どうしたら現実に役に立つ認識を得られるの?
94184 > 共認形成の「場」作りが重要
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/09 PM08 【印刷用へ】
> どうしたら現実に役に立つ認識を得られるの?
> 94123 共認形成の「場」作りが重要
> 勝間正樹 ( 32 高知 塾講師 ) 05/07/08 PM01 【印刷用へ】
> 閉塞感が強まり、何となくすっきりしない、何とかならないものか、という空気が日増しに高まっているように感じます。
同感です。
> みんな「答え」がほしいと思っている。
個人的な良い考えが必要です。82180
> だから、答えを見つける為に話し合いたいという潜在的な思いは、誰もが感じているはずです。
答えがあれば、それらを持ち寄って話し合いも可能になります。
> その場の楽しさだけを追求した話なら、その場が終わってしまえば何も残らないし、すっきしないと思います。広く浅い関係は、深い話を必要とせず、とりあえずその場をもたせる程度の、たわいもない話に終始します。そして一瞬の(うわべの)楽しさの後の空虚な気分に襲われる。
同感です。
> 逆に、真剣に真面目な話をした後は、何か充実感があるし、満足できる。それにそんな話ができる仲間のほうが一緒にいて心地よい。
同感です。
> 前者の仲間関係も後者の仲間関係も、特に人が変われば関係が変わるわけではなく、空気が変われば場も変わるんだと思う。 同じメンバーでも、場の空気の方向性さえ変えてしまえば、共認域を創り出していけると思います。
そうかも知れませんね。
> 若者を中心に、最近の人は難しい話を嫌っているという意見を耳にしますが、果たしてそうなのでしょうか?難しい話が嫌いだという訳ではなく、きっかけ(共認形成の「場」)さえあれば深い話、真面目な話をすることに充足感を感じるだろうし、楽しいと感じるのではないでしょうか?その「場作り」をしていくことが大切なんだと思います。
難しいことだと思います。無哲学・能天気の壁は容易には破れないでしょう。82144
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職場の悩み相談
94159 > 仕事は手段
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/09 AM01 【印刷用へ】
> 職場の悩み相談
> 94145 仕事は手段
> 佐々木美穂 ( 22 秋田 会社員 ) 05/07/08 PM10
> 課題共認をすると、役割共認ができてくる。
> でも活力がでてこない。
> なんでだろうとずっと思っていました。
> 全体の流れ、やらなくてはいけないこと、それは理解している。
> でもなぜか楽しさとか活力といったものがでてこない。
> ということは課題を理解しきれないということなのかな、とか。
> 評価との関係もあるのかな、とか。
> 確かにそういう面があることも事実。
> でもみんなと考えてみたら、仕事が目的になってしまっていることが一番大きいことに気付きました。
仕事は生活 (life) の手段であり、人生 (life) の目的ではありませんね。84082
> 「仕事をするための仕事」
> になってしまっていたんです。
> だから活力がでてこない。
> 楽しくもない。
> とりあえず、「仕事をしなきゃいけない」ことに一生懸命になってしまっている状態。
手段の目的化には意味が無い。
山本七平は、<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条>の中で、「陸軍の“芸”至上主義は、戦後の受験戦争と非常によく似ている。すなわち、学力評価の手段である試験が逆に目的と化し、学問はその試験突破の手段となる。といった形である。そうなれば、試験に「アメリカ人にもわからぬ英文」が出題されて不思議でないように、戦場では絶対に起こり得ぬ情況を想定した訓練といったものがあっても不思議ではない。」と書いている。
英語では、目的は未来構文の内容で、手段は現実構文 (現在構文) の内容である。日本語には、未来構文がないので、現実構文の内容で目的をも言い表さなくてはならない。だから、手段と目的を分けて考えることが難しい。教育があって、教養がない。日本語に時制のないことは、わが国民の知的低水準の主原因となっている。
> でも
> 「仕事は充足をするための手段」
> 仕事は充たしあうためのもの。
> これに気付いた時、そうか!と本当に衝撃を受けました。
> そういう視点を全然持っていなかったんです。
> そのための課題共認、役割共認。
> 仕事は充足するための手段。
> 自分が、みんなが充足していくためのものなんですよね。
> 仕事をすることに一生懸命になってしまっていて、充足とかそういったものが感じられていませんでした。
> 感じること自体が自分から抜け落ちてしまっていて。
> 充足していくこと。
> このために必要なものなんですね。
理想と現実は同じでない。84047
目的と手段は同じではない。
だが、理想のない現実は、むなしい。
人生は、理想を実現するためにある。85322
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なんで屋あれこれ
94137 > 分かってるけど出来ない
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/08 PM06 【印刷用へ】
> なんで屋あれこれ
> 94033 分かってるけど出来ない
> 石橋直樹 ( 40 大阪 企画営業 ) 05/07/07 AM01 【印刷用へ】
> 日常の諸々の話しになり「分かっているのに出来ないのは何で?」という話しになった。
「分かっているのに出来ないのは何で?」とは、「何が分かっている」のに「何が出来ない」のですか。意思がなければ、何事もできないのではないですか。91933
> 「分かっている」っていうのは「頭では理解している」こと。
理屈が理解できるということですね。90887
>でも「出来ない」ということは、本当は「頭で」理解しているだけで、「したくない」とか「別にしなくてもいい(とりあえず目先は凌げる」という気持ちがあるからではないか、という話をしてみた。
理屈が理解できるということは、現実構文の内容でしょう。
「出来ない」とは「やらない」いうことの意思表示でしょう。未来構文の内容ですね。84819
> 考えてみれば男女関係だけでなく、子供を叱れない大人、期待を封鎖する若者、資格志向等々、分かっているけど云々という事例は山ほどあり、その心底にある「したくない」とか「別にいい」という自分発の意識。
意思ですね。93494
> それを自覚することから始まり、本当に自分からみんなへの意識転換。そして、更には本当に分かっている、あるいは出来ている人への同化。鍵となる認識は色んな場面で使える。
日本語には、未来構文はない。
意思 (will) は、未来構文の内容である。
だから、日本人が、意思の内容を自覚することは難しい。
自発的に迷わず行動することも難しい。92993
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閉塞の元凶は、個人主義
93978 > 「役に立つ」とは現実を捉えること
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/05 PM10 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 93920 「役に立つ」とは現実を捉えること
> 門奈津子 HP ( 26 大阪 秘書 ) 05/07/04 PM10
> 親からも先生からも「個性を大事にしなさい」と言われつづけ、人と違うことをしなければ評価されないという固定観念は、私達が気付かないうちに多大な影響を与えている。
Character (個性) とは、人となり (持ち前の人柄) のことである。
百人十色の違いでいては、評価されないのでしょうか。82123
個性の評価とは、どのようにしてなされるのでしょうか。
序列順位を定めることですか。
> 誰にでもできる事…でも誰かがしなければ事は進まないはず。
そもそも誰にでも「できない事」ってなんだろう?
ナイヤガラの滝に飛び込むようなことか。
誰にでも「できない事」をわざわざ考える必要はない。
> そんな「事」が「役に立つ」に繋がるのだろうか。
課題とは「必要」だから「やる事」として存在している。
それをこなすことは、当然「必要とされている」に繋がる。
同感です。
> 自分しかできない特別な事を探すことが、「存在不安」や「評価欠乏」を生み出す。
そんなものは存在しないし必要とされないから…。
自分しかできない特別な事は考える必要のないことです。
素人演芸会の準備のときに、自分にしか出来ない出し物探しで頭を悩ますようなことは必要でない。
> みんなが必要としている事=現実 を直視することでしか、本当の充足(安心感や活力)は得られない。
我が国は、現実直視の政策で今日の経済発展を遂げてきた。85728
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ガタガタの原因は、私権の衰弱と序列原理の崩壊
93930 > 私権の衰弱と序列原理の崩壊→私権というフレームを失った自我の暴走
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/04 PM11 【印刷用へ】
> ガタガタの原因は、私権の衰弱と序列原理の崩壊
> 93559 私権の衰弱と序列原理の崩壊→私権というフレームを失った自我の暴走
> 福田尚正 ( 31 福岡 SE ) 05/06/29 AM09 【印刷用へ】
> かつて自我は、私権に収束していた。だから、暴走したとしても(犯罪といっても)、それは私権フレームの範疇にあった。
かつては、恣意 (私意・我儘・身勝手) の恕限度は、序列順位に応じて割り当てられていた。
序列による縛りは、下の者ほどきつくなっていた。平清盛の世のようなものか。
> 序列原理が崩壊し、私権が衰弱した。
序列観念が弱まり、言語による序列表現も滞り、それにともなう序列作法も弱まった。
それと共に、序列による自己利益の分配も当てにはならなくなった。
> 現在、残存する自我は収束先を失いながらも、暴走する可能性を常に秘めている。
日本人には意思が無くて、恣意(私意・我儘・身勝手)がある。82735
恣意により暴走する危険がある。
昔は、恣意のある人間に序列観念を刷り込んで序列人間に改造した。
恣意の行為に序列の枠を嵌めて取り締まった。
これが人間教育であった。序列教育は修身教育であった。
戦後、修身教育は「軍国主義だ」「封建的だ」などと非難されて廃止された。
今では、序列修行は流行らない。滅私奉公は嫌われている。82023
> これまで押さえつけてきた箍(たが)がすべて外れたのだ。
序列観念の枠が外されて、非理性の人が自由になった。
> これは極めて危険な状態(=まさに無政府状態)ではないか。
理性の無い人間が野放し状態になっている。これは、自由の履き違えである。
> 事実、既存の常識(=現法体系)では捉えられないような犯罪が後を絶たない。
序列観念は頼りにならない。さりとて、英米人の思想も無理解である。82144
> 強烈な自我には、事実や論理はまったく通じない。
恣意 (私意・我儘・身勝手) には論理は無いから通じない。幼児のようなものである。
「我を張る」のである。昔から、この態度は嫌われてきた。81994
これではアニマルと変わりない。
アニマルには調教が必要である。
> 私権の衰弱と序列原理の崩壊は、「共認充足の可能性」と同時に、その可能性を充分に実現できないがゆえの「自我の暴走」という厄介な課題を私たちに突きつけている。
考えがあれば、理解の可能性も出てくる。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。
日本語には、現実構文のみがある。
日本人には、自己の構想を明らかにすることが難しい。82354
自己の構想の内容は、現実ではないからである。
「それは、現実とは違う」という判定は、空理空論の証左とされている。
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学校って、必要なの?
93843 > 子どもたちは大人たちといっしょに生きたい
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/03 PM05 【印刷用へ】
> 学校って、必要なの?
> 35477 子どもたちは大人たちといっしょに生きたい
> 熊谷順治 ( 35 大阪 企画 ) 02/07/06 AM03 【印刷用へ】
> 子供たちには、多くの動物のこどもと同様に、無意識に早く大人になりたい、そのために大人たちの真似をする、という本能がセットされていると思います。だから、子供たちは、放っておいても現実(社会=大人=親)を対象化しようとします。(子どもから見れば、どんな大人であれ、社会であれ、目にするものが現実そのものなわけで、彼らはそれを受け入れるだけです。)
初等教育の段階では問題はなさそうです。言語の未発達な状態にあるからです。82193
> しかし、日本には義務教育と学校制度というのがあって、ある年齢に達すると子どもを現実の場から隔離してしまう。教育を受けるのは子どもの権利となっていますが、彼らが望む教育っていうのは、決して今の学校のようなものではないと思います。
英米人は、ある年齢に達すると現在構文以外に過去構文と未来構文の使用法を発達させます。
英米人は、現在構文、過去構文、未来構文と三者を並置して考えることが出来ますので、大人になると考えが深くなります。だから、英米流の学問には未来構文の内容が含まれます。
日本語は、現実構文 (現在構文) ばかりの言語です。
英米人の高等教育は、その内容が現実離れしたものを含んでいます。93309
現実は目の前に存在しますが、未来は目の前には存在しません。92540
現実構文の中に未来の内容を盛り込むと、考えの内容に実感が湧きません。
その上、現実を考えることができなくなります。
現実構文の中に現実の内容を盛り込むと、未来を考えることができなくなります。93383
現実構文ばかりで、過去と未来の内容を理解しようとするところが、日本人の教育問題・教養問題です。93835
この問題は、英文和訳では解決しません。猿真似の限界とも言えるでしょう。93494
ですから、ある年齢に達すると、日本人の子どもは現実離れした教科内容に苦しむことになります。
現実問題として、日本人は現実構文の中に現実の内容を盛り込んで実学 (技術) を発達させています。
科学技術という言葉がありますが、これは科学を応用した一種の技術です。
> 子供たちにとって、現実から遠く離れた教科学習の多くは決して面白いものではありません。我慢を覚えることは大事ですが、共感しがたい私権時代の現実を押し付けられ、想像し難い遠い将来のために我慢しつづけるのは酷です。学校が私権のパラダイムから脱しさえすればもっと充足できる時間を過ごせるのだとしたら、かわいそうです
日本語には、未来構文はありません。
日本人には、未来構文の内容 (概念) など考えられない。
だから、科学・哲学の勉強は能率が上らないと考えられます。
> 教育というのは将来の社会の担い手を育てる大事な仕事ですから、大人たちが皆で担うことが必要で、そのために副業化も検討する必要があると思います。ただ、それは教育の場が学校という場で、大人たちがそこに教えに行くというスタイルがいいのかは疑問に思っています。
> 子どもは生きる本能から現実を対象化しようとするのだから、大人(親)たちの現実(仕事)を見せ、語り、ときに共に行動するだけでも教育になると思います。親の背中を見て子どもが育つ、というのはまさにそういうことであり、現代にも通用するものだと思います。
> そう考えると、教育の場は学校からいずれ現実の仕事の場や生活集団の中に移行していくのかもしれません。その先駆的な例が職場体験や農業体験ではないでしょうか。
日本語には、現実構文しかない。
日本人には、現実構文の内容しか考えられない。
だから、実学 (技術) の勉強は能率が上がると考えられます。
我々の今日があるのは、実学 (技術) のおかげであると考えられます。
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共認充足か?自我充足か?
93835 > ごまかしを言わない、言わせない
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/03 AM10 【印刷用へ】
> 共認充足か?自我充足か?
> 93772 ごまかしを言わない、言わせない
> 加来野浩史 ( 32 福岡 経理 ) 05/07/02 PM08
> 課題に向かっている中でのミスや失敗は周りも指摘しやすいし、本人も原因を説明する中でその事実を受け入れて次に繋げやすい。しかし課題や人から逃げて、その結果起きたトラブルはそれ自体がごまかしであり、理由を聞くまでも無い。
> 特に指示が無かったので。
> 言われたとおりにしたのですが。
> 時間が無かったので。
> 体調が悪かったので。
> 検討不足、確認不足、チェック不足、努力不足。。。
これらは、日本人としては、誠心誠意の答えであろうと考えられます。
にも拘らず、逃げる、ごまかす等、ずるがしこいにも等しい不名誉な表現をされるのは、日本人として不甲斐ないことです。
では、なぜこのような状態になるのでしょうか。リンク
これらの答は、「今ある姿」に関するナウな感じのする説明ですね。
実況放送・現状報告の類で、現実構文の内容です。
では、なぜ不名誉な状態になるかと言えば、それは「あるべき姿」の答えを徹頭徹尾出さないからです。
なぜ「あるべき姿」の答えを出さないかといえば、それは「今ある姿」とは別次元の内容だからです。
「あるべき姿」の内容は、未来構文の内容である。だが、未来構文は日本語にはない。
だから、日本人は「あるべき姿」の内容を脳裏に保持することが難しい。82123
そして、考えることも話すことにも難渋する。
> 圧力から逃げたいという意識が根底にあるので、理由を説明しようとすればするほど、ごまかしを塗り重ねていく。
別にごまかしているわけでもないでしょう。自己のリーズン (理性・理由) を示すことが難しいだけです。81994
> ごまかした現実から出発している以上、そうなるしかない。そして自分も相手も核心に迫れず、「次は気をつけるように」で終わってしまい、不透明感と不信感が残る。
「次は気をつけるように」は、常に行われていることです。だが、それはごまかしではない。
ただ、その後の大切なこと・リーズンが続かないだけです。82251
一方で「あやまちは、繰り返しませぬから」と誓いながら、他方で国がひっくり返った時の責任者も見つけられないようなものです。
核心となる「あるべき姿」の内容が不透明ですね。だから、日本人から不信感を拭い去ることが難しい。82180
> しかし、周りよりも、自分の都合(しんどいのは嫌、指摘されたくないetc)を優先させたという事実、それによって問題が起きたという事実は変わらない。まずその事実を共有しそこから出発すること。
日本人にとって、「あるべき姿」の内容を考察するのはしんどい。82242
事実関係を確認しても、「あるべき姿」の内容がなければ、無責任を追求することには至らない、改革にもならないと考えます。82193
> 次に相手の「状況」に同化すること。仕事の中で周りや相手の状況を思い浮かべたか。そのときどう思ったか。うまくいくか不安にならなかったか。その不安をどう処理したのか。さらには、日常的になにか不全や不安を抱えていないか。それはどのような状況でそうなったのか。
ああして、こうして、こうなったと次から次へと話は長く長く続くでしょうね。状況説明ですね。82251
> 相手の言い分に迎合する(言いくるめられる)のではなく、相手に踏み込んで思考過程や精神構造といった「事実」を共有し、さらにそれを皆に開きだしていくこと。そうすれば逃げられない圧力が掛かると同時に、共認回路が作動しだすと思います。
思考過程や精神構造は、言語に由来すると考えられます。
我々の思考過程や精神構造が広く理解されるように努めましょう。
言語を適当に選ぶことにより問題は解決できると私は考えています。82285
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私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)
93729 > 共認原理に委ねた方が、何事もうまくいく
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/07/01 PM08 【印刷用へ】
> 私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)
> 60596 共認原理に委ねた方が、何事もうまくいく
> 冨田彰男 HP ( 40 兵庫 経営管理 ) 03/08/25 PM10 【印刷用へ】
> かつて、序列原理が強固だった時代は、上司は肩書きにモノを言わせて、部下に「ああせい、こうせい」と命令するだけで、部下は従っていた。上司からすると、部下が命令に従うのは当然であった。
権利・義務の関係があれば、部下が上司の命令に従うのは当然であった。
だがしかし、意思がないところには、責任感も伴わない。命令するのは、単なる上司としてのお役目である。84819
上司の部下への命令に責任感が伴わないということは、結果がどう出ようと、その責任追及はなされないということである。たとえ国がひっくり返っても。84432
> しかし、今や、肩書きにモノを言わせた命令では、人は動かない。成果も上がらない。82596
責任のない肩書きには、意味もない。84361
> 序列原理が崩壊したにもかかわらず、序列原理の中で生きてきた中高年の頭の中には「部下を従わせなければならない」「上司だから上司らしくあらねばならない」という序列観念は残っており、それが強迫観念となっているのではないだろうか。
「、、、、らしく」は、気分・雰囲気の問題である。理性 (reason) の問題ではなくて感性 (feeling) の問題である。感性・感覚は個人の問題であり、公開の議論には馴染まない。83459
感性に関する事柄は、歌詠みの課題であるといえる。83716
> 序列原理の枠内で、いくら考えても答えは出ない。
日本語に階称・言葉遣いがある。だから、「上と見るか、下と見るか」の序列思考は、おいそれとは無くならない。82942
序列判断は、盲目の判断であり、リーズナブルの答えは得られない。84116
序列思考に慣れ親しめば親しむほど、礼儀作法 (序列作法) も心のこもったものになる。日本人は、この点を過大に評価する。88971
> 私も、かつては「自分がやらねばならない」「部下を従わせなければならない」と肩を張っていましたが、それでは、仕事も何も全然うまくいきませんでした。最近は、仕事上でも、共認の場を形成することに注力するようにしています。そうして、共認の場ができると、みんなが真剣に考えてくれます。「何とかしなければならない」と自分一人でもがいていた時よりも、はるかに物事が自然とうまくいくようになったように思います。
「自分がやらねばならない」「部下を従わせなければならない」は、序列思考に基づいている。上意下達である。
序列社会においては、個人的な理性判断の結果を伝達する仕事が疎かになっている。
上司と部下の間の権利と義務の問題が考慮されていない。
> 序列原理にしがみつくほど閉塞する。共認原理に委ねると、はるかに楽に、何事にも可能性が開けていく。
> 「序列原理から共認原理への転換」とはこういうことではないでしょうか。
日本人には理性判断ができない。85091
理性判断にたどり着かないので序列判断にしがみつく。
だが、理性判断以外は盲目の判断である。
共認原理に委ねるとは、公開の議論に委ねるということでしょうね。87086
日本人も議論が上手になるよう努力しましょう。82251
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実現論って、何?
93613 > 共認革命9 強制共認と発信階級の犯罪
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/06/30 AM05 【印刷用へ】
> 実現論って、何?
> 9560 共認革命9 強制共認と発信階級の犯罪
> 岡田淳三郎 ( 60代 大阪 経営 ) 01/09/01 PM07 【印刷用へ】
> 事実、彼らは教会や学校やマスコミを通じて常に支配観念を押し付け、一方的に人々を染脳し続けてきた。
誰もが考える人でなくてはならない。
そのために、教育基本法の第3条には、教育の機会均等がうたわれている。
それにも拘らず、国民が発信階級と素人に分かれているとすれば、それはどうしたことか。
非常に残念なことである。法外なことである。これは、受け売りの盛んな国柄のためであろうか。
国民が受け売りを生業とする人と、そうでない人に分かれているためであろうか。
> それで、どうして「大衆の一員」などと云えるのか?現に今も、彼らは体制によって与えられた特権の場=教宣機関に陣取り、圧倒的な情報量をもって古い支配観念(恋愛・自由・個人・人権etc)を押し付け、人々の意識を支配し続けている。その結果、社会は全面閉塞状態に陥って終った。
受け売りが盛んで、自分自身の考えが持てない。それで、詰め込み主義の世の中になるのか。93381
批判精神もなく外部から支配されるしかない。脱出不可能に見える。93461
何事も他力本願であっては、全面閉塞状態に陥ってしまうは当然である。82057
> にも拘らず、「大衆の代弁者」である筈の彼ら発信階級は、何の突破口も示せずに、相も変わらず旧観念を垂れ流し続けている。
司馬遼太郎は、<以下、無用のことながら> の <日本仏教詳論 – 伝来から親鸞まで> の中で、以下のように書いている。「近代以前の日本文化にあっては、宗教や学問だけでなく、医術、芸能から武術にいたるまで師の考え方を超えることは、禁忌でした。 、、、、、明治以後は、師承[しじょう]の風習はなくなりましたが、余熱はのこりました。とくに人文科学において、師の教授の学説とまったく反対の学説をたてるということは、困難とされていました。いまも、多少はその余熱がのこっているかもしれません」と。
> そこには、自己反省のカケラも見えない。自分たちの言説(ドグマ)が社会の為になっていると信じ込んでいるからである。
しかし、もはや人々を騙し続けることはできないだろう。なぜなら、我々=素人は、彼ら発信階級が押し付ける旧観念(=近代思想)こそが社会を閉塞させ、人類を危機に導いている張本人であることに、既に気付いて終ったからである。
日本人社会を閉塞させているのは、社会の中の住民である。
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るいネットをどう変える?
93557 > 素人の社会活動37 表出規範(or思考規範・表現規範)
寺嶋眞一 ( 68 静岡 無職 ) 05/06/29 AM03 【印刷用へ】
> るいネットをどう変える?
> 7675 素人の社会活動37 表出規範(or思考規範・表現規範)
> 岡田淳三郎 ( 60代 大阪 経営 ) 01/08/08 PM05 【印刷用へ】
> ●大切なのは探求することであって、説明することではない。
> 〔表出規範〕探求途上での説明はするな(止めよ)!
現実構文を使って、現実の説明をすることは可能である。
現実は、実況放送・現状報告の内容として説明できる。
だが、「それで、どうした」の問いには、答えが出ない。82373
それは、考えの次元が現実の内容とは異なるからである。82354
「それで、どうした」の問いには、未来構文の内容で答えなくてはならない。82477
> ●.現実対象の探求途上に出てきた言葉は、答えに成っていなくても、まとまっていなくても、(潜在思念で)自ずと共認される。但し、内面を対象化するのは、タブーである。今更、内面を都合良く探求した言葉など時代遅れであり、誰にも共認されない。
内面の内容も外界の内容も、説明であってはエンドレスである。事実のなくなる日は来ない。82476
個人の意見としては、「それで、どうした」の問いに対する答えが必要である。82373
> ●もちろん、探求の果てにある程度の答えに達すれば、改めて説明思考に転じて、その答えを分かり易く説明すれば良い。しかし、素人にとって、答えに達するのは至難の技であり、探求途上の有効性の感じられる一つの切り口でも思い付けば上出来だろう。それをそのまま、探求途上の言葉で表出すれば良い。
「それで、どうした」の答えが得られたならば、その答えを支持する事実を並べたらよい。
事実は、自説に都合のよいものだけを並べたらよい。82251
反対意見の人も同じことをする。
だから、自説同士の根拠比べになる。要は比較の問題である。
だから、議論は面白い。
> ●その場合も、『答えに達するまでは、決して説明してはならない』。答えにも成っていないのに説明しようとするから、投稿文がいくらでも長くなってゆくのだが、そんな文には何の価値もない(それどころか、会議室を難しいだけで全く魅力のない物にしている)ことを、深く自覚して欲しい。切り口なら、数行で足りる。
同感です。
> ☆この思考規範・表現規範によって、説明思考から探求思考に頭を切り替えることさえ出来れば、我々は勝てる。このパラダイム転換と探求投稿こそ、“るいネット”会議室の最大の引力となり、引いてはネット界の転換の起爆力となるだろう。これこそ、我々が(このシリーズで)求めていた答えである。
日本語を話す人は、元来無哲学・能天気である。82478
だから、「あるべき姿」の探求は失敗に終わることが多い。93383
よほど用意周到な準備をして取り掛からないと失敗のエンドレスとなる。93494
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