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学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
134994 > 教育再生会議が初会合「規範意識の育成必要」、、、、、、違和感感じます。
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/10/21 AM04 【印刷用へ】

> 学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
> 134840 教育再生会議が初会合「規範意識の育成必要」、、、、、、違和感感じます。
> 山田真寛  ( 39 愛知 経理 ) 06/10/20 AM00 【印刷用へ】
> (読売夕刊10月18日より)>>首相は「『美しい国』を造る上での基盤は教育だ。全ての子供に高い学力と規範意識を身に付ける機会を保障するため、公教育の再生、家庭・地域の教育力の再生が重要だ。」と訴えた。

高い学力とは、どういうものでしょうかね。107034
国際テストで、高い点数を取ることですかね。101712
理性がなければ、大人の教育は出来ませんね。82879

> その上で、具体策として、@教員免許更新制度、学校評価制度導入などよる質の高い教育の実現と学力の向上A体験活動、奉仕活動を通じた規範意識や情操の育成B家庭や地域の教育力の向上、などを示し「教育再生推進に全力で取り組む」と述べた。

意思のない人びとの奉仕活動は、学徒動員のようなものになるでしょうね。123566

、、、、、 会議終了後、記者会見した池田守男座長代理(資生堂相談役)によると、多くの委員から「規範意識が薄れている」「規範意識を身に付けることが重要」といった意見が出た。、、、、<<
> 評価できる部分も一部あるが(教員免許更新制度)、多くの委員がいきなり「規範意識」と連呼している様からは、教育再生など実現出来そうな気がしない。

「規範意識」とは、どのようなものでしょうかね。83201(正誤表:「あるべき姿」ない→「あるべき姿」のない;わが国民フ言語→わが国民の言語)

> 「昔はよかった、今の若者はなっとらん」と言っている様にしか聞こえないし、彼らの言う「規範」意識では、問題解決できそうな気がしない。

序列観念のようなものですかね。82023

> 答えがないから、取りあえず「目先の秩序収束」そのもの。短期間で頓挫するのはまちがいない。

取りあえず以上のものは、出ないのではないですか。思考停止ですね。104460
取りあえずは、問題の先送りと積み残しの言い換えに過ぎませんね。82504
のんきのようで、実は無能。
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その他
134891 > 実感を失った観念世代と言葉を失った実感世代
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/10/20 PM02 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 54379 実感を失った観念世代と言葉を失った実感世代
> 阿部和雄  ( 41 東京 設備士 ) 03/05/07 AM03 【印刷用へ】
> 日頃私たちはニュース、新聞、雑誌、人の話などからさまざまな現象を見聞きします。
> しかし社会ではさまざまな問題が起きているのに身近に感じられない、という希薄な実感意識の中で事実を求めてさ迷っている感じでした。

私達は、直接体験して情報を得ていないからでしょう。104323
人伝では、いつまでたっても確信は持てませんね。84687

> ところが最近の交流会では、世代によってこの「実感」の様子が大分異なることに気づかされました。
> 実感といえば誰でもが自然に抱けるものと思いがちですが、30代より上の世代は個人的な価値感をもってそういっていることが多々あります。

個人的な価値感は大切ですね。102335
だが、事実と「あるべき姿」との混乱は、避けなくてはなりません。82354
「あるべき姿」の内容を未来構文で、事実の内容を現実構文 (現在構文) で表現できれば混乱はないでしょう。98465
英語で考えれば、これらの区別は可能です。98752
だが、日本語には、未来構文がないので、混乱を避けることは難しい。100700

> 大方はマスコミや新聞などの受け売りなのですが、それらがいつのまにか自分の実感(のようなもの)へと染み付いてしまっているようです。

暗記物・詰め込み教育の幣害ですね。83415
自分自身で考える力がなければ、生きる力は得られない。85831

> 世の中のことを知ろうとすればするほど、自分の意思をしっかり持とうとすればするほどこの「観念的実感=価値観」の深みに嵌ってしまうのでしょうか。

詰め込み主義により世の中のことを知ろうしても意味がない。93613
意思の内容を保持するには、未来構文が必要です。82057

> 近代思想の観念(旧観念)教育を受けた「実感なき観念世代」とでもいえそうです。

観念 (idea) には、当然のことながら、実感はありませんね。130181

> 一方若い世代は違和感・異質感をダイレクトに感じ取っているようです。
> ただ言葉でその「実感」をうまく言い表せないという感じです。
> 旧観念の無意味さを肌で感じ取りそれを捨象してきたが故の「言葉なき実感世代」といえるのではないでしょうか。

潜在思念は人畜共通ですね。我々は、考える人になる必要がありますね。82373
総ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。92480

> こう捉えると、若年世代にとっては“若者の実感を羅針盤にした事実観念の共有”、中高年世代にとっては“事実観念で現実を捉えなおした実感の共有”が異世代交流の魅力であり基本骨格であるように思います。
> 無論このとき中高年世代は、閉塞の元凶である「旧観念」の呪縛から脱することが最大の課題です。

日本語の観念は、ものにならないですね。たから、無哲学・能天気でも恥ずかしくない。82144
実感だけでも、歌詠みになるばかりです。もののあわれでは、説教するのも難しい。90706
日本語の基本骨格に歪みがあるのでしょう。103689
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その他
134805 > 人類滅亡の危機に対して
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/10/19 PM09 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 28569 人類滅亡の危機に対して
> 井上浩志  ( 23  学生 ) 02/04/13 PM02 【印刷用へ】
> 実現論の中にある「人類が滅亡の危機が迫っているのにどうして何もしようとせず、誰も考えようとしないのか?」という問いに対して考えてみよう。
> まず、一ついえるのは、「人類滅亡の危機」が来るとは想定していないからであろう。近年、地球環境問題が社会問題となるように確実に現況がマイナスの方向に向かっていることは多くの人は認知している。しかし、それが“人類滅亡”には至るとは考えていない。人類滅亡という規模の問題はもはや通常の生活を送っている人が認知し、理解するにははるかに大き過ぎる。

人類滅亡の内容は、現実構文の内容にはならないですね。だから、実感が湧かない。その内容は信じられない。82240

> さらにこの人類滅亡がおおよそ自分達人間の手によって生じるとは考えていないだろう。最近のテロの問題や国際紛争によりやや現実味は帯びてきた物の、滅亡にまで至るのは、アメリカ映画のように何か外的要因によって起きると考えているところがある。

お互いに意思が認められない人間関係にあるから、総ては自然な成り行きであると考えられているのでしょう。103454

> 次に「何もしようとはせずに、誰も考えようとしないのか?」についてはまず、人々の中で未だ私権の確保が最も生活において必要不可欠であるからである。

現実に関する内容には、いやが上にも注意力が集中する。82057
未来に関する内容は、文章にして止めおく方法がない。82123

> 確かに“貧困”という状況からはある程度脱する事ができた。しかし、市場が崩壊し始め、会社や銀行がはじめて、私権の安全性が保障されなくなり、かつ私権を得るための労働がリストラにより失われる可能性が誰しもが高いいま、誰しもが私権の確保をしようとする。つまり人類の危機よりも私権の危機を人々は感じている。そうした人々が人類滅亡という不透明な危機に対して何かをしようと行動をは起こし難い。

現実に関する危機の内容には、いやが上にも注意力が集中する。127194
未来に関する危機の内容は、文章に仕上げる方法がない。119576

> しかし、先の述べたように人々はメディアの普及により多くの情報を得て、現況がマイナスの方向に進んでいる事を認知はしている事に違いない。問題解決には特効薬などは存在せず、結局は個人個人が問題意識を持ち、個々にの努力を積み重ねる事により解決の道を進んでいくしかないことはおおよそ理解されている。
> ならば、なぜ行動を起こそうとしないのか?

日本人には、行動を起す意思がない。82193
意思は未来構文の内容である。82320
日本語には、未来構文がない。82735

> ここで一つの例を紹介したい。私は現在景観計画を大学院にて選考しており、各地方自治体の景観行政について調べている。景観計画というものは、そこに住む人々によってはぐくまれ、作り上げていく物である。つまり行政が主になって施策は立てるものの、景観の施策は建築基準法や都市計画法とは異なり、「紳士協定」のようなものであるから、施策の具体的な中身を継承し、実現していくには市民の力による。ゆえに施策をたてる為には、必ず住民や市民の合意形成が必要で、そのためにアンケートが行われる。その中でおおよそ7.8割の人が景観に対して関心をもち、自分達の住む町の問題点を認識し、改善したいと考えている。

神に意思がなく、個人に意思がない。82180
住民や市民の合意形成ができないのは、社会に意思決定の過程が得られないからである。90612
国がひっくり返っても、責任者は見当たらない。84432
確たる意見とその実現の意思を持った主人公が見当たらない。とかく、この世は無責任。91717
期待・願い・祈りだけの無為無策では、理想に近づくことは難しい。82285

> しかし「そのためには、何かしたいとおもいますか?」という問いに対しては「したいと思うが、何らかの助成金が発生するならば。」という回答が目立つ。つまり「やるからには、金銭的補助は必要です。自分の資産を削ってまでは不可能です」ということである。私としては、「お金がないと景観が形成できない」という考え方には同感できないが、これが本音だろうと思う。
> つまり多く人は何かをしたいと思っているが、その為にはお金が必要であるという認識がある(確かにそうではあるが)から、行動も出来ないし、何もできなくなるのではないか。

より良い景観の形成に金が必要であると結論されるならば、その金を集めることは理由になる (reasonable) ことである。101058
何らかの助成金は、表向きの言い訳であるのかもしれない。100288
多く人は何かをする意思を持っていないかもしれない。82242

> こういった人々のためには、行動を起こした人々には行動に対して、私権を保証し、何らかの対価を支払うことは当然だとは思う。

より良い景観とは、一体どのようなものであるのか。83749
より良い景観の選択肢は、どれだけあるのか。82879
真っ先にその内容を求めるのが個人主義である。128685

> 私は、実現論でいうほど、人々は何も考えていないわけではないと思う。しかし人々が出した考えを暗に消滅させているのが、今の世の中であり、実現論のいう大きな問題があると思う。

個人の意見は通らないと、自他共に言い聞かせあっているのでしょうね。84687
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その他
134719 > 誰もが参加できる活動に
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/10/18 PM10 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 36179 誰もが参加できる活動に
> 中村朋子  ( 54 大阪 教育 ) 02/07/16 PM01 【印刷用へ】
> voluntiaという言葉はラテン語のvolo(=欲する=英語のwill)を語源とし、による活動を行う人間を指していますが、敢えてこうした語を必要とする状況を考えてみました。

日本人には意思がないのだから、自発的意志に関する話が難しくなる。82057
万事、受身の対応形式では「自発的意志」は期待しても無駄である。82242
個人的な自由な発想を訊ねて歩く余地はない。92993

> 一つはそれが日々の生活から切り離された、特別な活動とされていることです。つまり生産活動とは別の「余技」的に捉えられていることです。

人生の目的は、自らの理想に近づくことである。128022
日々の生活とその生産活動は、理想実現という目的に関する現実対応でしかない。82476
「余技」も必要ですね。

> そしてもう一つは「自分の意志で『勝手に』にやることだから、無償であるべきだ」と捉えられがちということです。

個人の意思には、価値を認めないということですかね。94865

> つまりそれにより収入を得て生活するための「労働」以外の活動は「自己充足」のための「遊び」という、捉え方がこの語を必要としたといえるのではないでしょうか。

「人はパンのみにて生くるにあらず」でしょうね。125474
人は物質的な満足感を得るためにだけ生きるものではないということ。
これは、昔からの人の習いなのでしょうね。

> わざわざこうした語が改めて必要とされたのは、これまでそうした「人のための活動」「みんなで一緒に社会のために力を合わせて何かをする活動」がなかったからでは決してありません。日常の生活の中での自然な行動として、取り立てて論う必要もなかったからではないでしょうか。
> 例えば、みんなで町をきれいにしようという時、箒や塵取が要る、皆でその費用を持ち寄ろう、どうしてもその時出られなかった人もその費用等を拠出することで参加するー町をきれいにすることはみんなのためで有ると同時に自身にとってもよいことです。掃除に携わった人に「お疲れさん」と持ち寄った費用から茶菓を出す、あるいは「お茶代」を渡すーごく自然な、当たり前のこととして行われていたのではないでしょうか。

私も村人の一員として村の役 (やく) に参加しています。水田の排水溝の清掃 (どぶさらい)、河川敷の草刈、海岸の空き缶拾い、運動会、豊年祭り等等。
だが、村人を総動員してできることは、最低限のことに限られます。だれしも、義務の負担の増大は望まないからです。
村の祭りなど、村人全員の参加よりも、ボランティアによる伝統保存会を作ってその人たちに企画・運営を任せた方が祭りの質的向上が可能になると私は考えております。
祭りを心から楽しみたい人にも、祭りに無関心な人にも住みよい農村生活が必要です。

> だからこそ皆が無理なく参加できたのです。それが「社会奉仕」という名称で、生活から切り離された。行政がするべきことを「自発的に肩代わりする」余技、あるいは「慈善行為」という気まぐれに位置付けられ、ごく一部の「有志」の「やってやっている」という活動にまで貶められたのです。市場社会は「利潤のための商品生産」以外の活動を「余分なこと」と切り捨て、「遊びなんだから無償でやれ」としたのです。

村総出の奉仕作業に個人の『勝手に』はない。現状維持が目的である。126759
趣味は、目先・手先に関する個人的なこと。この世の事柄に神経を集中させている。108182
未来社会の建設には、「あるべき姿」に関する個人的な発想が必要です。83415
未来の有様に関する個人的な考察には、英米人の高等教育が必要です。82320
ボランティア活動は、「あるべき姿」に関する個人的な現実対応を実行するということになるでしょう。134612

> その結果、ごく自然な手助けさえ「ちょボラ」と呼びかけなくてはならない風潮を作り出す。「自発的意志」でやることなんだから逆に「しなくてもいい」「欲しないものはしなくてよい、わざわざ自分の金と労力を費やさなくても、やりたい人が勝手にやってりゃいいんだ。どうせ暇と金のある奴のお道楽さ」ということになる。

しかしながら、「みんなで一緒に、、、、、」の発想法では、個人生活の質的向上はあまり望めませんね。
何事も最低限を目標にした護送船団方式でしょうね。共産主義社会のようなものか。31109

> 「無償奉仕」と位置付ける怖さがここにあります。つまりその活動に誰もが参加できる道を閉ざすことになるのです。確かに諸災害の折、救援などに参加した人々の善意、積極的活動は立派な人間的行為であることは否めません。
> しかし、それに対するその後の「無償のボランティア」という位置付け・評価は、その活動への参加を著しく限定むしろ妨げているように思えます。
> みんながみんなのために(一人はみんなのために、みんなは一人のために)ともに行う活動はみんなが支えるものです。

無償の行為は、いままでも村総出で沢山やってきた。これは、個人的な意思の有無にかかわらずである。税金のようなものか。

> 一部に負担が偏ったり気まぐれの「善意」に依拠するものであっては決してならない。
> みんなが支えることのできる、その支え方がはっきりわかる活動のあり方こそ、本来の自然な、そして永続的なものとなると考えます。 

税金も必要です。
政治にできることは、みんなの理解が支える程度に限られるでしょうね。 
善意も必要ですね。82193
自由意思を表現する機会ですね。101052
考えは人それぞれですから、この自由な世の中で共に行う活動は限られますね。
社会の手入れが個人の満足するまでとは、なかなかならない。
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その他
134612 > ボランティアのうしろめたさ
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/10/17 PM11 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 67716 ボランティアのうしろめたさ
> 平川要 HP  ( 25 佐賀 経理 ) 04/02/07 PM01 【印刷用へ】
> 僕の友達にもボランティアおたくはいた。> 自分の感覚からすると「がんばっとるねえ」くらいの感覚で自分がやろうとは全く考えなかった。単純に面白く無さそうだし、なにより可能性をかんじなかったから。

「あるべき姿」の世界観に基づいて新しい社会建設するためには、現実対応の可能性が必要ですね。82476
ボランティアと呼ばれる人に世界観がなければ、その活動に夢も希望もない。93383
英米人の「あるべき姿」は未来構文の内容であり、日本人の「世の中は、、、、、、」は現実構文 (現在構文) の内容である。
両者は次元が違う。酸いも甘いもかみ分けて「世の中は、、、、、、」の発想をする人は、未来指向になっていないのである。
この違いを無視すると、英米人との話が合わない。

> ボランティアとかが掲げてる「自由」とか「博愛」とか「平和」とかも全然ぴんと来なかった。一番興味が無かった理由はやはりこれらの旧観念を捨象していたからだと思う。言葉にはならなかったけど「全然中身ないじゃん」っていう感覚だったんだと。

志願者(volunteer) は、意思に基づく観念で、日本人には理解が難しい。123566
意思は、未来構文の内容である。82057
日本語には、時制がなく未来構文がない。82320
だから、日本人には意思 (will) がない。82193
だが、日本人には恣意 (self-will) はある。82735
恣意には未来構文は必要でない。だから、人畜共通である。105889

自由が大切なのは、自由意思が大切だからであり、意思がなければ自由も大切でない。101052
意思の自由を恣意の自由と解釈するのは、自由の履き違えである。これでは、英米人の自由は信じられない。122526
恣意を抑制する伝統的な方法は、家畜には牛馬の調教、人間には滅私奉公を課して根性を鍛えぬくのが慣わしである。130213
「がんばって」は、人畜共通の励みを促す日本人の掛け声である。133917
不自由を常と思えば不足なしである。92540

> 冗談めいて「無償でやるなんてすごいねえ」って言うと「無償でやるからボランティアなんだよ」とちょっと照れくさそうなそれでいて後ろめたそうな反応を今思い出した。

志願兵のように有償のボランティアもあるでしょうね。104699
本当の動機と表面的な動機があるのでしょうかね。133745
日本人は、その眞意に興味があるようですね。

> お金というみんなが認める評価すら得られない活動に対しての反応なのか。または本当は自己満足であることがわかっていたからなのかもしれない。

金は、この世における理想実現の手段であって、我々の究極の目的にはならないのではないでしょうか。94159
天国では、皆さんがぶらぶらしているようですね。126878
英米人の真似をして自己満足を得ているのであれば、自主性がないですね。82942
だから、ボランティアのうしろめたい気持ちも理解できます。
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学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
134078 > ワンフレーズでの誤魔化しは危険
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/10/13 AM05 【印刷用へ】

> 学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
> 134052 ワンフレーズでの誤魔化しは危険
> 足立晴彦  ( 46 大阪 塾講師 ) 06/10/13 AM00
> 人類滅亡の危機を回避するためには、小手先の方策でなく徹底した原因分析が必要である。> しかし現状は逆に、物事を一言で片付けてそれ以上追求せず誤魔化す風潮が強まっている。

片言を聞いて満足するのは、この国人の伝統である。81994
他人の発言する文章にならないワンフレーズを聞いて、自分勝手な解釈をする。99076
それで満足して、それ以上に出ることはないのは、歌詠みの体質である。82144
一億総歌詠みの国で、我々は常に良好な気分・雰囲気を求めている。105213
常に現在に精神力が集中し、過去と未来に関する考えがまとまらない。95706
考えがまとまらない領域に関しては、お互いに誤魔化しあっている。84047

> 典型が「自民党をぶっ潰す」「感動したっ!」「骨太の方針」等耳障りのよいワンフレーズで「分かり易さ」を売り物にした小泉前首相。反面教師として徹底分析の価値はある。

「分かり易さ」が歌詠みの生命なのでしょうね。
ああでもなければ、こうでもないと、長々と実況放送・現状報告の内容を繰り返されても困りますしね。93557
まことのことを表現するだけでは、考えとして十分ではない。102229
「それで、どうした」の質問に照準を合わせた回答の要約を文章として提出することが必要ですね。82057
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その他
134007 > やはり最大の特権階級はマスコミか。
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/10/12 PM09 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 38655 やはり最大の特権階級はマスコミか。
> 押毛康人  ( 49 兵庫 塾講師 ) 02/08/25 PM10 【印刷用へ】
> 最近の一連のマスコミに関する投稿を読んで、権力を最も行使できる立場にある者がマスコミではないか、という思いが最近ますます強くなってきた。

権威主義的な傾向ですね。132214

> この点について、かつて佐藤首相が、新聞は事実を歪め、真実を伝えない、だからテレビを通して直接国民に真意を伝えたいとして、新聞記者を追い払うという事件があったことを思い出した。権力者として最高の地位にある総理大臣までが、報道の自由の名のもとに事実を歪曲し、正当に報道しない報道機関に対して、如何ともしがたい苛立ちを覚えたのは確かで、これは、時の権力者をも恐れさせるほどの絶大な権力を握っているのが、とりもなおさず新聞をはじめとする報道機関である、ということを端的に示した最初の例ではなかったであろうか。

歪曲した報道には価値がありませんね。129872

> 当時はテレビがほぼどの家庭にも行き渡った時代であった。新聞記者の目、編集者の目などのフィルターや操作を通さず、直接、生の声と映像が届くテレビは、より真実が伝わる新しいメディアとしての期待があった。時の首相もそれを期待しての追放であったと思われる。 
> 新しいメディアに期待したのは一般の国民も同様であった。新聞記事よりは直接耳目に触れる新しいメディアの方が、より迫力があり、より真実性があると思えたからだ。この誤った認識から、テレビで報道される内容が真実であるという幻想が生まれたのではないか。そしてそれを利用したマスコミによる情報操作と共認支配が、この新しいメディアの普及によって一層強化され始めたのではないか。

新聞記事による報道も、テレビによる報道も、報道者の情報操作により影響を受けますね。105903

> あれから三十年余り、マスコミによる共認支配は衰えるどころか、ますます強くなっている。その間、さまざまな方面からマスコミに対する弊害の指摘があったが、マスコミ側からの反省があったであろうか。寡聞にして「否」である。
> なぜならば時の権力者をも苛立たせるほどの特権を行使できるのはマスコミだけだからだ。

我が国の権威主義は、ゆるぎないものになってきましたね。101884
マスコミは、国民から絶大な信頼を得ていますね。82504

> それを突き崩して行けるかどうかは、報道内容に対して正しい判断ができるかどうかに係わってくる。

理性判断の方法も知らないで、マスコミを批判することはできませんね。82285

> そのためには認識力がなければならない。

同感です。84116

> 正しい認識をもつには多面的に物事を捕らえる視力を持つと同時に、徹頭徹尾、事実に立脚する姿勢を堅持する以外にない。

事実に立脚することも難しいし、多面的に捕らえることも難しい。83415
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どうしたら、社会を変えられるの?
133932 > 考えることをあきらめない
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/10/12 AM00 【印刷用へ】

> どうしたら、社会を変えられるの?
> 133895 考えることをあきらめない
> 福田紗代  ( 24 兵庫 会社員 ) 06/10/11 PM09
> 社会を変えられるのは、政治家や世論をまとめているマスコミだとずっと思っていました。

「あるべき姿」の内容がなくては、どうにもならないですね。130815

だからもし「この社会はおかしい、変えたい!」と思えば、発信する側=プロにならなきゃどうしようもないんだと考えていました。

無哲学・能天気の発信する側には、困ったものですね。82144

> でも、こういうふうに思っていたことで発信階級の特権を認めていたのだということに気がつきました。
> 社会をただ見ているだけの人に問題の解決策なんて出せるわけがないのに、まかせっきりにしてしまって、自分には無理だなんてあきらめてしまっているのは怠慢ですね。

とかく、期待・願い・祈りの多い国ですね。他力本願か。106379
現実直視は、日本人には難しいですね。100053

> 現実を見て、考えること・学ぶことをやめてしまっては人間ではなくなります。

そうですね。「我思う、ゆえに我あり」ですね。129394

>>新理論を作り出すのは庶民であり、現実の圧力の真っ只中で生きる庶民にこそ、現実を切り拓く答えを生み出す可能性があるのだ。

現実を変えるには、手本となる理想の内容が必要になるのではないでしょうか。131707

>>人類は普通の庶民が実感に基づいて社会共認を形成してゆく共認社会の段階に入ったのだ。

実感を生ずるのは、現実構文の内容である。93415
理想は、未来の内容であるから実感がない。90820
実感ばかりに気を取られていると、歌詠みのようになってしまう。90706
そして、この世の中を迷走する。85322
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ガタガタの原因は、私権の衰弱と序列原理の崩壊
133917 > ・・・強制的制度の苦役
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/10/11 PM11 【印刷用へ】

> ガタガタの原因は、私権の衰弱と序列原理の崩壊
> 135 ・・・強制的制度の苦役
> 丸山アヤ  ( 21 東京 学生 ) 01/02/13 PM09 【印刷用へ】
> 実現論の中で最初から最後まで、今でも忘れることのできない一文があるので紹介します。受験も就職も結婚も(中略)ただ強制的制度だけが残った苦役となりつつある。という文です。

牛馬のような強制的制度ですね。127037
同感です。
日本人には、意思がない。82057
意思は、未来構文の内容であるが、日本語には、この未来構文がない。93361
意思のない生活は、受身の生活である。98352
だから、毎日の生活がさせられ体験に苛まれたものになる。82242

> 自分に関して言えばまさにその通りで受験は過去2回体験しましたが深く考えることも無く当然の事と認識して実はこれが強制的制度にあたると気づかされました。今直面している就職についても強制的制度という側面は確かに強いものがあります。就職活動をしなければいけない時期がきたから動くという・・・。

我が国においては、意思のない人間にも家畜にも「がんばって」と励まさざるを得ない状況にある。92540
これが、意思ある人間の社会では、’Take it easy’. (気楽にやれ) となることであろう。107515

> ただ、一生物という意識がある就職や受験に冒険は怖くてできないというのが本音かもしれません。本当に今やりたいことをやってそれがやりたくなくなったときのことを考えてしまう。

未来構文がなくては、未来の関する見通しは立てられませんね。93835
だから、未来に関する不安は解消しない。90706

> 本来自分の将来のことを考えそれに向かっていく過程である受験や就職、結婚は(辛いこともあるだろうが)楽しいものでなければならないのだろうが強制的制度の苦役となってしまったのだと思う。

我々には、幸福追求に対する権利がありますね。127915  
我々は、考え方を変える必要がありますね。82285
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