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その他(社会統合)
98699 > スイス人青年と話す事で、改めて実感した
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/10/07 PM08 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 46950 スイス人青年と話す事で、改めて実感した
> 橋本正雄  ( 40代 香川 エンジニア ) 03/01/03 PM06 【印刷用へ】
> 帰省帰りの高速道路サービスエリアでスイス人青年のヒッチハイカーと同行することになった。日本の学校に来て5年、関西でコンピュータグラフィックの仕事をしているという。
> 彼の印象であるが、今もって理解できないことに勤めている企業の意思決定機構がどうなっている分からないと言う。クライアントと打ち合わせしている中で良否がある訳でなく、本人には理解できない場所でその良否を含めていろいろな評価決定が為されるためだと言う。
> 彼は流暢な日本語を語れるし、CGの仕事の中に楽しみも持っている。厳しいリストラの中で「どうしようか」迷っているとも言うが、私のような初対面者であっても、その目で見てきた意見を語れることこそ重要な意識構造ではないかと改めて感じた。
> 誤魔化しや諂いをせず、ありのままを現実を開けると言う彼の姿勢を見習いたい。

日本人社会の意思決定の指摘に関して同感です。90612
日本語には、時制がない。
だから、現実構文 (現在構文) ばかりの言語と考えられる。82240
意思 (will) は、未来構文の内容である。82057
それで、日本人には明確な意思がない。82123
だから、外国人が日本人の意思を探るのは容易ではない。
意思に関しても、構文がなくては意味を成さないからである。81994
しかし、日本語文法に由来する問題は、個人ではどうしようもない。84641
言語問題を意識するとしないとに関わらず、考え方に対する自国語の力は強力である。
日本中の津々浦々にまで、お定まりの考え方が浸透している。84909
つまり、本当に個人では、問題解決の仕方 (方法) がないのである。 870
我が国の有識者・知識人が英語で考えることのできる能力をも持つことができれば、この事態は改善できる。83954
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。

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その他(社会統合)
98634 > 二枚舌
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/10/06 PM10 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 6522 二枚舌
> 馬場広式  ( 22 神戸 風俗記者 ) 01/07/21 PM11 【印刷用へ】
>>政治家、学者、文化人、マスコミと言った社会統合階級は、今や、地に落ちたと言っても過言ではない。話半分ぐらいしか耳に入ってこない。6519
> マスコミって二枚舌だと思う。「知識偏重」を批判しといてマスコミ就職試験なんか重箱を突付くような訳わからん、どうでもいいようなことを出題してくるし。

特に、有識者・知識人達は、矛盾した言動を慎むべきですね。82879

> 言ってることとやってることがすごく違う。だからうすうす「話半分」的な態度をみんな取ってしまう、なんて思ってしまったりして。

政治家、学者、文化人、マスコミは、信頼できないですね。88345
言ってることは「あるべき姿」、すなわち理想の内容でしょう。現実離れのした内容でしょう。84032
やってることは「今ある姿」、すなわち現実の内容でしょう。83225
現実と理想の内容は、同じ次元で語ることはできません。98465
それにも関わらず、同じ次元で語ると考えの混乱を起こします。98465
だがしかし、日本語には現実構文しかありません。95287
仕方なく現実構文の中に、現実と理想の内容を混合して入れ込むと嘘・偽りが生じます。94682
だから、我々は考えの内容に細心の注意を払う必要があります。82320

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。
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環境問題が解決しないのは、何で?
98541 > 学者を評価する場の必要性
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/10/05 PM06 【印刷用へ】

> 環境問題が解決しないのは、何で?
> 89351 学者を評価する場の必要性
> 小西康雄  ( 41 大阪 企画 ) 05/04/22 PM01 【印刷用へ】
> しかし、人々が知りたいのは、個々の学説が「正しい」か「間違い」かではなく、どうすればよいかという「答」、つまり今後社会のみんなでどう行動すべきかといった「社会規範」であろう。あくまで科学はそのための「手段」であるはずだ。
> 課題と答が忘れ去れ、学者達によって手段が目的化されたり、自己実現という課題にすり替えられていることが、環境問題に可能性が見えない最大の原因であろう。

「あるべき姿」の明確な内容を持たずに、「今ある姿」の変革を求めるのは賢くありませんね。92993
哲学のない社会では、ともすれば手段の目的化が行われがちです。95210
目的も考えずに、手段の優劣について盛んに議論する傾向があります。98364
「評価する場」というのは、「評価する頭」ということではないでしょうか。
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<儀式とおどし>の中で下記の段落のように述べています。

1960,年代や70年代初期ほどではないが、学生”デモ隊”の分隊が今も時々、大きな集会に参加しているのを見かける。彼らはまったく同じヘルメットをかぶり、似たような服装で、鋭い呼子と掛け声のリズムに合わせて、まるで恍惚状態のようにスローガンをとなえて行進する。そうしながらもまるで魔術のように彼らは密着した隊形をくずさない。胸と背中、肩と肩とを密着させ、わずかな間隔をおいて男子学生に女子学生が続く。長い列は、体をうねらせて進む一匹の蛇のようだ。世界中のどんなコーラス・ラインもパレードの部隊も、これ以上のお手本はないだろう。だが、学生は実質的なことを何も達成しない。また、はじめからそのつもりもない。デモのためのデモなのである。
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実現思考とは、何か?
98535 > 共認動物としての金銭感覚
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/10/05 PM04 【印刷用へ】

> 実現思考とは、何か?
> 1410 共認動物としての金銭感覚
> 今井靖明  ( 29 長野 営業 ) 01/03/15 AM02 【印刷用へ】
> 我々の日常とは(本来)、絶えず変化する環境――自然はもちろん、市場など同類闘争の圧力場も含め――に常時適応し続けるため、‘待ったなしの臨戦判断’の連続であり、西洋思想にいう「真理」のような完全なる静的世界は、観念の成立過程から観ても(元々は)我々の認識の対象外なのです。

真理を考えることは大切ですね。その内容により個人は区別されるのではないでしょうか。85516
現在の地球は英米の世の中で、個人選びはやはり世界観によるものと考えられます。82123
日本人が国際社会で活躍するためには、真理は何かを指し示すことのできる人物であることが必要であると考えられます。85831
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<リアリティの管理>の中で下記の段落のように述べています。

融通性に富み、相対的で、話し合って決めることができる日本の真理。あり余るほどあるとされる理屈。強靭な知的伝統の欠如。管理者 (アドミニストレーター) への法の屈従。無節操を受け入れるどころか賞賛すること。これらのすべてがいうまでもなく、互いに原因となり結果となって絡み合っている。これらは、日本の力の行使におけるもっとも重要な決め手であると筆者が述べた論点を強めている。すなわち超越的真理や普遍的価値に訴えるという伝統の欠如である。現存する他の文明においてはみな、社会・政治的な関心を超越した真理の存在を認める宗教や思想体系を発達させてきた。しかし、日本では神道も仏教も役に立たなかった。
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実現思考とは、何か?
98465 > 事実追求で固定観念をはがしていく
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/10/04 PM02 【印刷用へ】

> 実現思考とは、何か?
> 98456 事実追求で固定観念をはがしていく
> 松本之恵  HP ( 26 千葉 OL ) 05/10/04 AM08
> 生まれ育った家や環境で当たり前だったことが実は当たり前じゃなかった! と気付いた瞬間は、頭の蓋が外れたような開放感、脱力感が伴った。強迫観念に近いような強烈な『こうあるべき』も、事実ではないことを知るとすっと楽になれる。

「あるべき姿」は理想であって、現実とは異なる次元の内容ですね。82879

> 特に子どもの頃は、こちらが事実を知りたいと思っても力足らずで調べきれなかったりして、わからないことはたくさんある。また社会に出る前の家庭の中には、想像もしがたいほどの特殊要素がたくさんあり、固定観念などないと思っていても知らず知らずに頭の中に植え付けられていることはたくさんあると言っていいと思う。
> 高校卒業して家を出て、大学卒業、入社と経るなかで廻り合ったたくさんの人に固定観念をはがしてもらった。自分ではがせたものもあった。その度によりフラットに身軽に、柔軟になっていけている。最近は子どもの頃を振り返ると、『しなければならない』がたくさんあって悲壮感があったなあ、と思うとともに、これからどんどん身軽になっていろんな人に活力を分けてあげたいと思う。

「あるべき姿」を「今ある姿」に変えなくてはならないと強く思い込むと悲壮感が湧きます。82320
強く思い込むのは、「あるべき姿」と「今ある姿」を同じ次元の内容と考えるからではないでしょうか。83909
お互いに別世界の事柄だと考えたら良かろうと考えます。

>>常に事実を追求するという意識でいる限り、固定観念化=価値観念化することはない。事実を追求し続けるということの重要性を改めて感じている。<<(92202 事実の追求)

固定観念も価値観念も観念に属し、事実ではないですね。これらは形而上のことですね。
事実に固執している限り、我々日本人に迷いはないですね。82057
だが、日本人には、形而上の内容「あるべき姿」を形而下の内容「今ある姿」に混入する性質がありますね。
日本語には、現実構文 (現在構文) しかないからです。82193
それはで、悲壮感が湧いてきます。考えの上での混乱は、どうにもならない事柄ですからね。93381

> 事実の追求をし続けることで今ある観念を固定化しない。さらに今まで固定化してしまった観念をも取り去ることができる。そうすればより柔軟に、状況に即応して外圧を捉え、活力を持って実現可能性に向っていくことができると思う。

事実の追求ばかりでは、「それで、どうした」の問いに答えることができません。84217
答えが出せなければ、事実の追求がエンドレスになる。
だから、自己の観念は適当に固定化されていないと困りますね。
つかみ所のない人間になります。信頼できない人間になります。82478
「あるべき姿」に向けて「今ある姿」を近づけようと努力するのが、我々の人生であると考えます。87211
だが、日本人には「あるべき姿」と「今ある姿」を並置して考えることが難しい。83459 ただ、混乱あるのみ。
それが、我々の根本の問題であると考えます。82285
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
98364 > マスコミの愚行を挙げればきりがない
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/10/02 PM04 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 38221 マスコミの愚行を挙げればきりがない
> 辻一洋  ( 36 北海道 企画 ) 02/08/19 PM10 【印刷用へ】
> しかしマスコミもテレビ番組にやらせが多いことや紐付きであることは広く知られており、この不全に対して全く答えを出せないことから既に大衆の信頼は失っているのだ。
彼らだけがそのことに気づいていない。気づいても所詮それ以上の思考はできない。
人々にとってマスコミはただの暇つぶしであり、利便情報程度にしか評価しておらず、新しい認識は他の場で探し始めている。

日本人の知的低水準がマスコミの信頼性を失わせている。82476
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<儀式とおどし>で下記の段落のように述べています。

日本のマスコミは概して、左右両陣営に対し高みの見物の態度をとり、問題の扱いに必要な知的能力が欠如していることをまざまざとみせつけている。メディアは”道徳教育”復活のもくろみに対して、相当な懸念を示してきた。しかし、冷静な議論に役立ちそうな論点を知的な言葉で説明したことはなかった。

> 実際すでにあちこちのサイトでマスコミ不信の声を聞くことができる。彼らが隠蔽してきたこともネットならオープンにできる。

同感です。ネットでオープンにしてゆきましょう。リンク
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<ジャパン・プロブレム>で下記の段落のように述べています。

日本について述べる多くの評論家が、価値判断と決められかねないことについて言及するのは、これまで極力避けてきた。だが、筆者の立場からすると、なんらかの信念と究極的につながる価値判断をぬきにして、意味のある政治的な議論を展開できると考えるのは、幻想にすぎない。客観性を保つためには、できるかぎり偏見を入れない注意がつねに必要だが、テーマの選択そのものにその人の関心事がすでに反映されている。これは必ずしも偏見とはいえない。たしかに多くの事が比較の問題だろうが、望ましい生き方の基準はたしかに存在するし、選択はしなければならない。自分の属する社会で、一人の人間としてどこに自分を位置づけるかが、運まかせであってはならない。
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どうしたら成果を上げられるの?
98352 > 責任にこだわる無責任
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/10/02 AM04 【印刷用へ】

> どうしたら成果を上げられるの?
> 57792 責任にこだわる無責任
> 矢ヶ崎裕 HP  ( 28 長野 経理 ) 03/06/27 PM10 【印刷用へ】
>>「自己の確立」「自分が原点」「まわりに惑わされるな」「自分の意見を持て」などは近代以降、私権の獲得競争が大衆レベルまで広まった時期に唱え続けられ、自他を区別しない思考は前近代的なものとして蔑視され排除さてきました。(57593)

未来構文を使うと、その内容の違いにより自他の区別が明らかになります。82180
現実構文の内容による自他の違いは、事実誤認の存在を疑われるものとなります。

> 学歴や出世に価値を見出して、愚直に歩んできたオジサン達ほど、「責任」という言葉に敏感だ。仕事の中身も、自分の「責任」をはっきりさせて、そこに全力を投入する。逆に言えば、ほかに目が向いていない。

意思のない愚直の個人に責任を問うことは難しい。子供に責任を問うようなものである。82193
英語の責任 (responsibility)は、文字通り、「応答 (response)の可能性 (ability)」で、責任者個人の意思が明らかでなければ、筋の通った対応は困難になる。

> 彼らから見ると、「自他」の区別があいまいで、何をするにも「みんな」で動く若者達たちの行動は、「責任放棄」以外の何者でもないらしい。

「みんなで渡れば怖くない」ということでは、とかくこの世は無責任となる。84432
「自他」の区別があいまいでは、責任の所在が明らかにはならない。

> しかしよく考えてみれば、自分の分担外のことは知らぬ存ぜぬ、秘書が悪い、部下が悪い、あいつが悪い、と他人のせいにして傍観者を決め込む方が、よほど無責任ではないか。

日本語には、時制がない。82320
だから、その発言は現実構文 (現在構文) ばかりの陳述となる。
現実構文の内容は、実況放送・現状報告の内容になり、発言者は傍観者となる。94960
傍観者ばかりの社会は、とかくこの世は無責任となる。91717

> これまでは、何か問題が起きたら、誰かに責任の所在を固定することで、「解決」したかのように看做してきた。しかしこれでは、水に流したも同然で、中身の解決にはなっていない。

意思 (will) は未来構文の内容である。
だが、日本語には、未来構文はない。
だから、日本人は自分に関しても、他人に関しても、意思の大切さに焦点を合わせることがない。
個人が違っても意思に違いが見られないのであれば、適当な個人を責任者として選ぶことも難しくなる。

だがしかし、問題が起きれば、事態に対処しなくてはならない。
意思のない個人が対処を余儀なくされれば、受身の行為となり、させられ体験に煩わされることになる。82242
問題解決が順調に行かなければ責任問題となる。
意思がない行為であれば、責任者も名ばかりで犠牲者でもある。
「責任者を出してはいけない」は「犠牲者を出してはいけない」という意味にもなる。
調査により責任の所在を明らかにすることができるか。
それとも、当事者個人を自己の意思に反して無理強いされた人間として守ることができるか。
いずれにしても、水に流したも同然で、中身の解決にはなっていない。82504

> 「責任を全うする」ことが活力を生んだ時代は、もう終わった。分担に固執せず、みんなで考え、みんなで取り組んだら、同じ仕事も仕事仲間さえも、違って見えてくるし、成果も上がるはずだ。

「責任を全うする」には、個人の意思が明確化され尊重される基礎 (個人主義) が必要である。さもなければ、効率のよい責任者そのものが成り立たち得ない。83415

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本・権力構造> (The Enigma of Japanese Power) の<世界にあって世界に属さず>の中で下記の段落のように述べています。

アメリカ政府はとくに、中曽根を含む日本の歴代首相との交渉を通し、日本の場合には、政府の公式首長であれ他の誰であれ、実効性のある交渉は不可能だと気づかされた。他の多くの国も今世紀を通して分かったのは、日本の交渉者とは実質的な交渉はできないということだった。日本の交渉者が交渉不能なのは、交渉者のどんな言葉に対しても本国で反対される可能性がつねに存在するためだ。この難しさが、日本に対する戦前の欧米諸国の態度を大方決めたのだった。ある日本外交史の専門家が要約するように----------------
戦前の日本ほど、国際的信頼を得たいという強迫観念にかられながら、世界中から信頼されなかった国はない。交渉の失敗を考えることすらこわがっていたにもかかわらず、日本の指導者も交渉者も交渉は最小限にとどめたし、考えもこり固まっていたので、非難されることは必然的だった。 ----交渉という交渉で、指導者も外交官もあやまちをくり返すまいと意識して努力したにもかかわらず、結果は何度も何度も同じ落とし穴に落ち込んでしまうのだった。
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
98265 > まともに考えることすら出来ない
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/10/01 AM06 【印刷用へ】

> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 85297 まともに考えることすら出来ない
> 久保田彰子 HP  ( 27 福岡 OL ) 05/02/07 PM09 【印刷用へ】
>>今や、日本人の大部分は不安と閉塞感に囚われ、多かれ少なかれ滅亡の危機を感じ取っている。しかし、感じているだけで何もしようとはしない。・・・・・・・・・いったい、どうしたと言うのか? なぜ誰も考えず、何もしようとしないのか?(実現論3_5_01)

「我思う。ゆえに我あり」と言われている。82285
日本人の「思う」は「感じる」ことである。
英米人の「思う」は「考える」ことである。
「考える」とは、この世の「あるべき姿」を考えることである。
これは難しい。高等教育の段階である。82320
「あるべき姿」を持つ人は、それを基準に使って、この世の有様を批判できる。
批判を解消するための改善努力にも道筋がつく。93149

だがしかし、「感じる」のには、基準はいらない。
ただ、自己の感じを述べるだけでよい。
何か自分の発言に矛盾があって、それを他人に指摘されたら、「だって、本当にそう思った (感じた) のだからしかたがないではないか」と答えればよい。83850 これは、歌詠みと同じである。
論理を気にしない。矛盾を気にしない。洞察力もない。 我々日本人が昔からやってきたことである。82144
ただ感じるだけで終わりとなる。ああ、空しい。97312
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どうしたら、社会を変えられるの?
98123 > 積極的な意識改革を
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/09/29 PM03 【印刷用へ】

> どうしたら、社会を変えられるの?
> 128 積極的な意識改革を
> 滝澤秋行  ( 101   ) 01/02/13 PM07 【印刷用へ】
> 精神的存在の価値を忘れ、物質的欲求ばかりにとらわれがちの現代において、根本からの意識改革が求められているのだと思います。マスコミによる伝達手段が一番手っ取り早く、簡便な手段ではあるのですが、マスコミも又現代においては本来の役割を見失い、ゴシップニュースを報道することに東奔西走しているのが現状でもあります。

意識改革が必要ですね。同感です。
ただ、何が望ましいかを述べつづけるだけでは、総論賛成の神頼みにしかなりません。言霊信仰か。94960
同じことの繰り返しでは、どうにもなりませんね。

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<世界にあって世界に属さず>で下記の段落 (1),(2) のように述べています。

(1) 新聞や著名な管理者 (アドミニストレーター) が発する説得は、日本中がある種の問題に心を奪われていることを証明しているかのようだ。しかし、なにかについてなにが望ましいかを述べつづけるだけでは、議論とはいえない。このことは、実態をじっくり検討してみると、よく判る-----だれもかれもが発言内容に心から賛同しているかのように見えるのだ。

> 既存のマスコミに頼ることはできないのであるならば、自分たちの手で変えていくしかありません。政府に訴えても埒があかないのであるならば、国民に直接独自の出版による改革意識の植付けを行うしかないのではないでしょうか。出版にこだわることはなく、インターネットが爆発的に普及し、それを使わない手はありません。まずはこうした一歩一歩の地道な作業が、後々実を結ぶと思います。

同感です。
真に考える人になるのには、自分の立場を明らかにして相対立する技術が必要です。83749
そうすれば、実質的な議論ができるようになります。84116
単に感情のはけ口だけを求めるのは、歌詠みの伝統でしょう。82615

(2) 天下り制や「受験地獄」が毎年虫干しのようにきまってマスコミに大きく登場させられるのを見れば、このようなお定まりの説得には、感情のはけ口 (カタルシス) としての役割があるのは明らかだ。実際、はけ口を作ることは真の問題解決の代用である。欧米諸国で見られるような討論は日本には存在しない。そこでは知識人や政治代表が、それぞれ自分の立場を明らかにして相対立する意見を交わす過程を経て、妥協が成立したり、市民全体を啓発したり、とりわけ政策を変更するようになる。ほんとうの意味での実質的な議論は日本にはないのである。
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潮流1 共認充足の起点(仲間収束と充足基調)
98071 > 解脱過程だけ共認原理に転換って変?
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 05/09/28 PM11 【印刷用へ】

> 潮流1 共認充足の起点(仲間収束と充足基調)
> 96033 解脱過程だけ共認原理に転換って変?
> 平野令 HP  ( 41 大阪 建築家 ) 05/08/15 PM02 【印刷用へ】
> いまから思えば、「三無主義(無思想、無感動、無気力)」「しらけ世代」「新人類」と呼ばれた我々'80年世代は、「何か面白いことない?」という‘挨拶・合言葉’とともに、'70年に始まった【序列原理⇒共認原理】への転換を体現してきた。悪く言えば「世の中(私権は)なんとでもなる」と舐めて過ごしてきたのだと思います。

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本・権力構造> (The Enigma of Japanese Power) の<リアリティの管理>の中で下記の段落のように述べています。

日本の知的伝統の貧しさは、例の熱意を欠く機関---つまり大学---に反映されている。日本の学生のもっとも際立った特徴は、一般的に見られる無感動だろうが、そのことを知ってもだれも驚きはしない。筆者は早稲田大学などで教えたことがあるが、学生が知的な追求のおもしろさを発見するとしても、それは彼らが自分で発見するのであって、学生に知的な影響を喚起するような教授はまれである。高校と同様、知力を育てて拡げるという意味での教育はほとんど存在しない。日本の一部の大学教授が知的な案内人として機能していても、それは親切心からで、そういう役割があると期待されているからではない。学生のうち比較的才能に恵まれたものの多くは、極端な虚無を経験することになる。82320
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