学校って、必要なの?
147226 > 英語って必要?
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/15 PM09 【印刷用へ】
> 学校って、必要なの?
> 147181 英語って必要?
> 匿名希望 07/03/15 AM08
>>文部科学省の検定済み教科書を使うが国語の時間を除き授業はすべて英語。教師も自国で教員免許を持つ米国や豪州などの外国人がほとんど。> 都心部を中心にインターナショナルスクールに子供を通わせる例など多くなってきていますが、英語を話せるようになることって本当に必要なのだろうか?
今の日本では、英語を話せるようになることって必要ないですね。
この国のお偉方も、英語を使うことなく安泰に過ごしていられる。
> 時代が「国際化」だから、と多くの親が言っているが、日本国内において英語を話す必要性など感じたことすらない。
英語は、我が国の公用語でないから話す必要ない。84641(正誤表:第二外国語の話→第二公用語にの話)
国の権威者も、英文に対する日本語訳を正式に求めてくる。88345(正誤表: ‘You can read more at’ を削除する)
だがしかし、時代が「国際化」したから、我が国の有識者・知識人自身は、自分たちが英語を話す必要性を認めるべきでしょうね。82285
「井の中の蛙大海を知らず」といわれているが、日本語はさしずめ井の中の言語、英語は大海の言語でしょうね。82373
>>相模原市は「実践的な英語力の習得や国際的なコミュニケーション能力を身につけさせたいと望む保護者が増えてきたため」と説明している。
日本に来る外国人も、小学校のときから日本語を学んでくる人はいないと思いますよ。120604
英語を日本語に訳すなどの作業は、やればやるほど英語の理解から外れてくる。作業内容のこじつけに気づかなくなる。128704(正誤表:できないのでは→できないのは)
> 言葉云々よりも、まず普通にコミュニケーションをとることが出来る力を身につけさせること。こっちの方が重要だと思う。
日本語は、実況放送・現状報告のための言語である。93494
だから、自己の脳内にたまった内容を一方的に言い放つための言語である。132931
ゆえに相手と実りある議論をすることはできない。84361
でも、事実関係調べなら他人と会話することはできます。82123
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既成運動(政党やNPO)が、社会を変えられない理由
147056 > 気持ちは分かる!・・・けどさぁ〜
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/13 AM04 【印刷用へ】
> 既成運動(政党やNPO)が、社会を変えられない理由
> 130541 気持ちは分かる!・・・けどさぁ〜
> にしんそば ( 30代 女 ) 06/09/10 PM11 【印刷用へ】
>>にも拘らず、(新しい思想を構築しようとはしないで)「運動」を存続させようとすれば、身近で具体的な運動目標を結集軸にするしかなく9050 > 危機・閉塞を感じて集まる。
同感です。83415
天国の有様も語れないようでは、この世での努力目標も立てられず、ですね。146694
目先・手先の事柄だけを問題にしても閉塞感は解消しないでしょうね。129919
人びとの心の中には、未来に関する不安が絶えない。91780
日本語脳による、希望のない国が実現していますね。83225
> でも集まったはいいけど、問題が大きすぎて、正直どうしたらいいのか分からない。
哲学の問題は、非常に大きな問題ですね。146284
> 場は沈滞し、気分は重くなって、モヤモヤしたままスッキリしないまま時間が過ぎる。
気分・雰囲気は、一向に改善しない。85728
> 「こんな状態は耐えられない、この状況を何とかしなきゃ。。。」
日本脱出ですか。短絡思考・短絡行為は危険ですね。3943
> 「あっ!じゃあお揃いのTシャツ着て、歌でも歌うのはどうかな♪」> 「それよりやっぱ、割り箸やめてMy箸持つとか良さそうじゃない☆」> 「それを言うならさ〜、」・・・・> 文化祭みたいに盛り上がるんだろうな。> 何だかすごく楽しそう。> 一つイベントが終わるたび、涙なんか流してしまいそう。
ああ、空しい。98265
> でも、『社会をどうする?』はどうなった?
一体、社会をどうかする必要があるのですかね。94775
> 「何が問題か」「そもそも社会はどうなっていて、どうしたら変えられるのか」そこを考えなくていいのか?
もしも基準があるならば、それと異なる現実には問題があるのでしょうね。84116
社会がどうなっているかを知るには、さらに社会科の勉強が必要でしょう。124663
変えたほうが良いのか、変えないほうが良いのかは、また、どの方向に変えるのかは、あなたの基準を参照しないと判断できかねますね。101309
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出口を塞いでいるのは、頭の中に巣くう固定観念
146893 > 能力をどう活かすか
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/10 PM02 【印刷用へ】
> 出口を塞いでいるのは、頭の中に巣くう固定観念
> 89027 能力をどう活かすか
> 家村和宏 ( 39 大阪 総務 ) 05/04/17 PM01 【印刷用へ】
>>そして、周りは敵で自分のこと、自分の目先しか考えてこなかった結果、すべてがバラバラになってしまっている社会に代わり、現実を直視した社会の当事者にみんながなるという新しい規範を形成し、そして自分達が納得する規範を活力源にしながら、すべてをつないでいく社会をつくっていく。
(85283 白子さん)
伝統的な「上と見るか、下と見るか」の社会では、果し合いは日常的なことになっていましたね。101712
各人にそれぞれの哲学が必要ですね。82879
> 学校という子供の集団内では、教科の勉強を始め、スポーツにしても、音楽にしても必ず優劣が付くはずで、順位(序列)が決まる。同じ様に教えても必ず能力差が出るし、それを基準にして進路や適正が決められてゆくはずである。
格差の検出が教育の仕事のように考えられている。95232
学校は、序列人間つくりに忙しい。129584
> しかし、一方では自由とか平等とか愛情とか、他人との格差を無くす観念も道徳の時間などで刷り込まれてゆく。昨今では男女の性差まで無くそう(ジェンダーフリー)という動きも活発であった。
理想は、我々の努力目標ですからね。91780
> 女であるとか、生まれついた家柄であるとか、貧乏であるとか、障害者であるとか、本人には何らいわれのない理由で差別を受ける事に極度に過敏になっている。故に権利の行使や享受に平等性を欠くと、とたんに人権侵害とか言われて糾弾されることになる。つまり、人間である限り能力差があるのは致し方ないが(それすらあからさまに順位を付ける事を敬遠している)、チャンスは平等に与えられるべきで(スタートラインの公平性)、それを阻害する言動には厳しい目が向けられる。
理想と現実は、何時までたっても同じにはなりませんね。なにしろ人間は、欲が深いですからね。83749
> したがって国家としては、民衆主義や自由社会とか美名の支配観念に背くと表向きはヤバいので、体のいい男女参画社会とか雇用機会の均等とかひたすら平等性ばかりを強調しているが、実のところは根回しや慣習、果ては談合とか賄賂とかによって個的な取引関係が成立しており、そうやって社会は成り立っているのだと知らされる。
一般的には、無哲学で能天気な考えのない人々が、ただ首を縦に振りさえすれば事柄が収まる社会になっています。145647
身動きのできない状態で、破綻に近づきつつある。82242
談合体質と無哲学とは、補完関係にある。106718
> だから他人より、ある能力が秀でてるのなら、その能力を何に役立てられるのか、学校内でならクラスという人工的な集団があるのだから、その集団でどのように活用できるのかを学ばせるべきだろう。そして一人一人が何らかの役割を担って集団を支え、充足を得る事をもっと学ばせるべきだろう。
(現に文化祭や体育祭などではクラス単位の催しモノという形で課題が与えられているようだが、単なるリクレーションや思い出に終わっている。)
世界観が必要ですね。83201(正誤表:「あるべき姿」ない→「あるべき姿」のない;わが国民フ言語→わが国民の言語)
> 能力差があるという現実を機会の公平という観念で誤魔化すのではなく、また能力が上位である事で優越感に浸るのではなく、自分→みんなへと対象を移した時に、ではみんなの為に自分には何が出来るか?を考えさせる教育が今必要なのではないだろうか。
「今ある姿」として、能力差は存在します。132862
機会の公平という観念があれば、それは我々の努力目標となります。92540
身体の不自由な人びとに、車椅子を提供することも可能です。
だがしかし、車椅子を提供するかしないかは、個人の意思に関係しますね。123566
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るいネットをどう変える?
146877 > 「一人で考える」ことについて
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/10 AM10 【印刷用へ】
> るいネットをどう変える?
> 7544 「一人で考える」ことについて
> 阿部和雄 ( 41 東京 設備士 ) 01/08/06 AM00 【印刷用へ】
> 一人で考えている時は「探求」というより「迷想」していることがおおいですね。
「迷想」ではなくて、「瞑想」でしょう。132214
正しい考え方を知らなければ、「迷想」かもしれませんね。104460
> 少しましなのはみんなで議論した後に考えを整理したり、論点を補足したりといった二義的な作業をしているときでしょうか。
談合体質が主体となっていますね。127233
> そもそも「一人で考える」という行為自体がとても不自然な気がしてなりません。
自分自身の基準「あるべき姿」の内容を考えていることが大切ですね。95320
日本人は、自分自身の基準を持つことを独りよがりのように見ている。93835
だから、自分自身の基準と照らし合わせることなく判断する。これは、盲目の判断 (blind judgment) です。84641
「なぜ、そのような判断をしたのか」と後でその根拠を問われれば、「だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか」と答える。82285
これは、歌詠みの言い分である。82144
リーズン (理性・理由・適当) が無い。93383
一方、英米人は、各人に個人的な基準を求めている。82879
自分自身に基準がなくては、自分自身にリーズナブル (理性的) な判断が下せるとは考えられないからである。92478(正誤表:定時→呈示)
彼らが個人意見を求めてくるのは、日本人もリーズナブルな個人判断ができる人間だと考えてのことである。84641
> 個的生活が蔓延している現代人はべつにして、共同社会を営んできた人々(昔からの素人)には「一人で考える」暇などほとんどないというのが実態ではないでしょうか。
個人意見を出し合って、調整のうえ意思決定を行ない、全員の協力体制が出来上がるのではないですか。99069
> たとえ「ひとりで○○する」、といってもそこには「工夫」とか「探索」とか実体のある対象に向かった行為、行動がともなっています。
同感です。実学 (技術) の場合はそうですね。132142
> そしてその結果は誰かの期待につながっています。
実学 (技術) には、常に実利が期待されていますね。83415
> 現在の「思索に耽る」「じっくり考える」ような内面的かつ視野狭窄的な思考形式とは一線を画していると思います。
そうですね。前者は実学・技術、こちらは哲学ですね。84032
「具体的ものごと」だけの生活は、なんだかおかしいですね。146284
> 問題を解決するための「考え」であるはずで、考えること自体に値打ちがあるかのごとく錯覚してしまう現在の「考え」かたは、まさに「下手な考え休むに似たり」状態だと思います。
正しい考え方を知らなければ、「下手な考え休むに似たり」の状態になると考えられますね。82476
> さらにこの会議室でもたびたび触れられている、自我に根ざした内面的思考は休むよりさらにたちの悪いものになるでしょう。
英米人の自我は、自分自身の基準のことですね。98465
自我がなければ、つかみ所の無い人間となる。82478(正誤表: ‘You can read more at’ を削除する)
日本人の自我は、昔からある我 (が) のことですね。103634
我が強いは、恣意 (私意・我儘・身勝手) が強いという意味でしょう。97183
昔の人は、恣意の若者を人間教育するために滅私奉公を活用した。82735
> もちろん、一人で考えることが全部悪いわけではありません。
そうですね、人間は自主・独立 (independent) でなくてはなりませんね。102886
> 一人で鼻歌を歌っているときに、ふと仕事上の問題解決の糸口がつかめたり、アイデアが浮かんだりした経験がときたまあります。
> どこからか想念が湧いてきてそれを課題に即して組み立てたり、論拠付けたりしてゆく過程はまさに考えることの楽しさそのものです。
考えは、個人が単位ですね。83459(正誤表:にもかウわらず→にもかかわらず)
> これらは、常に課題や対象を意識できているからこそ出てくる「想念」であって、そういう状況にない一人思考はほとんどなにも生み出せない。ということではないでしょうか。
創意・工夫は、主として現実対応に関することがらでしょうね。135258
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子育てをどうする?
146760 > 「消費者としての自分」っていったいナンボのものなんだろうか?(教育には「生産の場」が必要)
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/09 AM06 【印刷用へ】
> 子育てをどうする?
> 146332 「消費者としての自分」っていったいナンボのものなんだろうか?(教育には「生産の場」が必要)
> tanvool HP ( 岡山 会社員 ) 07/03/03 PM07 【印刷用へ】
>>(中略)金による交換は、平等で、透明だ。そこに魅力がある。だが、その交換がスムーズに行われるためには、交換の場を下支えする社会的制度や人間的資質を開発する必要がある。この人間的資質は、教育以前には「何の役に立つか」分からないものだ。教育の場で「何の役に立つか」と問う消費者マインドが、学習からの逃避、労働からの逃避を原理的に支えている。教育者と子供たちが「何の役に立つか」と問いつづけるかぎり、潜在的な人間的資質は開発されず、消費者でしかない子供(将来の大人)が再生産されるばかりだ。(後略)
この国の教育者と子供たちが「何の役に立つか」と具体的ものごとばかり問いつづける。146694
子供は、仕方が無い。いかにも子供らしい。83415
だが、大人については問題がある。101052
普通、英米人は大人の会話に子供を同席させない。
それでは、英米の世の中で12歳の大人はどういうことになるのか。127650
議論ができないのであるから、蚊帳の外にいるしかないのが現実であろう。84361
我々には、生きる力の充実が必要です。108633
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実現論って、何?
146694 > 現実否定の産物
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/08 PM03 【印刷用へ】
> 実現論って、何?
> 146593 現実否定の産物
> 吉国幹雄 ( 壮年 鹿児島 講師 ) 07/03/07 AM02 【印刷用へ】
> 近代の哲学が問題にしてきた「意識と存在の断絶」。この根本原因は、(20199)にあるように、一言で言えば「現実否定」にある。
現実は、否定できませんね。84047
> 現実(=存在)を否定すれば、本来現実とイコールで結ばれるべき意識は統合されず、そこで頭の中だけの仮想現実(非現実)の世界で倒錯思考するしかなく、意識と現実は断絶を孕みつづける。
「理屈などは、どうでもよい。現実は見れば分かる」ということで議論に終止符が打たれる。99912
現実構文 (現在構文) の内容に観念 (非現実) が含まれていれば、すなわちこの世の嘘になる。94775
> そして、倒錯思考は唯一神という倒錯観念を、私権獲得の可能性が開かれれば「愛」「自由」という欺瞞観念を生み出し、しかしそれらは実現不可能な代物なので、依拠すればするほどますます意識と存在の断絶が大きくなっていく。
唯一神は、未来構文の内容である。83281(正誤表:人をEさない→人を殺さない)
「あるべき姿」は、実況放送・現状報告などの内容にはならない。93835
西洋の神は、現人神ではない。3025
> ・・・近代の思想家たちの多くが、大衆よりも「暗く、悩み、病める人物」であったということ事態がそれを証明している。
「あるべき姿」の内容を考えはじめたら、アニマルのような無哲学・能天気にはなれませんね。もっと真面目になる。82144
聖人にも朗らかな者はいない。彼らは、考える人である。136045
日本を熟知し、日本人に自信と勇気を提案するフランク・ギブニーは、自著 <人は城、人は石垣> の中の <義理人情教> で、世界観に関する考えの深さの違いによる現象を次のように指摘している。
、、、、、日本の成文化されていない教えは説く。「規則を守りながら、自分自身の社会的作業団体内で、できるだけ自分と自分の家族を向上させよ。将来のために子供をつくっておけば、老後は安心できる。それだけやっておけば天国といえる」。アメリカ人はこの種の「具体的ものごとだけ」の世界観にぶつかると、ある羨望感を持たされる。日本のほとんどの場所よりニューヨークのグリニッチ・ビレッジ周辺で禅が話題になるのは、一つにはこのせいもあろう。しかし禅をすぐ採用するには、アメリカ人は心にあまりにも多くのデモンをもちすぎている。アメリカ人はたいていの神学者、心理学者、導師から、自分のつくった神も二千年の制度も死んだといわれ、「自分自身になれ」を必死になって探求する。ここでもアメリカ人は、上でなくても外に向かって何らかの理想を求める。今日では集団といっしょでなければ本当に自分自身になれず、現実とも感じられないと心得ているものの、アメリカのますます集団化する社会のどまん中でも自由はいまなお高揚される。われわれはまだ無意識に地獄をこわがっているのだろう。(引用終り) 146135
> 本来の理論(観念)は現実の可能性を切り開くものであり、理論を作りえた者はみんなのプラス評価の対象そのものだから。
本来の理論(観念)は非現実ですね。「あるべき姿」の内容ですね。82354
人びとの考えは、「理屈などは、どうでもよい。現実は見れば分かる」ということでしょう。100053
目先・手先の内容は、本来の理論(観念)ではないですね。それは、現実に関する内容です。
目先・手先の内容は、実学 (技術) の内容となります。それは、現実の中で直接利用されます。83415
> 一方、現実=意識は、意識によって現実そのものが変わりうることを示唆する。
現実=意識は、人畜共通ですね。意識が朦朧としていては、現実対応が的確にできない。96070
だがしかし、現実=意識だけでは、その現実対応の程度は知的低水準に止まりますね。145956
知的水準の違いは、「あるべき姿」と「今ある姿」を見比べて適当であると判断できる現実対応をするか、136528
それとも、「今ある姿」オンリーの現実対応をするか、の違いですね。140546
さきほどのフランク・ギブニーは、同書の中で更に続けて次のように述べています。
日本人は現代社会の問題をそれほど活発に処理しない。というのは、日本人の目標はいつもわれわれのそれより控え目だからである。彼らは気狂いのように神の代理人や代用品を探す必要はない。なぜならば、何よりも彼らは天国をあまり信じていないからである。彼らは互いに、何がなんでも「自分自身」になる必要はない。集団の外に身を置く危険を冒せば、「変わっている」とされる。(引用終り) 131949
> 意識が現実否定の倒錯思考であるかぎり、都合の良い現実だけが選択されず、都合の悪い現実は捨象されていく。
目を閉じて何も見えず、ですね。140424
現実直視は難しい。それは、雑念が邪魔をするからである。90895
> ところが現実=意識はどんどん変わっていく。にも関わらず狭い現実しかみていないので、現実からますます乖離し現実から取り残される。
現実は、千変万化していますね。136866
> 旧パラダイムから生まれた現実否定の思考形式そのものが、旧パラダイムを閉塞させた、それは生物として当然の結果なのかもしれない。
現実は否定できませんね。82615
理想 (基準) があれば、それと比べて現実を批判することはできる。82251
だが、理想は非現実である。83459(正誤表:にもかウわらず→にもかかわらず)
日本語を使って非現実を語れば、それは嘘になる。130564
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出口を塞いでいるのは、頭の中に巣くう固定観念
146599 > 間違った「現実」
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/07 AM09 【印刷用へ】
> 出口を塞いでいるのは、頭の中に巣くう固定観念
> 20397 間違った「現実」
> 平川要 HP ( 22 佐賀 経理 ) 02/01/09 PM11 【印刷用へ】
> よくテレビドラマかなんかによくある光景。私権企業とかで賄賂とかに反発する社員に上司や友人が言う。「現実を見ろ!きれいごとじゃやってけないんだよ!」
そうですね。現実対応が重要ですね。135258
> これって現実なんだろうか。うさんくさい。ただ、欺瞞観念を正当化するため、疑問に蓋をするためだけに「現実」という言葉が使われている。
現実と理想を並置して、それから理想に向かう手順を語り合う必要がありますね。98465
> 話が変わって、鎌倉時代。源氏は俗に言う「鵯越の逆落とし」で平家に大勝した。ぱっと見でとても馬では降りられそうもない崖を降りて奇襲したという。> 「現実」にはありようがないことをやってのけた。
現実には無かったことが起こったのですね。これからもいろいろ起こるでしょうね。139852(正誤表:増水よる→増水による)
だが、我々の理想はそれほど変わらないでしょうね。84082
> また、元寇のときは「やあやあ遠らんものは音にも聞け」なんて武士が言ってる間にモンゴル人は攻めかかってきたと言う。当時の日本の合戦の「現実」が通用しなかった。
> いままで使ってた「現実」という言葉。なんか違うようだ。
日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識でしょうか。126749
> コロンブスの卵もしかりだが、「現実」なんていうのはいくらでも変化していくものでそれに絶対的な価値を置いてるような現代の欺瞞がわかってきた。
現実は、千変万化しますね。136866
> 上記のような例はそのときはなにか突飛なイメージなのだろうが、それをすぎれば当たり前のことと認識されていく。この「現実」は「常識」とも言い換えることができる。「いままで知らなかったことも、知ってしまえば常識となる」とはよくいったものだと思う。言い換えれば、それだけいつも観念に支配されてるということだろう。
一度も経験しないことも、考えてみる必要がありますね。これは、人間の洞察力でしょうね。146284
> 自分のなかに浮かんだ可能性。これを実現していくことが現実を直視し、「現実」を切り開いていくことだと感じた。
頭の中に作られた可能性は、未来構文の内容ですね。82251
その内容を公表してみる価値がありますね。103191
その内容を実現する意思を持った同志を集めることができれば、未来社会の建設が可能ですね。134612
正しい考え方が必要ですね。84909
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アメリカ→官邸→マスコミの共認支配を許すな
146537 > 日本の政治
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/06 AM06 【印刷用へ】
> アメリカ→官邸→マスコミの共認支配を許すな
> 146535 日本の政治
> 村玉火子 ( 22 ) 07/03/06 AM01
> 麻生氏はアメリカっぽいので、思い切った政策をやろうとするでしょうが、日本の政治では政治家とは別に、省庁や大企業が政治に強い発言権をもっていたり、権力が分散、複雑化しているので、思い切った政策はやれないでしょう。
日本の権力構造の謎ですね。139022
> やったところで、抵抗勢力により法案が骨抜きになるのがおちです。
骨抜きの法案と、つかみ所のない政党ですか。109237
> これを否定しているのでは、ありません。
現実肯定主義ですか。104460
> この日本的権力分散方式でいいと、思います。
首相の手足が別々に動き出したら、首相の意図する仕事の能率が上がりませんね。105530
日本人は、意思薄弱であるから問題はないですかね。82735
個人主義がない。もともとこの国には、個人を育てようとする気運がない。102748
個人を育てるということは、個人の意思を実現させるということである。93494
個人の選出は、個人意思の選出でなくてはならない。126428
日本語脳では、個人の意思に焦点を合わせることが難しい。82242
> 極論すると、日本の首相は誰でもいいのかもしれません。
顔のない政治家。顔のない国ですね。74398
日本人は、個性のなさを嘆くことを知らない。82373
とかく、この世は無責任。124950
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若者がすぐ会社を辞めるのは、何で?
146483 > 長い長い反省文を書いているのに、なぜ「変わらない」のか?
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/05 PM03 【印刷用へ】
> 若者がすぐ会社を辞めるのは、何で?
> 146463 長い長い反省文を書いているのに、なぜ「変わらない」のか?
> 内藤琢 HP ( 29 京都 路上人 ) 07/03/05 AM01
> 自己反省文を長々と書く人間に限って、書いても書いても「変わらない」。同じような失敗を繰り返す。
同感です。98352
> 彼らは長い反省文を書き連ね、攻撃姿勢を示すが、「誰が誰を攻撃(嫌悪)しているのか?」というと、「自分が自分を攻撃(嫌悪)している」のである。
> ここで、「失敗してしまった自分」と「反省文を書いている自分」の二者が登場していることになる。「反省文を書いている自分」が「(過去)失敗してしまった自分」を嫌悪し、攻撃している。
自己嫌悪ですね。精神的に良くないですね。95301
> この「反省文を書いている自分」は、その反省文の意図から行って、「今後は失敗しない」「失敗するはずがない」ことを前提に書かれている。
‘To err is human, to forgive divine’ (誤つは人の常、許すは神の業(わざ)) である。127883
人が神の如くなるはずもない。我々は、間違いのない人間には生涯なれない。83281(正誤表:人をEさない→人を殺さない)
日本語による考えは、現実か理想かの二者択一の短絡思考となる。85322
それで、「今後は失敗しない」「失敗するはずがない」といった現実構文の内容となる。102335
現実から理想への道筋が未来構文の内容として考えられていない。105230
だから、自己嫌悪は「天に唾す」のようなもので、罰が当たる。現実対応が拙いといえる。135258
> そして(上記から導かれる結論は)、「失敗してしまった自分」とは、「そんなつもりは無かった」し、「どうかしていた」と認識されている。
完全な自分を想像するのもほどほどにしておかないと、自分の身が危ないですよ。107515
> 後者の「失敗してしまった自分」は「現実の自分」であり、> 前者の「反省文を書いている自分」は「理想の自分」。
「理想の自分」は、「現実の自分」と合体することはないですね。何しろ人間は欲が深いから。83749
両者は、地上にいる自分と天に見える北極星のように隔たりのある存在であろう。142118
> この「理想の自分」は与えられ続けてきた規範に強力に裏付けられているため、反省文も一見「まともに反省している」ように見える。
> しかし当人の意識の内に、「理想の自分」が「現実の自分」を攻撃する構造がある限り、容易に変わることができない。
> 「現実の自分」がいくら失敗を重ねても「理想の自分」には、ほとんど影響がないからだ。
「理想の自分」と「現実の自分」では、内容の次元が違いますね。お互いに独立していますね。84047
> 長い反省文も、「理想の自分」を肥大化させる方向にしか働かず、逆にその乖離をひどくすることになってしまう。
「理想は高く、現実は程々に」ですね。それが我々の人生です。95210
短絡思考の短絡行動では、身がもたない。145956
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閉塞の元凶は、個人主義
146391 > 「自分探し」のレトリック 2:「自分」に潜む欺瞞
寺嶋眞一 ( 69 静岡 無職 ) 07/03/04 AM05 【印刷用へ】
> 閉塞の元凶は、個人主義
> 1494 「自分探し」のレトリック 2:「自分」に潜む欺瞞
> 水元史樹 ( 20代 大阪 出版 ) 01/03/16 AM01 【印刷用へ】
> 人間は対象世界を把握して成長する。本来そこには他者との差異を強調するための「自分」=自我は必要ない。なぜなら、そのようなものはなくとも個性は存在し、能力特性も存在しうるからだ。それら能力に対して期待し、それに応える(=役割を果たす)ことに「自分」という観念は必要ないのである。
考えに関しては、「自分」の個性は必要ですね。82123
自分の考える内容と、他人の考える内容を区別しないで話す人は、奇妙な人ですね。
その他の能力特性については、人畜共通といえるかも知れませんが。126428
> また、対象世界から受ける刺激に反応する場合も「自分という観念」は必要ない。我々は痛みや痒みを感じたときに「自分が・・・」などとわざわざ自己を認識することはないからだ。喜びや嬉しさも同じことが言えるだろう。共認によって作用するそれらの感情に「自分」という観念は存在しない。そこにあるのは「喜んでいる状態」にある主体存在としての“自分”である。
同じ光景を目にしても、ある人は狂喜し、またある人は号泣するのであるから、感情の表現にも自他の区別は必要ですね。83716
一般論ばかりを語る人は、つかみ所のない人ではないだろうか。82478(正誤表:’You can read more at’ を削除する)
> 人間は言うまでもなく、周囲に支えられて生きる生き物である。今生きているということは、それら周囲の恩恵に預かって生きているわけで、期待や役割がそこには存在する。それらに応えることを喜びとした場合(共認を行動軸とした場合)、「自分」という「観念」は必要ないのではないだろうか。それらを裏付けるように、賛成意見や素直な喜びを表す場合、日本語では主語は省略される傾向がある。
日本語で主語を省略しても、階称 (言葉遣い) で自他の区別をつける場合が多いですね。82023
言葉遣いで間違いがあると、「意味は同じだ」との言い訳は許されないことが多い。97858
> 反対に、「自分は・・」という観念を持ち出す時、否定、批判する場合が多い。「自分(私)はこう思う」など、ことさら、「自分」や「私」という観念を強調して使用するのはまさに「他者否定」そのものであり、近代的自我観念の特徴とも言えるのではないだろうか。
自分と他人の区別は必要ですね。これは、相手を否定したことにはならない。98352
自己がない人とは議論できませんね。ああ言えば、こう言うという議論になる。83415
> 以上のように矛盾をはらんだ観念構造に踊らされて、我々は「自我」を捨てきれずにいる。自我をなくす、なくした方がいいというのはすでに共認されつつあるが、我々はそれを躊躇いがちだ。「自我が捨てきれない」、「自分を否定されたくない」それはある意味当たり前である。なぜなら自我は巧妙に、共認や本能に関わる“否定しにくい”観念に潜み、自己正当化を図るからでる。
自我をなくす、なくした方がいいということは、昔からある恣意に関する見解ではないですか。84027(正誤表:でしなくて→でなくて)
自我をなくすとは、恣意をなくすの意味で、滅私奉公と同じような伝統的な人間教育になるのではないですか。82765
日本人の恣意は困りものですが、日本語では意思 (未来構文の内容) が表せないので、今のところ有効な解決法は採られていませんね。82242
> これらの観念群の構造を解明することが事実追求の第一歩であり、事実追求とはまさにBetter Wayを「実現」するための新たな一歩なのではないだろうか。
観念が苦手なのは、日本語に時制がないからでしょう。93381
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