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個人と世界観    寺嶋真一さん 公務員 20010611 投稿

 

世界観とは、言うなれば世界とはこう言うものだ。その中で、人はこう生きるものだという、世界・人生に対する見方であるが、日本人の場合は、個人的でなく「誰が見ても、、、、」の実況放送の形式になる。個人のユニークな見解などは相手にしない。抹殺しようと試みる。そこで、日本人には、個人単位の議論が出来ない。個人的な世界観の交換をしなければ、学問の発展はない。個人の掴み方とは、個人の世界観を掴むことである。日本では、個人が現実という同次元の中に住んでいる。異次元の中に住む個人を公正に比較することなどは考えても見ない。254 文字

 

 

国民の態度について      寺嶋真一さん 公務員 20010608 投稿

 

国民は、首相や外相の世界観をじっくりと拝聴すべきである。そして、彼らの目指す道が自分の希望する道とどの程度一致するかを見届けるべきである。その後で、賛成・反対を表明すべきである。一挙手一投足を注目していて、こと細かに小言・片言のコメントを投げかける野球や相撲の観戦のような形式では駄目である。議論においては、相手に思い切り自由に発言させるべきである。揚げ足を取って話の腰を折るようなことはしないで貰いたい。間違いがあったら自由に訂正しいもらい、間違いを訂正したとして、その人を非難し因縁を付けるようなことをしないでもらいたい。終始、熱心に相手の世界観を把握することに努めるべきである。さもなければ、個人抹殺に繋がり、議論全体が無意味なものになる。323 文字

 

 

外務省のこと    寺嶋真一さん 公務員 20010609 投稿

 

自己の世界観を有権者にチェックされるはずもない官僚に、有権者固有の権限 (パワー) なぞ譲り渡してなるものか。政治家を前にして、有権者の親代わりを気取る官僚の態度が気に食わない。主権在官などとは、何処の法律にも書いてない。民主主義の根本を間違えられては困る。127 文字

 

指導者の信頼    寺嶋真一さん 公務員 20010606 投稿 

 

最近の首相および外相は、国民に信頼されているのであろうか。人物を評価する場合に、一体、個人の何処を見て評価するのか。個人を掴むのにその人の世界観を把握しないで評価するのでは意味が無い。どのような世界を目指して日ごろの生活を営んでいる人かということである。選ばれた後で、選ばれた人物の片言隻句をあげつらう人は大勢いる。このやり方で、活躍を期待する自分達のリーダーに足かせをはめる。自分達の代表者を批判するばかりで、手を貸してやることはできないのか。彼等は、あおる理論の専門家か。それでも、選ばれた個人を信頼しているのか。それとも、非難を繰り返す人達に信頼できる個人を選考できる自信はあるのか。わが国の政治指導者の交代劇がいとも簡単に行なわれるのは、選ぶ側に人を見る力が足りないからである。掴み所の無い人物を次から次へと選び出すからである。個人の言動に関して一寸先が闇だからである。個人の信念の埒外において、信頼・不信を表明するところに根本的な問題がある。426 文字

 

 

国家目標のこと              寺嶋真一さん 公務員 20010531 投稿 

 

私の子供の頃は「欲しがりません、勝つまでは」と、国民の努力目標がはっきりとしていた。総理大臣が国家目的達成に向かって指揮をとった。今の総理大臣には、目的がない。我々が努力をすれば、その未来にはどのような世界が待ち受けているのであろうか。小泉首相の世界を明らかにしてもらいたい。それとも「そのうち何とかなるだろう」と考えているのであろうか。ならば、有権者は忍耐ある生活などする気持ちにはなれない。197 文字

 

 

靖国参拝            寺嶋真一さん 公務員 20010529 投稿 

 

小泉首相、終戦の日の靖国参拝は止めたらいかがですか。戦前に約束したことは、旧憲法と共に全て消え去った。沖縄の「平和の礎」を見習ったらどうですか。日本人も祭られた。アメリカ人も祭られた。日本の首相も訪れた。アメリカの大統領も訪れた。誰も非難する人はいなかった。我々には、経験から学ぶものがある。一遺族より 151 文字

 

 

未来構文と人間教育      寺嶋真一さん 公務員 20010522 投稿 

 

官官接待など官の無法ぶりは民の反発をかっているが、一般には「公」がよくて「私」が悪いとする雰囲気がある。民は悪くはないのだが「私」が悪く、その行為を懲らしめる為に官はいつも民から期待されている。わが国には、個がなくて「私」がある。私は、公を自己の構想により運営しようとするのではなく、私物化しようとする。それを阻止するために、悪平等の世界が実現されることを人々は期待する。英米においては、個人意見は認められるが、恣意 (self-will) は認められない。私 (恣意) の世界にあって個人意見 (私的構想) を述べる「個」は概念の余りモノである。恣意の世界においては、公立対私立、官学対私学の対立がある。意思の内容を盛り込む為の未来構文がなくては、官からも民からも心の中の私 (恣意) は駆逐できない。これを人間教育のなさというのであろう。363 文字

 

 

総論賛成、各論反対      寺嶋真一さん 公務員 20010521 投稿

 

「総論賛成、各論反対」とは、一体どういうことであろうか。人々は、総論実現の為に各論に於いて決意ある譲りを見せるに至らないということであろう。総論実現の為の方策が適当でないのであろうか。それとも、色あせた総論の実現など、本当はどうでも良いので口を合わせただけなのであろうか。だから、人々は、各論に於いて譲りを見せないのであろう。いずれにしても、人々が輝かしい未来に期待をかけていないことだけは現実のようである。これも、指導者の掲げるビジョンが何処までも冴えわたるものになっていないためであろうか。247 文字

 

 

歴史書を著すこと       寺嶋真一さん 公務員 20010510 投稿 

 

良いと悪いの判断は、教育の基本とされている。過去の歴史の正誤は、判断の基準が確立していなければ成り立たない。日本人もひとつ歴史書を書いて世界各国に紹介してみてはどうか。海外からわが国の歴史書に賞賛が寄せられるようになれば、我が国民も近隣諸国から信頼されるようになり、日本の教科書も価値あるものになる。150 文字

 

 

判らないこと    寺嶋真一さん 公務員 20010507 投稿 

 

総理大臣の小泉純一郎氏が「日本を変えよう」というが、彼の理想がどの辺にあるのかをまず知りたい。それが判れば、現在の世の中で何が変わらなければならないのかは、他人の我々にも判断できる。それを知らないで、彼を支持する人たちはおかしい。「日本を変えよう」は、自民党の参院選で勝利するための単なる選挙対策か。変わってよいのか悪いのか。小泉氏は、ただ今雰囲気に酔いしれている有権者から、そのうちにポイ捨てにあうかも知れない。日本人の口癖である『本音とたてまえ』が一緒であるか、それとも違っているかを問題にすることはない。こうした『本音とたてまえ』は全てこの世のことであって理想ではないので、どちらを選んでもうまく行かないことは最初から判っている。自分の頭の中にある理想をこの世に表せば理想的であり、独創的である。他にあるものを再度この地に表せば、それは模倣となる。377 文字

 

 

 

 

 

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