マスコミによる共認支配の怖さ
139022 > マスコミ業界こそ談合、癒着の巣窟だ
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/12/01 PM09
> マスコミによる共認支配の怖さ
> 138376 マスコミ業界こそ談合、癒着の巣窟だ
> 黙照禅 ( ♂ ) 06/11/24 PM07 【印刷用へ】
> マスコミ業界(新聞、テレビ)は、免許制度により一握りの民間資本(5社5系列)が既得権益を独占し、また記者クラブという談合・インサイダー組織を形成し、さらに独占禁止法の例外規定により価格カルテルで保護されることによって、共認形成の場を独占し新規参入を阻んでいる。
同感です。104880
カレル・ヴァン・ウォルフレンは、 <日本/権力構造の謎> の中の <<システム>に仕える人びと> で、記者クラブのことについて以下のように書いています。
自主検閲は、今も、日本のきわだった特徴として受け継がれている。新聞社、通信社、放送局は、記者クラブを通して政府や経済界のニュースを集める。記者クラブは公式に検閲がおこなわれていた戦時中に出現したもので、ジャーナリストとその取材対象である <システム> 側の各組織体とが共生するための制度化された機関である。ジャーナリストの側からいえば、重要なニュースを見逃す心配がないから役に立つし、権力者には、報道媒体の自主規制を円滑化するなによりの方法である。その数400を数える記者クラブは、すべての省庁、政府機関、日本銀行、自民党、警察、経済団体など、日本を円滑に運営して役目を担う、ありとあらゆる機関や人物に付随して設置されている。記者クラブに出入りするのは、160以上の報道媒体を代表するおよそ12000人のジャーナリストである。クラブを通さずに、主要機関からほんとうのニュースを収集するのは難しい。実質的にはまったく不可能なときすらある。日本でおこなわれる正式の記者会見は、こっけいなくらい、演出されたものである。、、、、、 (続く)
> マスコミ業界こそ談合、癒着の巣窟である。
日本人の談合体質は、どこにでもあるようですね。106718
(続き) 、、、、、いまさらいうまでもないだろうが、この記者クラブ制度は、本来、新聞が厳しくその行動や目的を調査吟味すべき人びととの関係を、「なあなあ」で居心地のいいものにしている。この制度があるかぎり、個々の記者が独自になにかを調べる気を起こすこともないし、仲間の記者が出した結論にそぐわない形で問題を取り上げてもなんの報いもない。ところが、政治家や経済界のスキャンダルが明るみに出て全マスコミがいっせいに報道しはじめると、典型的なことであるが、日本ではまさしく情報の雪崩現象が起こる。多くのジャーナリストがすでにその詳細を発端から知っているからだ。 、、、、、(引用終り)
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るいネットをどう変える?
138909 > カミングアウト。
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/30 PM09 【印刷用へ】
> るいネットをどう変える?
> 7772 カミングアウト。
> 政二恵子 ( 23 富山 営業 ) 01/08/09 PM08 【印刷用へ】
> ???心の動きや、行動の変化をいかに読みきれるか???
> 現実社会の中では、自分がしてしまった、ほかの人はちょっとしそうもない行動を、正当化しようとせずに開き直らずに、告白するのはむずかしい。ネットでなら、匿名という性質も手伝って、カミングアウトしやすい。(意外と、自分の心境や行動も、時代の多数派になっていたりするかもしれない。)ネットは、普段隠しているような大衆・素人の心の動きや行動を、量りやすい場だとおもいます。
るいネットは、個人の考えに焦点を絞って議論すべきでしょうね。83459
単なる自己暴露では、話は自己の「あるべき姿」の内容には到達しないでしょう。130815
他人の心の動きや、行動の変化を気分・雰囲気により勝手に解釈するようでは、人畜共通の広場になりますね。94682
ルース・ベネディクトは、自著 <菊と刀> の中で、自己をさらけ出すことの好きな日本人に関して次のように述べています。
日本を研究する場合には、私は多くの学者の遺産を受け継ぐことができた。生活の細部にわたる描写が、好事家の記録の中にしまい込まれていた。ヨーロッパ人やアメリカ人がそのなまなましい経験を書き留めているし、また日本人自身が実に驚くべき自己暴露を書いている。多くの東洋人とは違い、日本人は自分のことを洗いざらし書き立てる強い衝動をもっている。彼らはその世界的拡張計画のみならず、彼らの生活の瑣事についても書く。彼らは驚くほどあけすけである。もちろん彼らは彼らの生活をことごとく、あますところなく書き写してはいない。どの民族だってそんなことはしない。日本のことについて書く日本人は、本当に重要な事柄を、それらが彼らにとって、彼が呼吸する空気と同じように慣れきった事柄であり、眼につかない事柄であるために、見のがしてしまう。アメリカ人がアメリカについて書く場合も同じである。にもかかわらずやはり、日本人は自己をさらけ出すのが好きであった。(引用終り)
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マスコミによる共認支配の怖さ
138805 > マスコミは「不適任者」製造装置
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/29 PM08 【印刷用へ】
> マスコミによる共認支配の怖さ
> 138617 マスコミは「不適任者」製造装置
> 佐藤英幸 HP ( 44 新潟 塾長 ) 06/11/27 PM10 【印刷用へ】
> 恒例の全国世論調査が出た。安倍内閣の支持率調査である。> 安倍内閣を支持する理由、これがまた恒例の「ほかに適任者がいないから」
「ほかに適任者がいないから」ということであれば、この世の最高の人物が安倍内閣を組閣したことになりますね。82320
> 小泉内閣のときも「ほかに適任者がいないから」が第一位であったが、安倍氏も、(総裁選に破れた)麻生氏も、当時の内閣にいたのである。
調査により示された理由は、時の経過による変化を受けていますね。136866
> 適任者でない人が次の首相になるなんてありえないと思うのだが。
何事も比較の問題です。102478
適任者でない人というのは過去の内容であると私は解釈しています。133213
つまり、過去に最高の責任者でなかった人が、小泉が抜けた現在は最高の責任者になったということ。132784
これは、私の勝手な解釈はないでしょう。けっこう意味が通じる選択肢です。90612
> 次の首相が誰になっても、「適任者でないだれか」ということになる。マスコミにやりたい放題させておくといつまでも適任者0の社会が続くということになる。
次の首相が誰になっても、「適任者でないだれか」という意味にならないためにも、「前回は最高の適任者でなかった中のだれか」とマスコミの報道を解釈するのが適当だと考えます。
話の筋が通るように言葉を補うことは、これが建設的な方向であるならば、差し支えないことだと考えられます。93494
そうでなければ、こうした指摘は揚げ足取りによる不毛の議論になりかねないでしょう。82251
とにかく、やりたい放題は良くないですね。
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潮流3 出口が見えない、答えが欲しい(収束不全)
138640 > 溢れ出んとする下部意識
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/28 AM05 【印刷用へ】
> 潮流3 出口が見えない、答えが欲しい(収束不全)
> 21518 溢れ出んとする下部意識
> 福田慎一郎 ( 24 愛知 営業 ) 02/01/19 PM10 【印刷用へ】
>>万人(素人)による認識の創出と共認形成の場(=統合サイト)が、いずれ新たな社会統合機構となって、彼らに最終宣告を下すことになるだろう。21495
期待・願い・祈りの内容が大きいですね。106379
最終宣告を下すには、万人(素人)の教養が必要ですね。83415
> 現在、社会の秩序を維持している(?)のは特権階級に位置する彼らである。悔しいがそれは、我々素人がその下にひれ伏すことである。
特権階級も我々素人も無哲学・能天気ですね。我々素人にも序列制度に関する批判はできない。92478(正誤表:定時→呈示)
> 彼らに日常を管理され、我々は行進している。
牛馬の調教のようなもの。人の役に立つことが目的とされている。107515
> 彼らの作り上げた世界、一見正論とも見える観念に身をゆだねる。> 「こうするべきだ」> 「しなければいけない」
とかく、この世は無責任。誰の意思によるものでもない。84432
神の意思でもなく、個人の意思でもないのだから、それでは天の声か。82180
> 彼らのフレームにピッタリあった時、彼らのモノサシで評価をうけたとき、心地よい時もある。> …
何しろ、身分格式の世の中ですからね。評価を受けて心地よい時もある。82596
> 正直アホらしい。
こうした知的低水準は、正直言ってアホらしい。82320
> なぜなら我々は心の奥底に潜む下部意識に気付いている。観念とは関係なく、下部意識は溢れ出ようとうずいている。
下部意識とは、腹の虫のようなものですか。82735
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。92480
> 誰かが突破口、実現の可能性を見つけたら、下部意識の塊はそこから溢れ出すに違いない。
真珠湾の奇襲攻撃のようなものですか。104194
> 特権階級の彼らはあせるだろうな。
昔のルーズベルト大統領のようなものですね。99912
> いや、彼らにとっても救いであるに違いない。
そうですね。飛んで火に入る夏の虫。
これでまた一件落着となるか。
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何で新理論(構造認識)が必要なの?
138571 > 責任捨象が個人主義の本質
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/27 AM10 【印刷用へ】
> 何で新理論(構造認識)が必要なの?
> 138558 責任捨象が個人主義の本質
> 加来野浩史 ( 34 福岡 経理 ) 06/11/27 AM00 【印刷用へ】
> 個人主義という言葉は今ではあまり聞かれなくなったが、それでも「人と違うことをすべき」「自分の意見を持たねばならない」といった価値観は根深く残存している。
個人主義 (individualism) は、利己主義 (egotism) と間違えられやすいですね。82123
個人主義は相手個人を認めるが、利己主義者は相手の利己を認めない。103634
> もし自分の評価を優先して全体のことを捨象すれば、当然全体はガタガタになるので、誰かが何とかしないといけない。> しかし自分中心の価値観は誰かに押し付けているという現実さえも捨象してしまう。
自分中心の価値観とは、独りよがりのことですね。81994
日本語を話す人々は、未来構文がないので、来るべき世界の世界観や価値観を持つことが難しい。83201(正誤表:「あるべき姿」ない→「あるべき姿」のない;国民フ言語→国民の言語)
>>現実の行き詰まりや危機に対する責任を一切認めようとせず、言い逃れに終始する個人主義者たちのどこに「責任」意識があるのでしょうか?<<974
日本語には未来構文がないから、個人的な基準の表現は難しい。133745
だから、自分のもつ本当の基準を口にしない。138369
国がひっくり返っても責任者は一人も出ない。84432
とかく、この世は無責任です。91717
> どういう理屈があろうと、責任逃れをしようとしている現実は変わらない。それが個人主義者の本質だと思う。
意思がなければ責任もない。93729
そうでなければ、責任者は単なる犠牲者でしかない。82242
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
138564 > 自分の意見を通すには?
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/27 AM04 【印刷用へ】
> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 138519 自分の意見を通すには?
> 渡邊かお里 ( 34 神奈川 建築士 ) 06/11/26 PM06
> という表題にびっくり。> 小学校の教科書の中の1ページである。
> 自分の言いたいことは理由も一緒に伝える> 自分だけでなく相手も納得するように話す> etc・・・
> と並んでいるとそんなに間違っていはいないような気もする?
> でもなんで「自分」ってこんなにいっぱい繰り返されてるの?
丸暗記してきた内容を披露されては困るからでしょう。138399
> そもそもなんのために話合いをするのかというスタートが根本的にずれている。> 「課題を解決するため」ではなく「自分の意見を通すこと」が話合いの目的みたい。
自分の世界観・価値観を示すことができれば、現実の何処に課題があるかも知ることができるでしょう。83201(正誤表:「あるべき姿」ない→「あるべき姿」のない;国民フ言語→国民の言語)
> 日本の学生は、議論が下手、自己主張が下手とでもいう教育者達の認識による”欧米式”カリキュラムなのだろうか?「成熟した民主主義」を目指してのもの?”集団論議の仕方”みたいな項目があるようだ。
同感です。84641
> こんな教科書で「自分」を強要される子供達は本当にかわいそうだと思った。心が向いているみんなという活力源と、アタマが食い違って、さぞかし疲れるだろう、混乱するだろうと思う。
同感です。日本語脳の持ち主には無理ですね。84361
英米の猿真似も難しい。混乱する。92653
もしも可能であるならば、まず我が国の有識者から率先して手本を見せるべきです。98352
> 子どもに伝えなければならないのは人が何のために話合うのか?ということ。
我が国の知的指導者は、国民を談合型の話し合いから脱皮させたいのでしょう。83747
> 授業で体験してほしいのは不毛な議論に打ち勝つことではなく、みんなで事実を追求していく充足なのではないだろうか。
議論をすれば喧嘩になります。94775
事実の追求ばかりでは、話がエンドレスになる。話が自己の結論に達しない。93557
とかく長引くのは、日本人の話し合いです。101092
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その他
138541 > 対立を面白がる人々
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/26 PM09 【印刷用へ】
> その他(社会統合)
> 14300 対立を面白がる人々
> 福島健 ( 28 滋賀 建築設計 ) 01/10/23 PM09 【印刷用へ】
> 議論と言えば、意見と意見の対立。> こういう連想は現在、ごくごく一般的な図式なのかもしれません。
議論とは、自分の考えを述べたり他人の考えを批判したりして、論じ合うことである。105083
英語のdiscussは、或る問題をあらゆる角度から論じる。
英語のdebateは、公の問題を賛成・反対に分かれて公開の席上で公式に討論する。
英語のargueは、自分の考えを主張し相手の説を論駁するために理由・証拠をあげて議論する。
> 少しでも論点が食い違えば、そこから論争が始まり、自分の意見がいかに正当であるか、それを証明するために周囲の意見を否定します。> そんな彼等にしてみれば、あらゆる情報は、自論を正当化させるための材料にしか映らないのでしょう。
これは、argueでしょうね。
> まさに藤岡さんの言われるとおり、ディベートでしかないですね。
論点を絞れば、debateですね。
> このようなスタンスでは、なにを議論しても、創造的な欠片さえも見出せないのは巷の掲示板をみれば明らかだと思います。
一人区の選挙戦のようなものですか。
> 議論とは、解決すべき問題があって、その問題に対する最も最適な解を見つけ出すために行われるものだと思うのですが、そうであれば、様々な意見や事象を可能な限り一点に収束させていくような姿勢が参加する者に求められる最低限の姿勢ではないでしょうか。
これは、discussでしょうね。
> ひとつの目標に向けて、皆が様々な意見、アイデアを持ち寄る。そうすることで導き出される「理」。
> こうした創造行為は、議論にこそ可能性があるのだと思います。
リーズナブルな答えを探し出すことが大切ですね。101058
> 様々な意見があるのは当然だと思いますが、それが即ち対立である、という構図は短絡的と言わざるを得ないのではないでしょうか。
同感です。人さまざまですからね。99076
ですが、個人選びともなれば、選ぶ側はその対立点に焦点を当てることになります。92856
選択肢として、対立点を際立たせることは必要なことです。90812
選ばれる側は、お互いに礼を失することなく対立する必要があります。83716
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閉塞の元凶は、個人主義
138418 > 教育者は、エライのか?(2)
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/25 PM06 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 16811 教育者は、エライのか?(2)
> 岩井裕介 ( 29 山口 再開発プランナー ) 01/11/21 PM11 【印刷用へ】
> 前稿の続きです。> もうひとつ、教育のありかたについて、子どもに生きる力、課題を乗り越える力を身につけさせる、子どもの内面をもっと見てあげる、ということもよく言われています。
同感です。
生きる力、課題を乗り越える力を身につけることは必要ですね。123638
> これらの事柄について、理屈のうえで特に反論があるわけではありません。しかし、これらは、学校の役割とどう関係するのか、子どもの人生を決定付けるかのようなことを、何故そこまで、教育者が声高に言わなければならないことなのか、という疑問があります。
教育者にとって、子どもに力を身につけさせることがひどく難しいからでしょう。136484
> どうも、教育者が子どもにしてやれることに対する過信というか、しなければならないことに対する幻想が大きすぎるのではないか、という気がしています。
日本人に理性判断を持たせて生きる力をつけさせるのは、現場においては幻想に近いですね。84116
> また、この点については、教育は聖職であるという観念や、近代の権威主義的な学校像、戦後民主主義教育における教育者の王様ぶり、といったイメージが未だに残存しているようにも思われます。
我が国の教育は、学校の制度を中心とした権威主義と暗記力の競争です。138399
日本人には、横並び・同次元の比較しかできない。124402
権威の格差と暗記力の格差を検出すること。これらが我が国の人間序列を正当化する根拠となるのです。136035
これらが受験競争・試験地獄を生み出している。102478
我が国には、教育あって教養なし。真理を求める大人の努力が欠けている。ああ、空しい。136484
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閉塞の元凶は、個人主義
138399 > 多様性とは
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/25 AM04 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 755 多様性とは
> 佐々木健二 ( 22 徳島 企画 ) 01/03/03 PM01 【印刷用へ】
> 多様性を主張することは、個人が自分自身に価値基準を置いて判断し自分勝手な行動をする際の免罪符になっていることは疑問の余地がなさそうです。
自分勝手な行動をする際の免罪符を出す相手はいないでしょうね。94775
だから、自分勝手な行為は不可能な行為になります。81994
ですから、多様性ある理に適った行為のみが容認されることになるでしょう。129878
この道をたどって努力すれば、閉塞感はありません。85728
> しかし、「多様性を認める」の否定を皆さんはどのように受け取るのでしょうか。熱心な個人擁護者は、「個人を否定するなんて、あなたは国民皆が同じ服を着たり、同じ物を食べたりする状態がいいというのか?」なんて噛み付いてくるものですが、これについては皆さんどう考えますか。
国民皆が同じ服を着させられたり同じ物を食べさせられたりする状態には多様性はないですね。99076
同じでなくてはならない時と所で同じになり、同じでなくてもよいと時と所では「多様性を認める」のが良いでしょう。136528
何が同じでなければならないか、何が同じでなくても良いかの基準は、人さまざまでしょう。99076
人気のある基準を提唱した人物を我々の指導者に選ぶと良いでしょう。こうして選ばれる人物も、時により変化します。82123
> 私はこれは議論のすり替えだと思います。> こういった感情的なすり替えに騙されたくないものです。
同感です。感情による判断は、理性判断から区別しなくてはなりません。106805
諺には、「善は急げ」があるかと思えば、「急がば回れ」というのもある。
時と所とその行為の内容を特定しなければ、どちらに理があるかは判断できない。84641
こうした理のある判断力に優れていることは生きる力となります。他人と議論する可能性が出てきます。82615
逆に、権威主義と暗記力だけでは、生きる力は増大しません。101884
「善は急げ」や「急がば回れ」は、単なるスローガンにすぎません。文字通り解釈する原理主義者であっては、現実対応に支障が出てきます。82476
山本七平は、自著<日本はなぜ敗れるのか>の中でスローガンに踊らされる日本人の姿を以下の如く描いています。
、、、、、同じアジア人で共に非キリスト教徒だという日本が、しかも彼らを米国の支配から開放するために来たはずの日本軍が、このモロ族にまず叩かれ、最後まで彼らを見方としえなかったこと、そこには、考うべき数々の問題がある。そしてその問題は、浮ついた「同文同種」「アジアの解放」「東亜新秩序」「共栄圏」等の一人よがりのスローガンがいかに無意味で、自己を盲目にする以外に何の効用もなかったことを物語っているのであろう。(引用終り)
同様にして、個人主義という一人よがりのスローガンは、いかに無意味で、自己を盲目にする以外に何の効用もないことを知る必要があります。84641
スローガン・努力目標を文字通り解釈して現実に当てはめようとする原理主義者であっては、現実対応に破綻をきたすことになりましょう。82476
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何で新理論(構造認識)が必要なの?
138369 > 現在求められるもの
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 06/11/24 PM03 【印刷用へ】
> 何で新理論(構造認識)が必要なの?
> 439 現在求められるもの
> しもむら ( 23 岡山 学生 ) 01/02/23 PM08 【印刷用へ】
> 「個人を捨てる」私は、これは周囲に流されて生きる堕落した考えだ、というある種の固定観念を心の底に持っていたのかもしれません。それは現在の私権システムといえる集団のルール、価値観を信じれない自分がいるからだと思います。
> そして私自身、豊かになり情報化が進み、価値観が多様化し、選択の幅が広がる中で、個人は確固とした価値観、判断基準を持ち選択していかなければならない、何かそんな時代の流れに圧迫感を感じるが、何を信じていいのかわからないという状況にいます。
> だからこそ実現論で人類共通の信じることができる普遍的な集団のルール、価値観の構築が必要なのだと今あらためて実感しました。
同感です。何を信じていいのかわからないという状況ですね。82478
山本七平は自著<日本はなぜ敗れるか>の中で自分のもつ本当の基準について以下のように述べています。
私自身は、その人がどんな思想をもとうとその人の自由だと思うが、ただもし許されないことがあるなら、自己も信じない虚構を口にして、虚構の世界をつくりあげ、人びとにそれを強制することであると思う。日本の滅亡より自分の私物が心配なら軍人になるのをやめ、日本の運命より家作が心配なら、はっきりとそういってその言明にふさわしい行動をとればそれで十分だということである。ただ明治以来、「或る力」に拘束され、これを「明言」しないことが当然視されてきた。いわば自分のもつ本当の基準は口にしてはならず、みな、心にもない虚構しか口にしない。これは実に、戦前・戦後を通じている原則である。(引用終り)
山本七平の指摘する「或る力」とは、私の考えでは日本語に「未来構文のない」事実を指すことに相当します。81994
「あるべき姿」をもたない日本人は、ただ周囲に流されて生きている。83415
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