68

その他
142205 > カタチのない考え
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/13 AM11

> その他(社会統合)
> 52199 カタチのない考え
> 角田康子  ( 24  学生 ) 03/03/24 PM10 【印刷用へ】
> 彼ら(官僚や学者などの発信者階級)の話にはいつも当事者が含まれていません。

今日でも権威主義が必要なのでしょうね。101884
彼らは、利害関係のない人 (傍観者) として好まれているのでしょう。92993

> 私達が学生の頃、社会の教科書をきちんと読んだことのある人がいったい何人いたのでしょう。
> 開いたこともない人だっているかもしれないのに。

人さまざまですからね。128685

> 要するに、彼らの仕事とはとにもかくにも‘カタチ’をつくることなのです。

おざなりですね。104383
だから、勢い形式にはこだわることになります。105350

> いかにももっともらしい、立派な内容をつくりあげることで社会をつくったのだという満足感を得ます。
> しかし彼らの仕事はそこまでで、それが実践に活かされるかは問題ではないのです。

彼らの仕事は、お役目仕事です。136658

> しかしながら、我々も未だこの‘カタチ’にすがることで安心感を得てしまっている部分がないとはいえません。(例えば、とりあえず自分の子供を塾に入れることで安心感を抱いている親や、問題集を買っただけで勉強した気になる学生など)

内容がなければ、形にこだわることになりますね。理性よりも感性に頼るか。103724
必勝祈願の朝参りをするようなものですね。不安と安心が入り混じる。103454

> みんな心の中ではわかっていることです。
> これでは何もかわらないんだということを。

意思のないところに、解決方法はありませんね。82735
意思は未来構文の内容です。82180
だがしかし、日本語には未来構文がない。82320
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。90820
潜在思念を文章化するのは、考える人の働きです。128685

> どうすればいいのかも漠然とはわかっているのでしょう。
> しかしみんなそれを単なるグチで終わらせてしまっています。

皆が感性の方にはけ口を求めているのですね。93729

> ちゃんとした言葉で口に出せないのは、きちんとした‘カタチ’が出来ていないから、発信者階級のつくる‘カタチ’を形と思い込まされてきたからではないでしょうか。

日本人はあくまでも形式主義ですね。形にこだわっている。82596
だが、回答は「見れば分かる」の形式にはなりませんね。95538
規範・基準 (standard) は、未来構文の内容として述べられる必要があります。83281(正誤表:人をEさない→人を殺さない )

> でもそんな形ない考えこそが私達の生活には必要だったのです。
> 一人一人の胸の奥にある考えを不細工ながらも声に出し、それが共認を呼べば自然とそれが形になっていきます。
> それこそ我々が長年、心のどこかで真に探し求め続けていた、実践に役立つ‘カタチ’ではないでしょうか。

未来構文が得られたら解決するでしょうね。英語には、未来構文があります。82285
未来構文の内容と現在構文の内容とを比較すれば、現在の内容をいかに改良していくか検討に入ることができますね。84116  
その検討結果に従がって未来社会の建設に取り掛かれば、我々は限りなく目的に近づくことになるでしょう。82057
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その他(認識論・科学論)
142118 > 言葉と対象
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/12 PM04 【印刷用へ】

> その他(認識論・科学論)
> 51735 言葉と対象
> 鈴木隆史  ( 30代 大阪 造園設計 ) 03/03/16 PM10 【印刷用へ】
> 観念の原点が、直面する現実対象の背後に見る精霊であるとすれば、当然ながら言葉は対象そのものではありません。したがって例えば、「犬」がどのような現実対象なのか(ペットなのか、狩猟のパートナーなのか、あるいは駆逐すべき敵なのか等)によって、(犬の背後に見る)精霊が千変万化するのは当然と言えるでしょう。

同感です。95538

> 言葉がそのようなものであるなら、「言葉はその実体と一対一で対応するものではなく、仮のもの」、という言い方ができないことはないと思います。

言葉には、具象・抽象の区別がありますね。92338
具象語は、その実体と一対一で対応すると考えてよいでしょう。132142
抽象語は、人さまざまですね。だから、相手の意見を訊ねる必要が出てくる。126342

> しかし現実世界でまず必要なのは、「犬」という言葉よりも、その言葉が指し示す実体であり、実体ある対象こそが原点にあるのはご理解いただけると思います。

実体・実物は、実況放送や現状報告の内容となって人々に信じられています。82057
だから、我が国では実学 (技術) が伸びています。83415

> 実体があってはじめて、(たとえ仮にせよ)言葉の必要性が生まれる。「犬」を「犬」として使うことに特段の支障はありません。ところが、「愛」や「自由」には、いくら考えてみても実体が無い。みなさんはそれを問題にされているのではないでしょうか。

「愛」や「自由」は、「あるべき姿」であり、観念 (idea) である。141964
実体がないので実感が湧かない。だから、人々は信じがたい。観念は、現実の中の嘘である。94682
だから、我が国では哲学 (科学) が伸びない。123837

> 現実に無いもの(幻想)であっても、現実対象と同じように名付けることはできるのです。

現実にあるものは、現実構文 (現在構文) の中で語ることができる。82123
現実と鏡像関係にある未来の内容も、現実対象と同じように名付けることはできます。99987
未来にあるべきものは、未来構文の中で語ることができます。82180
だが、未来構文のない日本語では「あるべき姿」を語ることが難しい。それを語れば雑念となる。84047

> そして、現実をどうするのか、という問いに対して、非現実を対象化した言葉(旧観念)ではいつまでたっても答えが出せない、というのは当然ではないでしょうか。

現実をどうするのかという問いに対して、非現実を対象化した言葉(旧観念)を参照にして答を出すことができます。93381
答が出せないのは、現実と非現実を区別しないで考えるからです。82476
丁度、大洋を航海する最中に、未来における船の寄港地 (非現実) を想定することにより、その時その場で自分操る船の進路を決めるように。95435
未来の船の位置を想定できなければ、船は限りなく大洋の中を迷走する。99152
未来の自国のあり方を想定できなければ、わが国は国際社会の中を迷走するしかない。101765
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科学って、本当に信用できるの?
142030 > 日本の基礎科学史
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/11 PM08 【印刷用へ】

> 科学って、本当に信用できるの?
> 13224 日本の基礎科学史
> 高田敦  ( 36 大阪 塾講師 ) 01/10/11 PM01 【印刷用へ】
> 西洋の科学思想における合理主義を一言で言えば、「宇宙を支配する唯一の存在である神が造った科学法則は崇高にして美しいものであるはずであり、論理的な方法によりこれを完全に解明できる」ということでしょう。

西洋人は、神の意思を理性的に解釈できるものと、初めから考えていたのでしょう。82180

> 一方、日本的合理主義は、これよりはるかに実用に重点を置き、現実的な解決が得られる方法を尊ぶ傾向のものと考えられます。

日本語には時制がないので、現実構文 (現在構文) オンリーの言語と考えられます。82320
それで、日本人は、目先・手先に関係する現実的な内容をのみ考える傾向にあるのでしょう。85728

> 「どうせ自然の奥底は我々には当面理解できないのだから、とにかく正解にいちばん近い答えが得られる手段が最高の手段ではないか」というようなところなんでしょうか。

実学 (技術) のようなものですね。83415

> このように考えると、日本の基礎科学は、中国や西洋のたんなる真似でもなければ取捨選択でもない、日本人なりの価値観により構成された独自のものではないでしょうか。

そうでしょうね。127165

> そういう意味で、江戸時代の科学は、世界の他の歴史的に孤立した文化、古代のインドやアラビア、中南米文明のそれとも比較されるべきでしょう。
> さらに、もうひとつ、日本の江戸時代には、日本は鎖国をしていたという決定的な事実があります。

外国人と接触しなければ、外国人と意見を交わすことはできませんね。108430

> それは、西洋の学問の原著(蘭書)が、西洋人の教師・指導者あるいは宣教師・軍隊に付き添われないで、単独で海を渡って来たということです。
> 鎖国下の日本では、西洋の学問は書物のみで輸入されたので、日本人はそれを自分で苦労して翻訳をしなければならなかったでしょう。

中国人指導によらない漢学と同じですね。108182
今日に至っても、英米人の指導によることなく、英米流の学問が行なわれている。92856

> これは自分勝手な解釈をすることもできたことも意味するのではないでしょうか。
> そして、この状態はなんと百年近くも続いた。
> こういう状況下ではどういうことがおこるでしょう。
> 一言で言えば、日本人は非常に冷静に西洋の科学を道具(手段)として「導入」してしまった。
> 事実、西洋の科学の導入にいたって混乱や争いは、ほとんどおこらなかったらしいです。

同感です。97911
物質の輸入と同等のことをやったのですね。93843

> 日本おける科学の問題性は、西洋のそれとは異なるものがあると思いますが、科学を道具として「導入」してしまったところに大きな問題があるように思えます。
> 参考文献 > 三浦梅園自然哲学論集、尾形純夫、島田虔次、岩波文庫

同感です。107897
日本人は科学 (科学哲学) を学問 (哲学) とはしなかった。技術 (科学的技術) と間違えているところに問題がある。84032
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閉塞の元凶は、個人主義
142011 > 真の民主主義を築くために
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/11 PM03 【印刷用へ】

> 閉塞の元凶は、個人主義
> 3761 真の民主主義を築くために
> 雪竹恭一  ( 38 大阪府 営業 ) 01/04/30 AM00 【印刷用へ】
> 繰り返しますが、個人主義はインテリ階級の難しい定義(自我は世界を対象化する視点であるとか、思惟する主体であるとかいう定義)とは裏腹に大衆的・現実的には自我=エゴを肯定する思想として理解されています。少なくとも個人主義者の中からはエゴとしての自我を明確に否定した思想は登場していないはずです。

同感です。84743
あらかたの日本人は、個人主義と利己主義の区別はできていない。82123
「世界を対象化する視点」というのは、世界観のことですね。124503
「思惟する主体」というのは、個人ですね。82285
世界観は非現実であるので、人それぞれの内容を認める可能性が存在します。141278
これに反して「世の中は、、、、、」の発想法では、内容は実況放送や現状報告の内容に類したものになるので、人それぞれでは信じられません。94865

> そして、エゴとしての自我を明確に総括し否定しないまま「ヒューマニズム」を語るから、現実的には自我と自我のぶつかりあいは力の論理で制御するしかなく、その結果社会の絆は弱まってゆくのです。そしてまた、エゴ=自我を否定しない個人主義の語る「ヒューマニズム」の理想は必然的に観念論に終わるのです。

弱肉強食が自然の姿です。92540
自然の姿の内容は現実論になります。141874
「ヒューマニズム」は理想論であり、観念論であり、非現実論です。108633
非現実論は、現実の生活の道標となるので、日常生活の中に利用することが可能です。134999

> ですから、皮肉なことにインテリや学者が個人主義を語れば語るほど大衆的には自我のお墨付きを得られたことになり、エゴイズム・自分主義を助長するということになります。ここに個人主義が欺瞞思想たる欺瞞の所以があります。

同感です。100260
個人主義による幣害というよりも、その誤解による幣害でしょうね。102748

> 個人主義者は、エゴイズムと個人主義は別物であり関係ないと言っています。しかしそうであるならば、そもそも「エゴイズムの原因は何か?」「どうすればエゴイズムを制御・克服できるのか?」という問題に正面から答えるべきでしょう。

同感です。135258
個人主義と利己主義は別物ですね。138571
個人主義者は相手の個人主義を認める。万人の「あるべき姿」の内容を求めている。105009
利己主義者は相手の利己主義を容認しない。自己のみの「あるべき姿」を求めているのでしょう。103191

> 具体的な課題である市民の政治参加やコミュニティの再生のためには、力の論理に替わる統合原理がなくてはならないはずです。

同感です。85831
アニマルに対しては力の原理、人間に対しては議論が必要ですね。だが、子供はアニマルに近い。84361

> その中身を追求せずして「民主主義」という理念だけ叫んでもまた観念論になるでしょう。

理念・観念は非現実の内容であり、人それぞれである。104107
「あるべき姿」に関する内容を持たなければ、自己の判断の基準を示すことはできない。83415
だから、「あるべき姿」で成り立つ世界観を持たない人はつかみ所のない人である。132515
個人の世界観に注目を喚起するのが個人主義である。82180
個人主義がなければ、つかみ所の無い人の存在は気にならない。141587
個人主義がなければ、個人選びが優れた効果を発揮できない。103548
そして、民主主義が効果を発揮しない。84432

> 個人主義において多数決という力の論理に替わる統合原理があるのなら、それも併せてご説明願いたいところです。
> 21世紀が真の「民主主義」社会になるために。

同感です。
その時々に試みられた他の全ての政治形態を考慮しないのであれば、民主主義は最悪の政治形態である。(Winston Churchill 1874-1965, speech in the House of Commons, 11 November 1947 ) 
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その他
141964 > 欺瞞観念からの脱却は一人ではできない。
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/10 PM09 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 7466 欺瞞観念からの脱却は一人ではできない。
> 平川要  HP ( 22 佐賀 経理 ) 01/08/04 PM07 【印刷用へ】
> クラスに一人はいましたね。嫌われ者。

人それぞれですからね。104107

> 表だったいじめとかはなく、みな普通に接しているけど、皆でいると浮いてしまう人。
> それはその人の考えかたにみながついていけないから。

話が合わないのですね。100065

> いわば欺瞞観念にまともにぶつかっても、面倒くさいし、時間の無駄であるし、、、。

観念は、頭の内側で起こった内容であり、現実は、頭の外側で起こった内容です。104897
観念は、非現実ですね。141832
現実構文の中の観念 (非現実) は、欺瞞になりますね。135724
外来の観念は、日本語脳では対処不能ですね。101180
観念は、いうなれば危険思想で、切って捨てるしかない。101134

> けれども、そんな奴でも皆、なんだかんだ言っても、遊びには誘うし、話し掛けてみたりする。

話をしなければ便利な人なのでしょう。84361
無哲学・能天気の中で過ごせば、別に問題はない。84032

> やっぱ、ほうっておけないんでしょうね。
> でも、それでその人が欺瞞観念から抜け出すかどうかはわからない。
> ずっとそのままかもしれないし、あるいは、、、。

現実構文の中で観念を考える限り、それは欺瞞となりますね。93381

> 欺瞞観念は全く相手にしない、なんてできるんでしょうか?

英語で考えれば、観念を考えることは可能です。127915
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何で新理論(構造認識)が必要なの?
141874 > 言葉を求めて
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/09 PM08 【印刷用へ】

> 何で新理論(構造認識)が必要なの?
> 23407 言葉を求めて
> 中村朋子  ( 54 大阪 教育 ) 02/02/08 PM07 【印刷用へ】
> 石野様、「言葉が輝きを失った時代」拝しました。23382
> それは「言葉の力が信じられなくなった時代」と言い換えられるかもしれません。
> おっしゃるように既成概念が最早無力となり、それを表す言葉がそれ以外のものを表さないとすれば、それを用いて語ることもない、そこから、「言葉ってのは何も表せないんだ」という「言葉不信」が出てきても仕方のないところです。
> だから言葉に頼らなくなる、表そうという努力もしなくなる、それなしに相手がわかってくれることを期待する。
> 自分が思っていることを分かってくれなければ、正確に伝えようとする努力もせぬまま、「キレる」。

「理屈などはどうでもよい。現実は見ればわかる」ということですか。100053

> そしてその「言葉不信」がまた既成概念となってゆく。
> 子どもたちの「言葉」感でしばしば見られるのは「言葉だと嘘がつける」という捉え方です。

「それ、嘘、本当?」の質問ですか。83415
現実の中に存在しないものは、この世の中の嘘ですか。102080

> 彼らが重視するのは「感情」です。表情や音声の調子から察せられる相手の「感情」、自分の「感情」です。

「感情」は人畜共通にその存在が認められますね。106805

> 正確な伝達や記録といった面に彼らが言及することは極めて稀です。
> 「言葉の力」とは、彼らにとって「人を傷つける」か「いたわる」かのどちらかに限られるとさえいえるのです。
> 「思い」を「語る・記す」、何かを正確に、効果的に伝達、受容するものとはほとんど捉えられていない、そしてそれが彼らの間での既成概念として「依拠する」ものになっているのではないかという疑念さえ湧いてきます。

「議論をすれば、喧嘩になります」ということでしょうね。94775

> 若者発の言葉は確かに多いでしょう。しかし「メッチャ」であれ「バリ」であれ、既存の語をいじったに過ぎない。したがって、あっという間に他の同種の語にとって代わられる。

「歌は世につれ、世は歌につれ」といったようなものですか。ナウな感じですね。84217
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その他
141848 > 「怒られるから」やる、という意識構造
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/08 PM10 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 58218 「怒られるから」やる、という意識構造
> 竹村誠一  ( 30 長野 営業 ) 03/07/06 PM03 【印刷用へ】
>>私権の強制圧力とは強迫観念の生成装置になっていたことが伺えます。しかし、私権の強制圧力が見る影もないほど衰弱してきているのに、期待や課題を強迫観念的にしか捉えられず、その結果、目先のことしか考えられないでいるのは愚かなことです。<<(58019「私権の強制圧力とは強迫観念の生成装置」)

日本語脳に入るのは、目先・手先の内容に限られていますからね。91529

> これには思いあたる事例が多々あります。
> 「早くやらなければ」(怒られる)
> 「何かやっていなければ」(怒られる)・・・
> すなわち、「怒られるから」、出来不出来はともかく、何でも早くやる。

人畜共通の調教ですね。105230

> 会社の上司部下関係、顧客との関係など、特に私権の上下ヒエラルキー構造が強固な場所においては、こんな風景は日常茶飯事だったし、今でもまだ時々見聞きします。

軍隊式ですね。123463

> このような構造が支配していたからこそ、会社においても、社会全体においても、課題の本質が解決されることなく、今に至ってしまったのではないでしょうか。

生きる力とはなりませんね。139852
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その他(若者と老人)
141840 > 言葉つかいから考える「先輩、後輩」
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/08 PM08 【印刷用へ】

> その他(幼・少・青・壮・老)
> 44172 言葉つかいから考える「先輩、後輩」
> 水鳥智広  ( 23  学生 ) 02/11/19 PM10 【印刷用へ】
> 原則として大学では、年齢ではなく、学年で、先輩後輩という関係が成立しているように感じる。しかし、その反面、同学年であっても、休学や、留年をした過去に先輩であった人に対しては、敬語を使用している。この事は学年の下の先輩に対しても同じ事である。
私は編入生のため、同学年の学生には敬語を使わない。しかし、私の友人は学部から在籍しているため、私が同等な関係で、つきあっている友人に敬語を使用する。言葉使いを介して、とても不思議な感覚を有する。

言葉使いを介して、個人的な特別な関係を表しているのですね。とても不思議ですね。102033

> 人と人との関係は、年齢や地位、学校機関でいえば、学年というヒエラルキーによってのみ形成されるものではない。男と女の恋愛関係は、まさにその事を路程している。まして、今日では組織のピラミット構造は崩壊しつつある。また、家庭生活においても大人の威厳がなくなり、敬語の使えない子供が増加している現象がかいまみれる。

子供・外人は、敬語の使い方が下手です。100923

> 大人が大人らしくあること、それは尊敬される事から始まるのではないだろうか。また、人と人が信頼しあい集団的関係を築くためには、人間としてその人をどこまで尊敬出来るか、という精神的ヒエラルキーが必要である。このことは、昔で言う、「親方」や「先生」にあたる。形式的な先生ではなく、心から尊敬できる「恩師」が今の教育には必要である。

同感です。100777

> 年功序列の終身雇用制度が崩壊しつつある現代社会で、言葉使い、先輩後輩という人間関係が今後どのように成立しているのだろうか?

外国人と接する機会が多くなるにつれて、廃れてゆく傾向を示すでしょうね。106540

> 今が変革の時であるように思えてならない。

礼儀は、序列に基づいた作法である。93729
序列なき所には礼儀なしである。94416
礼儀正しいか、礼儀なしか、どちらをとるかが難しいとこである。97858
それとも、英米流に従うか。仏作って魂入れずも難しい。127124
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その他
141832 > 旧観念の解体
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/08 PM05 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 39805 旧観念の解体
> 半田弘之  ( 43 京都 塾講師 ) 02/09/11 PM01 【印刷用へ】
>>「今思えば、全共闘の掲げた「全否定」「大学解体」の真の意味は『旧観念の解体』にあったのではないだろうか。旧観念を捨てきれない(全否定できない)「答え」探しは、宗教、マスコミ、御用学者の思う壺に嵌まっていくだけだった。39386

観念は、日本語脳に馴染みませんね。93309
そのわけは、日本語には現実構文しかなく、観念は非現実であるから。82354

> まさに旧観念による旧観念の解体でしかないので、仮に成功していたとしても所詮は旧観念の再構築でしかなかったことでしょう。佐藤氏が言われるように、「旧観念の解体自体が旧観念の細分化再構成みたいなもの」(39411)だと思います。

観念は、日本語の中では空理空論になりますね。93383

> 私事でかつ随分と前になりますが、「朝日ジャーナル」や「世界」を愛読していた時期があります。これだけ真摯に「考えている」人がいるのになぜ社会は微動だにしないのかと、また、いわゆる大衆に「あんたらは定見も何もないのか」と腹立たしさを覚えると共に、虚しさを感じたものです。

意思のあるところに方法はある。82057
意思は未来構文の内容であるが、日本語にはその未来構文がない。90706
意思のないところに方法はない。ああ、空しい。82735

> 私ですらこのくらい考えているのだから、もっと「偉い」人はもっと考えてくれているはず、潜在的な同志は多いはずと自らを納得させていました。今から思えば、岩波文化人風のヒロイズムやニヒリズムの模倣でしかありません。自らが権威主義に毒され、マスコミなどの旧観念にどっぷりと浸かっていたのですから。

とかく、期待・願い・祈りの多い社会です。他力本願か。106379
日本人は、気分・雰囲気に酔いしれてしまいがちである。82144

> レ・ミゼラブルの中に「風車は壊した。しかし風は吹き続けている」との一節があります。風車がけしからんと言って風車を壊しても何も変わらない。社会体制が気に入らないと言って解体しても所詮は同じこと…。さあ、仏教的な諸行無常・諦観の念でとらえて、世を捨てて山にでもこもるか?

日本人の頭の中には目先・手先の内容しか留めておくことはできない。あとは雑念として打ち払われる。ただ諦観あるのみ。101884

> そうしたい人はそうすればよいでしょう。しかし、社会的動物としてのヒトは社会との関わりを全否定できません。また自分ひとりで生きているなんて思えることが無責任で傲慢です。

群れて生活する方法は、人畜共通です。74383

> 世の中と関わるのに、また世の中を変えようというのに、旧観念どっぷりでは話になりません。学界やマスコミの呪縛から解き放たれて、まさに「実践方法は0からのスタート」の思いで世の中に接していかねばなりません。パラダイムの転換の必要性を改めて思いました。

興ざめするものは、過去のない老人と未来のない若者。 温故知新は必要ですね。105787
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その他
141752 > Re:『黙れ』と叫びたい
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 07/01/07 PM01

> その他(社会統合)
> 34773 Re:『黙れ』と叫びたい
> 雪竹恭一  ( 38 大阪府 営業 ) 02/06/27 PM10 【印刷用へ】
>>日本人に問題があるとすれば、そういう考えを明確な理念として整理し米国に『黙れ』といえるだけの自信がない事だ<<34510

理念・観念 (idea) は、日本人にとって最も苦手な部門ですね。「理念」という見出しのない国語辞典もある。129440

> 日本人がNOと言えない理由には、敗戦国であるとか、日本人の融通無碍(よく言えば柔軟性があって何でも受け入れるが、悪く言えばある種の曖昧さ・卑屈さにもつながる)な体質とか、和を重んじ争いを好まない性格とか、いろいろあるとは思いますが、米国と同じ個人主義・市場主義という近代思想の土俵に乗っているが故に、NOといえる反論の根拠を持たないというのが最も大きな理由であると思います。

「世界にあって、世界に属さず」ですね。思想を理解できないのだから、議論にもならない。112064

> 同じ近代思想という土俵の上で、一方で消費文化を認めておきながら一方で部分的に反論を試みるというレベルで説得性があるはずがありません。

同感です。日本は、釈迦如来の手の中で活躍する孫悟空の有様に似たところがある。104194

> 日本人の多くは、消費文化はどこかおかしいと感じながら、これからどう考えたらいいか思想の指針が見つけられず、混沌としているという状況にあるのではないでしょうか。

同感です。未来社会の建設の構想もなく、ただの個人的消費生活であることは不満足なものですね。人はパンのみにて生くるにあらずですね。125474

> 日本人が自前の明確な理念を整理し、自信をもって『黙れ』といえるためには、米国の論理とその背後にある近代思想を全否定してかかる必要があります。

日本人が近代思想を理解することが打開策になるのではないでしょうか。そのためには、英語の習得が必要です。92580

> 「必要か必要でないか」という判断基準は、近代思想という表層の観念レベルではなく、もっと潜在思念レベルに発するものだと思いますし、NOと言えるだけの新しい認識は、日本人のもつ深い潜在思念から発せられるべきものであると思います。

日本人の潜在思念を文章化できるとよいですね。対米追従もその時までの辛抱ですね。128685

> 米国追従の論理ではなく、そのレベルに立ち戻って初めて日本人は自信を取戻すのではないかと思います。

我々は、戦争に負けたばっかりに、アメリカの用意した土俵の上で相撲をとることになってしまった。97911
「、、、、、堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」ということでしょう。111147
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