プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
135866 > 社会を閉塞させる罪人たち
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/29 AM04
> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 135850 社会を閉塞させる罪人たち
> 山田渉 ( 壮年 愛知 企画 ) 06/10/29 AM01
>>それは彼らが、それらの観念を売り物にして現代の神官としての特権的な身分を手に入れた特権階級だからに他なりません。あるいは、本来万人が担うべき社会の統合という課題に自分たちだけが高給をもらいながら関われる身分という意味で、特権的統合階級と呼んでも良いでしょう。(968)
観念を売り物にしてはいけない。127406
日本人に観念はなりたたない。102335
観念なしの統合が現今の問題である。124723
日本は、序列観念により統合されている。かに見える。82023
序列観念は、観念 (idea) でない観念である。93729
階称なしには成り立たない独特の観念である。92478(正誤表:定時→呈示)
全てのモノを横並びの比較により、格差の選出をする。129584
その格差に基づいてモノを縦並びに配置する縦社会・序列社会・格差社会である。124402
格差の内容が問題にならない。受験生の皆さん、ご苦労さん。135724
> もはやかつてのような権威は無くなったとはいえ、マスコミ、学者たちはいまだに社会に対する影響力を持っている。
現に、昨年の小泉劇場選挙を演出したのはマスコミだし、最近話題になっている北朝鮮問題や教育改革問題などでさも専門家あるいは教養人然と発信し人々をミスリードしている。
階称を使う人々に序列観念は抜きがたい。83909
ミスリードされている人々には、権威の種類を識別する術がない。101884
思考停止の神頼みですね。106379
人々にはリーズン (理性・理由・適当) が理解できない理不尽 (unreasonable) な社会である。84116
個人主義がない。99069
> 人々の反応に敏感なマスコミは、目先を変えてタレントを起用して発信させるケースも多く見られるが、これがまた問題を大きくしている。彼らタレント発信階級は、分不相応ゆえに無自覚に旧い観念に染まり、よかれと思って真剣に発信することになる。
目先・手先のことは、いつも気になりますね。85728
日本語を使う日本人に対する観念の導入は難しい。129307
発信階級は、この困難さに関して無自覚である。82320
それで、よかれと思って真剣に発信することになる。97911
> 自らの特権的身分を守るために社会をミスリードし閉塞させているマスコミ・学者たちは、まさに自己中の塊の大罪人であることを糾弾しなければならない。
ミスリード以外のリードがない。それが問題である。83954(正誤表:「あるべき姿」関する→「あるべき姿」に関する)
悪い人は、一体誰なのでしょうか。82193
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学校って、必要なの?
135724 > 学校で規範破りを教えて如何する
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/27 PM10 【印刷用へ】
> 学校って、必要なの?
> 135672 学校で規範破りを教えて如何する
> 松本幸二 ( 50代 京都 総務 ) 06/10/27 PM03
> 高校で「必修逃れ」をして卒業出来ない生徒が発生する事態となって揺れている。
高校生に責任はないですね。84432
> 指導要綱に必修と成っているにも拘らず、生徒の「大学受験に不要な科目は止めてくれ!」との意見で学校が便乗を図って今回の問題が生じ発覚した。
高校で勉強するのも、大学での勉強に備えるためでしょう。94775
我が国では子供の勉強が盛んであるが、英米では大人の勉強が盛んである。83415
> 学校も生徒も受検と言う私利私欲を追い求めた事に原因がある。
私利私欲は、決して褒めたものではない。
「私」自体が、褒めた言葉ではない。辞典を見ると、自分一身関すること、内密なこと、不公平なこと、自分の利益をはかるために不法に公共の利益を専有することなどとなっている。
そして、日本語の個人主義は「私」の言い換えのようなものになっている。134805
個人主義を「私」の同義語のように考えていては、英米流のindividualismの理解は難しいですね。意訳ではなくて、違訳・異訳の類ですね。100288
学校も生徒も高等教育を目指していることは、良いことですね。でも、その高等教育の内容には問題がありますね。98872
受験がなければ、私利私欲もなくなりますかね。個人が育つかもしれませんね。82180
私利私欲は、自分中心的ですね。global (全地球的な) でもなければuniversal (全世界的な) でもない。106317
個人主義は、あたかも不道徳なことのように解釈されている。122525
美しい私は、この国には存在しないのですか。美しいのは、滅私ですか。82735
> 個人主義を根底に置いた「個性の尊重」「平和主義」「民主主義」等の原理で基礎付けられた日本の教育基本法を元に教育されているのだから、個人の意見が罷り通る事態が生ずるのもおかしくはない。
個人主義を伸ばすべきですね。
個人を伸ばす必要性は、個人の世界観を伸ばすことにある。84032
世界観が持てない言語構造であっては、高等教育にも意味がない。83201(正誤表:「あるべき姿」ない→「あるべき姿」のない; わが国民フ→わが国民の)
高校卒の知的水準に止まる。107034
子供のような大人が出来上がる。101052
> そして、指導要綱の基準が元々おかしいという疑問が有るなら、こんな規範破りを教える以前に真正面から問題本質を追求する姿勢が学校に求められている。
同感です。97794
学校・教育者の問題本質の追及の仕方が足りないですね。99987
自分だけが黙って難関をすり抜ける術を編み出すのは、反教育的ですね。93835
これが、さしずめ日本流個人主義ですかね。79157
> 今議論されている教育基本法の改正も必要と思うが、旧観念を下敷きにした「国を愛する心」「伝統の尊重」「新しい「公共」」など古い理念では、何も変わらないし教育現場は悪化する一方だ。
「国を愛する心」は、歌詠みの心かもしれませんね。108069
「伝統の尊重」は、未来指向を妨げるものにならないと良いですね。105464
「新しい「公共」」は、分かりませんね。
> 個人主義などの旧観念を否定し新しい時代に必要な認識即ち事実認識の追求が求められている。
観念は、日本人には難しいですね。85728
事実関係調べに徹しても、「あるべき姿」には到達しませんね。82123
それで、いつもながら現実対応に戸惑いが出てくる。82476
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その他
135627 > 最も根底的な気付き
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/26 PM11 【印刷用へ】
> その他(社会統合)
> 68004 最も根底的な気付き
> 内藤琢 HP ( 24 京都 会社員 ) 04/02/15 PM04 【印刷用へ】
> まだ学生の頃、「自分はどうあるべきなのか」「そんなもの決められない」という2つの疑問を行ったり来たりしている人間は多かった。
「自分はどうあるべきなのか」ではなくて、「人間はどうあるべきなのか」を考えなくてはいけないのでしょう。93383
つまり、グローバル、ユニバーサルな観点からの考察が必要です。105343
「あるべき姿」は、別世界に関する内容です。非現実の世界の有様です。81994
「自分はどうあるべきなのか」は、特に決める必要がないことでしょう。93978
現実対応に関しては意思の通りに言動すればよいこと。85322
その現実対応が円滑にゆかない場合は、その時々に方策の改良を考えればよい。84361
> 曰く、「自分がどうあるべきか決めなくちゃいけない。
「自分はどうあるべきなのか」は、個人的な問題であり、趣味の問題でしょうね。94200
> よくわからないけど、とりあえず決めてみる。> 決めてもそうはなれない。
不確かな目的では、現実対応にも問題が出てきますね。83225
> そうなるようにがんばらなくちゃいけないのか、こうあるべき自分を決めなおさなきゃいけないのかわからない。
「がんばる」では、他人からの命令ですね。見栄と外聞により動機付けられるのですか。人畜共通の苦しみですね。107515
> わからないけどこうあるべき自分だけは決めなくちゃ。自分の意見は持たなくちゃ」
自分のことは、あなたの自由ですね。101052
> わからないけれども「自分の意見を持たなければならない」と言う部分に対しては、否定もできず「分からない」とも言えず、闇のような思考のループから抜け出せない。
「人間はどうあるべきなのか」についての「自分の意見を持たなければならない」のでしょう。95791
その目的には、英米流の高等教育が必要ですね。真理の探究が必要ですね。85516
> それが全てを自分課題にしてしまう旧観念の最も危険な部分であるし、またそれが「自分からみんなへ」というのは最も根底的な気付きになる所以であると思う。
全てを自分課題にするでは、処世術のようなものですね。哲学にはならない。82476
日本語は、実況放送・現状報告の内容を述べるのに適している言語である。82057
外来の観念を日本語で述べると、実況放送・現状報告の内容と間違えられ、詭弁であると抗議を受ける。93128
だから、英語のような時制のある言葉で考える必要がありますね。93494
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その他
135425 > 数年もすれば廃刊する週刊誌も多くなるのでは
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/25 AM07 【印刷用へ】
> その他(社会統合)
> 70170 数年もすれば廃刊する週刊誌も多くなるのでは
> 匿名希望 ( 20歳代 新潟 会社員 ) 04/04/11 PM11 【印刷用へ】
> 、、、、、、、、等等、多くの時事ネタを扱う週刊誌があるが、ほとんどが推測で話を膨らまして書いているネタ、幻想を書いているネタ、どうでもいいネタが多い。
日本人の話とは、そういうものでしょうね。そのときの気分・雰囲気を伝えているのでしょう。83747
報告者の頭の中で、現実と非現実が分離していない。購読者の側も同様に分離できない。82354
それで、この種の話には何ら問題がないように思い込まれている。98752
筆者と読者は、意気投合して楽しんでいるのと違いますか。だから、商売として成り立つ。124344
時事ネタは、歴史小説のようなものですよ。いうなれば現在小説です。現実構文の内容には、そこそこの実感がある。90706
歴史上の人物を登場させて話を膨らまして書けば歴史小説、現在の人物を登場させて話を膨らまして書けば現在小説です。現実直視ではない。あることないこと書いている点が同じです。90895
だが、有名な歴史小説家であっても、同じ手法を使って、現在の人物について現在小説を書くことはできない。102467
これが、推測・幻想の限界です。非事実(fiction)による迷惑が古人にも現代人もかかるからです。128090
非事実でありながら他人に迷惑がかかるという現実があるのです。
「あるべき姿」の内容は、非事実・非現実である。93383
「あるべき姿」を述べるのであれば、非事実・非現実でも一向にかまわない。127883
「今ある姿」(nonfiction)を述べるのであれば、非現実は嘘そのものである。130564
だから、仮説・非現実(fiction) 、非仮説・現実(nonfiction) の区別は重要です。128704(正誤表:のでは、日本語→のは、日本語)
現実構文 (現在構文) ばかりの日本語で、現実と非現実が分離できないのは困ったものです。93309
> そしてその読者層は中年より上の世代である。若い世代はそのような事実と違うこと、変な幻想のネタなど読まないし、読みたいとも思わない。電車で読んでいる若者は見たこともない。そんなものを読んでいる時間があったら、携帯で友達とメールしていたほうがいいのだろう。
若者のメールの内容は、大丈夫なのでしょうね。
> これらの週刊誌が今のスタイルを変えないようであれば、あと数年もすれば消滅していくのは目に見える。現に70年代に創刊して近年廃刊に追い込まれている雑誌もたくさんある。つまり幻想を求めていた時代にしかうけなかったと思う。
> と、思ったとき、それらに変わるものがきっとるいネットでありなんでやの場なんだなと思った。
近年廃刊に追い込まれている雑誌もたくさんあったにしても、日本語に現実構文 (現在構文) しかないことを考慮に入れると、週刊誌が今のスタイルを変えることは難しいでしょうね。103548
同様にして、読者が今のスタイルを変えることも難しいでしょうね。133361
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素人に、何が、どこまで創造できるか?
135323 > 現実を対象化した言葉だけが求められている
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/24 AM03 【印刷用へ】
> 素人に、何が、どこまで創造できるか?
> 135253 現実を対象化した言葉だけが求められている
> 小林雅志 ( 41 岡山 営業 ) 06/10/23 PM02
>>近代思想家は古代宗教家と同じく、現実そのもの(=自我・私益・力そのもの)を直視しようとはしなかった。(20055)
日本人に、現実直視は難しいですね。120480
思想家の観念は、現実直視を妨げる雑念になります。82476
> 市場時代に“自我・私益拡大”の現実を対象化した言葉(例:もっと女や権益をよこせ。)を発したとしたらどうなっただろうか?> もちろん社会に共認されるわけがない。
恣意 (私意・我儘・身勝手) は、何処の国でも通用しませんね。99864
昔の日本人は、滅私奉公により、恣意を抑制していた。94865
> しかしそのことで自我・私益拡大による社会秩序破壊の危険性が鮮明になり、皆の本源性が喚起され、それを制御する仕組みに変わっていたかもしれない。
恣意の拡大は、「世界にあって、世界に属さず」ですね。126819
第三の開国が必要です。108777
> どんな弱々しい言葉であれ、現実を対象化した言葉だけが、現実を変えられる可能性を持っていると思う。
日本語は、現実の内容しか記述できませんね。82320
だがしかし、現実の内容に従がって現実を変えると、改革が目先・手先の範囲に止まるおそれが多分にあります。107518
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閉塞の元凶は、個人主義
135258 > 個人主義論者の皆様へ>2つの問題
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/23 PM03 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 627 個人主義論者の皆様へ>2つの問題
> 斎藤裕一 ( 37 東京 建築家 ) 01/02/28 PM11 【印刷用へ】
> 問題@;
> 真の、本当の、という表現は、結局何も言い表すことが出来なかった、何なのか解明できなかった、ということの表明に過ぎません。これらは、ある現象等に対して「そうではない何か」ということに過ぎず、これでは内容が不鮮明であり、議論にも追求にもなりません。また、そのような文章が総じて、念仏的、根性論的様相を呈しているのも、この「説明した気にさせる表現」が招く悪しき状態であると思います。真の何々というような表現を極力避け、それが何なのかを解明する事に努めるべきであると思います。
「真の、本当の」でもかまいませんが、「そうではない何か」では、困りますね。議論にならない。83909
内容をはっきりと文章で示すべきですね。85176
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。90820
> 問題A;
> この間の当掲示板に登場する自由とは、そのほとんどが、単純に当事者の身体的欠乏=「個人(自分)の自由」でしかありません。このようなものに対する短絡的な追求は、当事者にしてますます不安になる(あるいは、己の欠乏が増大する)というようなものであり、そういった状態から抜け出すためには、これを越えるより普遍的な論理性こそが必要であると思います。
短絡思考は、その現実対応に深刻な問題を起こしますね。128267
貧富の差を解消するために通貨を廃するとか128127、平和を愛するから軍隊を持たないとか109095、いろいろな短絡思考があります。
普遍的な規範 (standard) ももちろん必要ですが、そこに到達するための現実対応に関する明確な手順書のようなものも明らかにする必要がありますね。108331
さもないと、平和達成のために武器を手にするといったようなことは、理解不能です。134612
> 例えば、「人によって感じ方が違う」と言う様な発言をされた方が居られますが、このような捉え方は、ことさら個人主義的(個性尊重的)であり、何故このようなことになるのかは、その当事者においても大いに分析されるべきものであると思います。
「人によって感じ方が違う」は、現実ですね。128685
同じ光景を目にしても、一方は狂喜し、他方は号泣する場合もあります。83716
情の問題は、理を通して解決されるべきです。118679
日本人の頭の使い方は、考えるよりも感じるが多い。82285
> また、似たような問題として、「自由は規範に基づいた自由であるべき」との発言も、「規範に基づいた(則った)個人」とでも言い換えた方が良いくらいの問題として、やはり集団規範とその集団に含まれる成員の意識を対置的に見ているところから生じる様に思います。
集団か、個人かですね。127915
個人が自己の世界観を明らかにしなければ、個人不信は解消されません。83201(正誤表:「あるべき姿」ない→「あるべき姿」のない;わが国民フ→わが国民の)
集団を信頼すると「とかく、この世は無責任」となるのではないでしょうか。84432
国がひっくり返っても、その責任者は出ない。132537
序列社会においては、責任の問題を棚上げにした上で、序列に従って命令が出る。天の声とでも言うべきものか。93729
> どうせなら「集団と個人」「個人主義と自分」等について論じられた方が、論旨がより鮮明になり、結果としてより思考的になるように思いますがいかがでしょうか。
「集団と個人」は、「集団があって、個人がない」場合に相当するでしょう。84743
「個人主義と自分」は、「利己主義を個人主義と履き違え、意思を恣意と誤解する」場合の論題に焼きなおされるでしょうね。82242
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アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
135210 > 脱個人主義
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/23 AM00 【印刷用へ】
> アメリカ支配が続くのは、何で?
> 5015 脱個人主義
> 松本直也 ( 40 大阪 塾講師 ) 01/06/06 PM02 【印刷用へ】
> 最近、米国土ミサイル防衛構想への批判発言をしたとして、田中真紀子外相の更迭問題がマスコミ紙上で取りざたされていますが、いまだに対米批判=失格者の烙印を押す風潮が特権階級に根強く残っているということを痛切に感じます。> 別に田中外相個人の資質の有無について論じたいのではなく、いかに日本がアメリカ化しているのかがわかる事例として考えたいのです。> つまり、戦後の日本は無意識のうちに(もしかすると意識的に)アメリカ化していくことが発展のそれこそ唯一の基準として考えてきたのではないでしょうか。
アメリカ化しているのは、上辺だけですね。97911
> そして、その最たるものが個人主義に代表されるアメリカの思想的伝統的理念の受容ではないでしょうか。
> 当のアメリカ社会では一つのイデオロギーの結論として、自由な個人・自由な選択・自由な競争といった「自由」という表層観念が認知されました。そして、それは逆に家族の崩壊・他人に対する無関心などをも生み出すことにもなりました。
観念は、我が国においては、表層観念になりますね。121946
これが、上辺だけアメリカ化しているということです。82320
> そして、結果的に自由は信頼の崩壊を招くことになりました。個人の自由とは、一人一人の価値や判断は全て主観的なものですからそれを超える価値など存在しないことになります。当然、集団としての価値と個人としての価値が衝突した時優先されるのが個人であれば、個人の主観を超えるものなど存在せず、個人主義こそが絶対であるということになりますが、本当にそんなに価値あるものなのでしょうか。
我が国おいては、国がひっくり返っても責任者としての個人は見当たりません。84432
個人主義がないので個人が見当たらず、一億総懺悔となるのです。人災と天災の区別ができません。93729
危機に際しての、国の方向転換が難しい。98352
> 本来、個人主義を標榜しているはずのヨーロッパ社会においても実際は地域への帰属意識が強く、共同社会の中でしか生きていけないことが実証されています。
外国からの移民にとって個人主義の浸透が英語圏の魅力になっているようです。109520
> 我々日本人は本来集団意識が強く、個人よりも皆に価値をおく民族であり、脱アメリカ化を目指し、みんなを対象化していくことが今こそ求められているのではないでしょうか。
新憲法など、あまり頼りにされていないようですね。「個人が大切」と書いてあるのではないでしょうか。127915
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るいネットをどう変える?
135185 > 期待を込めて
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/22 PM09 【印刷用へ】
> るいネットをどう変える?
> 18198 期待を込めて
> 斉藤直 ( 24 宮城 木造関係 ) 01/12/10 PM10 【印刷用へ】
>>確かに、あまり明るい時代ではありません。でも、だからこそ多くの人の「感覚」は鋭くなっていると思います。そこにフィットする言葉をつむぎ出せれば、そこに一気にエネルギーが収束していくようなイメージをもっています。18101
> そうですね、僕らは本能的に危機を察知しているのでしょう。
本能的な潜在思念は、人畜共通ですね。107515
> 何故こんなにも不安を抱えながら生きていくのか。
未来に関する見通しが立たないからでしょう。81994
> 「自分のしたいことをして生きたい。」
自分の意思を持つことも、難しそうですね。82057
> このように思うこと事態、自分の思うように生きられないと感じている。
自分の思うようとは、自分の理想 (努力目標) に向かって励むことですか。それとも、恣意による人生を求めることですか。83749
> 居酒屋でみるぐてんぐてんに酔っ払った人々を、将来の自分とかさねあわせたりもする。> 不安は募るばかり。
理想 (努力目標) がないのですね。不安が募るのは無理もない。92540
> 理想の生き方を求めながらも現実の生活の中に埋没していく自分を見たくはないのだ。
日本語脳では理想 (努力目標) を保持することは難しい。現実の生活の中に埋没するしかない。123619(正誤表:Thomas Jefferson (1950)→’Rough Draft’ of the American Declaration of Independence, in J. P. Boyd et al., Papers of Thomas Jefferson (1950) vol. 1)
> 変えたいと感じている人々が多いのにもかかわらず、何も変わっていかない世の中。
どのように変えたいかが問題です。何も変わっていかない世の中の方が良い場合もある。82123
> 何かに希望を求めたくなる。
あなたの希望が何であるかの問題です。82180
> 鋭くなった「感覚」で感じ、期待を込め、希望を見出す人達がいる。
日本人が情を理に変換できたら大したものです。101455
> その期待(エネルギー)を受け止め、活力とし、人の心に響く言葉があるサイトにしていきたいですね。
人の心に響くリーズン (理性・理由・適当) を表明できるサイトにしていきたいですね。84116
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閉塞の元凶は、個人主義
135128 > 近代は「現実を否定すること」が「知的」であるとされた特殊な時代
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/22 AM05 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 18309 近代は「現実を否定すること」が「知的」であるとされた特殊な時代
> 阪本剛 HP ( 27 千葉 SE ) 01/12/11 PM11 【印刷用へ】
> ◆◆現実と非現実の二重構造
> このように、近代社会は、支配体制の現実の中に生存の基盤と実態をおきながら、かつその現実に対して、否定的な言説を唱えることが、ごくごく当たり前である社会だと言えます。
現実の中での生存の基盤と実態は、現実構文の内容ですね。82320
> しかも、その否定は、あくまで言説における否定であって、実態は自分が否定した現実のそのものにあるのです。
日本的思考は、常に「可能か・不可能か」の探求と「是か・非か」という議論とが、区別できなくなりますね。127725
> この社会が、どのような心理的メカニズムを生んだかといえば、社会の現実と人々の観念の間の断絶です。
> たとえば、一切現実が変わらなくとも、より巧みな否定の論理があれば、何かを語ったことになるという、ジャーナリスト、知識人の言説がそれです。
現実 (reality) と観念 (idea) は、内容の存在する世界が違いますね。別次元の話です。93381
現実は目の前のこと。観念は頭の中だけで起こったこと。134999
> なおかつ、そのような社会に対する否定こそが、知的な営為・証拠であると見なされるという、大変奇妙な状態が続きます。
現実の内容と自己の理想を比較して、同じでなければ答えは否定形になります。根拠ある理性的な判断となります。84116
「是か・非か」という議論ですね。
> この「深浅の差はあれ、根本的には現実を否定して、この現実の代わりに彼のユートピアを打ち立てることが、意思のはたらきによってできると信じている」(E.H.カー)思惟の形式は、そのまま旧来の社会運動に当てはまります。
意思のあるところに方法はある。90612
現実対応の問題です。82476
「可能か・不可能か」の探求ですね。
> この「砂上の楼閣」のごとき、意識における「現実と非現実の二重構造」こそが、あらゆる変革運動が敗北した理由と言えるでしょう。
この「現実と非現実の二重構造」は、英語に関しては日常のことです。133327
考えの二重構造を理解することが、知的低水準を脱するきっかけとなることでしょう。83300
私は、フランス語についてはまったく分からないのですが、、、、。
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> 参考資料:
> 「L'amitie」1997/7 翻訳、解説−Michel Foucault,‘La fonction politique de l'intellectuel’
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その他
134999 > 近代思想からの脱却無しには何も見えない
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/21 AM06
> その他(社会統合)
> 68860 近代思想からの脱却無しには何も見えない
> 小西康雄 ( 40 大阪 企画 ) 04/03/10 PM08 【印刷用へ】
>>日本人(特に近代化と市場化を推進してきた政治家やマスコミ・文化人などの統合階級)の精神の中に、アメリカにはかなわないというコンプレックスとその反面の憧れがあったのは間違いないのではないでしょうか。68651
> 子供の頃、歴史を学ぶ意味を「人類が社会を築いてゆく道標となるのが歴史認識である。」と教えてもらった記憶がありませんか?
> アメリカのイラク侵略もそうですが、私権社会、特に社会の共認圧力が高まることによって私権闘争が発現され難くなった現代社会を理解するには、私権獲得に向かう本音(=事実)と本音を覆い隠すために喧伝される建前(=幻想観念)の双方を知る必要があります。
カレル・ヴァン・ウォルフレンのいう本当の動機と表面的な動機のことですね。133746
> しかし奴隷解放や貿易自由化等の記述を見ても、教科書には「本音」については記述されておらず、あたかも建前で社会が動いているかのようです。このようにいびつな世界観が教育される原因には、欧米先進国とこれらの国々が掲げる自由・平等などの近代思想対するコンプレックスと憧れに学者・教育官僚達が深く囚われているからだと思います。
このような考え方 (二分法?) は英語にはないので、英米人からは相手にされませんね。83850
「世界にあって、世界に属さず」という結果になります。127915
事実(私権獲得に向かう本音)は、現実構文の内容となる。82123
幻想観念(本音を覆い隠すために喧伝される建前)は、未来構文の内容となる。125880
未来構文があれば、観念は幻想とはならず、議論の対象となる。84361
双方を知る必要があるとおっしゃるが、双方は次元の異なる内容であるから、現実構文オンリーの日本語では無理です。95791
> 学者達にとって先進国の本音を語るということは、事実を覆い隠すだけの価値しかない近代思想や近代主義の体現者であるアメリカの幻想性・欺瞞性を明らかにすることに他なりません。自分たちの思想や目標とする国家の否定は、数十年間の間、近代思想を盲目的に追従し、それで生きてきた自らの存在をも否定することであることから、彼らには受け入れがたいことなのでしょう。
学者達は、自己のメンタリティのことを考慮することなく盲目的に追従して生きてきたのでしょうね。86134(正誤表:できなません。→できません。)
近代思想や近代主義は観念 (idea) で、日本語の中では事実を覆い隠すので、幻想性・欺瞞性を持つことになります。85322
> しかし、近代思想を全面的に否定すること無しには社会の事実を語ることすらできず、学校で教える社会・歴史認識などいまや何の役にも立ちません。
事実を語ることは、現実構文 (現在構文) があれば可能でしょう。82320
事実を自由に語ることができないのは、雑念に邪魔されているからではないでしょうか。92653
現実構文 (現在構文) しかない日本語では、観念 (学問) は雑念の方に入ります。90895
> これでは、学者達自身が掲げる「歴史を学ぶ意味」も単なるお題目にすぎないばかりか、学者達こそが、混迷した社会の答えを求めて事実追求に向かう子供達の邪魔をする存在でしかないように感じます。
「歴史を学ぶ意味」は、歴史哲学を習得することにあります。単に、歴史的事実のみを暗記しても生きる力とはならないでしょう。95542
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