91

その他
168564 > 構造を語る。そして考える。
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/01/06 PM02

> その他(社会統合)
> 38869 構造を語る。そして考える。
> 山澤貴志 ( 36 ITコンサル ) 02/08/28 PM11 【印刷用へ】
>>旧観念を明確に否定することなしには、新しい認識の必要性を感じさせる事も、統合課題を自分たちの役割だと意識する事も、無理
> 一般の人は明確ではなくとも漠然と旧観念の無能さは理解している。だから、なにかひとつ、ふたつ明快に現実の役に立たないことの事例を示せば意図は伝わるだろう。

同感です。日本国憲法の条文などはどうですか。127915

> たとえばゴミ問題の答えを出すのに住民の自由意思やボランティア精神だけでは答えにならない。

意思は、未来構文の内容である。82057
日本語には時制がなく未来構文もないから、日本人には英米人のような意思もない。90706
だから、意思に関する事柄は、我が国内では頭の混乱を起こす。144314
神の意思を伝える宗教 (キリスト教) 100065や、責任観念 (sense of responsibility) 141389、自由意思に基づく社会活動 (ボランティア活動) 131949 の振興政策などが問題となる。

> あるいは行政の密室化を前に数年に1度の選挙権は答えにならない。
> つまりは近代観念全体が奇麗事に過ぎない。

同感です。我々日本人にとっては、観念そのものの理解が難しいですね。166238

> 大切なのは事例を踏まえた上で「旧観念は価値意識を表明しただけで、実現のための認識ではない」という近代思想全体の構造を語ること=明快にすることだろう。

同感です。観念 (idea) は未来構文の内容であり、現実 (reality) は現実構文 (現在構文) の内容ですね。94775
これらの別次元の内容を区別することなく考えれば、頭が混乱しますね。これを戦後の混乱というのでしょうか。93835

> 構造を語れば「そういえばマスコミがあれだけの権力もってて報道の自由っていうのも変だよな」と相手の方の無意識=潜在的な思いもことばになってでてくる。

意思がなければ、自由も享受できないということですね。128955
マッカーサ (Douglas MacArthur) は、フィリピンから逃れたとき、‘I shall return.’ (私は、必ず帰ってくる) と言った。
ジョーン・バエズ (Joan Baez)は、 ‘We shall overcome.’ (勝利を我等に) と反戦の歌を歌った。
モーゼは、‘You shall not kill.’ (汝、殺すなかれ) と神の意思を石盤に書いた。83281(正誤表: 人をEさない→人を殺さない)
‘shall’ は未来構文を作り、強い意思の内容を表す。92540
意思というものを認めなければ、これら和文の内容も深い意味はない。129406
’I go’. (私は行きます) と ‘I will go’. (私は行きます) は別次元の内容であるが、日本語を使えばそれも区別つかない。82320

> 構造を語るには発信する側が明快に旧観念を否定する必要はあるが、まずは発信してみること。そのことで相手の潜在思念をひっぱりだせれば、いっしょに構造の確かさを探求していくことができる。認識の確立と営業は一体なんだと思う。これなら私もできそうだ。

潜在思念は、人畜共通です。潜在思念を顕在化 (文章化) することが、考える人の働きです。全ての考えは文章になる。文章にならないものは、考えではない。136045
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就職の悩み相談
168499 > 就職活動が学生をつぶす!?
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/01/05 PM03 【印刷用へ】

> 就職の悩み相談
> 168239 就職活動が学生をつぶす!?
> 稲穂 ( 26 ..._〆(゚▽゚*) ) 07/12/31 PM04 【印刷用へ】
> 最近、就職活動をはじめた男子学生のお話。> 希望職種は有名商社。> これといってやりたい職種というのはないが、最近、自分に自信がなく、認められたいという理由から出てきた選択肢だ。> 就職活動前は、あるサークルで会長を務め上げた。> みんなをまとめて、何かを成し遂げることには自信があった。> 周りの友人からも信頼があり、評価も高い。> そんな彼がなぜ、自信がないのか??> 原因は就職活動のためのセミナーにあった。> 就職活動をはじめるにあたって、いくつかの啓発セミナーに参加したらしい。(最近の学生はまず手始めにこれに参加する。)> そのような多くのセミナーで言われることは、「自分の考えを持ちなさい」「自己分析が大切です。」「自分にあった職を見つけましょう。」すべて自分、自分、自分…

序列社会の中での自分のことばかりを考えていると、自信がなくなりますね。102628(正誤表:一億層懺悔→一億総懺悔) 片岡義男氏は、自著 <日本語の外へ> の中で、言葉と思考能力の影響について、以下 (1)、 (2)、 (3)、 (4)、および (5) のように述べています。

(1) いつもどのような言葉をどんなふうに使っているかによって、思考能力つまり頭の程度の上下は大きく影響を受ける。言葉を使うときはかならず現実的な対人関係の場があり、その関係のなかで相手との上下関係や利害関係を確認してはじめて自分の位置や内容がきまり、あくまでもそれに沿ったかたちでのみ利己的に主観的に言葉を使用していく、という言語活動を無限反復していると、自分自身というものの意味がどんどん小さくて低くなっていくのではないか、と僕は推測する。(引用終り)

> 今までは、いつも「みんな」が対象だった。> 急に「自分」に目を向けさせられても、何も見つからず、漠然と不安になるばかり。> 自分が見つからない不安から、またセミナーにいく…そんなことの繰り返しから、自信をなくしてしまった。

(2) 察し合うこと、つまり相手の気持ちのなかをのぞき込み、そこにある主観的な感情を読み取り、それに対して訴えかけるかたちで言葉を使い、相手からおなじようなかたちでの言葉の使い方を暗黙の了解として期待すること、このことの反復が母国語の機能とその作用範囲だ。察し合いとは、母国語として身につけたいくつもの定型の、おなじく定型的な応用の繰り返しだ。すでによくわかっていることを全員で撫で合い、あらかじめわかっているところへすべては落ち着く。(引用終り)

> 。。。。。。。。。。。。。。。
> 明らかに現代の就職活動は、学生のいいところを潰し、企業の採用の判断を曇らせるシステムになっています。

(3) 言葉とは最終的になにをするものなのか。言葉の目的とはなになのか。論理や正義などにとっての唯一の正式な場やルールを作り出すもの、それが言葉でありそれが言葉の目的だ。正確な言葉が議論のなかで蓄積されていくと、人それぞれの違いというものが明らかになっていく。蓄積されればされるほど、人それぞれの違いは細部にわたって明確になる。それぞれに異なるあらゆる人というものが明らかになると、それぞれに異なるあらゆる人々が等しく共有する原則はなにであるのかが、見えてくる。原則そのものの無視や無関心、そしてそれの発見のプロセスの無視や無関心を性能上の大きな特徴としている言語 [=日本語] は、それを使って生きる人たちにとって致命的に作用することすらあり得るという状況の到来に、当のその言語はどう対応するのか。(引用終り) 168322

> 大学や企業側が、答えがないことのごまかしに、今の若者の実感にまったく合わない個人主義を打ち出し、混乱させる。> 学生は、一番頑張りたいときに、一番活力が下がる。> これでは、なにもうまくいかないのは目に見えています。

(4) 自分の現在がそこそこなら、それ以外はどうでもいい。本当はひどい状態なのに、つらい生活なのに、目先の損得勘定に不満がないかぎりすべてさほど気にならず、少しでもいいからなにかを肯定的に変えていこうという気持ちも起こらないという生活スタイルが、母国語によってひとりひとりの身につききっているなら、社会ぜんたいもその程度にとどまらざるを得ないだろう。(引用終り)

> 「自分からみんなへ」その意識にたくさんの可能性が詰まっていることを実感します。

(5) 文化は人が言葉で作っていく。言葉の程度が低いなら、程度の低い文化しか生まれない。人間というものに関するさまざまな理解が深まらない。多くの異なった人たちの存在を認めるという、スタートの部分すら出来てはいかない。可能なのは、せいぜいが現状維持ではないか。生活のスタイルも内容も、幼稚なままにとどまる。そのときどきのもっともわかりやすいものだけを相手に、目先の損得の追求と享楽へと、日々は消費されてゆく。(引用終り)

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その他
168427 > マスコミ≒旧観念
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/01/04 AM08 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 68975 マスコミ≒旧観念
> 綾木順子 ( 25 広報 ) 04/03/13 AM08 【印刷用へ】
>>情報を垂れ流すだけ垂れ流し、絶対に叩かれない位置にいるマスコミ。>>そんな情報社会の犯罪性を感じました。(68859 久保田さん)
> これを読んだとき、マスコミも、さすがに好き勝手なことを発信し過ぎたら、普通、世論は黙っちゃいないはずでは?と思いました。

日本人は、議論が出来ませんからね。141369

> でも、主観的なコメントなど、結構言いたい事言ってるのになぜか叩かれることが少ない。

片岡義男氏は、日本語の主観について、自著 <日本語の外へ> の中で、(1) (2) (3) のように述べています。

(1) 「日本語は主観的にどんなふうにでも使うことの出来る言葉だ。あなたはこう言ったではないか、と相手につめよられて困ったら、いいえ、そういう意味で言ったのではない、私の真意はそこにはない、私はそんなことは言っていない、などの前言の取り消しがいともたやすく出来る。言葉はその場その場をしのいでいく方便でしかない」、、、、、 客観の最たるもののひとつは過去というものであるはずだ、と僕は思う。過去は誰にとっても絶対に過去だ。、、、、、 「日本語の過去はきちんと過去にしなくてもよい」、、、、、「厳密に過去にすると言語活動にさしさわる。厳密な時制など邪魔である。過去にするかしないか、どのような過去にするかなどは、当人の都合や主観のままである。それはもう終わった。そうなってしまった、と主観のなかでつくづくと当人が実感できるなら、そのときそれは過去である」(引用終り)

> マスコミ同士の利益絡みの叩きあいは割にあるみたいだけど、一般人がマスコミを叩くことはあんまりないですよね。

(2) 日本語は客観をめざさない。だから日本語による論争は、相手を言い負かすことを、最大のそして最終の目的としている。主観どうしの一騎うちだ。だからそこではどちらかが完敗しなくてはいけない。「日本語は出来事や物事を、それ自体としてはとらえず、自分の気持ちでとらえる」、、、、、「出来事、問題、事柄などは、ありのままには語られない。それらは、常に、自分にとってもっとも都合のいい主観となって、表現される。受け手もそのことはよく承知している。なぜなら、自分が話し手になったときには、自分の主観にもとづいて自分の都合を主張するから」(引用終り)

> だけど、ちょっと考えてそりゃそうか、と思いました。
久保田さんがなんでや劇場で聞かれた、『発信者は発信するのみ、受信者はそれを受け取るだけ。』(同・久保田さん)という構造ともう一つ、発信の中味がすべて旧観念をベースとしているからかな、って。普通の人は、旧観念を出されると「そうかもな・・・」って聞いてしまうから問題と感じないですもんね。

『発信者は発信するのみ、受信者はそれを受け取るだけ。』とは、学外における詰め込み教育の実態ですね。35185
観念は、中身を知れば有り難味もなくなるものなのでしょうね。123857

>>消えてゆく宿命にある私権時代の思想で人々を洗脳し、私権時代の次に来る新しい時代の思想が形成されるのを妨げ、社会を閉塞させている真犯人にほかなりません。(68925野田さん)
> ほんと、現代のマスコミの構造はヤバイです!マスコミの人たちは、この“事実構造”を学ぶべきだと思います。(でも、“飯の種”にしている時点でそういう思考にはならないのかな。)

(3) 利害調整の関係とそのための言葉づかいにとって、もっとも注意深く避けなければならないのは、、、、、、 なんらかのかたちで相手と対立を作ってしまうことだ。対立すると自分が負ける可能性がある。負けたならそれは自分にとって完全な損を意味する。損をあらかじめ出来るだけ少なく食い止める工夫、つまり対立を回避するための言葉づかいに、常に気を配っておく必要がある。そのための言葉づかいが、日本語のなかには豊富に用意されている。
その豊富さのぜんたいがどこに帰結するかいうと、問題を主観的にとらえるということ、つまりそのときの自分にとってもっとも都合良くとらえる、ということだ。そして問題の曖昧なとらえかたとは、因果関係を明確には解明しないでおくことだ。ひとつの状況や問題に対して、どの方向からどのような力が加わり、その結果としてどの方向へどんな影響がもたらされたかをはっきりさせずにおくと、すべての事態や問題はいつのまにかそうなったこととして、誰の責任でもなく、あるとき全員の目の前に姿をあらわすことになる。 (引用終り)

日本人が知的低水準から脱出するのは、容易なことではなさそうですね。82320
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どうしたら、社会を変えられるの?
168368 > 『バカにされて生きてきた』のではなく、『バカにさせられたまま生きてきてしまった』のだ!
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/01/02 PM08 【印刷用へ】

> どうしたら、社会を変えられるの?
> 159412 『バカにされて生きてきた』のではなく、『バカにさせられたまま生きてきてしまった』のだ!
> Silentservice ( 38 会社員 ) 07/08/21 PM07 【印刷用へ】
(前略)
> ●国際寄生者たちが、私や私の周囲にいる人々にやった事
> 日本の国民でもないのに、自分達の私益の為に国家を悪者呼ばわりして国民の注意を逸らしたり、カネが全てという価値観を植えつけたりカネの元に人工的な身分制度を作って、その仕組みの中でしか生きていけないようにしたり…

国の内外という区別は、だんだん取り払われる傾向にありますね。102309

> その目的を達成させる為には、都市空爆や市街への核攻撃による民衆の大量虐殺もいとわない。そして、絶対に逆らえないという敗北感を植えつけ、卑屈に媚びへつらう事を正しいと思わせる思想教育を徹底させることにより、極めて高度で優秀な技術と労働による収奪のシステムを作る。

我々には、自虐の傾向がありますからね。168062

> 私達は互いにいがみ合うように仕向けられたおかげで、その陰で糸を操っている人間たちが、自分たちに何をしたのか?を気付けずにこれまで生きてきてしまったのではないでしょうか?(そして、その疑問から目を逸らす為に捏造された『愛』や『平和』などの言葉。あたかも在るかのようで、そんなものは何処にもなかった!)

観念の理解は難しいですね。93494

> 社会に出てから、私より年配の職場の方などが、吐き捨てるように『世の中、カネだよ、カネ!』などと言う心境というものに、心底同情を禁じ得ません。私たちは、そうやって『市場』という収奪装置を、物凄く真面目に、必死で運転してきてしまったのですから。

片岡義男氏は、自著 <日本語の外へ> の中で、会社主義に関して以下(1)、(2)、(3)、(4)、および(5) のように見解を述べております。

(1) 人はみんなおなじようなもの、という恐るべき大前提で突進してきた会社主義は、規格品の大量生産と販売の技術を発展させ拡大させてきた。その技術が、経済成長つまりひどく偏った消費のシステムを作り出した。そしてそのなかに身を置くことだけが生活となった。商品がカヴァーしていない領域あるいはカヴァーしきれない領域は、存在しないも同然の扱いを受けることによって、犠牲になってきた生活だ。じつはそのように犠牲となってきた領域のなかにこそ、真の多様性があるはずだ。この多様性に画一的な商品で幸福がもたらされるとは、もはや誰も思っていない。(引用終り)

> 受験戦争も、出世競争も、作意に満ちた「見せ掛けの身分」に甘んじさせるトリックだったのではないか?と疑っています。(現に、大企業に勤め、どんな役職に就いていようが用済みとなれば平然と身包みを剥いで、会社は買収。そして利益は自分のところへ…)

(2) 英語の ’I’に相当する日本語は、自分にとってもっとも強固なアイデンティテーという意味において、ひょっとしたら「うち」ではないかと僕は思う。自分が勤めている会社のことを「うち」と呼ぶときなどの、あの「うち」だ。「うち」の理論が支えた五十年、などと言うと平凡な評論のタイトルのようだが、戦後の日本は数多くの「うち」がそれぞれに「うち」の内部で、すさまじく頑張っていくプロセスだった。そのプロセス、そしてそれがもたらした結果を、けっして過小評価してはいけない。現在の日本のすべては、「うち」の頑張りの上に立っているのだから。(引用終り)

> 警察権力でさえ、彼らの意のままに動く組織体系です。

(3) ほとんど誰によっても「うち」と呼ばれる会社群が日本を覆いつくし、それらの会社群は強い力を持ち、日本は会社となった。「うち」のなかが世界のすべてであり、その外にはなにがあるのですかと問われたなら、いちばん外の枠はまあ「くに」だろうかという程度の認識にとって、官僚組織とその力はたいへん似つかわしい。会社群を保護し育成し、管理しつつそれによりかかってきた官僚組織も、「うち」のなかのものだ。(引用終り)

> TVのコメンテーターや有識者、ニュースの解説者に著名人…皆、「日本人はふがいない!」と、結果には目を向けても、そしてアホな事をやっている事を嘲笑はしても、それが市場を維持させる為に仕組まれた、『日本人をバカにさせる』システムだったとは誰も指摘しません。

(4) つい昨日までは「うち」が世界のすべてだったのに、その「うち」が外のぜんたいと直結されないことには次の時代はあり得ない、という状況がすでに始まっている。「うち」が「うち」のなかで威張っていた時代には、「うち」のルールだけでことは足りた。外のぜんたいと直結されるとは、「うち」のルールは外のルールと同一になる、ということだ。「うち」は自らを開き、外のルールを取り入れ、それにのっとって考え行動していかなくてはならない。(引用終り) 

> 『市場を維持させる』という事の意味が、今、ようやくわかりかけてきたところです。反対をしても、その行動自体が市場を維持させる、市場経済を第一とする政府の姿勢につながるのでは、これまでの運動では何の役にも立たない、という事も頷けます。

(5) いつも切実に外と接している会社群では、「うち」を開いてルールを外とおなじにしていく作業が、とっくに始まっている。「うち」を開くことに関して最後まで抵抗するのは、官僚組織だろう。官僚組織に準じた組織、つまり外と切実な接触のまだない領域でも、抵抗は試みられることだろう。「うち」を開いていく部分と開かずにおこうとする部分との二極分化の日本、というのんきな見取り図にとって、もっとも呑気ではいられないのは、神経中枢とも言うべき金融が、外の世界と直結されるという事態だ。「うち」の時代はどうやら終わったようだ。(引用終り)

> 未だに家人を含め、こんな事を言うと『アブナい思想の持ち主だ』呼ばわりする人が周囲には沢山います。それらの人々は本来敵でも何でもない。事実を究明する手段を絶たれた、ごく普通の人たちなのだと思います。

危険思想の研究は、いつの時代にも必要ですね。100065
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その他
168322 > 社会変革は人々を否定すること?
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/01/01 PM11 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 16054 社会変革は人々を否定すること?
> 矢ヶ崎裕 ( 26 経理 ) 01/11/13 PM09 【印刷用へ】
>>「社会を変えよう」という言葉の裏側には、「現在の社会はおかしいんだ」、「間違っているんだ」という否定視があります。このことは、現在の社会に(程度の差はあれ)適応して生きている人々への間接的な「否定」でもあります。16043
> 社会を変えようとすることは、その社会に生きる人々を否定することにもなるのでしょうか? そんなことはないですよね。
> それに多くの人は社会を批判することが嫌いな訳でもありません。理想の首相を世論調査すると、筑紫哲也など批判的なジャーナリストが上位に来ます。今や行政の各頂点においても、小泉首相は「変革」を唱え続け、田中知事などは旧勢力を徹底的に批判して、それを大衆が支持しています。

日本語を使用すると、英米流の個人選びの意義を理解することが難しくなるでしょうね。94200
片岡義男氏は、自著 <日本語の外へ> の中で、我が国の意思決定の問題点を以下のように指摘しております。

日本の経済は一流だが政治は三流である、という言いかたを人はしばしば日本で目にする。 、、、、、、三流とは、一言で言うなら、恐るべき事態以外のなにものでもない。三流の政治においては、利益を受けるいくつもの会社と、そのための法律を作る官僚との橋渡しが、政治家の活動つまり利益になる。国を動かしていくための意志決定のシステムという、他に代わるもののない唯一のもっとも正式な、そしてもっとも高度な公共性を持つべきソフトであるべき、インフラのなかのインフラが、日本では決定的にない。
政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない。彼らは国民の投票によって選出されている。自分の利益にもっともつながりやすい人に人々は投票した。その結果が三流の政治なのだから、投票のときの判断がまず三流だったというとらえかたは充分に成立する。(引用終り)

> 現代社会の問題性や限界性については、よほど能天気な人でもないかぎり、誰もが意識していると思います。その上でどういう姿勢・行動を取るか、そこで違いが出てきます。

日本語を使用すると、英米流の議論が難しくなるでしょうね。141389
片岡義男氏は、自著 <日本語の外へ> の中で、普遍的な価値に関して以下のような指摘しております。

人が言葉を発する。それが他者に届く。人と人とのあいだに言葉は関係を作る。言葉はそこでなにかをなしとげ、自分に戻ってくる。言葉の作用の原理はこういうものだが、日本語の場合は、自分に戻って来るものが目に見える利益でないと、人々は承知しない。言葉の性能が作り出す生き方というものの、最大の特徴がここであらわになる。普遍的な価値であるはずの原則というものに対する無視や無関心という、最大の特徴だ。原則と言ってわかりにくければ、唯一の正式な場、あるいは唯一の正式なルート、などと言ってもいい。 (引用終り) 

> 多様性や濃淡のあるそれぞれの意識を、どうしたらまとめることが出来るのか、どうしたら形にすることが出来るのか、むしろそういうことが問われているのではないでしょうか。

日本語を使用すると、「あるべき姿」の内容を考えることが難しいでしょうね。83415
片岡義男氏は、自著 <日本語の外へ> の中で、日本語の目的に関する問題点を以下のように指摘しております。

言葉とは最終的になにをするものなのか。言葉の目的とはなになのか。論理や正義などにとっての唯一の正式な場やルールを作り出すもの、それが言葉でありそれが言葉の目的だ。正確な言葉が議論のなかで蓄積されていくと、人それぞれの違いというものが明らかになっていく。蓄積されればされるほど、人それぞれの違いは細部にわたって明確になる。それぞれに異なるあらゆる人というものが明らかになると、それぞれに異なるあらゆる人々が等しく共有する原則はなにであるのかが、見えてくる。原則そのものの無視や無関心、そしてそれの発見のプロセスの無視や無関心を性能上の大きな特徴としている言語 [=日本語] は、それを使って生きる人たちにとって致命的に作用することすらあり得るという状況の到来に、当のその言語はどう対応するのか。(引用終り)
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どうしたら、社会を変えられるの?
168252 > 「可能性の提示」が必要
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 07/12/31 PM05 【印刷用へ】

> どうしたら、社会を変えられるの?
> 168166 「可能性の提示」が必要
> 大広丸 ( 38 漁師 ) 07/12/30 PM00 【印刷用へ】
> いくら世間が悪い・官僚が悪いといった愚痴をみんなで発信しても、だれも「社会を変えたい」とは思わないし、可能性は感じないと思います。

同感です。168174
期待・願い・祈りだけでは、どうにもなりませんね。106379
意思の無いところに社会改革の方策はないでしょう。82057

> 今、私達にできること、かつ必要なことは、「変革の可能性」をこのるいネットにおける投稿を通じて、みんなに感じてもらえるようにすることだと思います。

そうなると良いですね。102033
だがしかし、「変革の可能性」の問題は、気分・雰囲気では片付かないでしょうね。160521
「変革の可能性」は、実況放送の内容でもなく、現状報告の内容でもなく、現実の中の嘘・偽りだからでしょう。94682
現実のことは、現実構文 (現在構文) で語ると実感が湧く。86547
可能性のことは、未来構文の内容として語らなければならない。されど、未来は非現実であるから実感がない。142118
日本語には、未来構文はない。日本語で非現実の内容を語ろうとすれば鬼が笑う。145811

> 実感のこもった投稿、そんな小さなひとつひとつの投稿の積み重ねこそが、不安や愚痴はあるが、変革の可能性を確信できずに現代の閉塞感に苛まれている人々の目を開くことができると思います。

ナウな感じのする文章には、実感がありますね。84217
改革の道筋が理解されなければ、閉塞感に苛まれますね。148302
変革の可能性は、未来構文のある言語を使って理路整然と考える必要があるのではないでしょうか。148136
そうなれば、広い地域から強力な協力者が多数得られることでしょう。128057
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潮流3 出口が見えない、答えが欲しい(収束不全)
168174 > 日本
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 07/12/30 PM03 【印刷用へ】

> 潮流3 出口が見えない、答えが欲しい(収束不全)
> 3943 日本
> 岡村基之 ( 22 学生 ) 01/05/09 AM00 【印刷用へ】
> 村上龍のある小説で登場人物の少年がこう言った「この国(日本)には何でもあるが、ただ一つ希望だけが無い。」> 小説の中の話とはいえ、この台詞がとても哀しくもあり、実に的を得ていると思った。

同感です。147584
是非、我々の手でこの現実を解消したいものですね。82057

> 物があふれ、飢えるという事が現実から遠くなったこの時代、本来喜ばしいはずのこの状況がかえって人の価値観を狂わせた。

物があふれ、飢えるという事が現実から遠くなったということは、生きながらにして我々はそれだけ天国の生活に近づいたということではありませんか。145811
これは、明らかに幸せの増大ですね。93383

> 小学生が苛めを苦に自殺という手段しか選択できないような異常な状況が、珍しくなくなった。本来もっと取り上げられなくてはならない事件のはずが、人々は飽きて見向きもしない。

ただ「今ある姿」だけを見ていれば、飽きて見向きもしなくなるでしょうね。128267
これは、能天気の人ですね。134999
「あるべき姿」を現実の「今ある姿」と並置して考えれば、現実改善の方策が脳裏に浮かぶことでしょう。84116
これは、生きる力を備えた考える人のことでしょうね。134891

> 一向に回復の兆しの無い不景気に多くの人が危機感を感じていながら、まだ大丈夫だろうという、根拠の無い楽観視をして誰も動こうとはしない世の中。

人びとは、伝統的に「そのうち何とかなるだろう」と考えているのでしょうね。106379

>小説の中に登場した少年のようにこの国に絶望している少年はもう数多くいるのかもしれない。

世界中の人が、この国を絶望視しているでしょうね。167639
片岡義男氏は、自著 <日本語の外へ> の中で母国語と外国語の関係に関して以下のように述べています。

日本にはヴィジョンがない、と多くの人たちが言っている。ヴィジョンとは、あくまでも現実化を前提にした未来のありかたに関する理念や理想、あるいは思想や哲学のことだ。これが日本にはない、と日本人自らが言っている。日本にヴィジョンがないというのはすでに定説だ。そして日本の現実は、残念ながら、ヴィジョンのほぼ完全な欠落の見本のようだ。、、、、、 (省略) 、、、、、母国語は、それを母国語とする人たちを、思考や感情など人間の営みのすべての領域において、決定的に規定する。母国語は母国語らしく自在に駆使すればするほど、母国語の構造と性能の内部に人は取り込まれていく。そしてそこに、その母国語が日本語なら、日本人らしさというものが生まれてくる。日本人らしさの総体は日本らしさであり、日本らしさの総和の蓄積が日本文化だ。母国語と外国語とでは果たしてそんなにも異なるものなのか、所詮は人間の言葉なのだから結局はたいした違いはないだろうに、というような日常的な認識は、母国語の内部へその人がすっかり取り込まれていることの証明だ。母国語の外には、とんでもない世界がある。(引用終り)
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その他(若者と老人)
168078 > お休み増えて困ったな
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 07/12/29 PM01 【印刷用へ】

> その他(幼・少・青・壮・老)
> 33302 お休み増えて困ったな
> 中村朋子 ( 54 教育 ) 02/06/11 PM02 【印刷用へ】
> 大学(含大学院)は現行の学校制度の頂点ですが、学校観で些か気になる現象があります。> それは、学校の週休2日制についての、生徒達の反応です。
> 普通なら「お休みが増える。わあーい、ばんざーい。」となると思うのですが、いかんせん「学力低下が叫ばれているのに勉強の時間を減らされては困る。 一層学力が低下し、日本は世界から取り残されることにならないか。」という意見が少なからずあるのです。大人の意見ではありません。中学生自身の意見なのです。> つまり、彼らは「学力は学校でつけてもらうもの」「勉強は学校でするもの」「学校で教えられることを習得するのが学力」という抜きがたい先入観を持っているのです。

勉強は、競争のために必要なのでしょうね。107034
ならば、他と比較可能なところで勉強しなくてはならないでしょうね。それは、学校ということになりますか。83909

> 自分で自由に学ぶ・取り組むということは視野に入っていない感を受けるのです。

視野に入るのは、基本的に同次元に関する序列の競争ですからね。104107

> といって週7日毎日学校の授業があり、厳しく教え込まれれば、これまた「詰め込み教育反対」「個性を伸ばすゆとりを」と叫び出すに違いないのですが。

何とでも言えますね。144314
彼らには、自己の基準 (世界観) がないからです。92993
彼等の発言は、我が国伝統の歌詠みのようなものです。139852(正誤表: 増水よる→増水による)
「だって、本当にそう思った (感じた) のであるから仕方がないではないか」ということでしょう。98265

> 授業の内容は量の増減こそあれ、その実施形態は変わっていないし、テストという学力測定のあり方も変わってはいません。> 小中高すべて同様でしょう。

「読み、書き、ソロバン」形式の教育ですね。104553
初等中等教育は、現実構文の内容に関係した事柄を覚えさせているのでしょう。160769

> それがいきなり「大学」へ放り込まれる。> 何をどうしてよいのか、分からない。そもそも「大学って何をするとこらなんだ。」はっきりこれこれを覚えろ、解けとは言ってくれない。

現在の大学は、英米流の教育をするために作られているのですからね。142545
日本語脳では、理解不能ですね。133657

> 明確な目的・課題意識もなく、単に通過地点とし、それまでの「拘束」から解き放たれて、自由気ままに過ごせる「人生の楽園」。

英語で考えることが出来なければ、遊んでいるしかないですね。152568
キャンパスには、退屈男と退屈女が溢れている。150985

> 彼らと、教職にある人間の間に何があるのでしょう。

彼らと、教職にある人間の間には上下関係 (序列) があるのでしょう。82942
彼らも教職にある人間も、英米文化とは関係がないでしょうね。83459(正誤表:にもかウわらず、→にもかかわらず、)
大学は、英米の猿真似にすぎない。83415

> 二層の断層は埋めることはおそらく不可能でしょう。

二つの層は英米文化に関する無理解で続いている。88345(正誤表: ‘You can read more at’ を削除する)
存在するのは、大学生側の無理解による損と教職にある人間の側の無理解による得から生ずる自己利益の断層です。82023

> 学生は講義に積極的関心を示さず、教職側は学生の低学力を慨嘆する。

日本語で話す観念は、空理空論になりますね。127915
だから、聴講は空しいばかりです。102229(正誤表:しかなれない→しかない)

> 「教育機関」としての機能は現在存在するのか。> そこに至るまでの教育過程を見れば、大学のみを責められないかもしれません。

英語と日本語の言語としての違いに着目すべきですね。93128
日本人が12歳で、更なる精神的成長を続けられない原因を究明する必要があります。104383

> しかし、現体制下、で指示待ち人間の「小中高」と「放置放任」の大学の落差をどう埋めるかを考えることは無益です。

意思を表現できない人間は、指示待ち人間になる。126286
学生が「あるべき姿」の探求に向うのでなければ、日本の大学は「放置放任」の大学である。94775
英米の世における日本人問題そのものですね。99782

> 自ら考え取り組むべき適切な課題ー様々の知識はそのために必要なものーを意識できる状況をこれから伸びてゆく子ども達に準備してやることに力を注ぐことこそ大切と考えます。
 
同感です。82251
各人が自己の世界観を構築できなければ、自ら考え取り組むべき適切な課題も見付からないでしょう。94865
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その他(性と家庭)
168012 > 「こたえがない」から人は引きずられてしまう。
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 07/12/28 PM02 【印刷用へ】

> その他(男と女・性・婚姻)
> 68815 「こたえがない」から人は引きずられてしまう。
> 西田美和 HP ( 26 設計 ) 04/03/09 PM06 【印刷用へ】
>>漠然と新たな現象に追従して制度や権利をふやしても現代の統合不全を解決するには至らない。

成ゆき任せでは、国は政治の辻褄を合わせられないですね。160203

> 今のほとんどの問題って、「こたえがない」って事につきるんだな。って思います。> こたえがないから次々に制度を作ってみる。

同感です。84361
場当たり的な改革案ですね。128535

> でも、なんの根拠もない、みんなの期待・意識とは程遠いところで、勝手に一部の人が勘違いや思い込みで作っているから、なんの役にも立たない。

日本人の現実対応に問題がありますね。138399

>>「現実に役に立つ認識って、なんだろう?」の答えは、『次代の可能性を読めて、次代をつくることができる認識です』と答えると、彼は何かモヤモヤが取れるような”気付き”を得たみたいです。(68700 麻丘さん)

「あるべき姿」の内容が、「今ある姿」の改善に役立ちますね。102080

>>どこかで誰もが踏みとどまって、意識を変え、答えたりうるものを追求しはじめなければ、旧観念に引きずられたまま、成り行き任せですすむ行き詰まった社会は変わらないと感じます。 (68476 柳瀬さん)

同感です。行き詰まった社会は変わらない。127883

潜在思念は人畜共通です。潜在思念を顕在化 (文章化) するのが考える人の働きです。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。136045

考えが無ければ、成り行き任せにするしかない。103689
大衆の中にあって、考えのない個人は主導権 (initiative) をとることが出来ない。167639

観念は、非現実である。140178
意思 (will) も観念 (idea) も未来構文の内容ですね。141832
日本語には、未来構文がない。165417
未来構文のない社会には、観念もそれを実現する意思もない。90612
そして、意思 (will) の無いところに現実打開の方法 (way) はない。89201
無為無策でありながら、期待・願い・祈りの内容が一杯貯まる。106379

> なんでやさんにいって、おじさん、おばさん、女子高生、中学生、男子大学生、サラリーマンとにかく、いわゆる普通の人、みんなの声ってゆうのを聞くと、本当に社会の危機感も感じる。その一方でこうゆうみんなで意識を変えていけば、あっという間に世の中って変わっていくよなー。って思う。

同感です。82057
危機感・閉塞感に満ちた社会は、日本人が明確な意思を示すことにより あっという間に世の中って変わっていくでしょう。82735
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
167819 > 一人前になるために学ばなければならないことは何?
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 07/12/26 PM02 【印刷用へ】

> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 119998 一人前になるために学ばなければならないことは何?
> わっと ( 壮年 企画 ) 06/06/11 PM03 【印刷用へ】
> 一人前になるために覚えなければならない基礎的な知識というものはいつの時代にもあるだろう。
> 江戸時代頃なら、読み書きソロバンぐらいは知っておいたほうがいいと言われたらしい。
> 当時は、今のような学校制度や国定の教科書などは無かったが、寺子屋やお寺の坊さんや奉公先の先輩など、必要に応じていろいろな形で学んだのだと思う。

現実生活に即した学習が必要ですね。161469

> その後、近代国家が形成され統合されるために学校や教科書は「国民」を造るために必要になり、その後、産業の発展に対応するために国民への教育内容も変わってきた。

富国強兵策に資する現業を発展させるために必要な知識を習得させたのでしょうね。129584

> さて、現代は一人前になるためには何が必要なのだろう?

英米文化に対する理解が必要ですね。146694
さもないと、この国は12歳の大人ばかりになってしまう。150369
我が国は、職人が優秀で、インテリが駄目な国です。160769
職人とインテリが共に優秀であれば、我が国はこの地球上で鬼に金棒です。 167639

> 従来からの学校制度や教科書では、次代に向けてそぐわなくなっているのは明らかだ。

同感です。99782
他人の受け売りばかりで、授業時間数や教科書のペイジ数を増やしているのは、時代遅れですね。134891
「それで、どうした」の問いに答えられる個人の育成が必要ですね。82057
話をする当人の個人意見を求めてゆく必要がありますね。 94865

日本人は英米人にはならないし、英米人は日本人にはならない。
TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー (Frank Gibney) は、自著 <人は城、人は石垣> (Japan: The Fragile Superpower) のなかで以下のように述べています。

日本人はフランス人やメキシコ人やロシア人にならないのと同じように、絶対にアメリカ人のようにならないだろう。しかし国民として、国家として、日本人の特徴はユニークである。日本人については、気ままな好奇心からではなく、アメリカと顕著な関係を発展させた世界社会の一員として、アメリカの学校で学習され、図書館で読まれ、アメリカ国民の間で楽しまれるべきである。アメリカ人にとって、日本人も彼らから「学ぶべき人」になった。
 それにもかかわらず日本は近い将来、厄介な問題にぶつかるだろう。日本はおそらく地球上で最も目標志向的な国 (the most goal-oriented country) だろう。ロバート・ベラー (Robert Bellah) は「ここは成就とか達成が第一義的な価値 (a primary value) になる社会である」と喝破している。もしも成就の種類が変われば、それとともに価値観も変わるのであろうか。(引用終り)

果たして我々日本人は、英語の理解を達成の目標とすることができるであろうか。148136
日本語圏と英語圏以外の人にとっても、英米人の考え方を学ぶことは、日本人の考え方を学ぶことよりもやさしく、かつ有用であると考えられる。150258(正誤表:?6年12月→2006年12月; &#82211→ - )
それは、英語の第二言語としての役割 (英語人口10億人、第二言語/母語: 573/427=1.34) は、日本語のそれ (日本語人口1億3千万人、第二言語/母語: 6/124=0.05) よりもはるかに大きいからである。141733
であるから、歌詠みの英米人は育たなくても、議論のできる日本人が多数育成される可能性は大いにあると考えられます。141389
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