何で新理論(構造認識)が必要なの?
136866 > 現実を変えていくという認識
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/08 PM10 【印刷用へ】
> 何で新理論(構造認識)が必要なの?
> 136739 現実を変えていくという認識
> かにかに ( 壮年 大阪 ) 06/11/07 PM08
>>従って、現実否定の倒錯思考は、現実を構成する最も重要な下部意識を全うに対象化することが出来ない(従って、例えばサル・人類の命綱である共認回路の存在さえ、彼らは知らない)。(21090)
現実と努力目標 (非現実) が一致すれば肯定。83749
現実と努力目標 (非現実) が一致しなければ否定。127915
努力目標 (非現実) 自体が存在しなければ、是非の問題もない。127725
日本人は努力目標 (非現実) が持てないから、現実を否定することは倒錯した思考となる。83530
> 現実否定の倒錯観念は、現実を不動のものとして捉えているから、現実の変化を捉えられないし、現実を変える力がない。
現実は、千変万化しますね。
現実と努力目標 (非現実) が並置されていませんね。両者が比較されることもない。85176
観念は、倒錯思考に使われているのでしょうね。83530
> 現実から出発する事実認識は、現実とは変化しつづけるものと捉えているから、現実の変化に応じて新しい認識を紡ぎ出せるし、現実を変えてゆくことができる。
現実を変えてゆくのではなくて、現実に変えられているのでしょう。98364
現実と努力目標 (非現実) が並置されていませんね。84116
努力目標 (非現実) が明確化されないならば、現実を変える皆の努力を結集することも難しいでしょう。95997
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企業を共同体に変えるには?
136658 > 主体性と自己責任の間
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/06 PM04 【印刷用へ】
> 企業を共同体に変えるには?
> 46 主体性と自己責任の間
> 永田麦秋 ( 34 東京 人事 ) 01/02/09 PM09 【印刷用へ】
> 合議制、即ち全員参加の体制とは、くだけていえば「皆の生きる場を、皆で作る」ことに尽きると思います。
そうでしょうね。
合議制では、個性は淘汰されるでしょうね。136528
> 従って皆の場で生じる課題のことごとくを、他人事のように捉える姿勢には異を唱えるべきでしょう。しかし、逆に「自己責任」と言う概念をあてはめてみても、的を射ているとは思えません。
皆の場で生じる課題のことごとくを、自分の事のように捉える姿勢にもなれませんね。81994
> 例えば、現在では(特に企業体などで)「責任をとる」といえば、何か重大な問題が生じた場合、「自らのポストを去る」等の形ですまされることが多いと思います。
責任者は、何か重大な問題が生じた場合、責任をとってもらうために用意されている実働のない置物のようなものですね。
意思のあるところに方法はある。82057
意思のない人は、傍観者となる。103994
自分の意思で行なわれない結果に、責任感は湧かない。93729
> しかし、これは裏を返せば構成員の各々が分断された「権限」しか持ち得ず、その範囲内でのみ行使することが許されているからです。
意思があれば、能動的行動が可能になる。99542
意思がなければ、専ら受動的行動を取るしかない。102897
日本人には、意思がない。82180
日本人の行動は、「ぜひとも実現したい」行動ではなくて、「苦しい立場に立たされた」時の行動になりがちである。93716
能動的行動を取らなければ、現実の問題に適切な作用 (action) を及ぼすことはできない。能動的であれば責任感を感じることができる。103784
受動的行動様式では、反作用 (reaction) にしかならない。させられ体験しか残らない。100430
責任 (responsibility) は、文字通り応答 (response) の可能性 (possibility) であって、能動的な活動 (action) を期待するものである。107155
権限 (authority) は、その能動的活動に制限を加えるものである。だが、受動的な反活動 (reaction) をする個人には、仕事を厄介を払いする時の口実にしかならない。105230
日本人には、意思がなくて、恣意がある。82242
意思があれば公言できる。恣意であれば公言は憚られる。102019(正誤表: でるので→できるので)
恣意の人は人前で、いわゆる奇麗事を述べるしかない。だから、ずる賢く見える。133745
個人の意思を尊重する社会 (英米) は、個人主義の社会である。127406
実質的な個人主義を容認しない社会 (わが国) とでは、全ての話はがらりと様相が変わってくる。82320
個人の意見には辻褄が合う。もしそうでなければ、議論において相手から批判されることになる。136505
日本人は、責任者の意思を待ち受けてはいない。意思がないのであるから当然であるが、皮肉なことに責任者の恣意 (天の声) の方を警戒しなければならない。135258
「あるべき姿」の内容を持たないので、他人との世界観比べができない。83201(正誤表:「あるべき姿」ない→「あるべき姿」のない; わが国民フ→わが国民の)
だから、議論はできないが、他人の発言の揚げ足取りはできる。これは、自己がないということでもある。82251
国語辞典を引くと、責任とは、人がなすべき努めとしてその人がみずから引き受けなければならないもの。となっている。89834
「責任者は誰か」と問えば、「犠牲者を出すな」と反発する。98352
意思なき行為は、罪にはならない。意思なき責任者は、罪なき犠牲者なのである。82193
そこで、責任者探しは断念せざるをえない。105903
そこで今度は、「権限は、何処にあるのか」と、意思とは直接に関係のないように見える権限探しをすることになる。77119
権限とは、国家・公共団体が法規に基づいて職権を行ない得る範囲。と国語辞典に出ている。
個人意思による打開ではなく、法律による硬直的強制に頼るのである。82735
権限を持つものには、自己の世界観に基づく新しい社会建設の心は持ち合わせていない。134612
権限のある人は沢山いても、とかくこの世は無責任となる。85150
意思なき権限 (authority) は、お役目・当番といったようなものであって、ただただ粗相なきように気を付けるのみ。100700
個人主義を実質的に認めない社会の活動は、現実の中を迷走する。85322
> ましてや経営上の責任などを全て個人に帰することが、果たして全員参加の考え方に相応しい物なのでしょうか?
個人に責任を持たせるのでなくては、経営上の方針転換も速やかに行なえないでしょうね。84361
国がひっくり返っても責任者が出ないような状態になるでしょう。84432
> むしろ全員参加の考え方に照らし合わせれば、それこそ皆で知恵を出し合って解決策を考え抜くという方がしっくりきます。
それは、没個性の談合・話し合い体質ではないでしょうか。127233
個人の意思を認めないと、個人選びも実りあるものにはならない。家畜の品評会のようなものになる。126428
多数の思惑・意図ばかりを寄せ集めていては、政治は辻褄の合ったものにはならない。103784
この現状を批判できないのが、日本人の弱点ではなかろうか。83747
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多様性とは、何か?(分化と統合)
136528 > 同じ環境でも過去の経験の違いがあるために考えることに大差が出る
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/04 PM10 【印刷用へ】
> 多様性とは、何か?(分化と統合)
> 14964 同じ環境でも過去の経験の違いがあるために考えることに大差が出る
> 大串幹夫 ( 48 米国オレゴン州 技術翻訳 ) 01/10/31 AM10 【印刷用へ】
> <近代個人主義は、「我思う故に我有り」から出発していることからも解るように、個人の考えていることは「ユニーク」であることが、前提となっています。 しかし、本来人類は(どんな生物でもそうですが)、同じ環境で同じ外圧下に置かれていれば、考えることに大差はありません。もし全く違うことを考えていれば、そういう人のことは「きちがい」と言います。 >
同感です。103454
> 日本では一般に個人同士が監視しあって、標準から外れた意見を排除するという機構が強い感じがします。
同感です。104880
日本語では、「今ある姿」同士の比較しかできませんからね。95232
つまり、「今ある姿」の良さを計る基準と言うものが存在しない。91780
> 「なあ、みんなもそう思うだろう!」とか言って少数意見にふたをするようなシーンが多いのではないでしょうか?
個人的な基準の内容を、呈示されても指導者は困るのです。86547
ものごとの基準「あるべき姿」は未来構文の内容で、日本語には未来構文がない。だから、呈示されてもその処理に困るのです。100065
日本人の指導者は、見て見ぬ振りをせざるをえないのです。101134
ここで、涙をのむか。85728
> したがって、日本で同じようなことを考えている人が多いのは自然な現象ではなくて、きわめて文化的な現象だと僕は見ています。
同感です。127406
日本で同じようなことを考えている人が多いのは、個人意見を淘汰するからです。134805
> 過去15年間アメリカに住んでいたためにそういうふうに見えるのかもしれませんが。
英語には時制があるので、未来構文も現在構文もあります。99987
従がって、「あるべき姿」と「今ある姿」の比較ができて、根拠ある判断 (理性判断) を下すことが可能になります。104460
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何で新理論(構造認識)が必要なの?
136505 > 人類の宿命課題
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/04 PM09 【印刷用へ】
> 何で新理論(構造認識)が必要なの?
> 19164 人類の宿命課題
> 岡本誠 ( 47 兵庫 経営管理 ) 01/12/22 AM01 【印刷用へ】
> 「現実」とは本質的に否定したり捨象したりできる対象ではなく、既に周りにあるもので、受け入れ(働きかけられ)、そして働きかける対象としてある。
同感です。86547
> 現実の「自然」の背後に精霊を見、祈ったり、法則を発見しそれを利用したり、現実の「集団」で育まれ役割を全うするというように。
同感です。128685
> しかし、現実を否定し倒錯観念に陥った時点から、人類は滅亡(自滅)の坂道を転げ落ちている。
日本語の観念は、倒錯していますね。日本人は、現実にありながら現実を否定しようとするからです。83530
> 現実を否定しておきながら現実に生きていくことは、生命原理的に矛盾しているから明白だと思う。
同感です。現実直視ができていない。100053
> 現実否定の直接的契機は、同類闘争に起因する社会不全にあり、ここに肉薄していかない限り精神破壊も自然破壊も全てが止められない。
現実を否定するには、「あるべき姿」を基準にとる必要がありますね。84116
> 全くの未明領域であるが、人類の宿命ともいえる課題であり、同時に最大可能性課題だと思います。人類と社会の探究に拍車をかけたい。
「あるべき姿」の内容を探求する必要がありますね。83201(正誤表:「あるべき姿」ない→「あるべき姿」のない; わが国民フ→わが国民の)
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学校って、必要なの?
136484 > 履修逃れは教育のゆがみを象徴している
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/04 PM04 【印刷用へ】
> 学校って、必要なの?
> 136433 履修逃れは教育のゆがみを象徴している
> 高田敦 ( 42 大阪 塾講師 ) 06/11/04 AM02 【印刷用へ】
> 履修逃れは、発覚して一週間ほどで公立・私立合わせて五百数十校、八万数千人にのぼっています。履修逃れをした多くの高校は学習指導要領を無視し、教育委員会には虚偽の時間表を提出していたようです。また教育委員会がそれを黙認していたケースもあるようです。
履修しなくても問題ないものは、学習指導要領から外したら良いでしょう。135866
> しかし、この問題は高校側だけを責めることはできないと思います。教育全体のゆがみが、未履修問題という形で現れた、と見るのが妥当でしょう。履修不足の問題が起きた背景には、ゆとり教育で高校にも総合的な学習の時間や学校週5日制が導入されたことによる授業時間不足の問題があります。
教育全体のゆがみの内容は、明らかにされるべきですね。135724
> このため多くの高校では、土曜日に補習授業を行ったり、新たに「7時間目」の授業を設けるなど、授業時間を確保するためあれこれ苦労をしています。中には50分の授業を48分にして、その分授業回数を増やしたりする高校もあるようです。
小手先のやりくりでは、この国の教育問題は解決しないでしょうね。132622
> 学校5日制の完全実施、「ゆとり教育」をうたった学習指導要領などで、学校の授業時間は減っています。このような状況下で高校、特に進学校では「幅広い基礎的素養」と「大学入試に対応できる学力」の双方が求められることになります。
教育あって、教養なしの状態ですね。94775
> 両立することが望ましいですが、限られた時間で受験対策を効率的に進めようとすれば、後者の方に力点が傾斜してしまいます。未履修の続出は、高校教育のある部分を映し出しています。
受験対策にアクセクせずに高校で勉学に励みたいものですね。107034
大学に入れば入ったで、またもやブラブラ・アクセクするのでしょう。105530
> また、世界史は「国際的な人材育成」の観点から必修化されたものの暗記が多いことから大学入試では選択率が低くなっています。これが未履修の引き金になったとすれば、指導要領と大学入試のずれを端的に示していることになります。
生きる力は、即ち詰め込む力と考えられているようですね。85831
> 「最低基準」とされる指導要領が守られなかった事実があります。これは指導要領の見直しも必要であることを示しています。政府や文部科学省は、教育課程の編成権を持つ校長や虚偽報告を見抜けなかった教育委員会の責任を問う方針のようですが、それだけでは済まないことは問題の全体像を見れば分かります。
自己に「あるべき姿」の基準がなければ、虚偽報告の糾弾にも力が入らないでしょうね。134994
これが、つかみ所のない人間の悲哀というものなのでしょうか。82478
大人の勉強も必要ですね。103870
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実現論って、何?
136322 > 深刻化するいじめ問題
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/03 AM05 【印刷用へ】
> 実現論って、何?
> 136319 深刻化するいじめ問題
> 匿名希望 ( 20代 ) 06/11/03 AM03
> いじめによる自殺が後を絶たない。子どもの自殺が増えるのはなぜか?> 文部省は家庭、学校、社会の面から「いじめ」が起こる原因を分析している。それについて調べてみました。
> (2)学校の原因 >>学校については,様々な努力にもかかわらず,単一の尺度で児童生徒を評価しがちな傾向がなおみられること,一人一人の個性,特性を伸ばす教育が十分に行われていないこと,ともすると指導が柔軟性に欠け,児童生徒の多様な実態に十分に対応できていないこと,といった問題を指摘しなければならない。また,学級内に信頼,思いやりや正義感,あるいはいじめは卑怯な行為であることの認識などを行き渡らせる指導が徹底していないこともうかがわれる。
先日、アメリカ人にいじめ (bulling) について訊ねてみた。すると、アメリカの学校にもいじめはあるとのことである。
だが、学校は真剣に取り合わないとのことである。きっと、「天は自ら助くるものを助く」なのであろう。
意思のない人間には、自ら生きる力もない。82242
お前ら、そんなに俺をいじめると、俺は死んでやるぞ。そうすれば、お前達もきっと困るだろう。といった発想法では、生きる力は得られない。
どうして、この窮地を脱出するかを日夜真剣に考えなければ、現実は変えられない。
力は正義である。83579(正誤表:天国のこと→天国の有様; ことニ思う→ことと思う)
自己の力を背景にして自己の「あるべき姿」を説くのでなければ、誰も相手の主張を深刻に受け止めるものはいない。
アメリカは、本国と戦争をしなければ、独立を認められることはなかった。
だから、彼らは理不尽な反対などを恐れてはいられない。
そのために、力はぜひとも必要である。
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その他
136260 > 「夢」から「現実」。そして「答え」へ
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/02 PM09 【印刷用へ】
> その他(社会統合)
> 47154 「夢」から「現実」。そして「答え」へ
> 江岸元 ( 22 神奈川 会社員 ) 03/01/05 PM11 【印刷用へ】
> 安達陽子さん、こんにちは。
>>(具体的に)このように実現したい、と思う目標、あるいは夢を持つことは、大切だと思います。
同感です。91780
>>ただその夢が社会の現実からかけ離れ、自分の自我のためだけのものであると気が付いた時、その夢は可能性が感じられず、色あせてしまうのだと思います。
夢は非現実ですから、現実からかけ離れていますね。93383
自分の自我のためだけのものということは、恣意 (私意・我儘・身勝手) であるとのことでしょう。82735
恣意は子供じみていますね。81994
>>皆、何かを通じて社会を作っていきたいと思っているのに、自分の〜という枠でしか現実を捕えられていないので、社会の当事者となる接点を発見できずにいるのかと思いました。
そうですね。非現実である世界観が持てないのですね。93383
> 「自分(だけ)」の夢や希望を持つことは、なんだか自分だけの答えを持とうとすることに似ているなと感じました。
昔通りの滅私奉公が必要になりそうですね。82735
> 今日使われている「夢」という言葉からの響きは、どこか心地よい安心感を与えてくれます。時に人の生きる力に直結する場合もあるけれど、しかしその大半は対象を遠くに感じさせる、つまり現実という圧力からの逃避が含まれています。
今日使われている「夢」という言葉の響きが心地よい安心感を与えてくれるのは、英米人の考えだからです。化粧品の名前のようなものか。133317
夢は未来構文の内容であり、未来構文は日本語にはありません。90895
ですから、日本語の夢は幻と共に取りとめのない雑念の中に入ります。84047
> それに対し、「希望」という言葉は生まれたのかも知れません。希望とは夢に対して自分の近く、もっと言うならば己の内面に在るような気がします。
希望は、現実、非現実の区別を強くは問わないようですね。82354
日本人にも受け入れられやすい内容ですね。126709
期待・願い・祈りの内容と同じ次元なのかもしれません。106379
> 夢を実現へ導こうとする状況認識の積み重ねを、仮に希望だとします。ともすれば本来(古来より)夢とは、皆の潜在的な期待に近いものであり、希望とは応望そのものではなかったのでしょうか。
夢を実現へ導く筋の通った現実対応は、未来構文の内容ですね。82476
潜在的な期待は、まず顕在化 (文章化) が必要ですね。94962
そうすれば、議論の対象となり得ます。実現のために各人の協力を得ることも可能になる。82123
> しかし、改めて「現実とは人々の意識である。」という視点から物事を見つめ直していくと、夢や希望という言葉が現実から剥離していった過程の根底に在る、安達さん達が仰るような自我(自分だけ)の存在を無視することはできません。
恣意が困りものですね。82735
> やはり今必要なのは、より普遍的に皆の潜在思念と観念をしっかりとつないでくれる言葉に他なりません。
潜在思念は、顕在化 (文章化) が必要ですね。顕在化 (文章化) は、考える人の役割です。129394
だがしかし、未来構文のない日本語では、観念を文章化することも難しい。93381
だから、無哲学・能天気に終わる可能性が大きい。82144
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現代意識潮流を探る、その深層には?
136045 > 現実を生きること
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/31 PM06 【印刷用へ】
> 現代意識潮流を探る、その深層には?
> 28604 現実を生きること
> 吉岡摩哉 ( 20代 大阪 出版 ) 02/04/13 PM11 【印刷用へ】
> 「リアリティーを求めて」って言うのは、結構若者の間での共通の認識だったりするようですね。最近のドラマや小説、漫画など、世相を反映するモノには「リアルとは何か」っていうテーマのものが多くなってきたように思います。
リアルな事柄しか考えられない人びとの現実探しは、難しいですね。84909
> 海外旅行なども、インドなどのアジア方面に向かう若者が多いそうです。友人の一人は「日本が失ってしまったモノがある気がするから」と言って、インドに向かいました。そんな彼が欲しかったモノも「リアリティー」なのかもしれません。
インド人は、インド・ヨーロッパ語族である。104383
だから、彼等の言葉には、現在・過去・未来の区別がある。82285
彼等の頭の中には、現世・前世・来世の内容が詰め込まれている。103296
日本語には、時制がない。94775
それで、日本語は現実構文 (現在構文) のみの言語である。82123
日本人にリアリティーを求めることが難しいのは、リアリティー以外の世界がないからである。106805
> そんな人たちが言う「リアル(現実感)があった時代」とは、端的に言えば「圧力」を体感できた時代のことです。例えば、戦争だったり、貧困だったり、自然の力だったり。その圧力に適応し、克服していったからこそ「生きている」という実感があったのでしょう。> 現実を生きるとは、現実の外圧を乗り越えて、実現していくことなのです。
現実を生きるのは、人畜共通ですね。118432
> 「現実」が見つからないのは、潜在思念(無意識の領域)と、上部意識がずれているから。もっと言えば、現在の「現実」と、自分の意識がずれているからと言うことができると思います。
日本人の精神統一は、難しいですね。87086
> 先の例のインドに行った友人も、帰ってきて私に伝えてくれたことは、「いかにインドの人たちと仲良くなり、その人達から素晴らしいモノをもらったか」でした。リアリティーを探しに行った彼は、友人や、仲間関係そのものを得て日本に戻ってきました。それがひどく象徴的だと思います。
> 遠藤さんの例にあるインターネットや携帯電話は、明らかに「人」と繋がるためのツールです。私たちはいつの間にか、体感できる目や肌を超えて、なお人に繋がろうとしているのです。
> 本当は、薄々私たち自身、自分が何を求めているのかわかっている状況に来ているのだと思います。でも、どうしたらいいかわからない。(外圧を感じても乗り越える方法がわからない)。
潜在思念は人畜共通です。124930
潜在思念を顕在化 (文章化) することが、考える人の働きです。128685
全ての考えは文章になる。文章にならぬものは考えではない。90820
> だから、気づかないふりをしている。でも、それでは何も実現できない。
意思のあるところに実現の方法がありますね。82057
> インターネットという電脳空間のせいではなく携帯電話というツールのせいではなく、何も誰も外圧を対象化できず、実現できてないからこそ、リアリティーはいつまでたっても感じることが出来ないのではないでしょうか。
現実以外の世界が理解できないと、現実の意味も理解もできないでしょうね。135425
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その他(認識論・科学論)
136035 > 宗教も近代科学も『汝自身を知れ』、と誘う
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/31 PM01 【印刷用へ】
> その他(認識論・科学論)
> 51944 宗教も近代科学も『汝自身を知れ』、と誘う
> 吉国幹雄 HP ( 50 鹿児島 講師 ) 03/03/20 AM02 【印刷用へ】
> 『汝自身を知れ』、アポロ神殿への入口の上には、金の文字でそう刻まれていたらしい。> 『汝自身を知れ』、それから二千年以上たって、18世紀に分類学の基礎を築いたカール・フォン・リンネが自然の体系に関する書の冒頭で、人間に向かって呼びかけた言葉でもあります。
> 宗教と科学は、同じ約束によって人を誘う。人間は、自らを知りたければ、この宗教と科学の聖域に入ってくるがいいというわけです。
> そして、その聖域では自らがどのように位置付けられるかを知り、自らが何であり、自らと比べて何がより偉大なのか、何がよりわずかな価値しか持たないかを見るがいい、というのです。
> 結局は、神の前では人間はちっぽけな存在でしかなく、自然の前では人間はどこまでも動物である…。これが『己自身を知る』ことだと…。
人間の「あるべき姿」と比較すると、人間の「今ある姿」はちっぽけですね。84116
人は神でもなく悪魔でもなく、ただの人間であります。102335
だがしかし、こうした考え方は、欧米方式であります。82476
日本人の比較は「今ある姿」と「今ある姿」という横並びの比較であるから、各人の間の微細な格差も非常に貴重なものになりますね。82942
ドングリの背比べのような状態にあっても、序列の順位がまたとなく重要です。103454
『己自身を知る』にしても、自己の序列順位を調べる意味と解釈すれば、自虐的になる日本人の方が多いことでしょう。111004
>>これまでの科学が「心の世界」をいかに神秘的なもの、宗教とほとんど変わらないものとして扱ってきたかが分る。<<(51744)> 『汝自身を知れ』とは、人間はたいした存在ではないのだと気付くこと。
そうですね。95392
人間の「あるべき姿」と比較した時には、現実の人間はたいした存在ではないですね。93843
> つまり「自己否定」や「深い内省」といった否定形の観念を突きつけてくるわけです。「否定観念」を知ることが、この超越的な聖域に足を踏み入れるための絶対条件なのでしょう。つまり、現実の『心の世界』=意識や潜在思念を実は否定することこそが、宗教への道であり、科学への道であると諭しているわけです。
「自己否定」や「深い内省」といった否定形の答えを出すには、自らが「あるべき姿」の内容を持つことが必要ですね。84641(正誤表:外国語の→公用語にの)
宗教も科学も、「あるべき姿」の内容に関する考察を怠ることが出来ません。83201(正誤表:「あるべき姿」ない→「あるべき姿」のない;わが国民フ→わが国民の)
> いったい、自分を否定する生物がどこにいるのでしょうか。否定して認めたくないのは私権の圧力という嫌な現実であり、忘れたい現実であり、充足できない自分ではないでしょうか。
生物は、自分自身を否定も肯定もしていません。生物は、そのような言葉を持っていません。それが自然です。94960
容認したくない現実には、個人はその根拠を掲げてその否定をアピールすべきですね。134805
その意思がなければ、ハイそれまで。82057
>>おそらくそれは多くの人々が、宗教から始まった2千数百年の思考パラダイムである現実の否定から出発し頭の中で理想状態を捏造するという思考の枠に、今なお引きずられているからだと思います。<<(50941)
「理想状態を捏造する」ではなく、「創造する」ですね。建設的な考えです。93494
夢や理想を捨てるわけにはいかない。これらは未来構文の内容です。84047
> 近代の科学が、客観性という名の元に、現実(人々の意識)を否定して成立してきたと考えれば、人々に豊かさを実現した一方で、人間の存在(意識)をも破壊してきたというのは、恐いことに当然のように思います。
人間の偏見を破壊してきたのでしょうね。98364
> 「客観的に」捉えるとか、「主観的に」捉えるとかという否定思考のドグマに陥るのではなく、意識=現実=事実をとことん対象化することこそが、科学的な思考の第一歩ではないかと改めて感じました。
現代の科学は、英米の哲学博士 (Ph. D.) により全面的に支えられております。83415
科学的な思考には、「あるべき姿」の内容を考察することが必要ですね。84032
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その他
136011 > 「社会を変える」
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/10/30 PM10 【印刷用へ】
> その他(社会統合)
> 67693 「社会を変える」
> 岸良造 ( 50 香川 技術者 ) 04/02/06 PM08 【印刷用へ】
> 中高年の仲間と「社会を変革する」事について議論をすると、「社会は、大きく変わりつつあるのは、実感できるが、どんな方向に向かうのかは、予測不可能である」と思っており、
「予測不可能である」は、困りますね。90706
ただ事の成り行きに身を任せているというのでは、自分の夢と理想は達成されませんね。82242
> その上今まで社会に対して傍観者であったことより「まして、社会が自分の意思で変わるとは、到底思えない。
しかし、定年後は、時間が十分できるので、社会貢献ができるのでは」となる。
「社会が自分の意思で変わる」は、大切な考え方ですね。82057
社会に対して傍観者であったのは、自分に意思がなかったからでしょう。84819
無目的の貢献は、牛馬の貢献のようなものになるでしょうね。133917
> 常に自分が考えると、自分が行動すると、との自己中心の考えに流れ、世の中の人が、どう考えているのか?社会は、どうなっているのか?客観的にまわりの世界を観る思考は、少ないと感じていた。
「我こそは、、、、、、」という、伝統的な発想法ですね。81994
恣意的であること限りなし。82735
「世の中の人が、どう考えているのか?」という考えには、個人が抜けていますね。84743
「客観的にまわりの世界を観る」思考は、実況放送・現状報告の内容を作成することですか。82193
それとも、見栄と外聞による価値判断に従うことですか。102019(正誤表:でるので→できるので)
> しかし、そんな仲間の中高年者も、「勉強店」「なんでや劇場」に参加すると自分ありきから皆ありきの思考方法に徐々に変わりつつあると最近実感している。
自分ありきの思考方法は、恣意ありきのことでしょうか。84027(正誤表:でしなくて→でなくて)
皆ありきの思考方法は、つかみ所のない思考方法なのでしょうか。82478
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