ガタガタの原因は、私権の衰弱と序列原理の崩壊
84803 > いかにして観念機能を作動させるか
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/29 AM11 【印刷用へ】
> ガタガタの原因は、私権の衰弱と序列原理の崩壊
> 83558 いかにして観念機能を作動させるか
> 衛藤信義 ( 44 東京 エンジニア ) 05/01/03 PM07
> 私権の衰弱に伴い人々の潜在思念では、自分第一から仲間やみんなとの共認充足へと軸足を移行しつつあり、みんなの期待に応えて反応充足を得ることへと活力源が転換しつつある。にもかかわらず、仕事や学校、家庭、あるいは男女関係といった場面においては私権制度の現実が残存することにより、共認関係へと全面的に収束できずに蓋をされてしまっている。
さらには、頭の中は私権時代の観念や規範を刷り込まれているために、あくまで「自分」が大事、「自分」でなんとかしなくては、と自分観念に収束し、潜在思念が感じた可能性に自ら蓋をしてしまっている。
この、潜在思念と現実世界とのズレ、潜在思念と上部意識とのズレという二重のズレによって人々は完全に収束先を失い、袋小路に迷い込んでしまっているのが現状ではなかろうか。
雑念 (過去と未来の事柄82123) と現実世界とのズレ、雑念と向上心 (階称・言葉遣いに関する事柄82023) とのズレという二重のズレによって人々は完全に精神の集中力を失い、袋小路に迷い込んでしまっているのが現状ではなかろうか82057。言語に関する問題は、言語を通して解決できる83300。ただ、それを成し遂げる意思の有無にかかっている82735。
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感謝と謝罪のトレーニング
84743 > 必要以上に人の目を気にしている私たち
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/28 AM06 【印刷用へ】
> 感謝と謝罪のトレーニング
> 84741 必要以上に人の目を気にしている私たち
> 近藤文人 ( 39 東京 建築士 ) 05/01/28 AM02
> 人の目を異常に気にしすぎ、警戒心を抱いて、前に進めない。人それぞれだから、人それぞれに苦労したり、寂しかったり、泣いたり、悔しかったりした思いを誰にも言えず、内面の奥底に仕舞いこんで、開放せずに隠蔽し、偽りの自分を創り上げてしまっている。それこそ苦しい。
> 人は捨象しきれないが、警戒心をもったままでは、苦しいばかり。警戒心は、己で作り出した虚構だと思えた瞬間、廻りが肯定できる。
見栄と外聞は、昔から日本人が気にかけていたこと。
自我 (ego) に判断基準を持たない人は、非我 (non-ego) にその基準を求める。
日本人には、意思の代わりに恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。81994
個人主義と利己主義の区別も容易でない。82123
自己主張と我を張ることとの区別もつけられない。84341
意思の自由は、恣意の自由に置き換えられている。82240
これは、自由の履き違えである。84571
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次代の活力源は?(みんな期待⇒答えの供給者)
84687 > 私権課題も現実直視で挑む
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/27 AM11 【印刷用へ】
> 次代の活力源は?(みんな期待⇒答えの供給者)
> 84681 私権課題も現実直視で挑む
> 三浦弘之 HP ( 25 静岡 会社員 ) 05/01/27 AM02
> 現在では私権圧力が衰弱している状況にあり、私権課題に対して活力があがらないのは至極当然である。しかしだからといって、そこで思考停止してウダウダ言っているだけでは、何も実現などは出来ない。どうやって活力を上げて課題を突破していくかを考えるのがすなわち実現思考であり、そのためには徹底した現実直視と事実追求(構造認識)が必要となる。
日本語には、現実構文 (現在構文) しかない。82320
現実構文の内容は、実況放送・現状報告のようなものになる。82735
実況放送・現状報告に専念する人は、傍観者となる。82193
自分の構想は、目の前の事実とは違うことが多い。82615
自己の構想は、英語の場合では ‘You shall not kill.’のように未来構文の内容となる。82251,83281
日本語のように未来構文がなければ、整合性のとれない雑念となる。82354
むりに自分の構想を現実構文の内容として載せると、「それ、嘘・本当?」の質問に遭う。84027
一つの現実構文の中に現実をのせるか、構想をのせるかの二者択一の選択となる。「現実を無視してはだめだ」と忠告を受ける。83249
それで、構想の表明をあきらめている。82285
だから、日本人には個人も、個人の意見もない。82240,82504
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近代思想の正体(成立構造)
84641 > 日本人が英語が苦手なのは何で?(近代思想用語の基礎知識)
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/26 AM06 【印刷用へ】
> 近代思想の正体(成立構造)
> 83354 日本人が英語が苦手なのは何で?(近代思想用語の基礎知識)
> 井草貴浩 ( 33 群馬 現場監理 ) 04/12/29 PM09
> 日本においては英語が使えないことについて何の不自由も無いからなのですが、それは、日本が近代思想用語を全て翻訳してしまったからなのです。> 実は英語抜きで高等教育が受けられる国というのは極めて特異です。近繧フ高等教育は近代思想概念抜きには学べません。
英語を我が国の第二外国語の話が出れば、どうして労働者までが英語を必要とするのかという議論になる。
日本語は、日本人生活にとって自己完結的である。
その証拠は、日本語により高等教育が受けられることにより示されている。
英語を全て日本語に移しかえたと自負しているかに見えるが、抽象語ともなると日本流解釈は免れえない。
これは、主として日英の文法的な違いから来るものであるらしい。
日本語では、議論ができない。それは、理性判断ができないからである。
理性判断以外の判断の仕方を盲目の判断というが、日本人の判断は、この盲目の判断に相当する。
だから、自己のみならず他人の理性に興味を持つこともない。これでは、当然、知的な生活に障害をもたらす。
たとえば、学者は自説を論文として広くこの世に発表しなければならない。
投稿のとき、各学術雑誌には査読者がいて、議論をする必要性が出てくる。
議論ができないと、論文の発表もままならない。
当然、そうした研究者の価値は落ちる。この国の学術雑誌の価値も落ちる。
これは、言語の選択が、個人の知的能力を左右する一例である。
外国からの留学生は、哲学博士 (Doctor of Philosophy; Ph. D.) を求めてこの国に研究しにやってくる。
だが、無哲学・能天気のこの国において、哲学博士は稀に見る存在である。
仕方がないので、医学博士、工学博士などの博士を哲学博士と読み替えて証書を持たせて帰国させる。
こうした、その場しのぎの方法が戦後60年も続いている。この国の無哲学・能天気を憂いる気配はどこにもない。
だから、この国の「あるべき姿」を憲法に明記することも、歴史的事実に理性判断を下すことも容易ではない。
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共認充足か?自我充足か?
84571 > 「信念」から活力は生まれない
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/25 AM05 【印刷用へ】
> 共認充足か?自我充足か?
> 84564 「信念」から活力は生まれない
> 菅原正輝 ( 30 埼玉 建築士 ) 05/01/25 AM00
> 「信念」は個人の確固たる意思であり、自分第一の私権社会ではそれなりの活力になっていたかもしれません。でも、私権が衰弱し、自分から皆へと意識が向かっている現在においては「信念」はみんなの期待を遮断してしまい、活力を持つことへの足枷にしかならないと思います。
> 「信念」によって「こうあるべき」と、自分を抑圧するのではなく、廻りの期待に応えながら、柔軟に楽しくのぞむ。活力再生事業の当事者たるには、まず自分が活力を持たないと始まらないと思います。
ブッシュ大統領は、再選された。
彼は、就任演説の中で40回以上も「自由」という言葉を使った。彼は、自己の「信念」を表明した。
これが英米人の生き方であり、英米の世の中における国際社会の動き方である。
他の国の人は、ともすれば英米人の生き方に戸惑い勝ちである。
英米人と日本人の発想の違いは、歴然としている。たとえば、
英米は、国連をどのように利用するかを考えている。
日本は、国連からどのように利用されるかを考えている。
自己の「信念」を表明しなければ、他人の協力を得ることも難しい。
これは、我々の難しさである。
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私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)
84432 > みんなの社会だからみんなで動かせる
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/22 PM10 【印刷用へ】
> 私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)
> 84404 みんなの社会だからみんなで動かせる
> 松本直也 ( 44 大阪 塾講師 ) 05/01/22 PM00
> 今までは国がなんとかしてくれる、国はつぶれない、それがさも当然のように考えられてきました。しかし、今や国家に将来の舵取りを託していこうと考えている人がどれだけいるでしょうか。選挙の投票率は下がる一方、その反面政治家や官僚達は自分達の生活は維持しつつ(既得権は決して手放さず)、改革という名の改悪を平気でやろうとする、私権の統合体としての国家はもはや国民から見放され崩壊寸前です。
一人一人の考えは、それぞれその内容に違いがある。個人の考えを個人単位で選び抜く作業が社会構成員の一人一人に必要である。その選択過程がないと、民主主義は、衆愚政治になる。正しい民主政治は、内容に関する個人序列を作る。衆愚政治は、内容に関係なく個人序列を作る。
一人一人の区別のない社会で方策の一致を求めると、ご唱和の世界が実現する。一億一心か。国がひっくり返ってもその責任者は見つからない。一億総懺悔か。とかく、この世は無責任。
政治には、政治哲学が必要である。
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東洋と西洋
84361 > 規範意識と法の違い
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/21 PM06 【印刷用へ】
> 東洋と西洋
> 84343 規範意識と法の違い
> 橋口健一 HP ( 41 大阪 技術者 ) 05/01/21 AM04
> 多くの日本人(東洋)の規範意識は僅かに残存する縄文体質や儒教規範も相まって「みんなで決めたことは守るのが当たり前」であると正直に考えている。一方、西洋人は「強者同士の利害調整のために作った法や条約などは破るのが当たり前。いつでも都合よく変更できる」と考えている。国際社会で日本が舐められ続けているのも、この規範意識の差にあると思われる。
規範意識の差は、大和民族の滅亡につながる恐れがあるので注意を要する。「みんなで決めたことは守るのが当たり前」という考え方では、時と場合によっては泥棒たちの悪巧みと英米人の目に写るから要注意である。
「力は正義」83579であるということを理解すれば、「強者同士の利害調整のために作った法や条約などは破るのが当たり前。いつでも都合よく変更できる」ということも理解できる。
物の見方をメンタリティ (mentality) という。各民族のメンタリティは、その民族の言語と強く結びついているようである。大和民族のメンタリティは、2発の原爆をともなう悲惨なレッスンによっても改めることはできなかった。
まさか、正直でおとなしい民族を滅亡の羽目に追い込むとも考えられないが、彼らに反撃を加えれば大和民族滅亡の危険性はある。北米におけるアメリカ・インディアンは既に滅亡した。だから、大和民族も回教徒も英米には気をつけなくてはならない。
英語なら、議論ができる。だから、いつでも考えを都合よく変更できる。日本語では、議論ができない。問題解決の方法を変えることも難しい。
英語では未来構文の内容に個性が表れる。だが、日本語には、未来構文がない。だから、日本人は、個人の考えを把握することがおろそかになる。日本人は、自分のアイデアよりも、「どう見られているか」が気になるところである。個人無視は、大切な自分個人の判断をもなおざりにしている。82476
「日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条」を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れる。その一例を以下に掲げる。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。
得られた結果よりも自己の正当化が必要となるのは、結局、自分にとっての任務は根本的に頼まれた仕事だからである。そして、日本軍は完敗した。個人判断の効かない社会の悲劇である。個性による人選がなされていれば、自分の判断にも自信が持てるから、人目をそれほど気にすることもなく仕事にも粘りが出る。
英米人は、失敗しても、また考えを練り直して我々の所にやってくる。このときは、前回とは手法の違うことを覚悟していなければならない。82373
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閉塞の元凶は、個人主義
84341 > 自我ってなんだろう?
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/21 AM03 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 84331 自我ってなんだろう?
> 内田成洋 ( 24 奈良 会社員 ) 05/01/20 PM11
> みんなが使う自我ってなんだろう?
> 《自我》って、「他者否定・自己正当化」。自我が叫ばれた頃の「自分の意見を持ちなさい」ってその裏に「他人とは別の意見を持ちなさい」という意味がこもってます。
だとすると話し合いの場でも、自我があればもちろん話し合いはまとまらない。答えが出そうにネっても、それに反する自分の意見を持たないといけないのでいつまでたっても話し合いに答えなどでない。
《自我》って、私・自己のことであって、「他者否定による自己正当化」ではないでしょう。
サムライの果し合いのように、相手を倒さなければ自分が生き残れないのではないでしょう。自我の対照語である非我の存在をも認めるのではないでしょうか。自我はセルフ (self) の訳語で日本人にはなじみが薄い。英語には、セルフ・サービスなどセルフのついた熟語は多いが、日本語の場合には自我には熟語がほとんど無く、セルフは自己と解釈されるようである。セルフの意味するものは、自己の主体的統一にあると考えられる。82123
自我は「自分の我」という意味をこめて訳されているために、英語の内容との乖離が大きくなっているのではあるまいか。「そんなに我を張るな」というがごとくに、「我」は我が国に昔からあった。その内容は恣意 (私意・我儘・身勝手) である。81994恣意 (self-will) は、どこの国でも受け入れられない。我を張るためには、相手の主張を認めるわけにはゆかない。相手を倒さなければならない。そう考えれば、セルフを「他者否定・自己正当化」と解釈することも理解できる。だが、「我を張る」場合、相手を論理的に否定できたわけでもなく、自己の正当性を証明したわけでもない。ただ、子供のような振る舞いがあったということに過ぎないのではなかろうか。82251
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私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)
84308 > 『やりたいこと』と『やりがい』にズレがある
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/20 PM08 【印刷用へ】
> 私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)
> 84281 『やりたいこと』と『やりがい』にズレがある
> 赤路孝之 ( 32 兵庫 会社員 ) 05/01/20 PM01
> 知り合いの学生数名に聞いたところ、進路を決める際に大学から出てくる言葉は『自分のやりたいことを見つけなさい』のようなものが圧倒的に多いそうです。“やりがい”というものを探している学生には一応ピンとこないわけでもないアドバイスなのですが、どこかで疑問をもちながら就職活動を行っているようです。
「自動車の運転が面白くてたまらない」といったら、「面白いうちは、役に立たない」という答えが返ってきた。やりたいことは、面白いこと。やり甲斐があることは、当たり前のこと。82478
やりたいことは、遊びになる。
やり甲斐のあることには、使命感が要る。
後者が就職先として適当である。
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'70年以降の要求需要とは、何か?
84220 > 「野放し」になっている統合階級たちの「要求需要」
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/19 AM09 【印刷用へ】
> '70年以降の要求需要とは、何か?
> 84206 「野放し」になっている統合階級たちの「要求需要」
> 阪本剛 ( 31 千葉 SE ) 05/01/19 AM00
> 「誰の目にも明らか」な要求運動は衰弱する一方で、隠れた要求運動が公然と国家を蝕みつつある。
> それは、官僚による国家予算の分捕り合戦(概算要求)である。
> ■国家予算はこうして決まる
> ■ロボットが会津磐梯山踊りに成功
> ■BSEで得をした農水省
「あるべき姿」を追求することのネい国民は、全て自然の流れに従うことになる。
□国民に選ばれた人たち
宮本政於(宮)は、三権分立についての意見を厚生省の幹部(幹)たちとの会食の機会に述べた。以下は、宮本政於の著した〈お役所の掟〉のなかに出てくる、そのときの会話の一部である。日本の現状を反映していて興味がある。
幹「国会なんてそんなもんさ。俺がお前みたいに初めからバカにした態度をとらないのは、程度の悪い議員でも、いちおう国民に選ばれた人たちだからだ。だから形だけでも尊敬の念を表すことにしている」、宮「ところで、官僚の中から、権力一点集中の問題点を指摘するような人が出ても、いいのではないですか」、「君は世の中の見方が甘い。せっかく権力を手に入れた人間が、簡単に手放すような真似をすると思うか。政治家が努力して解決する問題なのだ」、「でも、現状を見ていると政治家が自分たちを改革するのは不可能ですよ。選ばれる人も選ばれる人なら、選ぶ人も選ぶ人ですからね。しかし、局長の理論だといつまでたっても官僚絶対主義は変わりませんよ」
□官僚絶対主義
宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。
宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」
著者は、日本人の知的低水準の問題を指摘している。官僚もそれを確認めている。官僚にすがらなくてはならない事情もよく説明されている。無哲学・能天気では、英米流の政治は成り立たない。有識者・知識人は、英語に基づく考え方をも理解しなければならない。これが日本病の原因療法である。役人が日本をしょって立つのは対症療法でしかない。
□今の国情
ある晩、宮本政於(宮)は厚生省の幹部(幹)たちと会食する機会をえた。そのときの会話の一部は<お役所の掟>に記されている。今の国情を反映していて興味がある。
幹「うがった見方といわれるかもしれないが、国会議員はいまのままでいてほしいのだ」、宮「法案作成能力に欠けた立法者にしておく、ということですか」、「まあ、そんなところかな。法律に基づいて国を運営する。これもひとつの権力かだよな。でも、法律を作るということは、もっと大きな権力を持っていることなのだ」、「それは私もそう思います。権力はいったん手に入れたらだれも手放したくない。これはひとつの真理ですよね。官僚がいつまでも権力を握っていたい、が本音なのですね」、「穏やかな発言とはいえないが、そういう見方もある」
□不毛の議論
宮本政於は、〈お役所の掟〉のなかで、本省に呼び出しを受けた折の審議官(A)および直属の上司(J)とのやりとりを記している。
A「君には、組織の中で生き残ろうという気持ちがまったく見られない。普通は生き残ろうと努力するものだ。」、J「朝日にあんな投稿をして、恥ずかしいと思え。」、私「あなたは恥ずかしいと思うから書かない。私は恥ずかしいと思わないから投稿したのです。あなたの考え方を私に押し付けないでください。」J「今後、あのような行動は慎んでほしい。」、私「投稿するかしないかは、私自身が決める問題で、あなたにあれこれ言われる筋合いのものではありません。」、A「きみは、我々とは別世界にいるんだよ。」、私「残念ながら、そのようですね。」、J「君のような考えで行動をとられては、えらい迷惑だ。」、私「異なった考え方を、とり入れてゆくだけの包容力を持つことが、民主主義の基本ですよ。」、A「君と我々は価値観がまったく違う、まあ、外国帰りだから、多少の違いはあると思っていたが、こうまで違えとは。世界が離れすぎている。」、J「我々と同じ考えでないものは去ってもらうしかない。」
日本人には、個人にリーズン(理性・理由)を求める習慣がないのであるから議論にならない。違った意見の持ち主に対しては手の施しようもないので、「辞めてもらうしかない」となる。だから、これは不毛の議論である。
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