プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
85831 > >> 日本人の素人を過小評価しないほうがよいのでは?
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/02/17 PM01 【印刷用へ】
> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 85740 >> 日本人の素人を過小評価しないほうがよいのでは?
> 佐藤英幸 HP ( 42 新潟 塾長 ) 05/02/15 PM09
> 寺嶋さん、ご返信ありがとうございます。
> しかし、私の知りスいことは別なところにあります。
> ■新観念の定義、認識、認識の組み立てに対し、直接的なご意見はどのようなものなのか?
> それ以上に重要なのですが、
> ■過去の事実の積み立て=現在を、どのように切開し、切開面をどのように解釈し、社会の未来のために生かしていくのか、を考えたときに、切開する道具や装置は共有、共同研究していく必要があるのではないでしょうか。つまり同じ言語の仲間が必須なのではないでしょうか。
佐藤さん、いろいろとご質問いただきましてありがとうございます。今回は、都合上私事を書くことになりまして、まことに申し訳ありません。
私は、定年退職者です。
定年以前は、英米流の学問をしていました。
当然のことながら、全ての研究成果は英文で発表しました。
私の英語は上手ではないのですが、英米の友人・知人・商売人に助けられて論文を書き続けて来ました。以下は、その当時の体験談のようなものです。
英米の科学雑誌に論文を投稿すると、数名の査読者がその内容をチェックします。
そして、著者は査読者達といろいろと議論をしなくてはならなくなります。
その議論を聞いて、雑誌の編集長は原稿に意義があると判断すれば雑誌に掲載します。少なければ、却下します。私にとって雑誌に受理されることが難しいのは、事実の意義を述べることが難しいからです。
更に詳しくいえば、日本人の考え方が英米流になっていないからです。
日本語で考えると、事実と自分自身が考えたことが極めて分離しにくいからです。(82354; 82320) だから、話の内容が混乱して議論もできない。
日本語の英訳で済むことであれば金を支払えば解決できます。だが、この場合は、原稿の中身が問題です。「意味がわからない」と言われたら以心伝心にはならず致命的です。実況放送・現状報告の内容の後に来る「それで、どうした」の哲学的な問いに答えが必要です。
ただ「英語は難しい」といっただけでは、問題は解決しません。
事実を貯め込むばかりの自己努力だけに頼っていたのでは地獄の苦しみで、問題は解決しません。こうした日本語にまつわる諸事情を説明するとくどくなりますが、英語を使うとそうした説明なしでそのまま理屈に合ったものになります。「英語が価値判断を行わせる」(84909) のであって、個人の努力でないところが英米人の強みであります。自分の英語に磨きをかけること自体が、生きる力を育む「ゆとりの教育」になっています。
私の意見は、英語に対応しております。よろしければ、私のホーム・ペイジリンクをご覧ください。(日本人論・寺嶋眞一の世界>高等教育>Japanese Society> ) 英米人にのみ反応があっても、肝心な日本人社会には何ら影響が見られないとあって、私は、自分の意見を日本語で書くことに変更しました。
佐藤さんの考えについては、英文との対応ではどのようになっているのでしょうか。私は、佐藤さんの新観念についての英文対応に全然自信がありませんので、直接的に意見を表明することは差し控えさせていただきます。自分発のご本人が英訳されるのが適当であると考えられます。絶えず論理的な価値判断を行う言語、すなわち英語に我々の概念を載せることは、正しく考えるために欠かせない作業であると考えられます。一度、新聞などの英米人向けの出版物に英文で投稿して、編集者の直接的な意見を聞かれたらいかがでしょうか。地球規模の発信が、更に多くの人々に日本人のメンタリティ (考え方) に関する問題を理解してもらうきっかけになると考えております。そして、「あるべき姿」に関する共同研究も可能になります。議論ができないと内向き思考に取り付かれます。
今日の地球は、英米の世であります。(82373) これも、ひとえに英語の力、すなわち英米人の知力がもたらした地球規模の結果であると考えます。我々大和民族がこの英米の世を抜け出して暮らすことはほぼ不可能です。英語の文献は全体の76パーセントにも及んでいます。
英語を母語としている3億人の人々が自分自身を含めた61億の人口を支配しているといっても過言ではありません。
国際人としての日本人も英米人と対等に議論をしなくてはなりません。さもなければ、説得力を持つ人間になることはできません。議論ができれば、英米人以外の人たちとも議論が可能になり同じ言語の仲間を作ることができます。そして、日本人は国際社会の真の指導者になる力を得ることができます。
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
85728 > 日本人の素人を過小評価しないほうがよいのでは?
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/02/15 PM03 【印刷用へ】
佐藤さん、ご返信ありがとうございます。あなたの「日本人の素人」について、少々意見を述べさせていただきます。
日本人を素人とプロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)に大別することについては、私として少々抵抗があります。しかしながら、プロを知的な職業に携わる人達の集団、素人をそれ以外の人の集まりであるとすれば、確かにそのような傾向は見られます。知的な職業集団が知的低水準であるというのはその存在価値を問われる根本問題でありますが、知的職業でなければその影響は比較的少ないと言えます。畑の違いが素人とプロの成果に関する明暗を分けていると考えられます。我が国では、初等教育が良く高等教育がダメだと言われた時代もありましたが、現在は技術者が良く学者がダメと言われる時代なのかも知れません。
科学技術と一口に言いますが、科学技術という言葉は科学的な技術という意味であり、その根本は技術のことであります。科学は個人の世界観であり、技術は世界中で通用する利便性であります。世界観は、この世の中を理解した結論であり、個人の頭の中で再構築された出来事であります。科学を応用した技術は、そうでない技術よりも飛躍的に利便性が増大し、大きな付加価値としての現ナマが我が国に還流されます。かくして、我が国は名だたる技術立国になることができました。我が国・立国の基礎をなすその能力に疑いを抱く人はいないでしょう。私自身も、日本人にはこれしかないと思うほどに高く評価しております。そして、我が国の技術者は、目先・手先の能力を誰からも過小評価されていない。彼らご本人も大威張りであります。むしろ過大な評価をして来日し、失望している外国人もおります。
「今ある姿」の考えは、技術 (実学) の発展を促し、我が国は世界中から羨まれるような経済大国になりました。だが、我が国は、そのことしか知られていないと言った方が正しいかも知れません。日本人の「今ある姿」に関する考えがどんなに優れていようとも、「あるべき姿」に関する考えの代替品となることはないでしょう。というのは、これら二つの考えは異なった次元の内容だからであります。優秀な技術者達が、畑違いの分野に関しても同様に有能であるとは考えられません。
我が国においてプロと素人の対決があるとすれば、それは見当違いに起因するものであると私は考えます。知的な職業に携わるプロが単なる実務者の水準に落ちているのが問題であります。日本人は、理性判断ができないので、誰が知的な職業に就いても適任ではないと考えられます。(82251) 代替えの人がいないので、現在のプロがプロとして成り立つのだと考えます。残念なことではありますが、わが国においては無能のプロもまた安泰です。言語問題を理解することなく人を入れ替えても結果は同じことになると考えます。昔からある人心一新の手法では、解決しません。気分・雰囲気の問題ではないからです。
我が国の技術者は、日本人の持てる能力を十分に発揮することのできる道を選んだ幸せな人たちであると考えています。だがしかし、人はこの世の事柄のみに専念しても、なお、この世に存在する不安と閉塞感には変わりありません。(82242) この問題は、誇り高い技術者をもってしても解決できないと考えております。外国人も喜ぶ利便性の追求をどのように延長してみても、それで日本人の悩みがどうにかなるわけでもない。そこで、伝統的な諦観に入ることなく、日本人の閉塞感を取り除く可能性について私は考えているのであります。(82285) もちろん、他の方々も当然お考えになるべき課題であると考えております。
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
85516 >>> 2,3日のマスコミ観察日記
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/02/11 AM03 【印刷用へ】
> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 85495 >> 2,3日のマスコミ観察日記
> 佐藤英幸 HP ( 42 新潟 塾長 ) 05/02/10 PM11
> 寺嶋さん、はじめまして。
佐藤さん、ご返信ありがとうございます。
> あるべき姿が提示されないと何のために何を話し合っているのか良くわからない。と言うことですね。現実の中から未来を見出せ、とも聞こえます。
> しかし、真理は個人の真理と個人の真理の話し合いの中から生起するでしょうか?政党政治が示すようにほとんどの場合対立を生み出すのではないでしょうか。
政党政治における対立の原因は、真理の激突というよりも現実対応の違いによるものが多いと私は考えています。
> 個人の真理を放棄してみんなで真理を考えようと言うほうが私にはしっくり行きます。
個人個人が各自その思いつきを一座の前で披露するのが宜しいと考えています。人気投票でもするとよいでしょう。これも、みんなで考えたことになるのかもしれません。
> 同一視した中では、個々にバラバラな真理をぶつけ合って出来上がった真理よりも、ずっとずっと大きな事実に統合されていくのではないかと考えています。
個々にバラバラな真理が発見されて、それらが後世に統合されて考えられるようになるものと考えています。メンデルの法則を説明するのに、最近ではDNAを使っても可能になるようなものです。
> そして本来の目的(あるべき姿)は、みんなが仲間という関係で達成され、もっと仲間→もっともっと仲間=事実=現実、というふうに強化されて初めて、もっと仲間=未来、に繋がっていくように思えます。そしてそれは、るいネットに参加して初めて得られた可能性であると記憶しています。
真理の探究、学問の普及は個人個人幸福にとって大切なことであると考えております。
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
85449 > 2,3日のマスコミ観察日記
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/02/10 AM07 【印刷用へ】
> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 85426 2,3日のマスコミ観察日記
> 佐藤英幸 HP ( 42 新潟 塾長 ) 05/02/09 PM10 【印刷用へ】
> この2,3日だけを観察しても、マスコミ・マスメディアから得られた誤った情報は枚挙に暇が無い。逆に誤った情報のサンプルを得たければテレビや新聞を観察するのがベストである。そして彼らの情報源は大抵「学者・官僚E政治家・マスコミ」なのである。
最近では、英米人のみならず当の日本人でさえも、日本人の考えに失望を隠しえない。
我が国の「学者・官僚・政治家・マスコミ」の書く内容が、そのサンプルとして挙げられる。
これは、眼前・目先の事柄しか言い表せないためである。82057
視力は人間以上に発達した動物もいる。だが、感覚だけでは、知的な生活はできない。感覚だけでは歌詠みになる。82144
真理は、個人が現実から自由に読み取るものである。実況放送・現状報告の中にはない。
これは、現実に自分勝手な解釈を加えるのではなくて、自分自身の考えた「あるべき姿」を加えることである。
そして、この世の中に関する解釈は個人個人で同じとはならず、常に議論の余地がある。82504
それで、問答無用とはならない。問答はお互いの考えを変えるのが目的である。
つまり、変わることには問題がない。だが、問題視されるべきものは、矛盾の存在である。82373
「日の下に新しきことなし」といわれる現実の中にありながら、次々と新解釈が現れて人類は進歩する。
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思考パラダイムの逆転
85322 > 近代思想=理念的思考の危険性@
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/02/08 AM10 【印刷用へ】
> 思考パラダイムの逆転
> 3802 近代思想=理念的思考の危険性@
> 北村浩司 ( 壮年 滋賀 広報 ) 01/04/30 PM10 【印刷用へ】
> 近代思想の問題はその「絶対観念」性にある。それは極めて固定性の高い(硬直性の高い)「理念」だからである。
> 言葉を変えれば理念とは「こうあるべき」という頭の中の理想をさす観念である。この観念の問題性は2点ほどあろう。
> 一つは現実を見る場合「かく(たとえば人間は自由な存在で)あるべきなのに現実はこうなっていない」と言う角度からしか現実を見られなくさせる点である。つまり固定的な価値観でしか現実を裁断できなくさせる点である。(自然科学上の諸認識との対比を試みられたい)
日本語を使えば、唯一の現実構文 (現在構文) に「あるべき姿」の内容を入れると、現実が見られなくなる。それは、現実もやはり現実構文の内容だからである。だから、日本人の頭の中には、二者の相克がある。84116
これが英語であれば、「あるべき姿」は未来構文の内容であり、現実は、現在構文の内容であるから、「あるべき姿」を考えることにより現実が見られなくなることはない。「あるべき姿」と現実とを見比べることにより根拠のある裁断ができる。
> 第二にそのような価値論は固定度が高まるにつれ、一切の批判を許さなくなる点にある。 とりわけ問題となるのは、他者からの批判はもとより自らの現実認識さえ捻じ曲げてしまう点にある。
日本語で考えると、信念を持てば持つほど現実対応が難しくなる。それは、現実が現実構文の内容になる余地が少なくなるからである。ついには、玉砕戦法あるのみか。それとも、信念から解き放たれて迷走するか。82476
我々日本人は、自己のメンタリティ (考え方) についても考えてみる必要がある。
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閉塞の元凶は、個人主義
85176 > “びみょー”ということばに潜むもの
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/02/05 PM05 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 85173 “びみょー”ということばに潜むもの
> 北岡盛一 ( 40歳代 京都 インストラクター ) 05/02/05 PM02
> A:ねぇ、最近あの子ちょっとおかしくない?> B:“びみょー”> 〜〜〜〜〜〜〜〜
> A:どうしてそんなこと言うの?> B:“びみょー”> 〜〜〜〜〜〜〜〜
> A:今度の日曜日何かあるの?> B:“びみょー”
> 確かに現代の若者の言語能力の衰退は深刻の度合いを増してきてはいますが、“びみょー”は実は彼らの抵抗なのかもしれません。“びみょー”と答えることで自分が人より抜きん出ることを回避する、或いは、みんなと横一線でいたいとの思いが“びみょー”の連発に繋がっていると考えるべきなのかもしれません。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
生涯のつまずきを避けるためにも我々は発言を文章にして語ることが大切である。だが、日本語の場合は、時制がないので、英語のように異なる次元の文章を並置した上で比較して自らの結論に導くことはできない。だから、英米人のような大人の話はできない。84909 それで、以心伝心・不立文字となる。こうした精神状態では、国際社会に立つことはできない。彼らの言語では、考えは必ず文章になる。文章にならなければ、考えではない。
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子供を叱れない親が増えたのは、何で?
85091 > 地震・かみなり・火事・おやじ
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/02/03 PM09 【印刷用へ】
> 子供を叱れない親が増えたのは、何で?
> 85082 地震・かみなり・火事・おやじ
> 中島辰雄 ( 52 兵庫 会社員 ) 05/02/03 PM05
> どんな集団でも序列というのは存在し、それは自然のうちに共認されていたので疑わずに上からの言う事は従っていたと思います。
> しかし序列原理が崩壊した現在、上(親)から下(子供)への「〜しなさい」「〜するな」では、もはや通用しなくなっています。(会社にィいても同様。序列原理を使えば若者すぐ会社を辞める)序列原理で叱る(≒怒る)とますます子供は親の言う事は聞かなくなっていく。それを恐れてか親はますます叱れない。
> もはや昔の規範は通用しない。家族という集団ではもはや解決できない。新しい規範をみんなで構築していくことが必要です。
日本語の階称 (言葉遣い) は、日本人の序列を固定化するのに役立っている。82023 序列は、日本人の行動規範として、脳裏に深く刻み込まれる。生身に付着している日本教の聖書なのであろう。83909
だがしかし、序列による権威では、いまや日本人に対しても説得力を持たない。これが日本人の今直面している悩みである。説得力のなさは、単に日本人同士に止まらず、国際社会の外国人に対しても同様である。それは、日本人に理性判断がないからである。理性の獲得は、日本人にとっての急務である。84116
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実現思考とは、何か?
85038 > 「倒錯思考」ではなにも実現しないのでは?
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/02/02 PM06 【印刷用へ】
> 実現思考とは、何か?
> 84988 「倒錯思考」ではなにも実現しないのでは?
> 阪本剛 ( 31 千葉 SE ) 05/02/01 PM09
> 「未来構文」といえば、寺嶋さんというくらい、ネットの様々な掲示板などでご自説を展開されているようですね。
> リンク
> 残念ながら、ご自説には、事実誤認があると思われます。
>(私は、そもそも「未来構文」なる言葉を寺嶋さんのお言葉の他に聞いたことがないのです。なので、普通の読者が混乱しないように、言語における「表現」、「時制」といった言葉を使って考えてみましょう。)
未来時制で考えてください。時制と動詞活用表の話との混乱を避けるためにあえて構文という言葉を使ったまでのことです。
> ■英語の文法構造
> まず、英語も日本語も、「現在」から推測する、という形で、未来を表します。
> 英語の助動詞「will」の時制は何かご存知ですか?「will」の時制は「現在」なのです。
未来時制は shall (will) + 原形と理解しております。
「will」の時制が「現在」であれば、それはあなたにとってどうだということになるのでしょうか。
> 英語の動詞の活用には未来の時制はありません。
そのとおりです。動詞の活用と時制の話は、混乱させてはなりません。
私は、動詞活用表の話には興味がないのですが。
> それを「欲しい、したい」など願望の意味を表した動詞(現在の「will」、その語源はラテン語で願望を意味する「volo」)を助動詞として使って、将来のことについて語る表現を作ったのです。
> 日本語も、現在から推測するという形をとって、助動詞などを補って未来を表現する、という点では変わりません。
日本語には、時制がない。つまり、助動詞を使って未来のことを語る方法は存在しません。82320
私は、英語における未来時制 (基本時制) は推測を表すとは考えていません。
> 参考リンク:「英語の動詞に未来形がないのはどうして?」
> リンク
> ■英語を公用語とした国の現実
> もし仮に、未来を表現する言語が優れているのだ、とおっしゃるのであれば、英語よりもよほど明確に、動詞の活用として未来の時制を持つ言語は、いくらでもあります。
英語を用いると、理性判断ができるので都合がよいと申し上げているのです。それは、日本語にない時制があるからだと考えています。学術発表の観点からしても、英語を話す国でもさほど優れているとは思えない国もあります。未来の時制を持つ言語がどのくらい存在するか、私は知りません。
> 例えば、ラテン語がそうですが、しかし、ラテン語を使っていたローマ帝国が結局滅びたのはなぜでしょうか?
その答えは、ラテン語の知識をお持ちのあなたが答えるべきです。
> 百歩譲って、日本語には未来を示すことができない、としても(そんなことは事実ではありませんが)、ご自説と全く逆の立論も可能になります。
> 大多数の国にとっては、現在、GDPで世界第二位の経済大国の日本のようになるためには、ご自説の「未来構文」なるものなどなど捨てたほうがいいのだ、という主張も成り立つわけです。
ご自説の「未来構文」なるものなどなど捨てたほうがいいのだ、は、あなたの勝手な解釈です。私は、GDPで世界第二位の経済大国であるその上に、考える内容に内外からの尊敬を得るためには英語で考える能力をも獲得することが得策であると考えているのです。
ご自説と全く逆の立論をあなたは支持されているのですか。
> そもそも、イギリスの旧植民地だった途上国の多くが英語を公用語にしていますが、未だに貧困や抑圧に苦しんでいるのはなぜでしょうか?
英語を公用語に加えることが、全ての障害の解決策になるとは考えていません。少なくとも、我が国には有意義なことと考えております。リンクイギリスの旧植民地だった途上国のことは、貴方のほうが詳しいと考えますので、もしも理解しておられるようであれば、苦しむ原因についてご説明ください。
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
84909 > 学者・文化人は、糾弾される
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/31 PM00 【印刷用へ】
> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 84903 学者・文化人は、糾弾される
> 岸良造 ( 50 香川 技術者 ) 05/01/31 AM03
> 傍観者でありつづけた学者・文化人は、糾弾される。
> 学者・文化人は、昔から次のように言われていたと思う「えらい学者先生・文化人の言う事は、理想であって現実とは違うし その通りに行動したら大変な事になってしまう。というのはw者先生・文化人は、頭だけで考えて現実(生活の苦労≒貧困)を知らないからであり 世の中は、頭で考えられるほど単純でない」=学者・文化人は、昔から傍観者
> 世間の人が現実の判断に迷わない時は、学者先生・文化人の存在はたいして問題でない以上に 現実を超越した憧れの存在であったと思う。
> が社会が混迷している現在、藁にも掴む気持ちで学者・文化人・占い師に判断を求めるようになると状況は一変する。
占い師は、間違っても許されるが 大変な額の投資をしてもらった結果できあがった学者・文化人が、役に立たないどころか時代の閉塞の元凶であると認識されるようになりつつある現在 学者・文化人は、糾弾される対象以外の何者でもないと思う。
フランク・ギブニー (Frank Gibney) は、<人は城、人は石垣>の中で、「英語を使うのは絶えず論理的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行なわせる」と述べている。つまり、英語を使うということで価値に関する七面倒くさい説明は必要なくなる。ただ、英語そのものを学ぶだけで事足りる。84116
さらにつづけて、「一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば日本語には、”to be” [存在する] に当たる適当な動詞がない。 “being”[存在] とか “reality” [現実] のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」(concept) でさえも人工的につくらねばならなかった。」書いている。84819
日本語には、現実構文 (現在構文) しかない。だから、文章の内容をいちいち現実のことと断る必要もない。このような文法的事情で、日本語を使うと現実の世界から外には出られない。日本語を使って価値に関する七面倒くさい説明をしても哲学には到達しない場合が多い。83954
リンク
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素人に、何が、どこまで創造できるか?
84819 > 超国家・超市場論19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/29 PM08 【印刷用へ】
> 素人に、何が、どこまで創造できるか?
> 32569 超国家・超市場論19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない
> 四方勢至 ( 老年 京都 編集 ) 02/06/02 AM03
> 学者や文化人やマスコミは、教育や研究や発信を業とする特権階級であり、社会の単なる傍観者に過ぎない。決して現実社会を生きる当事者なのではない。
日本語には、現実構文 (現在構文) しかない。現実構文の内容だけを陳述すれば、それは傍観者になる。82123
> まして、傍観者に過ぎない特権(知識)階級が供給する情報をひたすら消費してきた読者・観客は、当然のことながらもっとひどい傍観者に成り下がってゆく。事実、昔からインテリとは、何事に対しても傍観者を決め込む、最も腰の重い連中の代名詞である。
英語の意思 (will) は、未来構文の内容である82180。日本語には未来構文がないから、日本人に意思はなく腰の重い連中となる。82057
> だが、何事も批判するしか能がなく、従って何一つ実現できたことがない只の傍観者に、現実社会の真の姿が見える訳が無い。
理性による批判ができれば価値がある。だがしかし、事実、やっていることは批判という名の愚痴にすぎないのであろう84165。「あるべき姿」と「今ある姿」を明確に把握していなければ、リーズナブルな答えを出すことは難しい。81994
リンク
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