マスコミによる共認支配の怖さ
94682 > 社会不全を隠蔽する支配装置
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/17 AM03 【印刷用へ】
> マスコミによる共認支配の怖さ
> 38254 社会不全を隠蔽する支配装置
> 越見源 ( 37 大阪 都市計画 ) 02/08/20 AM00 【印刷用へ】
>>つまりマスコミとは単なる現実の傍観者で在るばかりではなく、もっと性質の悪いことに、現実の一部を切り取ってそれを面白おかしく針小棒大に語る、三文小説的脚色家なのだ。37953
日本人の生活・人生そのものを表しているかにみえる。まさに伝統的な浮世の有様ではないか。
実況放送・現状報告の内容に、自分自身の勝手な解釈を加えて面白おかしく針小棒大に語る。
> 例えば、鈴木宗男に始まり田中真紀子へと至るこの間の政治問題にしろ、長野県知事選の報道にしろ・・・真剣に突き詰めれば今の社会が孕む社会不全の深層に迫り得る切り口を見出すことができるであろうはずなのに、本質問題とは無関係の、単なるスキャンダル・・・まさに「火事と喧嘩」的な代償充足ネタに摩り替えてしまうあたりにマスコミの危険性を感じる。
「火事と喧嘩」は、日本人の注目するところである。
無哲学・能天気では日本病の病因に迫ることは難しい。82144
> 単に情報を操作するだけでなく、問題の本質をぼかし、その構造に迫り皆が求める答えを導くという生産的行為の可能性を摘み、単なる解脱行為、情報の消費的行為に堕落させる(=頭を使わせない)罪悪。
罪悪とまではいえないのではないでしょうか。と言うのも、日本人には本質を究める能力がないのです。
文化の枠組みは、それを動かしている個人とは別個の存在として見ることが必要である。こうした個人がこの枠組みを作ったのではないし、個人がそれを変えるべきだとは思われていないし、したくても多分できないだろうから、個々人は直接に枠組みの性格には責任がない。
> 必然的に我々は、情報や社会共認というものに対して受身であることが当たり前と思い込み、マスコミを批判し不満を口にするくらいが限界で、決して自分達の手で社会不全の中身を解明し、新たな答えを求めよういう発想は生まれてこない。
> ・・これでは相手の思う壺だ・・・
意思が無ければ、万事受身にならざるを得ない。82242
> マスコミの垂れ流す情報が、どのような問題意識であれ、結局は旧支配観念のばら撒きに陥らざるを得ないことも含め、マスコミというものは、社会不全の顕在化を阻み、社会統合の場を万人から奪うための支配装置の一つであると言わざるを得ないのではないか。
自分自身の基準が示せないのでは、マスコミの垂れ流す情報は言葉の羅列になる。社会の不具合を明確に示す能力はない。無能力が支配装置ということになるのか。82251
> この支配の鎖を断ち切るためには、まず第一に、社会共認や答えというものが、誰かから与えられるものであるという固定観念を破壊することが必要であり、その為には、束の間の代償充足に浸り、あるいは不平や不満を並べ続けるよりは、自分達の力で何とか答えを導こうとすることのほうがよほど可能性と充足感に満ちているし、決して不可能ではないという事実と、それを体現した認識形成の場の存在を知らしめ、広げて行くしかないと思う。
洞察力には「あるべき姿」の内容が必要である。82180
「あるべき姿」があれば、「今ある姿」との比較により現実批判が可能となる。
自分達の力で「あるべき姿」の内容を導く可能性があれば満足感がえられる。
「あるべき姿」がなければ、不平や不満を並べ続けることになる。浪花節風か。
「あるべき姿」の内容は、現実構文以外の構文で語られなくてはならない。82285
さもなければ「あるべき姿」の内容は、現実の中の嘘・偽りとなる。
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素人に、何が、どこまで創造できるか?
94602 > 新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/16 AM05 【印刷用へ】
> 素人に、何が、どこまで創造できるか?
> 25431 新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
> 四方勢至 ( 老年 京都 編集 ) 02/03/02 AM02 【印刷用へ】
> 30年来の思想不信によって、古代以来連綿と精練されてきた言葉群が、全てダメになり、捨象されて終った。
日本語は、現代生活を送るための言語機能が足りない。94251
> 新しい言葉=実現論も荒削りで未だ普遍性を獲得していない。
実現の方法を獲得するには、意思が必要である。94286
> 現代は、言葉が崩壊し、言葉が捨象されてゆく時代であり、そこでは新しい言葉も弱い力しか持ち得ない。
日本語は、国際語には成りえない。93613
> 例えば、若者は明らかに言葉を捨てて仲間に向かっている。
言葉が大切である。言葉を捨てれば、人間はアニマルになる。85176
> とすれば現状は、言葉よりも仲間(共認orつながり・広がり)の方が引力が強いという事は、疑う余地がない。
なーなー主義の復活でしょうか。90887
> だからこそ、知人連鎖でなければ言葉を伝えられず、人と答えが一体のまつりでないと人は集まらないのだ。
島国根性の永続でしょうか。IT時代もなんのその。84909
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国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?
94468 > 「社会統合のプロ」の存在が、問題なのです
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/14 AM05 【印刷用へ】
> 国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?
> 6398 「社会統合のプロ」の存在が、問題なのです
> 岡田淳三郎 ( 60代 大阪 経営 ) 01/07/19 PM10 【印刷用へ】
> 私が問題にしているのは、社会を統合する上で決定的に重要な共認形成の場を占拠して、一方的に支配共認を撒き散らし、人々を染脳教育している学者や文化人やマスコミetc社会統合階級の存在です。
同感です。
> 大衆によって構成される社会は、当然、大衆(=素人)によって担われるべきであり、中でも決定的に重要な統合(とりわけ共認形成)の仕事を、「社会統合のプロ」が担っているのは根本的におかしいのではないか、その社会統合という仕事を大衆=素人の手に取り戻そうというのが、私の主張です。
学者や文化人やマスコミetcは、日本国民の要望に応えて洗脳しているのでしょう。82504
日本人は、自分自身の意見を持つことが非常に難しいので、この状態も無理からぬことでありましょう。82285
> それに対して、社会統合の素人も、社会統合という領域以外の仕事の世界では夫々にその道のプロであるという主張は、議論を混乱させるだけではないでしょうか?ここでは、社会統合“外”の仕事のプロを素人と呼んで、その素人の社会統合への参加の可能性を探求しているのですから。
考えるプロと、考えないプロのいることは、おかしなことですね。
おそらく誰も英米人のように深くは考えていないのではないでしょうか。86547
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学校って、必要なの?
94438 > 全国共通テストについて思うこと
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/13 PM09 【印刷用へ】
> 学校って、必要なの?
> 94426 全国共通テストについて思うこと
> 佐藤英幸 HP ( 42 新潟 塾長 ) 05/07/13 PM04
> 中山成彬文部科学大臣によって、2006年度から全国共通テストが実施されることが濃厚なったが、その主旨は、
> ●生徒に競争原理を導入する。
> ●生徒の競争原理という第一点目への指摘すべき論点は、個人と集団の私権的活力低下をいかにして乗り切るかという 発想(旧い発想)→私権原理・序列原理のベクトル上での答えとして正答(旧い答え)で閉塞するかどうかであり、過競争の危険性を取り沙汰しても1960年代から一歩も前進していない(旧い批判)。それすら見抜けないようでは、マスコミは構造認識を持ち合わせず第一権力者の座から滑り落ちてしまったと言うほかはないのだろう。
日本人には「上と見るか、下と見るか」の判断力しかないのであるから、競争は没個性的な同次元序列の格差検出になる。
封建時代の身分制度を抜け出すための手段として、人びとは厳密な格差検出を歓迎したに違いない。没個性は、厳密性を裏付けていたに違いない。82942
現今の競争について、何が過当競争であるかを言い当てるには、批判の基準となるものが必要である。
が、それは誰からも示されていない。
教育基本法の第一条・教育の目的には、「、、、、、 個人の価値をたつとび、、、、」と書いてあるが、個人の価値がはたしてどのようなものであるか理解している人は少ない。日本式の解釈では、個人は単なる自己利益の単位といったものか。82123
「人格の完成」も、人は人格、車は車格といった格差検出に関する確定なのか。
競争であっても、ロボット・コンテストの方が、まだ製作者の個性が発揮できる。
「、、、、、個人の価値をたつとび、、、、」は、「、、、、、人となりの価値をたつとび、、、、」ということである。
没個性の社会における個人主義教育など成り立つはずもない。82504
この矛盾をものともせずに教育に励めば、歴史は何度でも繰り返す。
右から左への機械的な英文和訳では、英米人の考えは理解できない。93128
後進国における、輸入文化の悲劇である。自国語であっても、何を意味しているのか分からない。82476
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これからの消費はどうなるの?
94416 > 物では無くなった。
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/13 AM10 【印刷用へ】
> これからの消費はどうなるの?
> 94406 物では無くなった。
> 村田育男 ( 27 大阪 会社員 ) 05/07/13 AM00
>>’00年、私権観念(「お金第一」「自分第一」で社会のことなど関係ないという観念)が崩壊し、一気に社会不全が膨らむと、遂に「豊かさ追求」という目標共認も溶解し始める。そして、「物的な豊かさ」という目標が溶け崩れて、初めて『必要か、必要でないか』という真っ当な判断基準が潜在思念の奥から姿を現してきた。(33821)
> 物的な豊かさ追求は崩れ、真っ当な判断基準が、健在化してきている。
その判断基準の変化を明確に掴みとる認識力が、これからは何よりも必要だと感じました。
生活にゆとりができてはじめて、人は礼儀に心を向けることが出来るようになる。
これは単に現実の有様を述べたものであるが、人間には「あるべき姿」の内容が必要である。82478
日本人の礼儀は、礼儀作法により示される。
日本人の礼儀作法は、序列作法である。
序列作法は、序列社会では有効であるが、序列なきところでは礼儀なしである。
日本人が序列に執着するのは、日本語に階称 (言葉遣い) があるからである。81182
外国人には階称の習得が難しい。82373
逆に、日本人は階称を失うと、判断の基準そのものを失うことになる。
日本人は、理性判断 (rational judgment) はいまだ習得不能の状態にある。81994
日本人は、階称を失うと序列判断 (hierarchical consideration) も使用不能になる。82193
日本人は、英語の習得をも心がけて、非理性の世界から脱出すべきである。82097
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テレビが面白くない理由
94347 > あんなコメンテイターはもういらない。
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/12 AM04 【印刷用へ】
> テレビが面白くない理由
> 94337 あんなコメンテイターはもういらない。
> 藤川優 ( 55 大阪 会社員 ) 05/07/11 PM11
> 昨今、テレビのニュース番組やワイドショーなどにコメンテイターというものが登場するのが定着している。あのコメンテイターという人々は大学教授・弁護士・元警視庁○○などの肩書きを持つ文化人たちだが、視聴者に迎合した発言をしていないだろうか。万人が「ふーん。」と納得するようなコメントを発しようとしているように見える。
同感です。88345
> 本当はもっと裏事情や裏工作があることを知っていながら、これを言ってはまずい、関係省庁や企業からクレームいがくるからという自己規制が働いてそれはしゃべらない。自己保身のために言えないものを抱えているように見える。そして一般常識的な無難な発言に終始する。「やれやれ、これで今日も無事に切り抜けた。失敗しなかった。」と、吐息をついて帰路についている様子が目に浮かぶ。
そうでしょうね。
自分に基準の無い人が、他人を批判できるはずがない。82251
彼らは、言えないものしか抱えていない。
> それならもう文化人のコメンテイターはいらないのではないか。確かな取材と調査をしている機関の人間をよべばよい。真実のこと、現実のことをありのままに伝えようとする人が出て欲しい。
真実のこと、現実のことの無い国はない。だが、いろいろな事情で「あるべき姿」を語ることの出来る国は少ない。
我が国も、その一つである。また、「あるべき姿」を語ることなく、真実のこと、現実のことを語りだしたら、それこそエンドレスである。82504
> 視聴者はテレビや新聞などのメディアから、無意識のうちに歪んだ、あるいは偏った常識というものを当たり前のように押し付けられている。こういった番組を続けていく限りテレビが面白くなることはないだろう。
歪んだ、あるいは偏った常識をゆがんだもの、偏ったものとして論ずるには、真っ直ぐなもの、あるいは普遍なものを語る必要がある。それらを基準にとって、はじめて歪んだ、あるいは偏った常識を指摘することが可能になる。だがしかし、この基準は即物的ではない。基準は個人の考えであり、この世の有様ではない。形而上である。
日本語には現実構文しかなく、実況放送・現状報告の内容に類するものしか語ることができない。だから、この世の基準は語れない。基準を現実構文に入れて語ると、それは現実離れしているので実感が湧かない。だから、人々はその基準を信じることができない。それで、日本人は、ものごとの基準を語らない。テレビが面白くないのは、個人が面白くないからである。個人が面白くないのは、個人の考えがこの国では通らないからである。この現象を個人主義が無いという。82180
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現代意識潮流を探る、その深層には?
94286 > ウォッチングからトーキングへ
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/11 AM03 【印刷用へ】
> 現代意識潮流を探る、その深層には?
> 56975 ウォッチングからトーキングへ
> 柳瀬尚弘 ( 30 神奈川 建築設計 ) 03/06/14 PM11 【印刷用へ】
> 先日、仲間とどこでも営業で出会った大学生の女の子は、「今楽しいことは何?」と言う質問に「一人でボーっとしてる時間」と答えた。と言っても、世を儚んで引きこもっている訳でも、人嫌いな訳ではない。
> 話しかけられるのを楽しみ、お礼まで言う人はそんな意識が高い人なんだと思うと同時に、もはや皆観察には飽き足らず、話たがっているんだということを改めて感じた。
事実は、御唱和の世界の産物であるが、未来構想は、個人の世界観の産物である。
希望は、未来構想の中にある。そして、事実は現実構文の内容であるが、未来構想は未来構文の内容である。
現実構文ばかりの日本語を使っても、現実直視が妨げられるのは皮肉である。が、これは雑念による。
未来構文の内容は、空理空論ばかりとは限らない。個人の英知・洞察力も含まれている。
だから、真偽のほどを確かめるための議論が必要になる。
> 今広がっている交流会やどこでも営業は、若い女の子を中心に顕在化してる意識の変化の何歩も先をいって、観察から会話へと踏み込むことで、更に楽しいことを実践しながら、街の人々の関係にも、少しづつ現実の変化をもたらしてるんだなと思う。
意思の無いところに社会変革の方法は無い。
意思 (will) は、未来構文の内容である。
日本語には、未来構文が無い。
だから、日本人は閉塞感に襲われやすい。
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学校って、必要なの?
94251 > 誰もが教えれる勉強こそ、子供達が必要としている勉強。
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/10 PM04 【印刷用へ】
> 学校って、必要なの?
> 94210 誰もが教えれる勉強こそ、子供達が必要としている勉強。
> 清水志保 ( 23 大分 会社員 ) 05/07/09 PM10 【印刷用へ】
> 「現実の社会で生きている親や大人に聞いても解らないこと」=「現実の社会では使わないこと」=「勉強しても意味の無い事」と繋がりはしないだろうか。
> 大学を卒業し、これまでの学校生活を思い直してみると、勉強することはとりあえず社会人になるためのパスポートみたいな物に過ぎず、実際は殆ど使わないことばかり教えられてきたなぁ。というのが本音である。
我が国の大学の存在価値は、我が国にも大学があるという上辺だけの印に過ぎない。
というのも、哲学的な話は、日本人には馴染まないからである。82504
> 当時は、学校の授業云々よりも、友達に会ったり部活に参加する為に登校していたと言っても過言でなかったし、授業その物に価値を見出したことは無かったように思う。
大学で教える学問は、英米人の学問である。
哲学的な話は、日本人には馴染まない。82476
日本人には、理解できないし、役にも立たない。82285
> 学校外では学校で習ったことを使う機会は殆ど無かったし、やらなきゃいけないのは何となく感じるけど、何で大人になる為にこの勉強が必要なんやろう…。と、何度も思った。
大学で教える学問は、英米人の学問である。83201
日本人には、理解できないし、役にも立たない。82354
彼らの学問は、英米人の判断力を養うものである。
彼らは、大学を卒業すれば、社会人として一人前になれる。
大学院を終えれば、専門家にもなれる。
かれらは、外国においてさえも指導者となれる。82373
彼らの知力は、我が国においても教師・指導者となるだけの価値がある。
我々の田舎にも多数の外国人が滞在しているが、外国人といえども英米人以外には判断を頼むことは無い。82320
> 社会に出て実際に使うのは、例えば相手にどれだけ同化する事が出来るかなどの、机の上だけで考える勉強とは全く違うかたちのモノ。
> それならば、小さい頃から親の、そして大人の働く現場に居ながら双方のやりとりをずっと見ている方が学ぶ事はありそうだ。
実社会に出て実際に使うのは、実学 (技術) です。
> 現実の社会では使えないものばかりを詰め込まされる勉強は、教わる方も教えている方も、いつかは活力が出なくなる筈。
> 総合的な学習という科目が、授業に組み込まれ始めたのも、そういう意図が少なからずあるのだろう。
同感です。
> 現実の社会で役立つ教育は、現実の社会の中でしか出来ない。
> 学校という密室空間ではなく、社会に出た教育が子供達、そして先生達にも必要なのだと感じる。
哲学的な話は、日本人には馴染まない。日本人の社会は実学しか受け入れない。83249
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仲間で会社を作るには?
94239 > 社会の役に立つ会社とは?
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/10 AM10 【印刷用へ】
> 仲間で会社を作るには?
> 94192 社会の役に立つ会社とは?
> 小林有吾 ( 25 東京 会社員 ) 05/07/09 PM09 【印刷用へ】
> 社会の役に立つ 会社とはなんだろうか?
社会の需要に応えない会社は消えてなくなります。
> 人々が物的な豊かさを求めていた時代、それは、明確だったのでしょう。つまり、「より物的に豊かになるものをつくること」
即物的なことは、どこの国でも同じだと思います。
> 理由は簡単で、本能的な物的欲求は満たされてしまったから。
> 目標を見う失ってしまった我々の意識は、転換していきました。
> その証拠に、現在では、第三次産業が台頭しています。
> 学生の就職先も、ものをつくるものよりも、人々の意識を動かすもの(マスコミ、テレビ局などなど)に移行していきました。
> それでは、これらが、現在の社会の役に立つ会社なのでしょうか?決してそのようには、思えません。
> マスコミは、いいかげんな情報を垂れ流すし、テレビ局は、そのマスコミに支配されています。
マスコミは、読者の要求に応えています。82144
> また、情報等は一方的です。我々は、提供されるものを指をくわえて見ているしかありません。
個人からの情報に価値を見出さない社会では、個人は、提供されるものを指をくわえて見ているしかありません。82320
> では、社会の役に立つ会社とは?
> よくよく考えてみると、経済成長に沸いた時代、働く人たちには、活力があふれていたのではないでしょうか。だから> こそ、日本全体も活力にあふれていた。それが、結果として、社会を当時の目標である豊かにしていくことに繋がった> のではないかと感じています。
目先の事柄に目標があったからでしょう。94137
> 従って、社会の役に立つ会社とは、自分の会社の活力を向上することの出来る会社なのではないでしょうか。一つの会> 社が自社の社員の活力を向上させるだけで多くの人の活力が上がります。
人生の目的は、自分自身で考える必要があります。
会社は、その生活の手段を提供します。
手段の目的化は避けなくてはなりません。94159
> 以上のように、社会の役に立つ会社とは、このようにも考えられるのではないでしょうか。
景気の悪い会社、景気の悪い社会、景気の悪い国では、悲惨なことが多くあります。
だが、景気のよい会社、景気のよい社会、景気のよい国の行き着く先も、たまには考えてみる価値がありそうですね。82123
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閉塞の元凶は、個人主義
94200 > 充足させてくれない「個性」
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/09 PM10 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 94182 充足させてくれない「個性」
> 鹿村幸代 HP ( 23 岡山 農業 ) 05/07/09 PM07
> 資格志向・趣味(特技)志向も“個性”“自分”に毒されている何よりの証だと感じました。
資格・趣味(特技)も横並び (没個性) の競争の道具立てになっているのですね。
> 「必要とされたい」と思うと、「何か持ってなきゃいけない」「特別でないといけない」と思ってしまう友達が多い。
没個性の中での競争は、とかく過酷なものになりがちです。
> 他の人と一緒じゃダメって思ってる。
どんぐりの背比べの辛さですね。
「あるべき姿」に関して、自分が口を開くだけでも、その内容は他人と同じにならない。
御唱和の教育を受けていない限り十人十色です。
個人の発言を尊重するのが個人主義でしょう。ダメはない。
>>けど“誰でもできる=交換可能”と“自分は不必要”って、全然つながってないよね。
>>「役に立ちたい」とは思ってる。けど「個性的な自分じゃないと意味がない」って価値観があるから、取替可能な自分じゃダメ(役に立ててない)って思っちゃう(9377中野さん)
持ち前の人柄を示せば、それで十分個性的でしょう。93978
> 社会人になって学生時代より更に資格や趣味に走っている友達や、必死で何か資格を取ろうとしている、趣味持つわ!って宣言する友達がいます。(パソコン、英会話、スキューバ、ギター、フラワーアレンジメント…etc)
駅前のカルチャー・スクールの内容のようなものですね。
> そうでないと何か不安。「成長しない」とさえ言ってました。だからいかに幅広く取り組むか、いくつ資格を持っているかがその人を支えている感じ。。。
> でも、そんな自分が出発点の成長って何?って感じです。
同感です。
> そもそも「個性的であればあれば必要とされる」なんて現実の真っ只中にいる人の中で誰か言ったでしょうか??言っているのは一部の発信階級・教育者だけです。
> 必要なのは
>>みんなが必要としている事=現実 を直視することでしか、本当の充足(安心感や活力)は得られない。 (93920門さん)
同感です。
> 充足を得ようとする時に「個性」とか「自分らしさ」という観念がどれだけ重い足枷になっているか、改めて感じた。
「個性」という観念は、日本語からは得られない。
それは、英語の未来構文の内容の中にある。82123
日本語の現実構文 (現在構文) の内容としては存在しない。内容に個人差があれば、それは事実誤認による可能性が高い。
「自分らしさ」は気分・雰囲気に関する事柄である。趣味の問題は議論にならない。それは個人的な事柄になる。
我が国の有識者・知識人は、英語で考える能力をも習得すべきである。
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