なんで屋あれこれ
84217 > 社会(人々の意識)の変化を認識する媒体=「なんで屋カード」
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/19 AM06 【印刷用へ】
> なんで屋あれこれ
> 84214 社会(人々の意識)の変化を認識する媒体=「なんで屋カード」
> 鈴木龍也 ( 41 千葉 建築設計 ) 05/01/19 AM02
> 「とりあえず授業に出る」「とりあえず資格をとる」「とりあえず結婚する」という様に、目先収束というのは「とりあえず」という枕詞に代表されるように「それでいい(それで問題なし)」という実感は伴っておらず、どこまでも「答えが無い」という実感を伴っている。それゆえの探索基調の意識潮流は健在であると見てよいと思う。
日本人の考え方は、「とりあえず、、、、」になる。
現実構文の内容は、ナウな感じの表現になる。84165
英米人の求める「それで、どうした」の質問は、その「答え」を求めるものである。82251
だがしかし、その「答え」は現実構文の中にはない。82320
この次元の違う「答え」を表現しようとして日本人は苦しんでいる。82242
> 必要なのは「目先ではダメ」という深い実感を表現する言葉なのでは無いだろうか?つまり、みんなが感じ取っている「目先ではダメ」という潜在思念に構造認識(=新しい言葉)を示すことで、「目先の秩序(制度・規範)ではダメなんだ」という意識をはっきりと顕在化して貰う事ではないだろうか。
同感です。新しい言葉は、新しい構文でなければならない。
英語には、目先のことを述べる現在構文と、目先でないことを述べる未来構文と過去構文がある。82285
わが国の有識者・知識人は、英語だけで考える能力をも獲得する必要がある。82057
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潮流4 焦りの適応主体と目先収束
84165 > 人々は閉塞→目先収束→再閉塞の先に「確かな拠所」を求めだした
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/18 AM03 【印刷用へ】
> 潮流4 資格・制度・観念のバブル化(目先の秩序収束)
> 84160 人々は閉塞→目先収束→再閉塞の先に「確かな拠所」を求めだした
> 山澤貴志 ( 39 鹿児島 ITコンサル ) 05/01/18 AM00
> 私:自己否定かつ他者否定じゃ身動きとれないよね。だから貴方は「考えがまとまんないっていう以前に、自分は変えられない・相手も変わらないっていう可能性閉塞という状況判断」が固定化してしまってんじゃない。
> A:そうかも。
自己否定かつ他者否定とは、いわゆる愚痴のことではないでしょうか。
愚痴には説得力はないですよね。その内容に、この世の「あるべき姿」がないから。82251
> 私:で、それって君だけじゃないんだよね。今ってみんな家庭も企業も国家もガタガタ=閉塞=収束不全だから、みんないろいろ探してて、でも探したってまともな答がないからとりあえずできあいの答えに収束する=目先のみんな収束って状態なんだよね。目先のみんな収束は‘とりあえず’だからワールドカップフィーバーにしろオリンピックフィーバーにしろうつろいやすい。しかも無理やりまわりにあわせて盛り上がろうとすればするだけ、疲れちゃって、反動も大きい。そうするとあれもこれもやったけどやっぱイマイチって再閉塞におちいっちゃうんだよ。
> A:そうそう。そっか、でもみんなそうなんだ。
日本人は、目の前のことには、考えがまとまる。それは現実構文 (現在構文) の内容だから。
現実構文の内容は、実況放送・現状報告の類である。
目先のみんな収束は‘とりあえず’だからうつろいやすい。
人々は気分雰囲気に呑まれる傾向にある。82144
みんないろいろ探してて、でも探したってまともな答がない。
目の前にないことには、考えがまとまらない。それは未来構文の内容だからである。未来構文は日本語にはない。
いつまでたっても、国の青写真もできてこない。82057
言語による障害は、言語を通して克服できる。83954
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肯定視が共認回路を再生していく
84116 > 「肯定視」の清清しさ
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/17 AM05 【印刷用へ】
> 肯定視が共認回路を再生していく
> 84114 「肯定視」の清清しさ
> 井上誠 ( 36 神戸 建設関連 ) 05/01/17 AM02
> 「肯定視」とは、現実をあるがまま受け止め、その中で実現可能性を追求することであることを、改めて実感します。> そして、その行為は対象と共認回路を繋ぐ作業、つまり充足に向かうことであるとがわかりました。
日本人の場合は、事実と意見を分けて考えることが難しい。
それは、日本語には現実構文しかないからである。
現実構文の中で、事実と意見が果し合「をする。82354
「相手の言いなりになる」は意見に関することで、「現実をあるがままに受け止め、、、、」というのは事実に関する事柄である。
相手の言い分は、「あるべき姿」の内容であり、現実は「今ある姿」の内容である。
英語では、「あるべき姿」は未来構文の内容であり、「今ある姿」は現在構文の内容である。
自己の「あるべき姿」と他人にも認められる「今ある姿」を並置して、その違いを述べることができる。
それが、批判である。英米人の批判には論拠となる自己の「あるべき姿」がある。
自己の「あるべき姿」は、その人のリーズン (理性・理由) である。リーズナブルな「あるべき姿」を示す人は、理性的な人である。
そして、「今ある姿」を十分考慮して、現実を「あるべき姿」の方にできるだけ近づけるよう用意周到に努力をする。
それが、彼らの人生である。
事実と意見が頭の中で果し合いをしている日本人の発言には論拠がない。
自己の「あるべき姿」を語るときには、現実は消えてなくなる。
だから、日本人には個人責任をとることすら難しい。
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共認形成の場を作ってゆく活動こそ、真の社会活動
84082 > NPOの若者に「君たちが社会を閉塞させているのだ」と言ってみよう
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/16 PM01 【印刷用へ】
> 共認形成の場を作ってゆく活動こそ、真の社会活動
> 84073 NPOの若者に「君たちが社会を閉塞させているのだ」と言ってみよう
> 向芳孝 ( 49 兵庫 現場監理 ) 05/01/16 AM05
>現実の社会で「共認形成の場」を作ろうと言う活動は少ない。新しい思想を構築しようとはしないで、身近で具体的な運動目標を結集軸にしている。身近な運動目標に埋没すればするほどその運動は、現社会の「部分的な改良」にしか過ぎず体制の補完物になって行く事に気ェ付いていない。
この世の「あるべき姿」の内容を持つことは、日本人には難しい。理想を語ることの意義を見出せずにいる。83850
目的・理想のないところでは、手段の目的化が行われているが、これは、「部分的な改良」である。
> 活動している若者に「社会は一向に変わっていない」と訴えてみても「いや、徐々に変わっている」と自分たちの活動に充足しようとしている。
社会を変えるという手段が目的化している。どう変わらねばならぬかの目的を、深刻な問題として捉えられない。83747
> 社会不全⇒答え欠乏⇒みんな探索⇒みんな“人収束”という流れから、「考え、行動することをみんなでやっていこう」と、各自の思いでNPO等の活動をはじめている。
各人の自発は大切であるが、各人の哲学も大切である。未来構文のない考え方では、答えの追求をあきらめ身近な目標をみんなでやることに充足を見つけているのである。日本語を使って考えていては、他に方法はない。83954
NPOの若者に「君たちが社会を閉塞させているのだ」と言ったところで、この状態は変化するものでもない。
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実現思考とは、何か?
84047 > 現実主義と理想主義
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/15 PM10 【印刷用へ】
> 実現思考とは、何か?
> 84039 現実主義と理想主義
> 内藤琢 HP ( 27 京都 会社員 ) 05/01/15 PM09
> なんで屋露店で答えた後、「理想はそうだけども、現実はそうはいかないよ」と言う言われ方をする。
> いわゆる『現実主義』の壁。当人は「現実的に判断している」と言う。> しかし、本当にそうだろうか?それは、店主の側から見れば、「答えを出すことを諦めている」ようにしか見えない。> 「答えなどでるはずがない」と思い込んでいる。
現実構文一本やりの考え方では、理想の内容をそこに盛り込むか、それとも現実の内容を盛り込むかの二者択一を迫られる。
そうでなければ、結果は白昼夢となる。
理想は、未来構文の内容である。現実構文の内容として理想の存在を許されないのであるから、当然、「現実を (理想の内容の) 可能性の集積としてみる見方」は欠けることになる。
「理想はそうだけども、現実はそうはいかないよ」と言う考えは、理想と現実を同次元の内容であると考えている証拠である。日本人は、現実肯定主義であるから、理想に対しては肯定視が足りない。理想は幻想である。
「今は理想状態ではない」という判断は、英語のように未来構文の内容と現実構文の内容を比較して、初めて現実に対して下す判断結果である。
日本語のように、現実構文の内容だけでは判断できない。それは、論拠がないからである。
だから、「現実」とは多様な可能性の宝庫ではなく、諦めの果てに落着く場所なのである。
日本人にとっては、理想は幻想である。現実以外は、夢・幻の如きものである。日本語の考え方では、雑念というのか。当然そうなる。
現実構文しか持たない日本人が、現実を直視できないとは何とも皮肉なことである。それは、雑念が邪魔をしているからである。
現実構文という一つの座席を理想と現実の二つの内容が奪い合う有様は、そのまま日本人の考えの苦悩となって表れる。それで、精神の統一が必要となる。
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なぜ勉強しなければいけないの?
84032 > 学生の理科離れの原因
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/15 PM06 【印刷用へ】
> なぜ勉強しなければいけないの?
> 84010 学生の理科離れの原因
> 長谷暢二 HP ( 37 山口 農業 ) 05/01/14 PM10
> 昨今、マスコミ等で、日本の学生の理科離れ(理工系学部の人気低下や、理科系科目の学力低下)が頻繁に問題として取り上げられるようになりました。> しかし、そこでは、その原因についてスッキリしたものは提示されておらず、ただ、「技術立国日本にとっては、由々しき問題」「理科離れに歯止めもかけるためには、科学技術の重要さ、素晴らしさをもっとアピールしネければならない。」 程度のことしか言われていない場合がほとんどのようです。
> しかし、問題の本質はどうなんでしょうか?> 結局のところ、理科系(=科学技術、自然科学)に対するみんなの期待は何なのか?果たしている役割は何なのか?を捉えることが不可欠なのではないでしょうか?
> つまり、学生の理科離れの原因は、科学(技術)に対する期待が弱まってきた、あるいは、科学が、その社会的役割を果たせていないということに尽きるのではないかと思います。> では、科学に対する期待は何なのか?
科学技術と一言で言うが、科学と技術は本来別物である。科学は個人の世界観 (哲学) であり、技術 (実学) はこの世の便利さ (利便性) である。細工物つくりなど、この世の便利は金になるが、個人の世界観はほとんど金にはならない。
世界観による知識、すなわち科学を技術に応用すれば付加価値が高くなり、金儲けの能率が上がる。かくして、経済大国・日本はできた。だから、科学技術とは、科学的な技術のことである。
技術、すなわちこの世に関することは、「今ある姿」であり、現実構文 (現在構文) の内容である。
科学、すなわち未来に関することは、「あるべき姿」であり、未来構文の内容である。
車を光らせる技術を利用すれば、金儲けができる。だが、万有引力の法則を心得ていても金にはならない。
日本語には、未来構文がないので、「あるべき姿」もなく、日本人は伝統的に無哲学・能天気の民である。
だから、わが国においては科学の発達もよくない。だが、現実構文の内容を発達させて技術の方は伸びる。
英米の大学においては、哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.) が科学の研究に携わっている。83415
だがしかし、わが国においては、科学における哲学博士の名は一般的でなく、博士としては、工学博士、医学博士、理学博士などの名が知られている。これも、実学の影響が強いからに他ならない。
わが国の大学・教養部の形骸化が進む一方で、高校生のロボット・コンテストが盛り上がるのは、こうした伝統的な事情のためである。83201
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共認充足か?自我充足か?
84027 > 旧観念の根強さ
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/15 PM01 【印刷用へ】
> 共認充足か?自我充足か?
> 83959 旧観念の根強さ
> 上山昇良 ( 38 兵庫 会社員 ) 05/01/13 PM09
> 自己実現、自分探し、自分観念は、観念に囚われる限り、人々の意識からズレてしまうし、エネルギーを消耗して廃人のようになってしまう。『自分』という言葉はもう色あせて(=曖昧)、自己中のような意味になってしまっている。周りから評価されず、自己満足に陥っていては、活力が出ない。
日本語では、自分の考えを表現するのが難しい。
日本語には、現実構文 (現在構文) しかな「。83662
現実構文の内容では、他人と異なる内容は事実誤認となる。
それで、人々の意識からズレてしまうことを常に恐れなくてはならない。
『自分』という言葉は、日本語の中で色あせて見える。82123
自分の考えは、未来構文の内容となるが、この未来構文は日本語にはない。
英米人から自分自身の意見を尋ねられても、‘Yes or no?’ の質問に苦しむことになる。
構文を離れて片言で話せば、それは意思 (will) でなくて恣意 (self-will) になる。
その片言・小言・独り言は自己中心的な要求になる。意味もなければ、間違いもない。81994
恣意 (私意・我儘・身勝手) は、どこの国においても容認されることはなく、その本人は社会生活に支障を来たす。
個人の意思に自由は認められても、個人の恣意に自由はない。
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どうしたら、社会を変えられるの?
83954 > 「災」の年が明けて
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/13 PM06 【印刷用へ】
> どうしたら、社会を変えられるの?
> 83949 「災」の年が明けて
> 宇野大介 ( 25 静岡 会社員 ) 05/01/13 PM00
> 花粉症と巨大地震、どっちが悲惨か、なんていうまでもない。地震によって、海岸ぎりぎりに立っている静岡の浜岡原発が津波で決壊でもすればどうなるか?> なのに、みんなにとっては、花粉の方が重要な問題である。「巨大地震怖い!」戦々恐々としている人は、原発の近くに住んでいる人くらいである。> 大阪に住んでいる人で、同等の恐怖を味わっている人なんて絶対ノいないし、それを同じように感じろといっても無理な話である。
感じは、個人個人で違っている。だから、議論の対象にはならない。「趣味には論拠がない」(There is no accounting for tastes.)
> 所詮は自分に関係することが頭の中で優位に立つ。> 人間の思考はご都合主義だ。> だから社会は変わらない。
感性に依存する政治は、歌詠みの政治である。平安朝の政治である。
我々には、感性に流されることのない政治哲学に基づく政治が必要である。
ご都合主義は、「今ある姿」に関する内容である。が、哲学は、「あるべき姿」に関する内容である。
哲学なら大阪に住んでいる人でも勉強できる。
「今ある姿」と「あるべき姿」は次元が違うから、比較にならない。話は、かみ合わない。
我々は学究態度を哲学へと変えるしかない。83281
> でも、それでいいのか?ここで諦めていいのか?> どうすれば社会は変わるのか?変えられるのか?
諦観はよくない。わが国民がこぞって、自国の「あるべき姿」を考えることが必要である。83662
それは、誰にでもわかる内容ではなくても、賢い人間にしか思いつかないような内容であってもよい。
この国の指導者は、自己の「あるべき姿」に関する内容を広めて有権者を説得しなくてはならない。83747
それを可能にすることが、指導者に必要な指導性である。
有権者は、自分たちの選んだ指導者の英知に信頼を寄せなくてはならない。
原発の運転は、手段である。「今ある姿」の次元に関する内容である。
人の安全は、目的である。「あるべき姿」の次元に関する内容である。
目的のない人たちは、手段を目的化する。が、これは本末転倒で愚かな方策である。
目的を全うするような方策を今すぐ取らなくてはならない。83459
無哲学・能天気であっては、この英断を下すのは難しい。
知的低水準であるということは、このことを指している。83747
自分自身の能力を生かしきるには、道具の選択は重要なポイント。
考えるための道具は言語である。
だから、知的な仕事に携わる人は、言語の選択には細心の注意が必要である。
わが国の有識者・知識人は、英語で考えをまとめる能力をも習得しなくてはならない。83579
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現代意識潮流を探る、その深層には?
83909 > 家庭を貫く評価軸
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/12 AM09 【印刷用へ】
> 現代意識潮流を探る、その深層には?
> 83874 家庭を貫く評価軸
> 尾曲圭介 HP ( 27 福岡 会社員 ) 05/01/11 PM00
> 少し前の私権時代では、「私権の獲得(いい大学に入るなど)」という現実の圧力を前に、家庭を貫く明確な評価軸があったはずです。> 現在、親の自我発でもなく借り物でもない、現実(現実課題)を対象化した家庭を貫く、新たな評価軸が必要なのだと思いました。
評価軸に関する我々の悩みははてしない。
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。82023
民は序列観念をたよりに世界を眺めている。
人は人格、車は車格、物価は価格で資質は資格。
その他もろもろの格が存在する身分格式の社会である。
父兄は、子女の人格の向上を期待してやまない。
わが国の教育者は、学生の格差の検出に忙しい。
あくまでも、序列による秩序をこの世界に建設しようとしているかに見える。
同次元序列の観点にとどまって、格差是正を叫ぶものもいる。
没個性の世界を目指すのも難しい。
未来構文の内容は、個人個人で違っている。82123
その内容比べで議論ができる。
個人選びも可能になる。
個性を伸ばす教育により横並びの苦しい競争が避けられる。
個性を伸ばすことができれば、それぞれが満足できる。
だが、日本語には未来構文がない。
だから、今のところは、我々は非言語の世界でしか英米人に太刀打ちできない。82251
しかし、未来においては、我々の言語に関する障害は言語を利用して克服される。82285
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既成運動(政党やNPO)が、社会を変えられない理由
83850 > 可能性発の社会運動
寺嶋眞一 ( 67 静岡 無職 ) 05/01/10 PM08 【印刷用へ】
> 既成運動(政党やNPO)が、社会を変えられない理由
> 83844 可能性発の社会運動
> 井上緑 HP ( 23 神戸 OL ) 05/01/10 PM05
> 既成運動が社会を変えられない理由を端的に言うと、
>「言っていることとやっていることが違うから」だと思う。
言っていることは建て前。やっていることは本音。
建て前と本音は同じではないが、どちらも現実の中にある。
不思議でも何でもない。当然、このようになる。
日本人の言動は、現実構文 (現在構文) の内容に限られている。
> 例ヲば、環境問題。
> 口(意識)では「ゴミ処理場を作らなければ!」と言いながらも、
> 根底(存在)では、と思っている。
> 結局、口では色々主張しながらも、『自分さえよければいい』という意識がある。
「ゴミ処理場を作らなければ!」は建て前である。
「でも私の家の周りには、作らないでほしい」は本音である。
矛盾を指摘すれば、「だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか」ということになる。
地域社会の「あるべき姿」には、それ相当の青写真が必要である。
「あるべき姿」は未来構文の内容であり、日本語には未来構文はない。
だから、日本人の得意とする活躍は、現実構文の内容の範囲に限られているといえる。
高い感性を持つ日本人が、計画性のない都市計画をして、
センスの欠如した統一感のない建築物の外観をさらしているのは、かような理由あってのことである。
このゴミ溜めのようなわが国の景観は、正直、外国人にはみっともなくて見せられない。83459
> 例えば、反戦運動。
> 「戦争反対!平和な世の中に!」と皆に呼びかけながらも、
>「なぜ戦争が起こるのか?」という問いには、答えることができない。
> それどころか、「何故そんなことを聞くのか?」と逆ギレされる始末らしい。
> 現実社会を否定した上で、「もっとこうあるべきだ!」と理想を掲げ、それに向かう。
> 都合の悪い現実は捨象して、頭の中だけで理想像を築き上げている。
話 (現実構文の内容) にうつつ (現) を抜かしてはいけない、とは、昔から言われていることである。
だがしかし、西洋人の概念を日本文の中で語ろうとすれば、その分現実 (うつつ) を無視せざるをえない。83749
そこで、現実無視の空理空論となる。82354
現実構文を持ちながら、現実に適応することが難しい日本人の苦悩がここにある。
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