に感じているのではないだろうか。(87925)
「ダメな現実」からの脱却は、昔も今も難しいでしょうね。
その結果、日本人は「仕方がない」を連発して、現実肯定主義になるのではないのですか。82615
> これは新しい潮流なんですよね。
> 確かにダメ観念、自己否定ではあるのですが、自己や自我に捕らわれているわけではない。
> ただ私自身としてはこういった「必要とされたい」という意識ももちろんあるわけですが、それでもまだまだ自分に対する「ダメ観念」が強いです。
国際社会において、日本政府が各国に何をしてもらいたいかを尋ねて歩くようなものですね。
とても、指導性を発揮できる状態ではないですね。83954
各国には、それぞれに別々の意見がある。
日本は、ロバ売りの父子のようにならなければよいですね。
> 自己や自我に捕らわれてるのとは違うと思うのですが。
自己や自我が弱くて、自主性の無さに囚われている。92540
> 「必要とされたい」でも役に立つ、必要とされても応える自信がない、逆に邪魔になったらどうしよう。
> そんな意識が強いです。
> これはどうしていったらよいのですかね??
困難な状況の根底には言語の問題があるのではないでしょうか。98752
それを解決すれば、後はそれほど深刻なことにはならないと考えます。
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マスコミによる共認支配の怖さ
99069 > 「答えが無い」事を売りにするマスコミ
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/14 AM05 【印刷用へ】
> マスコミによる共認支配の怖さ
> 83698 「答えが無い」事を売りにするマスコミ
> 山田孝治 ( 31 東京 デザイナー ) 05/01/07 AM02 【印刷用へ】
> 「共認支配」と言うほどにはマスコミに支配、洗脳された感覚は持っていない。
> 昨今のマスコミは「こうあるべき」という信念を軸に発信などしていないのではないか、と思っていました。
> しかしこれは「答えが無い」「ひとそれぞれ」という信念の元に発信している証拠なのではないでしょうか。
同感です。ただし、「ひとそれぞれ」であっても、他人があっても肝心な自分がないのでは頂けない。
実況放送・現状報告では、発信してもきりがない。「それで、どうした」の問いには答えが出せない。97960
事実と自分の意見の区別ができないのでしょうね。82615
> TVの討論番組などは、長時間の激論の末、結局結論が出ないまま終わる、というパターンが必ずです。
> 恐らく製作者側には答えを出すという気は全然無くて、司会者も出演者も議論を収束させるつもりは毛頭無い。
弁証法は、習っていないのですかね。結論の出ない激論には意味がない。
江崎玲於奈は、司馬遼太郎との対談でこう述べている。
「日本では対話とか意味のある会話がほとんど話されないと思いませんか。日本人は対話が本当は好きじゃないのですよ。ケンカになりますからね。しかし創造性が養われるのはテーゼとアンチテーゼのこの対話のなかですからね。日本には対話に対する真の道徳的受容性がないので、創造性そのものが妨げられますね。」
> むしろ「答えを出さない」という事こそがこうした番組の生命線の様です。
「答えを出さない」という事は、「頭を使わない」ということですね。
> これは一つの意見や思想に偏らない、厳正中立なマスコミの姿の様にも見えます。
> ここでは共認形成に全く寄与していない様に見えます。
マスコミの姿は、厳正中立であって無意見・無思想なのでしょう。
内容がなければ、右も左も中立もない。傍観者であって無為無策なのでしょう。95997
> しかし、こうした番組の根底には、「ひとそれぞれ、様々な意見が有って当然」という個人主義絶対の思想が厳然として有ると思います。
個人主義プラス滅私ですね。矛盾してますね。
> だから当然一定の収束軸など示すはずが無い。
> こうした番組を、私たちは特定の思想とは無縁と思いながら、知らず知らずの内に個人主義という思想に絡めとられているのではないでしょうか。
ああでもなければ、こうでもないと言ってみせる人たちは奇妙ですね。個人主義の履き違いですね。82123
> みんなが求めているものは「答え」そのものであり、その可能性なのだと思います。
同感です。一人一人が答えを出すべきです。82144
> 今求められているのは、マスコミとは違った、「答えを出す」共認形成の場なのだと思います。
一人一人が頭を鍛える必要がありますね。82476
フランク・ギブニー (Frank Gibney) は、<人は城、人は石垣>の中の<新聞・蔭弁慶の筆>で、下の如く述べている。
私は趣味として毎朝、三大紙を広げ、一面を比べている。たまにある例外を除けば、使用写真や見出しにいたるまで、内容は呆れるほど似ている。他の国でも同じかもしれない。しかし共産世界を除き、新聞の「大官」たちが日本の新聞にいれる「オピニオン」の戦慄すべき同一性を自慢できる国はない。オピニオンという言葉はわざと使った。日本語の総体的な曖昧さも手伝って、記者は事実とオピニオンをほとんど区別のつかないままニュースにする。
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その他(仕事・起業・共同体)
99010 > 「年功序列」の可能性
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/13 AM09 【印刷用へ】
> その他(仕事・起業・共同体)
> 63080 「年功序列」の可能性
> 越見源 ( 38 大阪 都市計画 ) 03/10/18 AM00 【印刷用へ】
> 「年功序列」というと、確かに“序列”とあるように、私権をめぐる序列闘争システムであることは間違い無いと思うのですが、一方で、人的資産を尊重する「家族経営主義」的なものもイメージさせます。(「終身雇用」も同様)
例えば、高野山奥の院等に見られる「会社墓」や、「社葬」などもそうですが、会社に“家”の機能を取り入れることによって、社員同士の紐帯を強化し、活力を引き出してきたこれらのシステムも、昨今は衰退してきているらしい・・・
日本人は、序列システムにより社会を作る。親分・子分の世界である。95237
これは、日本語に階称 (言葉遣い) があるためと考えられる。82023
人間の序列が定まらないと言葉を交わすのが難しい。他人行儀になる。43637
言葉が自由に交わせるようになると、気心も知れて協力もしやすくなる。88971
これが日本人から活力を引き出す方法である。95005
大日本帝国も清水一家も活力を引き出す原理は同じである。
現在の地球は英米の世である。英語に階称 (言葉遣い) はない。82373
序列システムは、昨今は衰退の一途をたどっている。
しかし、日本人が日本語を話す限り、序列の情緒に愛着を示すことに変わりはない。1414
「お姉さん」という呼び掛けはあっても、「お妹さん」という呼び掛けがないようなものである。
> これら、日本特有の共同体的組織形態に、もはや可能性はないのでしょうか?
英米の世では日本特有の共同体的組織形態は時代遅れとなる。98953
だがしかし、時代物として日本文化を楽しむ道は残されている。88971
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戦争がなくならないのは、何で?
98953 > 日本が共認社会の先導者
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/12 PM00 【印刷用へ】
> 戦争がなくならないのは、何で?
> 84320 日本が共認社会の先導者
> 星埜洋 ( 45 東京 企画 ) 05/01/20 PM10 【印刷用へ】
> 1970年頃を境に、日本では貧困が消滅したと言われています。日本ばかりでなく、多くの先進国も貧困から脱却しているのも事実でしょう。
> しかし、世界を見渡すと、貧困、飢餓、紛争による殺戮、戦争状態があまりにも多い。アフリカ、中東、ロシア周辺、チベット、南米、北朝鮮・・・日本のように1億2000万人がほぼ貧困から脱却した国は例がないように思います。
> この日本の状況というのは、恵まれた気候風土や地理的条件、その中で育まれた精神文化、勤勉性などなどアジアの中にあってもかなり特殊条件に恵まれてきたと言えます。大災害が起きても暴動や打ち壊しなど起こらず、秩序を維持し、相手を思いやって難局を切り抜けてきたことは世界から見れば驚嘆すべきことのようです。原因分析は必要ですが、日本は世界の中において希有な存在ではないかと思います。
英米人であれば、この世はどうしてできたのかを考える。神の意思であるか、誰の意思であるかを考える。95320
日本経済の成功の仕組みはアメリカの意思決定機関が提供する戦略があってはじめて可能になったのである。98795
だが、日本人には、人の意思 (will) というものが考えられない。これを知的低水準というべきか。82180
意思のあるところに、方法がある。 (Where there’s a will, there’s a way.)
日本人には変革が望めないので閉塞感がある。93149
自己慶賀の中での破綻となるのか。98752
言語を手段として日本問題の解決を計るべきである。82285
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。
日本人のあいだでは、自分たちの文化はユニークだということが、ほとんど信仰のようになっている。それも、すべての文化はユニークである、という意味でのユニークさではなく、いわくいいがたいユニークさ、究極的に他の文化とは異なる、ほんとうにユニークなユニークさである。それは日本人のユニークな感受性の源であり、そのために外国人がそれに言及してはいけないということはないにせよ、理詰めに追求されることからは守られているというものである。外の世界と比較する場合が生ずるたびに、日本人は学校でも会社でも、報道メディアや役人のスピーチを通して、日本という国は特別なのだと言い聞かされる。
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共認心理学(現代の精神病理を斬る)
98892 > 規範はみんなの期待とセット
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/11 AM04 【印刷用へ】
> 共認心理学(現代の精神病理を斬る)
> 98877 規範はみんなの期待とセット
> 河野梨恵 HP ( 26 徳島 OL ) 05/10/10 PM10
> 規範意識の形成は本来、相手(対象)ありきなんだと気が付きました。
>>つまり期待に応えようとする意識が、相互に働き合うことで、規範意識の土台が形成され、更にその土台の上で観念化された社会規範を受容していくのではないでしょうか。 (960)
> 期待・応望の機能が規範意識を生み出す。
相手の期待・自己の応望が現実構文の内容であることを確認していれば、あなたは安心できるのでしょう。
期待・応望が現実であることを確認すれば、現実であるということで、我々はそれを否定できないですからね。
たとえ玉砕する羽目になったとしても、その理不尽はないでしょうね。
玉砕は、運が悪かったとしか考えられないでしょうね。
来るべき「〜しなきゃ」「こうあるべき」を取り外せば、我々はこの世で何でも決めることができますね。
それで良いのでしょうか。98634
> 確かに、自分の中で「〜しなきゃ」「こうあるべき」と規範を(固定)観念化したとたん、なんだかやる気なくなったり、すごく労力が必要な感じがしたり、しまいには、破たんしてしまったりします。
「〜しなきゃ」「こうあるべき」は、来るべき世界の有様とは考えられないからでしょう。
「〜しなきゃ」「こうあるべき」は、この世における嘘・偽りと考えられるからでしょう。
「〜しなきゃ」「こうあるべき」がこの世の内容であるならば、人々の言動は矛盾だらけになります。
現実は信じられないものになります。だから、ばかばかしい。やる気がしない。
もしも、「〜しなきゃ」「こうあるべき」が来るべき世界の有様として自分の中に規範を(固定)観念化できるのであれば、それは希望の内容に変わります。
だがしかし、日本語には未来構文がありませんから、自分の中に規範を来るべき世界の有様として(固定)観念化することは難しいでしょうね。
希望のない国。これが、我々の本当の問題です。98872
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何で新理論(構造認識)が必要なの?
98872 > 響きに酔わす旧観念か、実現のための新観念か
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/10 PM09 【印刷用へ】
> 何で新理論(構造認識)が必要なの?
> 49640 響きに酔わす旧観念か、実現のための新観念か
> 土山惣一郎 ( 45 山口 デザイナー ) 03/02/12 AM03 【印刷用へ】
>>「自由」という価値観念は、もともと統合階級の支配から逃れるための思想であったため、それ自体が最終解答であったかのような倒錯観念として人々に根付いており・・・<(49218:上田さん)
> 上田さんが取り上げている「自由」という観念もそうですが、、他にも、例えば「人権」という言葉を連発しては、これですべては解決したとばかりに自己陶酔に浸っている識者なる人たちの姿を見るたびに、私は背筋が寒くなる思いが拭えません。あるいは、「創造性」や「個性」という言葉が大好きな文化人や財界トップにしても、「早くその中身を話せよ」というこちらの思いを知ってか知らずか、一向に具体的な内容が出てきたためしもありません。
文化人や財界トップが「自由」「人権」「創造性」「個性」等という単語が好きなのは、気分・雰囲気を作るための合言葉であるからです。自己陶酔のための発言です。気分・雰囲気は内容・中身に直接関係がありません。その効果は、単語が作り出す気分・雰囲気により伝えられます。82144
> これらの例が雄弁に物語っているように、近代観念には、言葉の響きに酔わせるだけで、そこから先には進ませないというかなり深刻な性質が読み取れます。その意味で、『観念自体が最終解答』という指摘は、実に的確だと思います。
『気分・雰囲気が最終解答』であると考えられます。83747
歌詠みの目的と似たところがありますね。90820
> もっとも、思考ツールとしての観念の本分はどうなっているのかと首をひねってしまいますが、古代宗教や近代思想などの旧観念は、もともと、現実世界の問題を解決するためにではなく‘脳内充足’のためにつくられてきた訳で、そんな観念に前進力、つまり『答え』を出す力などあろうはずがありません。
観念は、実況放送・現状報告の内容ではない。つまり、現実離れのした内容であります。98634
現実構文 (現在構文) の中に現実離れのした内容を盛り込むと空理・空論となります。94286
日本語は、実況放送・現状報告のための言語です。観念を語るのには不適当であります。94159
現実構文の中の観念は、常に現実の中の気分・雰囲気を通して勝手に解釈されることになります。85449
「早くその中身を話せよ」と話者に要求する筋合いにはなく、聞き手の勝手な解釈が期待されています。
つまり、日本語においては、観念に関する単語が音楽などの非言語のように取り扱われております。95706
「'70年以降、思想は一貫して衰退していっている」という嘆きは、よく上の世代から耳にした言葉ですが、確かに、頭の中だけの充足のためにある思想(観念)なら、あってもなくてもどうでもいいことです。しかし、人間から観念を取ったら『木に登れないサル』同然ですし、私権統合の呪縛から解き放たれて、実現の可能性を模索する時代になったことは、若者たちを見れば一目瞭然です。先に進むか立ち止まるのかは、‘実現する=使える’新観念の習得如何だという気がします。
日本語は、思想・観念を表現する目的に馴染まないようです。82320
だから、日本人は『木に登れないサル』同然です。
新しい思想・観念を日本語で考えることは、サルが玉葱の皮をむくのに似たところがあります。
それで、我が国の大学生は、教養部で遊ばざるをえないことになります。国難です。83415
我が国の有識者・知識人は、英語で考える力をも養うべきです。93494
さすれば、学問も可能になります。サルから人間への進化も可能になります。
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アメリカ支配が続くのは、何で?
98820 > グローバリズム論議に寄せて
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/09 PM09 【印刷用へ】
> アメリカ支配が続くのは、何で?
> 24947 グローバリズム論議に寄せて
> 雪竹恭一 ( 38 大阪府 営業 ) 02/02/25 PM11 【印刷用へ】
> 当面21世紀の世界が、世界政府のような統合機関を持ち得ないとすれば、ECのようなアメリカに対抗しうるような経済同盟を結んで、力で対抗するか、orグローバリズム(アメリカ支配)から離脱し、独自の経済圏と経済秩序を模索するかしか基本的な方針はないはずです。実際、TVですら指摘しているとおり、このままグローバル化に巻き込まれてしまうのではアルゼンチンの二の舞になる危険性を多分に孕んでいると思います。私は、本源収束の基調にある日本のとるべき道は、市場原理優先→グローバリズム化からのいち早い脱却であり、それが基本的な国家戦略であるべきであろうと考えています。少なくとも、国際的にも議論になり始めたアメリカ支配のグローバリズムの危険性について、日本が率先して発信してゆくべきであろうと思います。
無哲学・能天気の日本人指導者には、率先して国際的に発信してゆくべきものは何もない。82879
そんなことよりも、日本が先の大戦で経験したような「アメリカの怖さ」を再び味わうことのないように細心の注意が必要である。98795
議論のできない人達は、常に言葉を慎まなければならない。98741
英米人は英語を使って考えるので、適・不適の判断が速い。97960
アメリカ人に理不尽と決め付けられて切り捨てられることが恐ろしい。94865
彼らは「力は正義」(Might is right.) であると信じている。97705
日高義樹は、<アメリカの怖さを知らない日本人>の中の<まえがき>で、下記の段落のように述べている。
「アメリカの怖さ」というと日本では、ウオール街の権謀術数や核兵器の恐怖、CIAの苛烈な行動などを頭に浮かべる人が多いだろう。しかし本当の「アメリカの怖さ」は、自分流に世界を変えようとする熱情、その変化を阻むものをためらうことなく排除する行動力、そしてアメリカが引き起こす変化に乗り遅れた人々を破滅させてしまう非情さにある。日本では最近、こうしたアメリカの奔馬のごとき変化を批判する風潮が強くなっている。「日本には日本のやり方がある。ワールド・スタンダードというのは、つまるところアメリカン・スタンダードではないか。アメリカの世界にだけ通用する基準に過ぎない。アメリカとは違うやり方で、もっと穏やかな生活を楽しもう」しかし、こう主張する人々が理解していないのは、アメリカの変化、あるいはアメリカン・スタンダードというのは、アメリカという国が国家の政策として推し進めているものではないということである。アメリカの変化は、個人主義を強固な基礎として個人の生活をより快適にすることをめざしており、国家という枠には閉じ込められない一種の信念なのである。「アメリカ教」という宗教であるといってもいい。、、、、、アメリカは第三次産業革命によって産業を効率化し、これまでにない競争力を手にしている。今後はこの武器を片手に猛烈な勢いでアメリカの仕組みを世界に押し広げようとするに違いない。何よりも厄介なのは、アメリカの人々がアメリカ的な能率と効率こそ世界の人々を幸福にすると信じて疑わないことである。、、、、、だがある意味でアメリカの行動がもっと恐ろしいのは、世界中の人々の生活をすべてアメリカ式に変えてしまうことが正しいという固い信念に基づいているからである。
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どうしたら、社会を変えられるの?
98795 > 「拒否できない日本」を読んで
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/09 AM03 【印刷用へ】
> どうしたら、社会を変えられるの?
> 98733 「拒否できない日本」を読んで
> 渡邊かお里 ( 33 神奈川 建築士 ) 05/10/08 AM04 【印刷用へ】
> アメリカは常に正しく、日本は間違っている。日本の制度は不公平である。だから是正するように。と日本政府は要求され続けてきた。談合や贈収賄などの不祥事をすっぱ抜き、マスコミをうまく使い、日本国内にもアメリカ親派、アメリカ流儀肯定ムードを作り続けてきた。
> マスコミを通して洗脳され続けている結果、アメリカは日本という大事な同盟国に対して悪いようにするはずがない。という感覚がどこかにあったのではないか。
> EUという対抗勢力を作り上げたヨーロッパ諸国や、巨大な市場を楯にアメリカとの駆け引きに臨む中国に対して、アメリカの温情を信じて何も手を打ってこなかったかのように見える日本は、共認社会の先進国として可能性を拓くどころか、今や孤立無援でアメリカの餌食になりつつあるように感じる。
> でも、それにようやく気付いたからといって、アメリカに負けないよう、国際社会で多数派工作して市場競争に勝っていくことが日本が目指す道ではないのだろう。
> 市場は縮小している。市場主義の限界・矛盾・破綻は明らかである。全ての側面に於いて共認原理に移行しつつあり、人々の活力源・可能性の所在、その意識潮流は動いている。そのシステムを一から創っていくことでしか根本的に問題を解決することはできない、ということを、リアルに迫る危機感のもと、改めて認識する。
我が国は、先の大戦で敗れたが故にアメリカの同盟国になった。98387
だから、哲学の内容において、日本人がアメリカ人と意気投合したわけではなかった。82879
我が国の民が無哲学・能天気であることは、今も昔も変わらない。82144
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。
民主主義と資本主義は、大ざっぱで広い解釈が可能なレッテルである。どのくらい広いかというと、日本の政治と経済のシステムにも冠せられるほどである。 、、、、、たしかに多くの日本人の観察者が建て前の裏に隠された本音を指摘していたし、一部の者は太平洋の対岸で育てられた幻想とは大きく異なって見える日本人の生活の諸側面を印象的に分析して見せた。しかし、日本の権力者たちはこれらの調査結果を受け入れる必要はなかった。彼らは、米国の歴代大統領が日米両国は共通の目的と価値観で結ばれていると言ったとき、ただうなずいていればすんだのである。
アメリカ人が日本について信じたがっていることをひっくり返すなど、日本政府や企業の人間には考えられないことだった。なぜなら、日本経済の成功の仕組みはアメリカが提供する戦略の盾があってはじめて可能になったからだ。 、、、、、だから日本の当局者は、日本がアメリカと相並ぶ民主主義国家であり、自由市場主義の経済を信奉するフィクションを公式に掲げ続ける以外、選択肢はなかったのである。
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閉塞の元凶は、個人主義
98752 > 「民主主義」その本質を問う
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/08 PM06 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 98729 「民主主義」その本質を問う
> 西谷文宏 HP ( 26 和歌山 建築設計 ) 05/10/08 AM02 【印刷用へ】
>'70年貧困の消滅によって、社会は序列・私権原理から共認原理へと転換した。民主主義が本来の共認原理の観念であったならば、人々は文字通り「社会の当事者」として、政治に参加してきたはずである。しかし、現実には思考停止し、完全に傍観者へと成り果てた。
市場主義→個人主義の政治的表現と言う「共認原理とは正反対」の民主主義、マスコミに共認形成の場を支配された現実において当事者意識など生起するはずがなかったのだ。
> 傍観者意識を打ち破って本能次元から芽生え始めた当事者意識。
その意識は、既存の民主主義の上での政治関心へと向かっている。しかし、現実の政治・共認形成と言う社会統合の場面は、「共認原理とは正反対」の独裁・支配体制。このまま、社会統合が共認原理へと転換しないまま支配され続ければ、人々は「焦り」から、どんどん目先へと収束し、社会は更なる閉塞(→破綻)へと追い込まれていく。
現実は目の前の出来事で、考えは頭の中の出来事である。83415
我々は現実構文を使って目の前の内容 (現実) を語ることができる、が、日本語には頭の中の内容 (非現実) を語る構文はない。82354
頭の中の内容を都合で現実構文の中に入れて語ると、現実と非現実の区別がつかず混乱する。98465
それで、日本人は現実直視ができなくなっている。97960
現実の内容ばかりを語り、頭の中の内容を語ろうとしない人は、思考停止の人である。85176
市民・有権者・当事者は、民主主義社会の中の傍観者ではない。
にもかかわらず、我が国においては、市民・有権者・当事者は思考停止の人であり、傍観者となっている。
それは日本語の特性であり、言語の力による。ある意味においては、これは仕方のないことである。98699
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。
市民は、政治的に重要である。上位者からのお達しを疑わずにただ服従することを要求される「被支配者としての国民」との違いは大きい。日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。
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その他(社会統合)
98741 > 団塊の世代も交流会へ!
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/10/08 PM01 【印刷用へ】
> その他(社会統合)
> 57154 団塊の世代も交流会へ!
> 長谷川秀樹 ( 50歳代 大阪 塾講師 ) 03/06/18 PM01 【印刷用へ】
> 60年代、70年代の第1次・第2次安保世代や当時の野党勢力は、豊かさの実現と同時に形成された「市民」という新しい階級の特性を把握しえず、したがって自分達の政治運動に取り込むことに失敗した。
市民 (有権者) の特性を把握しがたいことは、本当に残念なことですね。98699
> 「市民階級」についての大塚久雄や丸山真男らの学問的分析がすでにあったにもかかわらず、当時の政治運動家の頭の中には相変わらず労働者vs資本家という、古い図式しかなかった。
労働者vs資本家という、古い図式であれば、日本人は難なく受け入れたのでしょう。
源氏 vs. 平家というような、党派的な古い図式ですからね。
派閥争いは、序列社会 (縦社会) の住民のメンタリティ (考え方) にピッタリとしている。97858
> その結果、運動の一部は市民不在の武闘闘争へと先鋭化し、他方は政治運動から撤退して農業問題、共同体運動あるいは自然保護など、広い意味で生活者の視点で世の中を見つめ直す方向をとるようになった。
源平合戦ばかりでは、疲れますからね。
だが、晴耕雨読だけでも市民社会にはならない。
> そしてさらにその外縁部には、現実の生活を営みながら世の中の不全を根底的に見つめ直す行為を続けてきた多くの人々が存在する。おそらく中高年が交流会に腰が重いのも、上述した彼らの失敗体験が一種の足かせとなっているのではないか。
原因が明らかにされなければ、同じ事を何回も繰り返す可能性がある。84361
> 逆に言えば、不全感はより若い世代より圧倒的に長く抱き続けている、といえる。問題はその不全感を他者と分かち合う経験の機会がないままに30〜40年間もきたことである。交流会という新たな場によって、本の中の知識だけではなく、人との対話から生まれるより深い認識へと思考が上昇することによって、再び変革の兆しを掴むことができれば、世直しの大きな勢力となる事は間違いない。
実況放送・現状報告の内容を交換するだけでは際限がない。83662
「あるべき姿」の内容は、日本語では考え難い。82478
だから、日本人には議論ができない。つまり、交流会から期待できるものがさしあたりない。94775
それで、世直しのアイディアを得ることも難しいのではないですか。95237
月並みの方法では改革できないようです。82285
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