素人に、何が、どこまで創造できるか?
145711 > 本来の社会の姿って?
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/02/24 PM01
> 素人に、何が、どこまで創造できるか?
> 145694 本来の社会の姿って?
> 吉岡由香里 HP ( 26 神戸 OL ) 07/02/24 AM08
> 社会は、人々の共認によって成り立っている。> その共認内容が、一部の偏った人に作られたモノだとしても、私達は無意識に、彼らに影響されている事が多い。
無意識であるのは、個人主義がないからでしょうね。82180
民主主義の利点もあまり出てきませんね。99195
> だけど、>>傍観者に過ぎない特権(知識)階級が供給する情報をひたすら消費してきた読者・観客は、当然のことながらもっとひどい傍観者に成り下がってゆく。(32569)<< > を読んで、無意識に影響されてしまうのはまさに、社会に対する意識が「傍観者」だからなんだ!という事が分かった。
自然現象の変化は多岐にわたるので、それぞれに手分けして実況放送・現状報告を繰り返せば専門性はおのずと出てくる。82057
無意識の人は傍観者ですね。84819
> 統合階級も普通の人も、「社会」という同じ空間に一緒に生きている。> だから、「社会」=自分たちの生きる場であり、本来なら一人一人が考えるべき課題。
個人主義がない。人びとは「個人の考えは通らない」と申し合わせているのでしょうね。83459
だから、個人的に考えを練る機会の重要性は見落とされがちである。83415
> ならば、そもそも情報を「発信する側」と「受信する側(傍観者)」という位置づけが生まれている状況自体、本来ならあり得ない事だし、これによって社会が成り立ってしまっている現状も、実は極めて危険な状態なんだと思った。
情報を「発信する側」の専門家と「受信する側(傍観者)」の専門家に大別される専門制度は奇妙ですね。145537
考える人の存在しない社会は、極めて危険です。102229(正誤表:なるかしかなれない→なるかしかない)
十二歳の大人は、はたして立派に成長できるのでしょうか。127650
国民の自覚が必要ですね。121946
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共認運動をどう実現してゆくか?
145688 > 私がこのN.W.に向かう時求めている物。(適塾の事例より)
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/02/24 AM04 【印刷用へ】
> 共認運動をどう実現してゆくか?
> 26682 私がこのN.W.に向かう時求めている物。(適塾の事例より)
> 田中令三 ( 44 香川 総務 ) 02/03/15 PM01 【印刷用へ】
> 私が、このトピに参加させていただいてから、かれこれ1年有余になる。> 多士済済の方の意見を読ませていただき、自分の行動や人との付き合い方、社会現象に対する見方・解釈の仕方の指針に大きく影響を受けたと思う。> 又自分が投稿する際は、自身の全知全能(全然大したものではないし思い込みが強いだけの時が圧倒的に多いが)を注いで内容のあるものを記述するように心がけているつもりだ。
まじめな人達に出会えるのがうれしいですね。
爆笑ばかりの毎日には、もう飽き飽きしている。
> 私は、N.W.に向かうその都度に何をそこに求め欲しているのか考える時がある。
> そうした時私の中にイメージとして登場するのは、突飛かも知れないが、岡山出身の医師、緒方洪庵が、江戸時代末期、大阪に開いた私塾=「適塾」の塾生の学習の姿勢・有様である。
> その門下からは、近代日本の黎明期に活躍した多くの俊才が輩出したのは衆知のことではあるが、私はその「一私塾」の学生たちが、畳一枚、西から東へ移動すること(その繰り返し)のみを目的に(結果的には、立身出世は勿論あったが)昼夜を問わず寝食を忘れ勉強したという事に対しひたすら敬服している。
目の前の事柄のみに神経を集中させていたのですね。84047
> どういう事か具体的には、例えば司馬遼太郎氏の「花神」に詳しいが、月の中で実施される原書購読の成績でおよそ30畳の寄宿部屋の30人の「畳割」の位置が上下するだけのこと、新参者は、一番日当たりの悪いそして他の条件も学習や日常生活にも不利な畳からその寄宿生活を始め自分の勉学の力のみでより良い畳の位置を獲得する、別に学費が軽減されるでもなく免除されるでもない、日当たりの良い畳に移れば日中学習の際、灯す蝋燭代が浮くぐらいだ。
印欧語を和訳することには無理がありますね。132214
それも仕方のないことです。100288
> 勿論その塾内で秀才と呼ばれ塾監や筆頭の塾頭に上れば大藩への仕官も夢ではなっかたし、又下位の塾生からの上納金もありそれなりの余禄はあったが、大半の塾生達は、昼夜おのれの寝食を忘れ勉学に励み、その原書購読の日の前の夜には、煌煌と30本の蝋燭がさながら春日大社の万燈会のように灯されみんなが勉強に励む様は、後に多くの適塾OBが感動を持って書き残している。
良い気分・雰囲気を伝えているのですね。82144
> 私は塾生一人一人の胸中に在ったのは、ひたすら同門の仲間を意識する評価空間の圧力だけでは、なかったかと思う。
横並びの競争ですね。82942
今日まで続いている伝統ですね。83459
> 又自分自身に打克ちそして仲間に、たった畳1枚の移動を評価してもらえることに、自分の名誉、そして全存在かけた時期があったからこそ各々の偉業を達成出来たのではないかとも思う。
自己の向上心を満足させたのですね。104420
> 例えが大仰になったが、いろいろな交流の場があり、その一つのこのN.W.に参加しても今すぐとか具体的にとかの目に見える又は物質的な成果を得ることは、無いかも知れない。> しかしみんなの人の輪の中に入り他の人の評価空間に、身を置き、自らの考え方や主張そして存在自体を曝すことは、決して無意味なことでなく、自身の人間的完成を促し、そしてそこで得た他の人との繋がりは、新しい社会潮流を創る可能性すらあると考える今日この頃である。
同感です。145537
今いる世界には物質がある。実学 (技術) がある。83415
これから行く世界には物質がない。哲学がある。83300
英米人と対等に付き合える可能性が出てきましたね。99782
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その他(国家時代)
145647 > 借り物の私権観念
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/02/23 PM09 【印刷用へ】
> その他(国家時代)
> 36038 借り物の私権観念
> 鈴木龍也 ( 30代 千葉 建築設計 ) 02/07/13 PM11 【印刷用へ】
>>縄文は同類圧力の空間は存在したが、集団間の関係は存在しないに等しい、つまり圧力に対する適応態としての社会は、統合どころかまだ萌芽にもいたっていない、という状況だといっていいと思います。<<msg: 35514 北村浩司さん > 司馬遼太郎は「この国のかたち」の書き出しで「日本人はいつも思想はそとからくるものだとおもっている」と言っている。
同感です。84641
日本人の無哲学・能天気では、思想は生まれない。82144
> ここでの「思想」とは社会(=超肥大集団)を統合するための観念群を指しているようにも受け取れます。
指導者に必要な指導理念でしょうね。84432
> 日本人は私権社会に於いてもその経済発展を生み出したのはいわゆる終身雇用を前提とする家族的な企業でした。
> 私権獲得が目的とは言ってもその活力は「同じ釜の飯を食った仲」に象徴されるお互いの同じ集団への帰属意識であったようです。
同感です。99945
個人による自己の序列社会への滅私奉公ですね。99649
「義理 (序列関係) が廃ればこの世は闇だ」と考えられていた。101309
> それほど集団への帰属意識が強くとも集団規模が大きくなると、必ずと言って良いほど顔の見える関係規模の派閥のようなものが出来ます。
> これらは企業、政党などだけでなく、サークル活動などにも見られます。また、40人程度の学校のクラスの中でも数人のグループ分けが出来てしまうと言うことも面白いと思います。> よく個人主義を標榜する方が言われる「本当の個人主義が根付かない」という理由もこの辺りと深く関わっているようです。
「私とあなた」の言語では、’地球規模の(global)’ または、‘全世界的な(universal)’発想は生まれないのではないでしょうか。102033
> つまり、私権意識を主張するにしても顔の見える関係の集団を必要とし、集団規模が大きくなると顔の見える関係の集団で派閥を作る。
> 常に顔の見える関係の集団=仲間の中に身を置かないと安心できない様に見受けられます。
談合体質があって短距離であることが必要ですね。つまり、無限遠では主張もなりたたない。127233
近視眼であるから、盆栽、箱庭、一坪庭園程度の規模の発想となる。天国に関する発想までは、とても無理です。108182
> これらのことは日本人が常に共認関係を維持しなければ安心できない事を意味しているのでは無いでしょうか。
同感です。なあなあ主義ですね。143458
絶えず、相槌を必要とする人たちですね。82123
> 安心できる共認域を確保してその外側で私権闘争を行うと言うことを延々と縄文時代から続けて来たように見えます。
同感です。98741
> 「安心できる共認集団」とその集団間の私権闘争をバランスさせてきたのが日本人であり、私権闘争を統合する観念は舶来もので権威がありそうに見えるものであれば何でも良かったのではないでしょうか。
> 戦後までの村落共同体の残存を考えると、そもそも所有意識そのものも集団の外との関連でしか考えていなかった様に思えます。
同感です。103971
一木一草に至るまで天皇陛下のもの。94865
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潮流3 出口が見えない、答えが欲しい(収束不全)
145620 > 自分探しにみる対象同一性の喪失
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/02/23 PM01 【印刷用へ】
> 潮流3 出口が見えない、答えが欲しい(収束不全)
> 74917 自分探しにみる対象同一性の喪失
> 村田頼哉 ( 32 高知 企画 ) 04/07/13 PM10 【印刷用へ】
> 社会規範が確立していた時代には、行動すべき方向が示されていたと言えるのではないでしょうか。つまり、自分というものは社会にあり、みんなの中にあったと言えます。> そして、その社会規範が根本規範(本源規範)であればあるほど、違和感無くみんなに受け入れられていたと言って良いでしょう。
同感です。100065
人びとは何の疑いも迷いもなく、この国で一生を終えた。84047
> 根本規範(本源規範)の大部分を取り入れてきた序列規範が存在していた時代(封建時代)、そして、それに私権の価値観(近代思想)が混在してきた近代には、行動すべき方向が示されていた。つまり、規範を守れば良いとされていたし、守らなければ悪いという基準が明確であったと言えます。
近代思想は、我が国に持ち込まれて我利の公認となった。105009
つまり、近代思想はグローバルでもなければユニバーサルでもない。目先・手先の内容と解釈された。135724
だから、他国に攻め込んでも他民族の解放に心血を注いだことはなかった。138399
> '70年の貧困の消滅を契機に、それ以降は序列規範が解体される過程にあります。根本規範(本源規範)の大部分を引き継いでいた序列規範が解体されることは、対象同一性(規範同一性)の対象が無くなること、つまり、人々がどんどん対象性を失い自分だけになってゆくことを意味しています。
日本語を使い階称 (言葉遣い) を守っていながら、かつ序列規範を失うことは難しいことですね。82023
こうした捻じれた精神生活を送っていると、自己の主張に確信は持てないでしょうね。144314
そして、つかみ所のない人間となってしまう。98465
> それでも'90年頃までは、根本規範や序列規範を残していた親や仲間に対象同一性を見出していました。(親が言うから勉強をするとか、友達が進学するから自分もするといった類のものではないでしょうか。)
> しかし、'90年頃以降完全に対象同一性(規範同一性)を失った若者はやりたいこと=役割探しを始めますが、同じく対象を失った彼らの親たち(上の世代)は彼らに語る言葉が無くなったが故に、彼らの行動に対して「自分探し」あるいは「個性」という何の中身もない誤魔化しの言葉を押し付けることになります。
人畜共通の個性ならば日本人にも理解可能であろうが、考えの内容に個性を見つけることは日本人には容易でないでしょうね。126428
> 実際、自分たちに語るべき中身が何もないことを誤魔化すのに、「自分で考えなさい」「自分の好きなようにしなさい」という言葉ほど便利な言葉はありません。
昔風にいえば、「キサマラ、反省がタリン」と言うことでしょうね。127748(正誤表:以上体験者→異常体験者)
> しかし、そのような言葉が蔓延していったということは、彼らが規範や社会との対象同一性を完全に失なったことを意味しているように思います。
戦後の混乱はいつまでも続きますね。93930
今こそ国民の立つ位置に関する自覚が必要ですね。102988
> 上の世代は、若者がやりたいことや役割を探索している行動を「自分探し」という言葉で表現することによって、若者の探索先を内向けにする=閉塞させていると言えるではないでしょうか。> 彼らの行動は「自分探し」ではなく「役割探し」と呼ぶ方が可能性が開かれるだけでなく、新しい規範の構築に結びつくように思います。
我々の一人一人に世界観が必要ですね。82879
そうすれば、自己の使命も自覚できます。99693
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素人に、何が、どこまで創造できるか?
145537 > 専門分化は悪なのか?
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/02/22 PM06 【印刷用へ】
> 素人に、何が、どこまで創造できるか?
> 32581 専門分化は悪なのか?
> 長谷川晃央 ( 22 学生 ) 02/06/02 PM07 【印刷用へ】
> 現在の風潮として、これからの時代に求められている人材は、オールラウンドに物事を考えられる人間であり、極度の専門分化は悪であるという考えが広がっているように思います。> しかし、重要なことは、専門分化を排除することよりも、専門家の意識転換がまず第一に問われるべきことのように思います。
日本人の考え方の癖のようなものでしょう。83459
日本人には世界観が持てないので、哲学がない。123837
現実の現象は多岐に変化してとりとめがない。136866
だが、理想は天国のように静止状態にある。142118
> 私権社会においては、専門家が、専門の利を生かして得た情報は、自らの特権性と地位を築くために利用されていたのではないでしょうか。
> 今日の社会と専門家の間にできた大きな溝は、専門家が自らの特権性を守るために、諸問題から専門外の視線を排除し、より強固な特権性へと慢心していったことから生じたように思います。
縦社会 (序列社会) では、家元制度の如く知識は縦に流れますね。103971
> こうして広がった大きな溝が、今日の専門分化からオールラウンド志向への移行につながっているように思います。
> 重要なことは、オールラウンドに物事を考えるという視点はもちろん、全ての人間があらゆる社会問題に関心をもち、発言権や変革していく力を有することは当然のことであるという認識に移行していくことであり、教育・環境・高齢化といったさまざまな社会問題に対し、各分野の専門家が、自分たちのみが問題解決を担っている存在だという意識を捨てることだと思います。
同感です。84032
我々には教養が必要ですね。83415
> 専門家が、自分のみが問題解決の役割を担っていると考えるのは傲慢であり、逆に、ある問題に専門として従事していないからといって、専門家に全ての問題解決を期待し、不満を募らせることも、自らの役割を拒絶していることだと思います。
傲慢な人は、仕事をしない。136658
不満を募らせる人も仕事はしない。106379
だが、自己の世界観がなくては現実の問題さえも見えてこない。92856
見える問題は、目先・手先のことがらに集中している。85728
> 今必要なことは、一人一人が社会全体の問題にオールラウンドに関与することであり、その意識の元で、自らの専門とする役割を担うことだと思います。
同感です。94159
教養を身に付けた上で専門職に就くことですね。94775
> こうした意識の中では、専門家の役割は、専門の利を生かして得られた情報を、社会全体の議論の中で提示することのように思います。
米国の哲学博士 (Doctor of Philosophy; Ph. D.) に相当しますね。128896
世界のエリートが求める称号ですね。144484
> ですから、オールラウンドな意識の元で、問題に対する広い共認が築かれていれば、その中で専門分化によって個人の役割を担うことは、けっして悪として排除されるべきことではないように思います。
同感です。141339
米国では、医者は医学校で育てられます。105530
医学校は大学院ですから、大学で教養をつんだ学士でないと入学できません。 108777
日本のように、大学医学部の中で教養らしきことをする制度は米国にはありません。143825
我が国は、教育あって教養なしの国柄でしょうね。94775
> これからの専門家像を考えると、特権意識を持った専門家像を捨て、オールラウンドな意識の元で自らの役割を位置付け、専門の利を生かした情報吸収と情報提供をすることではないでしょうか。
同感です。82596
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学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
145507 > 「マスコミは報道するたけで答えを出すわけではない」・・・と言うけれど
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/02/22 AM05 【印刷用へ】
> 学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
> 144695 「マスコミは報道するたけで答えを出すわけではない」・・・と言うけれど
> こうた 07/02/11 PM05
> テレビを見ていたら、お笑いタレント出身知事として話題の東国原宮崎県知事の定例記者会見の様子が映し出された。
> 1時間くらいの時間があるようなのだが、大挙した記者団の質問は、ほとんどが副知事問題(選挙で闘った相手に打診するもマスコミ主導の世論の反発で断念)と、5億円かけて建設されたという知事校舎に入居する件(公約違反?)。あんまりそのことばかりしつこく質問されるものだから、知事もイライラ気味。> それを見ていて感じたのは、「他に中身のあること聞けないのかよ?」ということ。
同感です。82478(正誤表:‘You can read more at’ を削除する)
大挙した記者団には、中身のあることがないのですね。82476
> 副知事の件にしたって、そもそもマスコミがことさら騒いだせいでそればからクローズアップされる訳だし、結局言ってること(認めさせたいこと)は、その本意も理解しようとせず、“ライバルを迎えるのは普通じゃない”の一点。
> また、公舎の件にしたって、別にどこに住もうがどうでも良いことで、ちゃんと理由も説明しているのに、聞こうともしない。
国民を煽っているのでしょうね。145481
> なんかどうでも良いようなことを、あたかも問題であるかのように騒ぎ立て、本質問題、本来議論すべきことから遠ざけてしまっている。
世界観も政治哲学もないようですから、本質問題、本来議論すべきこともないのでしょう。102129
> また、ワイドショー的に庶民の喜びそうなところを探っているつもりだろうが、「副知事」にしたって「公舎」にしたって、完全にみんなが本当に知りたいことや考えたいことからズレてしまっている。
記者団は、きつと「おもしろいこと」を探しているのでしょうね。143878
> もう「ゴシップ」なんてどうでもいい。・・・これこそ周り(社会共認)の見えない究極の『自己中』だ。・・・それとも、本質的で難しいことを考える能力は無いということなのだろうか?
マブバニ博士も「アジア人は考えることができるか」と疑問を投げかけております。86547
> 「マスコミは答えを出せていない」という事実に対し、「マスコミは報道するたけで答えを出すわけではない」という反論をよく耳にするが、せっかく社会意識が高まり、いわゆる無党派層も動きはじめた・・・つまり、政治=社会統合に対し、あくまでも傍観者に貶められてきた人々が“目を覚ましはじめた”にも関わらず、くだらない目先の話題を振りまき、心ある人を疲弊させ、みんなを惑わすマスコミこそ、答えを出せないどころか、みんなで作る社会の妨害物であると断定して良いと思った。
視点のない報道に読者が付いてゆくのは、読者があくまでも「おもしろいこと」を求めているからでしょうね。
知的低水準の表れでしょうね。82320
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その他
145481 > マスコミは役割を果たしていないどころか閉塞の元凶ですらある。
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/02/21 PM10 【印刷用へ】
> その他(社会統合)
> 37892 マスコミは役割を果たしていないどころか閉塞の元凶ですらある。
> 田野健 HP ( 40 東京 監理 ) 02/08/14 PM01 【印刷用へ】
> その内、マスコミが望むような平和でない状態に日本が突入します。日々の閉塞感、生活の不安感から人々はその答えを世論やマスコミに求めざるをえない状況を迎えます。マスコミはこの段階でも人々のこれらの答え欠乏に真正面から向かわず、むしろいたずらにそれらを煽る報道を演出することで大衆の世論欠乏を恒常化させます。そしてそれらがすべてマスコミそれ自体の保身なり繁栄のためであり世論を操作できる事を意識的な行うようになったのがこの最近の報道の数々であると思えるのです。
同感です。82504
昔から日本人は、現実直視ができない。90895
だから、他人から語り物の形式で伝えられる内容を信じる傾向がある。74938
司馬遼太郎は、<坂の上の雲(7巻)>の中で日本のマスコミの煽る報道について、「日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。」と述べています。さらに「日本の新聞はいつの時代にも外交問題には冷静を欠く刊行物であり、そのことは日本の新聞と国民性の濃厚な反射でもあるが、つねに一方に片寄ることのすきな日本の新聞とその国民性が、その後も日本をつねに危機に追い込んだ。」と書いています。
日本人には、正しい考え方が必要ですね。84909
特に、有識者・知識人は、英語だけで考えることのできる能力も必要ですね。82285
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閉塞の元凶は、個人主義
145193 > 本当の個性って?
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/02/17 PM06 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 1469 本当の個性って?
> 西澤亮太 ( 25 奈良 会社員 ) 01/03/15 PM10 【印刷用へ】
> 自我を無くして個人を抑えること=個性がなくなるって感じの意見がありますが、それは違うと思います。
> 正直、人間にはいろいろな面において能力に差がある。例えば、運動神経のいい人がいれば悪い人もいる。数学が得意な人がいれば、国語が得意な人もいる。みんなが集まる場をつくる人やその場を盛り上げてくれる人がいる。ある程度の差はその人それぞれの精進によって小さくなるけれども、やっぱり、生まれついたものってあるはず。こういうのを本当の人間それぞれの個性というはず。だから、いくら自我を抑えたってその人それぞれの個性はなくならないはず。
身体能力やその他の個人差の存在は、人畜共通ですね。145049
だがしかし、人間には思想 (thought)、良心 (conscience)、信教 (religion) といった考えの内容にも個性的なものがあるでしょう。82057
自我を抑えたら、こうした考えの上の個性的なものがなくなりますね。100847
精神的圧迫を逃れて新大陸に渡った清教徒もいました。84424
自我のない人は、つかみ所のない人間になるのではありませんか。82478(‘You can read more at’ を削除する)
現実と個人的な理想とを比べれば、個人的に現実を批判することができる。82251
個人的な「あるべき姿」を論拠として、「今ある姿」を批判できる。82180
それが、その人の個人意見というものです。94865
英米人は、その個人意見を知りたがっている。101309
だから、他人の意見を求めるのです。付和雷同するきっかけを掴もうとして意見を求めるのではない。141389
日本人には、個人意見がないから議論に難渋する。98352
> 最近の個性って言葉は服装が奇抜だとか何となく表層的な部分をいうような感じがする。
同感です。105213
> でも、結局みんな流行の似たような服装になってしまいがちになって大きな違いなんてない。
談合の結果でしょうね。105426
> そんな感じだから、自分の個性がわからないってことになってしまうんじゃないでしょうか?
一事が万事なのでしょうね。83747
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どうしたら、社会を変えられるの?
145147 > 日本人の個人主義は、頭の先だけ?
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/02/17 AM05 【印刷用へ】
> どうしたら、社会を変えられるの?
> 145120 日本人の個人主義は、頭の先だけ?
> 岸良造 ( 50台 香川 技術者 ) 07/02/16 PM11
> 我々の世代は、個人主義者と自負する者が多いです。がよくよく話してみると本当に個人主義者?と疑える者も多くいます。
同感です。90706
われわれ日本人には、個人主義の理解は難しいですね。82123
日本人には世界観がないから、個人も世界観の単位にはならない。94865
個人という言葉は、個人タクシーのような我利の単位としか捉えられていない。102748
我利による区別は人畜共通ですね。94962
> 個人主義者とは、自分が一番大事であるとしっかり教育されている人であろうと思います。> 我々の子供の時の教育は、
> ・他人の意見を真似をするのでなく、自分の意見を持ちなさい。
付和雷同するのではなくて、自主・独立が大切ですね。102886
> ・しっかりした自我を確立してないと正しい判断は出来ません。
自分自身の基準に照らし合わせて、現実の適・不適を判断する。102478
つまり、理性批判ができるようにする。94416
> ・最終的に頼れる者は自分以外にないです。だから、しっかり自分を高めなさい。
生きる力をつけることが大切ですね。139852(正誤表:増水よる→増水による)
> ・他人には、主語、述語、目的語をはっきり言わないと解らないです。(自分と他人をしっかり区別する)> と言う風な物でした。
自分自身の考えを文章にして示すことが何よりも大切ですね。85176
> ところで最近読んだ本で「日本に個人主義思想が入ってきたのは、明治になってからで、江戸時代までは自分と言う概念がなかった。日本では『好きです』と言えば相手はわかるが 西洋は、『Ilove You』のように誰が誰をと言わなければ解らない。そのぐらい私と他人の区別は強く認識されており、しっかり自己主張する事が重要である」とありました。
全てを造語で乗り切ろうとする日本人の異文化輸入にもほころびが見えている。84909
> 言葉(文化)からして、日本人は自分と言う概念は少なく、西洋流の教育によって個人主義の観念を埋め込まれ(頭の先に個人主義観念が教え込まれ)ただけと言う気もします。
世界観を持つには、文法上の時制が必要です。83281(正誤表:人をEさない→人を殺さない)
日本語には時制がない。99804
時制があれば、インド哲学のようなものもできる。144314
これは昔起こったことではありますが、インド人の哲学を日本人の宗教とすることには無理がある。129406
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