99

応援板
173647 > 実践紹介から使える認識へ
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/06 PM03

> 応援板
> 1220 実践紹介から使える認識へ
> 積満也 ( 40 建築設計 ) 02/04/05 PM11 【印刷用へ】
> 先日、NW関係の人たちと夜中に打合せをしました。
> 彼らはそれぞれに組織や施設の長であり、今、一番の悩みは人材育成のようです。

インテリを育成するには、英米流の高等教育機関が能率的でしょう。大学や大学院を大いに利用しましょう。130564
未来の展望を得るためには、英語による教育が必要ですね。123812

> 縦のヒエラルキー構築の話ともリンクしますが、彼ら経営者、統括者にとって部下の活性化が一番の悩みです。

部下には、希望がない。意思もない。ということでしょう。148302
日本語の文章には、未来構文とその内容が欠如していますね。149412
意思もなければ、方法もないというところでしょう。82057

> 彼らはその世界では新しい認識を切り開いて来た人たちですが、自分たちが潜在観念に照らして進んできただけに、部下が何故理解してくれないのか、自分たち自ら認識を紡ぎ出さないのかが不全となっています。

潜在思念は、人畜共通です。潜在思念を顕在化 (文章化) するのが、考える人の働きです。全ての考えは文章になる。文章にならないものは、考えではない。136045
「我思う。ゆえに我あり」を実現する必要がありますね。82285

> 彼らにこそ、その組織全体で使える構造認識を与えることが出来れば、一気にシンパを作ることが出来るのにと考えているところです。

我が国は、職人は優秀だが、インテリは弱いですね。169694
日本を鬼に金棒の国にしましょう。167819
それには、英語脳に関する知識が必要ですね。149497( 正誤表 : 日系人ブラジル人→日系ブラジル人 ; 我が国は蛙は→わが国の蛙たちは )
リンク
リンク
 
  トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 1220 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173647

--------------------------------------------------------------------------------
閉塞の元凶は、個人主義
173644 > 自分思考(自分観念)は自我の言い訳
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/06 PM02

> 閉塞の元凶は、個人主義
> 51299 自分思考(自分観念)は自我の言い訳
> 阿部和雄 ( 41 設備士 ) 03/03/08 PM08 【印刷用へ】
> 普段からなにげなく使っている言葉ですが「思う」は「面(おも)」と同根で、もともとは「顔に現れる」という意があるそうです。> よく考えてみると、自分の顔の表情は自分では見えません。もともと「おもう」は人の表情を感じ取り(読み取り)、その意識の様子を構造化(観念化)することだったのだと思います。しかし近代思想の登場以降、現在に至るまで、「思う」は主に想像や心配や愛情などの主観的な感情を言い表す時に使われているようです。

「我思う」 (I think.) の「思う」(think) は、 英米人の「考える」(to think) であり、日本人の「感じる」(to feel) ですね。82285 片岡義男の日本語に関する意見を以下 (1) (2) (3) (4) に引用させていただきます。  

(1) 「いくら客観的に言っても相手には感情的にしか受けとめてもらえないなら、感情にのみ訴える言いかたを人は最大の便法として習得していくはずだ」 、、、、、 日本の人たちがよく言うように、母国語を「いつのまにか自然に」身につけるとは、一例をあげるならこのような身につけかただろう。「いつのまにか自然に」という状況など、人間の社会にはあり得ない。周囲にいて日ごろ接していく人たちが、すでに身につけている母国語を移植するかのように、日常のなかでさまざまに教えてくれている。平凡な日常のなかでそれはおこなわれるから、いつのまにか自然に、とつい言ってしまうのだが、本来なら常に絶えまなくきわめて不自然に、と言わなくてはならない。(引用終り)

> 相手の意識を対象化するのではなく、自らの内にわき起こる情動(自我)を対象化する、思考の対象が相手から自分へ180度逆転してしまっています。

(2) 日本語は主観的に使う言葉だ。言葉を主観的に使うこと、そしてものの考えかたが主観的であることは、たいへん良いこととして奨励されてもいる。主観を徹底して深めていけばいずれは客観に到達する。日本語は客観的にも論理的にも、少なくとも英語とおなじくらいには、充分に使うことが出来る。しかし、日本人は自分たちの言葉をそうは使わない。「すべてを浅い主観でとらえることにより、周囲とおなじになり、接触抵抗を可能なかぎり減らして滑走していく。そのほうが能率的だから」と、 、、、、、、、、「日本の人たちは、言葉などは最終的にはどうでもいいと思っている。言葉よりも、現実的な結果だ」。そしてそれこそ、戦後の五十年間、日本ぜんたいが追求してきたことにほかならない。(引用終り)

> このような自分思考(自分観念)ではあらゆる対象世界の物事を自分の感情を通してしか見る事ができなくなってしまいます。身近な問題には敏感なのに社会の問題には傍観的で、要求主義や批判体質、はては現実否定の自閉思考(うつやノイローゼ、引きこもり等)に陥いってゆく現代人の気質も、根本はこの「自分観念」にあるのではないでしょうか。

(3) 、、、、、 日本語の世界では言葉は何よりもまず主観だ。あらゆるものを主観的に、自己中心的にとらえて表現していくものが言葉だ。日本語を母国語とする人たちのあいだでは、このことも暗黙の大前提となっている。母国語を使う人たちは、こうしてひとつの共同体を生きる人として結ばれている。(引用終り)172351

> 近代思想風に言えば、理性・観念をもって感情をコントロールしているつもりが、実は自我という情動を正当化するための言い訳にしか観念(思考能力)を使っていない。これが自分思考の正体なのだと思います。

(4) 「彼らが喋ったり書いたりする言葉は、客観的な実体とはなんの関係もない、単なる自己満足あるいは方便である。したがって彼らの論理は、対面やメンツである」 、、、、、 「客観性、そしてそれにもとづいた、わかりやすさを犠牲にはしない的確な言葉づかいをし、率直に感情をあらわしていくことは充分に可能だが、日本語の世界ではそれは強く抑制されている。客観にもとづくわかりやすさや的確さの表現技術は、社会的に広く誰もが使うことの出来る有益な技術であるはずだが、子供の頃からの母国語トレーニングを日本人はそのようなかたちでは受けない。これはたいへんな社会的損失である」(引用終り)

(1) (2) (3) (4) 片岡義男  <日本語の外へ>  1997年  筑摩書房  
リンク
リンク
 
  トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 51299 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173644

--------------------------------------------------------------------------------
その他
173621 > 認識
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/06 AM05 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 28159 認識
> 門野武司 ( 21 学生 ) 02/04/06 PM04 【印刷用へ】
> 共同体、類が様々な幅広い観点や時代認識に基づいて創られた事を根底に刻んだ上で、まず私が思ったことは再編成の時代がやって来たということです。

観点・認識の改革が必要ですね。147561

> 能力中心の人材育成から心の人材育成にシフトすべきで、財政、環境、健康、教育も共通点は心の問題であると考えるからです。

わが国は、「今ある姿」の内容を考える人間の育成から、「あるべき姿」の内容をも考えることができる人間の育成に移行すべきですね。94775
職人だけでなく、インテリも優秀である必要がありますね。167819

> つまり、喪失した世界観、人間のアイデンティティを取り戻す事から始まる第一歩です。

日本人も、「あるべき姿」の内容というか、個人的な世界観を持つ必要がありますね。83415
片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、日本語と英語では世界認識に違いのあることを (1) と (2) のように指摘しています。

(1) 世界のどこをどうとらえるかは、どの国の言葉を使うかによって大きく違ってくる。ひとつの国の言葉による、とらえたいと願う対象のこの部分にこんなふうに目をつけてとらえるという選択は、おなじ対象の別な部分に別な視点から目をつけるのではなく、そちらではなくこちらのここに、そんなふうではなくこんなふうに、自分たちとしては目をつけたいということだ。そこよりもここに、そしてそこをそう見るよりもここをこう見ることのほうに、自分達はより大きな価値を置く、ということだ。日本語と英語の違いも、基本的にはその違いでしかない。日本語ではこうとらえられるものが、英語だとそうとらえられる、という差異だ。ただし、こうとそうとでは、世界は多くの場合まるで別物となる。日本語という言葉による世界認識と英語による世界認識とでは、やっかいなことに、世界は根本的に違ってくる。(引用終り)

> だから、抜本的な思考の変革の認識を持った上で物事を考えなければならないのであろう。

母国語の機能範囲外出てゆく抜本的な思考の変革が必要ですね。148136  
だがしかし、多くの日本人には、世界は母国語の外にあるという自覚がない。173448

(2) 言葉というものは、おそろしいまでに人間のものだ。日本語という言葉が日本人を作る。英語は英語国人を作る。どちらの言葉を使うにせよ、人がおこなおうとしているのは、認識の対象に言葉で関係を持ち、それをとらえて理解し、自分のものにしようとする試みだ。普通はごく平凡な日常のなかで、その営為はおこなわれる。そしてそこで口にし目にする言葉が言葉のすべてだと、多くの人は思っていく。自分の言葉で世界のなかのすべての用はたりる、と思ってしまう。しかし、その人が理解したり自分の言葉で言えたりするのは、その人に使うことの可能な母国語の機能範囲内でのことにしか過ぎない事実を、多くの人はまったく自覚していない。(引用終り)

(後略)
リンク
リンク
 
  トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 28159 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173621

--------------------------------------------------------------------------------
学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
173558 > 自由って何?
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/05 PM01 【印刷用へ】

> 学者や政治家やマスコミが答えを出せないのは、何で?
> 253 自由って何?
> 玉城ともや ( 39 システム設計 ) 01/02/17 PM11 【印刷用へ】
> 自由って何なのだろう。> 自由ってそんなに大事なモノなのかな。
> 自由だけでなく、権利も、義務も責任も、何か嘘っぽい。

我々は、序列社会の枠のなかで生活していますね。124992
 
(1) 枠の内部での、みんないっしょに、みんなで仲良く、という支配原理は一種のかけ声だ。自分たちはひとつの枠のなかにいる、ということの確認や強制としての機能を、そのかけ声は果たしている。だから人と人とは、おなじ枠のなかにいるとはいえ、真の関係というものはけっして結んではいないのではないか。

> これらの言葉は、何か問題が起こったとき、或いは起こりそうなときに、自分を守るため、相手を非難するために有るみたい。

思考停止でいれば、責任や義務は厄介なものでしかありませんね。101884

(2) みんなで仲良くやっている、誰もがみんなをわかり合っている、と思い込む主観は自由自在に可能だ。しかし人と人とが本当の関係を結んだときには、自分の側にも責任や義務が絶対に生じる。そしてそのような責任や義務などは、思考の放棄とは基本的にまったく相容れない。他と同調するために誰もが均等に負担する自己抑制としての枠内のルールを越える責任や義務を目の前にすると、そこまでしなければいけないのだったらという発想で枠を小さく限定しなおし、責任や義務などを主張する人を枠の外へ除外して一件は落着する。

> この言葉を使うことで、何か大事なモノを失っているような気がする。

失ったものは、安心と自信ではありませんか。98352

(3) 言葉による真の関係作りとは、お互いのために出来るだけ正確な言葉をつくし、できるだけ正しい理論を可能なかぎり前進的に積み重ねていくことである。日本人は、世界を細かな枠に区分けして生きているので、基本的に真の関係作りには興味も関心も示さない。言葉によるそのような関係をつくろうとはしない。このような人間観を日本語の外つまり外国から見ると、日本人という人たちの信じがたい傲慢さに見える場合が多い。

> 人間関係が上手くいっているときには、こんな言葉は使わないよね。

世界とは、母国語の外のことでしょうね。168174
泰平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜もねられず/ 大田蜀山人 (1749-1823)

(4) 枠の内部にいる安心と自信は、その内部に生きる全員がおなじような体験の持ち主であり、それのみに立脚したおなじような考えをする人たちばかりであることの、さまざまなかたちによる絶えざる確認から生まれてくる。そのような安心と自信がなんらおびやかされることなく、全員のものとして存在している状態が、おなじひとつの枠のなかにいる人々にとってはもっとも望ましい状態だ。

(1) (2) (3) (4) 片岡義男 <日本語の外へ>   1997年  筑摩書房
(3) 加筆しました。
リンク
リンク
 
  トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 253 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173558

--------------------------------------------------------------------------------
国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?
173511 > 社会を知覚するには
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/04 PM06 【印刷用へ】

> 国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?  
> 13269 社会を知覚するには
> 橋口健一 HP ( 38 技術者 ) 01/10/11 PM10 【印刷用へ】
>>つまり、理想の社会体制とは、常に非言語化情報=潜在思念をフィードバックさせ、いわば生物が柔軟に環境に適応するような有機的な構造体であるはずだが、その理想を実現するためのシステムが存在しなかった。そして、今、社会で勃興しつつあるインターネットなどのネットワークこそが、そのシステムなのである。13208
> 確かに、現行の社会制度は表と裏、本音と建前で成り立っている。

日本語の表と裏は、共に現実の中にある。従がって、日本人は現実に流されやすい。170706
英語の理想と現実は、別々の世界である。従がって、英米人は基準作りに長けている。95417

> そこでは実感や直感で「おかしい」と思った事柄もやがて言語化情報の渦の中で次第に薄れていってしまう。

片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、日本人の言論に関して「彼らが喋ったり書いたりする言葉は、客観的な実体とはなんの関係もない、単なる自己満足あるいは方便である。したがって彼らの論理は、対面やメンツである」と述べています。

> しかし、真っ当な感覚が麻痺し、現行社会に馴らされてしまうことに危機感や不全観を抱いている人達も多いと思う。

未来に関する不安が大きいですね。91780
日本語には未来構文がないので、未来に関する考えを得ることも難しく伝えられることもない。124531

> 潜在思念の意識下では表と裏ではなく正や邪も同時に感じることができるのではないか。

潜在思念は、人畜共通ですね。潜在思念を文章にするのが考える人の働きである。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。136045
「思う」は、日本人にとっては「感じる」であり、英米人にとっては「考える」である。これは歌詠みと哲学者の違いでしょうか。82285

(後略)
リンク
リンク
 
  トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 13269 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173511

--------------------------------------------------------------------------------
共認形成の場を作ってゆく活動こそ、真の社会活動
173490 > ことば
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/04 PM00 【印刷用へ】

> 共認形成の場を作ってゆく活動こそ、真の社会活動
> 440 ことば
> 和同けいすけ ( 23 学生 ) 01/02/23 PM08 【印刷用へ】
> 現在の学校などの集団では、表層だけの仲良しを演じなければならない。心を開きあうことはほとんどない。仲間圧力によって疎外されることが恐いからだ。仲間を傷つけることが恐いからだ。このような集団では、一様化されたことばを使うことが求められる。みんなが同じことばを使うことで、それぞれの差異がなくなり、平等な空間が生まれる。そこでは仲間はずれはない。しかし、自分の感情や状況を自分のことばにすることができなくなる。他でもない自分自身のことが分からなくなるのだ。

同感です。表と裏に関する事柄ですね。171364
片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、日本人社会の中での圧力 (プレッシャー) に関して、以下のように述べています。

日本は人に対するプレッシャーがたいへんに強い国ではないだろうか。全体というものに自分の自由を預け、全員参加でかたちをなぞり合うという浅い理解の人間関係のなかで、結果の平等を建て前にして利害の調整に明け暮れる。プレッシャーはほとんどの人が一身に受けざるを得ない。プレッシャーとは、全体という秩序への隷属に人を導くための、ああしろ、こうしろ、こうあるべきだ、こうでなければならない、そうでないなら認めないというような、きわめて固くかたちのきまったルール集のことだ。このようなプレッシャーのなかで、その圧力がもっとも高いのは、そういうことを言うのはこういう人間だとか、そんなふうに考える奴はこんな人間だなどと、人格の根源に向けておそろしく一律にしかもひっきりなしになされる、裁定や断定だろう。しかも人はそれらのすべてを引き受けなくてはならない。(引用終り)

> そして、「本当の自分」を探すために、作家やマスコミが作った流行の……に自分を同化させ、解釈する。つまり、ことばを与えられるのだ。この自分のことばの喪失は精神破壊の一つであるといえる。「本当の自分」など自分にしか分からず、他にあるとすれば、それは幻想にすぎないからだ。

日本語には時制がないので、いうなれば現実構文 (現在構文) しかないといえる。82320
現実構文の内容では、個性は表れにくい。事実は一つだからである。128344
未来構文と過去構文の場合には、人さまざまで個人的な違いが表れる。129440
しかし、日本語には非現実 (未来と過去) の構文はないので、個性ある「本当の自分」の内容は文章化することが難しい。128685
日本語では、未来に関する内容は夢となり過去に関する内容は幻と呼ばれ、非現実の内容の辻褄を合わせることが難しい。140329
精神破壊に苦しんで、やけ酒を飲んで歌を歌う人も多い。

> 自分のことばの回復。それを実現することができるのはネットワーク集合でしかない。ネットワーク集合の構成要素はことばであり、身体的弱者(障害者や老人)のハンディキャップが軽減されることからもそれは分かる。つまり、身体的な差異によって疎外されることはなく、表層だけの仲良しを演じる必要性がないのだ。自分のことばによる表現がここでは重要視されるのだ。作家やマスコミなどの他に同化することもなくなり、ことばによる精神破壊は解消される。

同感です。105300
個性を表現できる言語の習得を目指そう。148136
そうすれば、ITも意見交換の場として有効利用できますね。163712
リンク
リンク
 
  トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 440 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173490

--------------------------------------------------------------------------------
どうしたら、社会を変えられるの?
173486 > 共同体建設に向けて
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/04 AM09 【印刷用へ】

> どうしたら、社会を変えられるの?
> 356 共同体建設に向けて
> 今村栄 ( 23 学生 ) 01/02/21 PM03 【印刷用へ】

> いっぽう、日本では、新しくマンションに引っ越してきたとき、こちらから挨拶をしても、これまでの経験ではほとんどの人が返してくれなかったとすると、どうしても「こんにちは」の声が小さくなる。あるいは挨拶できない。この経験を重ねるうちに、どうせ返してくれないのなら、こっちからも挨拶しないでおこう、とこうなる。この現象は、民族性やその地域の昼夜の人口移動性(つまり働く場所と寝る場所が違うため、人間関係が地域に根ざさないということ)など色々な理由があると思いまが、今ひとつ確かにいえることは日本は大人から子供まで、多かれ少なかれ、この「どうせ、、、なら。」という気持ちを持っていて、始めから自己防衛する態度で以って、心を閉ざして、人と出会い、接しているということです。

日本語は表面的な言葉であるから、日本人の考える内容も注目する事柄も浅いものになりますね。85435
片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、日本人の考えかたについて (1) (2) のように述べています。

(1) 買う行為は私的でばらばらだけれども、全体として見ると製品とその売られかたの陳腐さのレヴェルは統一されていて質は均一だ。均一にそろった全体のひとりひとりが、それぞれ自分勝手に消費を続けていくことが、ライフ・スタイルとして奨励されている。生活様式も消費の対象となった。生きかたも生きがいも、ものの考えかたも発想のしかたも、すべて商品だ。それらをただ私的に受けとめるだけの生活には、公的な領域とそれへの真剣な関心をますます遠いものにするだけという意味において、質的に限界がある。

> 外国旅行や国際交流のすばらしいところは、都会の人々が失った、人間信頼という共認をもった人々と対話できることなんです。我々の歴史やそこから生まれる文化が我々の民族性にどれほど深く根ざしているかはわかりませんが、少なくとも飢え死にがほぼなくなった現在の日本社会において、日本人が共同体建設を目指すとき、途上国の心温かい人間信頼の態度は見習うに値します。

世界は、日本語の外にある。日本語の考えは、どうしても内向きになりがちですね。169893

(2) そのときどきの自分にとっての、そのときはそう思ったという程度の、なんの根拠もない思いつきやどうでもいいような衝動を、消費の回路のなかで代金と引き換えに満たしていくことが、人々にとっての最大関心事になっている。自分の欲望を消費によって満たしていく回路の外にあるものすべては、関心外のこととしてうち捨てられてそれっきりだ。たとえばまつたく異なった生活を送っている他者という存在、その存在との関係、その関係のための公的なルール、つまり国際というものへの関心などはひたすら遠く、最初から思いつきもしない。
リンク
リンク

    トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 356 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173486

--------------------------------------------------------------------------------
その他
173448 > 価値観念では活力は生まれない
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/03 PM07 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 37925 価値観念では活力は生まれない
> 馬場康一郎 ( 53 営業 ) 02/08/15 AM11 【印刷用へ】
>>問題意識は、「社会がおかしい」というような、現実に対する強い否定意識を前提としています。それは、「自由」「平等」などの価値観念と一体になっています。そこでは、価値観念が正しく、それに反する社会はおかしい、という「答え」が最初から決まっています。(37648)

超越的真理や普遍的価値に訴えるという伝統が欠如しているので、我々日本人が問題になるのでしょうね。98535
日本語は、我々の伝統文化です。169519
日本語には現実構文 (現在構文) しかないのだから、日本人に正当な観念 (非現実) の内容の理解が得られないのは無理からぬことです。82285
片岡義男は、自著 <日本語の外へ> の中で、下記 (1) (2) (3) (4) (5) のごとく関係ある見解を述べていますので、引用させていただきます。

(1) 価値というものは、人の頭で考えた結果、価値であると判断することによって生まれてくる。なににも侵されることなく独立して存在するひとつの価値、あるいはその体系というものがもしいまの日本にないのなら、価値というものが勝手に消えたからではなく、人が消したからだ。 (引用終り)

>「社会がおかしい」「会社がおかしい」「組織がおかしい」よく耳にする言葉です。口にする人にとっては相当の否定意識と皆の共感を期待した言葉でもあります。

(2) 労働と消費が一対になって久しい。働くことが当然のこととされ、誰にも働き口があるのも当然のことになって、すでにかななりの時間が経過している。その時間のなかで、消費が最前面にまわった。そしてその消費行動をとおして、じつは人びとは不満足感を少しずつ高めてきた。人びとの日々は消費の繰り返しだ。今日はこれ、明日はそれと、おかねを払うたびに無力感が少しずつつのっていく。そしてその無力感の向うに、あるときシステムの全体が見えてくる。(引用終り)

> しかし、それを聞かされる周りは、それほどのものか否か解からないが、「自由」「平等」「個人」「民主主義」の価値観念を都合よく駆使して展開されると、何となく同情し、では組織に伺いを建ててはと同調し出す。

(3) 人々の不満は解決されるのだろうか。人自身は不満を解決出来るのだろうか。個人、自由、民主など、公共財の土台になるはずのいっさいのストックもフローもなしに、日本の資本主義は純粋に突進してきた。少なくとも表面的にはあらゆる価値が相対化のきわみに立ち、したがってすべての価値が失われたように見える地点まで、日本は到着している。(引用終り)  

> ここから先は組織の体質よって対応は違うが、事実認識を第一の価値におく組織なら、一つ一つの現象事実を、皆の共感と評価によって積み上げていくでしょう。その過程で何が問題かを探り出し、本人も次第に納得して皆の共感を羅針盤に活力を取り戻していくし周りも組織も一層の活力を持つ事ができる。これが実現基盤からの「本当の答え」というのだと思います。

(4) 人々の同質性の高さは、毎日の職場での絶えざる接触という、社内でのみ可能なかたちのコミュニケーションの仕方を可能にする。各部門内での協調の良さへと、それは発展してゆく。部門別の協調力の高さが財産であるような産業がその結果として日本では強くなってゆく。日本人による日本人どうしのための日本システムは、こうしてひとまず完成の域に達した。そのシステムを外から見ると、視点の取りかたによっては、恐怖感につながるような閉鎖性が、目の前に立ちふさがる巨大で分厚い壁として見えたりもする。(引用終り)

>「自由」「平等」「ーーーー」の価値観念では、到底こんな結末にはならずに、否定の自我を補佐する取引条件の交渉になりシコリと反発が渦巻く閉塞感と活力のない組織にしかならないと思います。活力の出る認識の形成を幾度となく体感して成功させることで組織も活力を増すと思います。

(5) 人々がいまの日本に閉塞感を持っているなら、完成された日本システムに対して自分たちがおこなってきた過剰な適応を、マイナスとしてあるいは将来への不安材料として、いま自ら感じ取っているからにほかならない。過剰な適応は現状を維持しようとする力となる。しかし現状維持への力は改革を拒む力でもあり、現状維持の願いがかなうことは、システムの内部に閉塞し続けることをただちに意味する。そして閉ざされたものはさらに停滞し劣化していくほかない。(引用終り)

世界は、日本語の外にある。173276
我が国は、世界にあって世界に属さずでしょうか。148136
リンク
リンク

    トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 37925 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173448

--------------------------------------------------------------------------------
アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
173370 > 日本人は「職人脳」、アングロサクソンやユダヤは「投資家脳」
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/02 PM00 【印刷用へ】

> アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
> 173356 日本人は「職人脳」、アングロサクソンやユダヤは「投資家脳」
> 匿名希望 ( 30代 男 会社員 ) 08/04/02 AM01 【印刷用へ】
> 以下、「ロシア政治経済ジャーナル No.509 2008/3/29号」より引用。リンク 
////////////////////////////////////////////////
(前略)
> 私は常々、「日本人は唯一の正解を求める『職人脳』だ」といっています。

現実の内容は一つしかありませんからね。82123
日本語には、現実構文 (現在構文) しかありませんからね。93835
職人は、目先手先の内容に神経を集中させているのでしょう。85728

> これに対し、アングロサクソンやユダヤは、「唯一の正解を求めない『投資家脳』」。

未来の内容は人それぞれに異なりますからね。139305
アングロ・サクソン族は、過去の事実に基づいて未来の洞察をしています。140938
ユダヤ人は、第二の祖国を英語圏内に選ぶ傾向がつよい。163350

> 投資家脳は、「唯一の解答」を求めず、よって「決めうち」はしません。

投資家は、未来の事柄を考えていますからね。159270

> そのかわり、「こうなる確率は%、ああなる確率は%。だからどっちに転んでもいいように、こう行動しよう」と考える。
> つまり、リスクとリターンを計算するのですね。

保険は確率・統計の問題ですからね。134093
////////////////////////////////////////////////
> (引用終わり)
リンク
リンク

  トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 173356 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173370

--------------------------------------------------------------------------------
心の本体=共認機能の形成過程
173366 > 外圧の大切さ
寺嶋眞一 ( 70 無職 ) 08/04/02 AM11 【印刷用へ】

> 心の本体=共認機能の形成過程
> 173203 外圧の大切さ
> 安部真未 ( 22 埼玉 会社員 ) 08/03/29 PM07 【印刷用へ】
> 今まで「圧力」と聞いて負のイメージしかなく、劇場で生物史の進化によっても外圧の為に進化するしかなかったという見方しかしていませんでした。> しかし逆に考えると外圧に適応する事で生きてきたということです。そう考えると何も課題がなく周りに誰もいない世界では活力は生まれるはずがありません。

同感です。172709
「あるべき姿」というか、自分自身に個人的な理想の内容があれば、それと現実との比較で改善すべき点が課題として浮かび上がります。84116

> また“やる気”というのは何故出るのか、今まで言葉としてはよく使うのに気にもしていませんでした。

“やる気”は、人畜共通の恣意ですね。不言実行の態度ですね。100729

> 自分の希望をかなえる為?

村上龍のある小説で登場人物の少年が「この国(日本)には何でもあるが、ただ一つ希望だけが無い。」と言った。3943
希望は未来に関する内容であって、日本語には未来構文がないから日本人には希望がないのでしょう。83415

> 目標を達成するため?

恣意は、何処の国でも容認されませんね。173117

> そう考えても自分の事なのに何故か強制させられているように感じ活力につながりません。

日本人には意思がないからでしょう。意思は、未来構文の内容である。日本語には未来構文がない。82242
だから、ボランティア活動 (自由意思による人の活動) がなりたたない。133560
「受身の姿勢」「待ちの政治」が日常化している。100430
日本政府は、イニシアティブ (主導権) を取ることに難渋している。99152

> 自分だけで閉塞し考えても何も進まない、しかし1人でも期待(期待外圧)を与えてくれることで活力(内圧)につながる。

あくまでも他力本願ですね。106379

> 以前グループのリーダになった時にやる気のない友人がいました。今思えばその友人に期待をして仕事を任せれば簡単なことだったと気付きます。

諺にあるとおり、「馬を水の所まで連れて行けても水を飲ませることは出来ない」A man may lead a horse to the water, but he cannot make him drink. (自分でする気のない人は、はたからはどうすることもできないものだ) というのは、どうでしょうか。82057
リンク
リンク
 
  トラックバックを再送する(投稿者本人のみ)
 この投稿は 173203 に対する返信です。
 この投稿に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_173366

--------------------------------------------------------------------------------





最近の作品