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閉塞の元凶は、個人主義
172951 > 「個性」というより「能力」>西沢亮太さん
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/24 AM05 【印刷用へ】

> 閉塞の元凶は、個人主義
> 1901 「個性」というより「能力」>西沢亮太さん
> 越見東太 ( 37 都市計画 ) 01/03/22 AM00 【印刷用へ】
>>運動神経のいい人がいれば悪い人もいる。数学が得意な人がいれば、国語が得意な人もいる。みんなが集まる場をつくる人やその場を盛り上げてくれる人がいる。ある程度の差はその人それぞれの精進によって小さくなるけれども、やっぱり、生まれついたものってあるはず。こういうのを本当の人間それぞれの個性というはず。

同感です。83909

> 確かに、自我の発現を抑えることをもって”個性の抑圧”と考えるのは、何よりも個人の自由が優先すべしとする個人主義的価値観による早とちりでしょう。
別に人間の集団に限らず、生物が環境の変化に適応する上で”多様性”は不可欠だと言えます。(余談ですが、地球温暖化問題とのからみ等でよく取り上げられる、熱帯雨林の急速な減少による生物種の多様性の喪失などは、現在の生態系の滅亡及び、新たな大進化の契機となる可能性すらあると思います。)

人間には、考えにも個性が必要ですね。127406

> でっ、「個性」についてですが・・・運動神経の良さ、数学や国語の得意不得意、人を楽しませるのが得意・・・これらは、「個性」というよりも、「能力」と捉えた方が良いように思います。人間の脳は、生後(正確には胎児期も)の環境にその発達が規定され、他の動物では考えられない種・集団における”能力の多様性”を実現する可能性を秘めており、何らかの要因による”能力の画一化”が進むとすれば、それは適応力の衰退を意味すると思われます。・・・例えば、全員が個人主義や女原理一色に染められたのでは滅亡は間違い無しでしょう。
そして、多様な「能力」に対して、多様な「役割」が与えられる。与えられた「役割」を全うすることで皆から感謝され、充足する。
・・・このような集団においては、ささやかな自我充足のための「個性」などそもそも必要ない。
問題は、これら、共認された能力「評価」や「役割」を認めようとしない頭の中の幻想・・・「自我」の発現をいかに抑えるか・・・です。

現実の内容は、各人共通である。82354
非現実の内容は、人それぞれである。93309
日本語には、現実構文しかない。99524
だから、日本人は、非現実の内容と人それぞれには興味を示さない。142011
この国には、「我思う。ゆえに我あり」の個人主義は浸透しない。82180
「理屈などどうでもよい。現実は見ればわかる」という。100053
日本語脳は、現実専用の頭なのである。非現実は考えの埒外であるが、事実関係調べには興味を示す。82123
キリスト教も共産主義 (反キリスト教) も日本人にとっての埒外な考えなので危険思想になるのかもしれない。100065
非現実の内容を現実構文に載せて語れば、それはこの世の嘘・偽りとなる。94682
社会の底に横たわる言語の問題を解決しなしと、わが国の構造改革もはかどりませんね。148136
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思考パラダイムの逆転
172937 > 現実は過去からの輪廻
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/23 PM09 【印刷用へ】

> 思考パラダイムの逆転
> 21802 現実は過去からの輪廻
> 匿名希望 02/01/23 PM01 【印刷用へ】
(前略)
> 現実とは“今、生きていること”。認識とは“如何に生きるか?を模索するための方向性を示唆してくれるもの”。現実を変えるとは、認識を新たにすること、即ちパラダイム転換を図ること。パラダイム転換を図るためには?今まで生きてきた足跡を見つめ直し、未来の方向性を軌道修正することではないでしょうか。

現実とは、頭の中で考えるだけのことではなく、現に実際こうであるという状態・事実である。84909
認識とは、物事をはっきりと見分け、判断することである。171585
未来の内容を現在の内容に変える方法を筋道立てて説明できる人は、創造力のある人である。83415
パラダイムの転換とは、世の中が変るということでしょうね。158962

> 人間は自分が今まで残してきた痕跡を知恵にして生きてきたと思いますが、現在に問題があるということは過去にも問題があったのではないか?という疑いを持つことをしないといつまで経っても旧パラダイムからの脱却は図れません。現実を直視し過去から続いてきた悪い輪廻を断ち切る勇気が必要なのではないでしょうか。

過去には、二種類の過去がある。つまり、経験した現実の過去と、経験していない非現実の過去がある。戦後の混乱は我々の経験した過去であるが、恐竜時代は経験していない過去である。 82354
経験した内容からまだ経験したことのない過去や未来の内容を筋道立てて説明できる人は、洞察力のある人である。90706
刹那の感覚は、日本人にとりあえずの方策をとらせ、それが永遠に続くものと信じられている。147584
創造力や洞察力は、我々の生きる力を強めてくれる。32162
生きる力を育むことが、教育の目標になっている。16312
教育あって教養なしの国にならないように努力しましょう。169694
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アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
172786 > なんでロックフェラーが東京大学に図書館を寄贈したのか
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/21 AM11 【印刷用へ】

> アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
> 172711 なんでロックフェラーが東京大学に図書館を寄贈したのか
> 大西敏博 ( 50歳代 会社員 ) 08/03/19 PM04 【印刷用へ】
(前略)
> 情報を一カ所に集中させる。それが「シンクタンク」という言葉の意味ではないか?> そう考えると、日本でロックフェラーというアメリカのトップを行く財閥の資金で震災後に図書館が寄贈されたことは、「日本の重要な情報はおおむねここに集まるだろう、手間が省けたわい」という意図に基づくのではあるまいか。> そうなれば、仮に日本と事を構えることがあっても、その前に 情報の一カ所集中で 日本を研究しておけば、日本の文化的弱点、社会的弱点を事前に把握することが出来るわけである。

シンクタンク (think tank) は、頭脳集団ですね。138004
我々も、日本の文化的弱点、社会的弱点を深く究めておくべきですね。82242
そうなれば、我々が仮に英米と事を構えることがあっても、敵を知り己を知れば、百戦危うからずですからね。163850

> 私は、元山一証券の吉永俊朗氏にお会いしたことがある。> 彼は、『100年たっても アメリカに勝てない日本』(オーエス出版・絶版)と言う本を書いている金融マンだが、その中で紹介されていた本が、寺島実郎監修の『二つのフォーチュン』(ダイヤモンド社)という本である。この本は、1940年のアメリカの「フォーチュン」誌が、日本の特集を行った特集号から大部分を翻訳掲載してある。> そのアメリカの日本研究たるや!一般書籍でさえ、既にここまで日本は丸裸にされていたのか、という思いである。

夏目漱石は、 <マードック先生の「日本歴史」> の中で、日本人の無力さ (無哲学・能天気) について以下のように表現していますね。「丁度 葉裏 (はうら) に隠れる虫が、鳥の眼を晦 (くら) ますために青くなると一般で、虫自身はたとい青くなろうとも赤くなろうとも、そんな事に頓着 (とんじゃく) すべき所以 (いわれ) がない。黄変色するのが当たり前だと心得ているのは無論である。ただ不思議がるのは当の虫ではなくて、虫の研究者である、動物学者である。」つまり、夏目漱石のたとえによれば、「日本歴史」を著したマードック先生は研究する人であり、日本人は研究される虫ですね。172709
日本人は、無哲学・能天気ではいられませんね。84032
今の地球は英米の世の中である。日本人は、丸裸ではいられない。83554
我々は、鬼に金棒の状態にならなくてはならない。167819

> 戦後、東京大空襲の成果も含めて日本にやってきた、戦略爆撃調査団の中には、ケネス・ガルブレイスがいた。> そして、日本の公害である水俣病の研究に、アメリカの保険機関であるNIHが研究資金を提供している。これも、情報を一カ所に集めるというアメリカ財閥の世界戦略に基づくものだろう。> やっぱり、アングロ・アメリカンというのは恐るべき戦略家たちである。

英米人は恐ろしいですね。168174
だが、英米人は恐ろしいと考えるだけでは済まされない。82879
我々も、アングロ・サクソン族のメンタリティ (考え方) を理解して、彼らと対等な知的水準にならなければならないでしょう。127650
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その他
172709 > 「なぜ?」を皆に問うことで引き起こされる新しい活力源。
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/19 PM03 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 54156 「なぜ?」を皆に問うことで引き起こされる新しい活力源。
> 廣重圭一 ( 39 技術者 ) 03/05/03 AM09 【印刷用へ】
>>子供が大きくなるにつれて「なぜ?」と考えなくなるのも、価値観念の悪影響であるのは、最早疑いの余地はありません。もちろん、子供や部下の「なぜ?」という疑問をはぐらかすことができたのも、教師や部課長という‘身分’あってのことですが、そもそも私権時代とは、「なぜ?」という素朴な問いに答え得る構造観念など、まったくと言っていいほど存在しなかった時代でもあるのです。(53975)

子供は、成長するに従がって「なぜ?」という質問を発しますね。93281(正誤表 : 人をEさない→人を殺さない )
夏目漱石は、<マードック先生の「日本歴史」> の中で、日本人の無哲学について、以下のように述べている。

畢竟われわれは一種の潮流の中に生息しているので、その潮流に押し流されている自覚はありながら、こう流されているのが本当だと、筋肉も神経も脳髄も、凡てが矛盾なく一致して、承知するから、妙だとか変だとかいう疑の起る余地が天で起こらないのである。(引用終り)

疑の起る余地が天で起こらないのは、日本語が日本語として、あまりに完璧だからでしょう。163518
この世のことを現実構文の内容だけで考えるなら、未来構文と現実構文の内容の間の矛盾は何ら気になることはない。84116
人間が「なんかへんだなあ」と思ったのが哲学の始まりですね。146284  
日本語の外には、とんでもない世界があるのでしょう。168174

> 自分自身思い出してみても、「なぜ?」を自問自答したことはあっても、皆の前で「なぜ?」て聞く機会はあまりなかった気がします。「聞く前に考えたか!」と切返されそうです。これは価値観念の悪影響もそうですが、私権を追求する個々人にとって自分の課題を自分で解決するのは当たり前であって、それを「なぜ?」と皆に聞くことはしないという私権規範の影響も大きいと思います。

日本人にとって重要なのは、理性よりも感性です。128172
歌詠みは、自己の想いを言い放つのみである。その内容は日本人にとっての真理なのであろう。151602(正誤表 : 創造→想像 )
日本人には議論ができない。141389

> しかし、今やみんな不全・みんな期待のなかで、皆に依存し「なぜ?」と問うことで、みんな不全の共認、みんな課題の共認、そしてそれに応望することに、新しい可能性・活力源を感じとっているからだと思います。

意思のあるところに方法がありますね。82057
意思は、未来構文の内容です。だが、日本語には、未来構文がない。148136
言語の問題は、言語を使って解決可能です。84909
我が国の有識者・知識人は、英語だけでも考えることの出来る能力をも備えるべきです。82285

> 異世代交流会の場で感じる一体感、充足感は、この「なぜ?」から始まる探求過程そのものの充足(親和充足、答え収束)だと感じます。

日本語の世界に生きる自分という人は、俺はお前のお前であり101058、相手およびその相手との関係の場がないと、自分がなになのかいつまでもきまらない。172351
自分の体験した限られた小さな範囲が世界のすべてであり、その外へは出られないし出たくもなく、出る必要もないということでしょう。172008
今こそ世界に向けての発信が必要ですね。日本人からの発信について大きな期待を寄せられています。144607(正誤表 : 能力発見ないし→能力を発見ないし )
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保守化・右傾化の政治潮流
172634 > 「危機感駆動型」の日本と「希望駆動型」の米国
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/18 AM09 【印刷用へ】

> 保守化・右傾化の政治潮流
> 172546 「危機感駆動型」の日本と「希望駆動型」の米国
> h100p 08/03/16 PM08
(前略)
> ○「危機感駆動型」の日本と「希望駆動型」の米国
> この違いを類型化すると、日本人に多い類型は「危機感駆動型」であると言える。 > 「このままではお前(日本)はダメになる!」「危機だ!」と言われると強く反応して動き出すわけである。

意思は、未来構文の内容である。103994
日本語には、未来構文がない。82320
意思のないところには、方法もない。93381
方法がなければ、無為無策でいるしかない。90706
「無為無策でいては、お前(日本)はダメになる!」のですね。165417

「危機感駆動型」は、人畜共通の自己防衛の型ですね。1156
「危機感駆動型」は、潜在思念による不言実行型ですね。495

> 一方、米国人に多い類型は「希望駆動型」である。> 「できるじゃないか!」「ステップアップできるぞ!」と励まされると強く反応して動く。こうして考えると、日米の様々な違いが説明できる。

イニシアティブをとって用意する年次改革要望書のようなものですね。167639
文章化されて、内容が示されている。だから、他者の協力を求めることが可能になる。85176

> 例えば、米国のエコノミストには毎度楽観的な見通しを言う連中がなぜこうも多いのか。>  反対に日本のエコノミストには、どうして「危機の預言者」みたいな連中がわんさといるのか。

自分自身に構想 (非現実の内容) があれば、未来におけるその展開が楽しめますね。147998
無哲学・能天気であっては未来の内容は未知であり、未来に関する漠然とした不安でしかありませんね。82240

> 日本の歴代首相や政治家は、まず危機感の強調から始まるタイプが多い。> 「日本はこのままではダメになる!」方式だ。一方、米国の大統領、政治リーダーたちはどんな困難な状況でもまず希望を語ることから始める。

「この国(日本)には何でもあるが、ただ一つ希望だけが無い。」ということですかね。148302
日本語には未来構文がないから、日本人は未来の内容を語ることが難しい。82240
無理に未来を語るとその実感もわかず、鬼も笑いだす。170706

> 「私のリーダーシップを受け入れるならば、難局は打開できる」と、まず希望を語るのが米国のリーダーの資質だ。

「意思あるところに方法あり」ですね。82057
だが、やる気がなくては、どうにもならない。これは、人畜共通です。144688
やる気は、「理屈などどうでもよい。現実は見れば分かる」という時の現実の中にある。100053
文章化されていないから、目的達成のための行動に周到な筋道を立てることは難しい。138399
社会の多数の人間が代々努力を積み重ねる事柄を直ちに要請することが難しい。143833
逆に、文章化されることもなく長年仕来たりとなっているものは、改革することが難しい。95301

> 「危機・没落に直面しているのだから構造転換(改革)しないと日本はダメになる」なんて議論は、戦後を通じて何度も形を変えて繰り返されてきた。

日本語脳の構造転換が必要ですね。148136
万事が受身の姿勢ですから、「日本はダメになる」とでも言わなければ、重い腰は上がらない。84819

(後略)
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その他(認識論・科学論)
172414 > 日本語ブームは認識収束の潮流
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/14 PM06 【印刷用へ】

> その他(認識論・科学論)
> 30512 日本語ブームは認識収束の潮流
> 斎藤幸雄 ( 38 建築士 ) 02/05/10 AM00 【印刷用へ】
>> みんなの認識刺激が全くなくなった時に、「自分の脳」は幻想認識や間違った論理を構築しやすい。(吉国さん30441)
> なるほど、確かに「自分」を価値観の中心に置く近代思想の個人主義は幻想認識や欺瞞観念を生み出してきました。みんなの認識刺激を捨象し、「自分の脳」だけに収束した結果なのでしょう。

片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、日本語について以下 (1)、 (2)、 (3)、 (4)、 (5)、 (6)、 (7) の如く述べています。

(1) 外国語を知らない人は母国語も知らない、という有名な言葉がある。 、、、、、 母国語しか知らない人は世界というものを知り得ない、という意味に解釈出来る。世界を知るとは、いくつもある外国となにごとかをめざして関係を作り、その関係を発展的に持続させていくことだ。そのためには人は母国語の外へ出なければならない 、、、、、。(引用終り) 168889

>「言葉」を考えた場合、「自分の脳」への収束、その結果「自分」を中心とする価値観は、西欧語により強くみられます。

(2) 日本語は客観をめざさない。だから日本語による論争は、相手を言い負かすことを、最大のそして最終の目的としている。主観どうしの一騎うちだ。だからそこではどちらかが完敗しなくてはいけない。「日本語は出来事や物事を、それ自体としてはとらえず、自分の気持ちでとらえる」、、、、、「出来事、問題、事柄などは、ありのままには語られない。それらは、常に、自分にとってもっとも都合のいい主観となって、表現される。受け手もそのことはよく承知している。なぜなら、自分が話し手になったときには、自分の主観にもとづいて自分の都合を主張するから」(引用終り) 168427

> 西欧語では、「誰が」「誰の」などの主語を言わなければ文章が成立しない。一方、日本語が存在しなくても文章が成立します。
> 例えば、西欧語と日本語の違いでよく例にあげられる、英語の「I Love You」は、日本語では「私はあなたを愛しています」ではかえって不自然で、主語をなくし「あなたが好きです」または「好きです」だけでも成立し、そのほうが自然な表現です。英語では「I」がなければ文章が成立しません。

(3) 、、、、、 しかし日本語には、英語の「I」と質的に等しい言葉はない。「You」もない。「He」も「She」もない。他から厳しく区別された自分以外の誰でもない、絶対にその人自身であるとしか言いようのない、確立された独立した主体としての個人が「I」であったが、日本語にそのような人を意味する言葉はない。 、、、、、  (引用終り)

> また、主語のない日本語表現の特徴を表わすものとして、「場が和む」という表現があります。これは、主語を付けようにも付けようがありません。「和む」のは、自分であり、その場にいる人たちであり、同時にその全体の場であるからです。

(4) 、、、、、 日本語の世界では自分と他者とのじつにさまざまな関係の場がある。場とは、 、、、、、 「現実のしがらみ」であり、 、、、、、「わずらわしい私的な現場」と表現されるような、 、、、、、 さまざまな対人関係のひとつひとつのことだ。(引用終り)

> その表現は、自分は含まれているが、自分だけを捉えているのではない。そして、誰かを指定しているのでもない。自分を含んだその場にいる人たち全体を分け隔てなく「場」として捉えているのではないでしょうか。

(5) 自分をきめるには、日本語の世界では、相手が必要だ。それもただ単なる他者としての相手ではなく、自分の現実に密接した、なんらかの具体的なことを目的とする対人関係を作り出してくれる相手でなければならない。日本語の世界に生きる自分という人は、相手およびその相手との関係の場がないと、自分がなになのかいつまでもきまらない。その場や相手が広がりすぎたり大きすぎたりしても、自分はきまらない。たとえば不特定多数というような相手の場合だ。(引用終り) 172351

> 今、日本語がブームですが、それは「日本語」への潜在・span class="bg">Iな可能性収束ともいえます。本源性を残す日本語へに対しての興味であり、そこに可能性を見出しているともいえるのではないないでしょうか。

(6) 文化は人が言葉で作っていく。言葉の程度が低いなら、程度の低い文化しか生まれない。人間というものに関するさまざまな理解が深まらない。多くの異なった人たちの存在を認めるという、スタートの部分すら出来てはいかない。可能なのは、せいぜいが現状維持ではないか。生活のスタイルも内容も、幼稚なままにとどまる。そのときどきのもっともわかりやすいものだけを相手に、目先の損得の追求と享楽へと、日々は消費されてゆく。(引用終り) 168499

>「言葉」は集団の共認内容に規定されます。近代思想・個人主義に基づく「自分の脳」を中心とした間違った認識に対する否定であり、みんなの認識刺激を求めた認識収束と言えるのではないかと思います。

(7) 目に見える物、手に取ることの出来る物、自分にとっての具体的な得、などのみに関心を示す生きかたは、現実主義の究極に近い生きかただ。人間関係の場ひとつひとつのなかで、自分にとって利得というしがらみを最優先してそれに縛られている生きかたは、現実に貼りついた生きかただ。その生きかたのなかでは、自分の体験した限られた小さな範囲が世界のすべてであり、その外へは出られないし出たくもなく、出る必要もない。(引用終り) 172008

我々の生活には、変革が必要ですね。148136
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その他
172385 > Re:言葉から学ぼう
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/14 AM05 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 28661 Re:言葉から学ぼう
> 谷佳香 ( 22 OL ) 02/04/15 PM08 【印刷用へ】
>>そのとき言われて印象深かったのは、「数学は言語である」という言葉です。

同感です。172280
ロゴス (言語) は、計算ですね。163518

> なるほど!て思いました。私は昔から本を読むのは好きだけど、計算は嫌い、とよく言ってたのですが、こんな言葉を最初から知ってれば、苦手意識もなく数学を好きになれたかも、なんて思ってしまいました。(でもその頃にこの言葉を理解できたかどうかはわからないですけど・・・。)こういう風にひとつでも何か自分が共認できる言葉を知ると、それだけでとても可能性が広がる気がして嬉しいです。

「矛盾を育むことなかれ」ですね。98634

>>認識を学ぶことは言葉から学ぶくらいに考えたほうがいいと思います。
>>友達に紹介するときもそう言ってみてはどうでしょう。

「場ごとに、相手ごとに、そして関係ごとに、自分が用いる言葉は違ってくる。母国語としての日本語を使う人たち全員が、このことを了解事項として本能的に承知している。日本語は難しい、外国人には無理だ、外国人に日本は理解できない、などと日本の人たちが言うとき、難しくて理解できないのはこの了解事項だ。」と片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で述べています。自己の視点・論点が定められないのが、日本語の難点ですね。151602(正誤表 : 創造→想像 )   

> これはすでに実感しています。英語を翻訳するのと同じで、いくら辞書で意味を調べても前後の文のつながりや文化を理解していないと、正しく意味を理解することはできないですものね。> このサイトを見るのって、新しい世界を見る、つまり海外旅行みたいな気分とちょっと似てたりしませんか。> (言い過ぎかな?)もちろんそこの国を理解する(共認する)までにはすぐにはいかないと思うので、やっぱり繰り返し訪れてもらうことがすごく重要な気がします。

片岡義男は、次のように述べております。「文化は人が言葉で作っていく。言葉の程度が低いなら、程度の低い文化しか生まれない。人間というものに関するさまざまな理解が深まらない。多くの異なった人たちの存在を認めるという、スタートの部分すら出来てはいかない。可能なのは、せいぜいが現状維持ではないか。生活のスタイルも内容も、幼稚なままにとどまる。そのときどきのもっともわかりやすいものだけを相手に、目先の損得の追求と享楽へと、日々は消費されてゆく。」168499
我々は、無為無策でいられませんね。82285
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その他
172351 > 「人々の意識=自分の意識」の原点
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/13 PM01 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 57136 「人々の意識=自分の意識」の原点
> 田中素 HP ( 37 企画 ) 03/06/18 AM00 【印刷用へ】
>> 反応充足によって活力UPしていく程、相手により可能性を感じさせられ、そうすると、またまたこちらの充足もUPして行き、どんどん営業していきたくなります。(56761)> 最近、交流会に運営者の一人として参加するようになってわかったこと(55260)の一つとして、このような相手と自分の充足と活力の循環が「場」をつくっているんだ、と思うことがよくあります。

同感です。168427
日本語の場合には、常に相手と自分の「場」が必要ですね。172008
片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、相手およびその相手との関係の場が大切であることを指摘しています。

自分をきめるには、日本語の世界では、相手が必要だ。それもただ単なる他者としての相手ではなく、自分の現実に密接した、なんらかの具体的なことを目的とする対人関係を作り出してくれる相手でなければならない。日本語の世界に生きる自分という人は、相手およびその相手との関係の場がないと、自分がなになのかいつまでもきまらない。その場や相手が広がりすぎたり大きすぎたりしても、自分はきまらない。たとえば不特定多数というような相手の場合だ。(引用終り)

> 交流会をやった後には、その日の“出来”がどうだったかを、一緒にやった仲間と反省会を開いて話し合います。うまくいったか今イチだったかを考える時、その日同じテーブルにいた5〜10人ぐらいの(運営側ではない)参加者の充足度がどうだったか?が問題になります。> 「運営側」としては、独り善がりの判断にならないよう、自分が充足できたか、楽しめたかどうかはとりあえず度外視して“客観的”に場の出来を評価しようとするわけですが、結局、どうしても“主観的”ともいえる自分自身の充足度の判断が外せなくなってしまいます。これは、自分の意識と参加者の意識(の判断)が渾然一体となってしまうという、ちょっと不思議な感覚です。

片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、日本語の世界ではなによりも主観が大切であることを述べています。168889

、、、、、 日本語の世界では言葉は何よりもまず主観だ。あらゆるものを主観的に、自己中心的にとらえて表現していくものが言葉だ。日本語を母国語とする人たちのあいだでは、このことも暗黙の大前提となっている。母国語を使う人たちは、こうしてひとつの共同体を生きる人として結ばれている。(引用終り) 

> でも、考えてみればこれは当り前のことなのかも知れません。会の成否とは、おしゃべり充足であれ認識充足であれ、その「場全体」の共認充足度がいかに高かったかであり、共認充足というものが一人ではできない以上、他の参加者も自分自身も、そのような場の意識、場の同類圧力を構成する一要素に変わりないからです。すると、“主観的”“客観的”という区分自体が何か意味を失っていきます。

片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、最終的には「私」は日本人全体のことであるということを指摘しています。128188

、、、、、、喋り手や書き手として「私」という自分が存在していることは、日本語世界では誰もが最初から了解している。了解しているからいちいち「私」を出さなくてもいいだけではなく、「私」ひとりにすべてを固定しないほうが日本語としては都合がいい。なぜなら、「私」がいるという了解の背後には、「私」はじつは状況によってはほかの存在でもあり得るし、最終的には「私」はみんなのことであり、みんなとは日本人全体のことであるという、もっとも大きな了解事項が横たわっているからだ。(引用終り)

> そのような交流会や認識営業の場は、「自分の意識=人々の意識」という事実をリアルに実感できる原点の空間でもあるのではないかと思います。

同感です。83415
それは、日本語脳に基づく実感 (現実感) ですね。84217
片岡義男の言うように「目に見える物、手に取ることの出来る物、自分にとっての具体的な得、などのみに関心を示す生きかたは、現実主義の究極に近い生きかただ。人間関係の場ひとつひとつのなかで、自分にとって利得というしがらみを最優先してそれに縛られている生きかたは、現実に貼りついた生きかただ。その生きかたのなかでは、自分の体験した限られた小さな範囲が世界のすべてであり、その外へは出られないし出たくもなく、出る必要もない。」という生活には、問題があるのではないでしょうか。172008
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その他
172314 > 座標感覚の代替物
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/12 PM08 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 12959 座標感覚の代替物
> ポリプテルス ( 39 ) 01/10/09 PM01 【印刷用へ】
> 私達人間は、自らが所属する社会を意識に対象化し、その全体像を観念で把握し、その社会の中における自らの位置を自覚する事で、ある種の心の安定を得るものだと思います。> ですから例えば、かっての若者は、自らの世界観を早急に拵えるべく、書物をむさぼるように読み、拙いながらも、「自分」なりの「世界観」を構築しようと焦ったものでした。

片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、我々のほとんどは母国語の内部に閉じ込められていることを自覚できていないと述べています。

自分というもののとらえかたから始まって、日常の極小的なものの考え方から世界観という極大にいたるまで、人が頭のなかでおこなうことすべては、そして日本人の大好きないわゆる心というものも含めて、言葉を媒介にしておこなわれている。日本の人たちにとっては日本語が母国語だ。そのかぎりにおいて、言葉とは母国語のことだ。なにかについて少しでも考えるとき、その考えは母国語の構造や性能のなかでしかおこなわれない。 、、、、、 すべての、と言いきっていいほどに圧倒的に多くの人たちは、母国語の内部に閉じ込められている。しかもそのことを普段はまったく自覚していない。母国語は、それを母国語とする人たちを、決定的に呪縛する。 、、、、、 (引用終り)

> ですが、最近は若者のみならず大人たちにさえ、その焦りが全くと言って良いほど見られません。否、寧ろ、「世界観」という言葉自体がもはや死語となっているのが現状だと思います。

日本人は、伝統的に無哲学・能天気ですからね。82476
頭の中に現実 (reality) ばかりがあって、自分の考え (idea) を外に出せないのが一般的な日本人です。172289

> 加えて、皆の意識と社会的現実はますます乖離し、社会を積極的に改変・構築していこうとするエネルギーが捨象されていった結果が、例えば(12714)の田野さんのご投稿中にあった「リアリティーのなくなった社会」なのだと思います。

「リアリティーのなくなった社会」ではなくて、「リアリティーしかなくなった社会」でしょうね。135128
「この国(日本)には何でもあるが、ただ一つ希望だけが無い。」ということでしょう。168174

> なぜこのような事態に至ったかについては多くのご意見があるかとは思いますが、ひとつには(12846)の坂本さんのご投稿中にある「個人の感覚を超えた存在」にまで社会が肥大化したことにあると思います。もはやこの社会の規模、複雑さは個人が研究によって云々できる…という方法次元では解析しきれないのだと思います。

日本人は、現実に貼りついた生活をしていますからね。現実が拡大すると五感による把握が困難になる。137728
自分の体験した、限られた小さな範囲が世界のすべてであり、その外へは出られないし出たくもなく、出る必要もないというところでしょうか。172008

> そこで今、我々が拠り所とすべきは、皆の観念を有機的に統合してくれるインターネット装置だと考えます。> 個人の座標感覚では捉え尽くせない肥大化した社会も、皆の座標感覚を有機的に統合していくことによって、いずれはその基幹構造、問題の所在などが明確化していくものと思います。> まさに我々はネットを万人の座標感覚の発信点たらしめねばならないと思います。
 
観念には、実感がありませんね。90706
観念の取り扱いは、日本人にとって難しいですね。102229
我々には、言語を使った改革が必要ですね。148136
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その他
172289 > ネットの非現実感
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/03/12 PM01 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 13155 ネットの非現実感
> 木下洋平 ( 23 会社員 ) 01/10/10 PM10 【印刷用へ】
13024や12929、12906のとうりインターネットにおける問題の根本は匿名性が認められている事と、非現実感が強いことの二点に絞られると思います。匿名性が、非現実性を産み出しているのか、その逆なのか、または両方並列関係にあるのかは解りませんが。この二点をまず改変することが、ネット革命の最初の課題ではないでしょうか。

事実は現実の中にありますが、考えの内容は非現実の中にあります。170847
非現実の内容は、未来構文や過去構文などに搭載すべきですが、日本語にはこれらの構文がありません。93383
だから、頭の中には現実ばかりで、自分の考えを外に出せないのが一般的な日本人です。148996
逆に、無理に考えを出そうとすると、現実構文 (現在構文) に非現実の内容を載せるため空理空論になる。82285
「理屈などどうでもよい。現実は見ればわかる」と思い込んでいる人も多いでしょう。101884
そういう人にとっては、空理空論による被害は、日本人の嫌いな理屈というものの副産物のようなものにも見えるでしょう。140546

> 非現実感が漂うサイトを見た人がそこで現実を感じるわけがありません。

現実と非現実の区別は大切ですね。159393
日本語では、一種類しかない現実構文の上に現実と非現実の内容を混載するので頭の中に混乱が生じます。95791

> それは間違いなく社会にとってプラスでは無いでしょうし、ネット自体の発展に役立つとも思えません。

それは、混載による弊害ですね。85322
戦後の混乱が長引く原因です。128704(正誤表: できないのでは、日本語で→できないのは、日本語で )

> 非現実性が強いネット社会をいかにして現実と結び付けてゆくか、ここを考える必要があると思います。

同感です。172070
非現実の内容により近いものを、いかにして現実に成り立たせて見せるかが、我々の課題となりますね。169833
現実に対応するためには、現実直視も必要ですね。128870
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