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2008年11月11日(火) 12:51 450 子供には教えたくない日本社会の本質  (1/5)

>カレル・ヴァン・ウォルフレン 『日本/権力構造の謎 上』 ハヤカワ文庫  >P204 《システム》に仕える人びと
このような試験による選抜システムがうまくいくのはひとえに、日本の子供たちが我慢して耐えるからであろう。

日本人には意思が無い。だから、アニマルのように従順である。

>また、子供たちがこれほど親のいいなりになるのは、日本の子供と母親の関係がわからなければ理解できない。

日本の子供と母親は、序列関係にある。子供が親の名前をヨビズテにすることはない。

>日本の典型的な子育てでは、世の中はどう機能するかという普遍的な成り立ちを教えるのではなく、子供の気持ちを操作することによって、何が正しいおこないなのかを、教えることが多い。

日本人には、「あるべき姿」という哲学的内容は意味が無い。「今ある姿」のみが重要である。
「あるべき姿」は、未来構文 (未来時制) の内容である。
「今ある姿」は、現在構文 (現在時制) の内容である。
日本語には時制がないから、いうなれば現実構文オンリーの言語である。
この現実構文に「今ある姿」の内容を搭載する。すると、「あるべき姿」の内容は、この世の中の嘘・偽りとなる。

>したがって、たいていの場合、子供は、母親の顔色を見て善悪を見分けるようになる。

日本人には自己かがない。日本語には人称がないからである。
自己の呼び名も「わたくし」「わたし」「わし」などと情況次第で変わる。
その呼び名もその場に正確に一致させなくてはならない。
だから、日本人は空気を読む。

>つまり、教育ママは自分の子供に強い罪の意識を植え付けることもできるので、それを彼女は、子供の勉強に拍車をかける手段に使うわけである。

教育ママは自分の気分しだいである。感性あって、理性なし。感想を述べるが、理想を語って聞かせることはない。


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2008年11月11日(火) 12:46 449 教育とは

 『教育とは、優秀な工業労働力を作り出すことである』と言うとビックリする方もいるかも知れません。「優秀な労働力」とは工場やオフィスで働く労働力の事で産業革命以後、日本では明治以後できた考え方です。目先・手先に精神を集中する鍛錬である。日本人の教育は、こうしたものにしかならない。
 勿論、教育には優秀な人格(キャラクタ) を作り出すとか、知的興味を満たすという意味もあるのですが、現在の日本の教育の問題を考える時に、人格・知的興味は大きなポイントではありません。
日本人の知的興味は学問にはならない。日本語では、事実と考えの内容が区別できないからです。だから、アングロ・サクソン流の高等教育は、日本人には4年間の暇つぶしになる。
「今ある姿」のみを述べる人は子供じみている。「今ある姿」と「あるべき姿」を区別無く述べる人は空理空論の持ち主になる。いずれにしても、知的な人間になることはない。
寧ろ社会が教育を子供に施すことによって、知的な成人になってもらいたいと言うことの方が重要なことなのです。


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2008年10月08日(水) 07:41 448 第二の公用語

(1) 考えることは、文章を作ることである。文章を作らなければ、考えはまとめられません。
文章を作るときに使用する言語の特徴 (文法・語法) は、私たちの考える内容に大きな影響を与えています。
日本語では、時制 (tense) のないので、考えと事実の内容を区別することが難しいです。
日本語の「私は行きます」は、英語の ‘I go’. (現在時制) の内容とも、’I will go’. (未来時制) の内容とも解釈できます。前者は事実 (現実) であり、後者は考え (非現実) であります。
日本人は、フィクション (虚構) とノンフィクション (記録) の区別にも親しみがないようです。
事実と虚構の区別をつけないで文章を書くと、歴史小説や週刊誌の記事のような内容になります。
もしも週刊誌の記事に他人の名誉を汚す内容が書かれていたとしたら、そのようなことは歴史小説にもあって当然のことであります。

(2) 日本語には人称 (person) がなく、日本人には自己 (self) がありません。本人は「わたくし」、「わたし」、「わし」とあくまでも情況次第 (situational) で変化します。
内容が無いので、いきおい外面に神経が集中します。見栄と外聞の根源であります。感性ばかりが強調されて、理性がありません。
日本人の考え (文章) は、序列 (hierarchy) の中に自己の位置を見出すことにより、その内容が安定します。どこの馬の骨かわからない人間になることを避けるために、日本人は自ら序列を求め、上下の間に自分の身をさしはさむ努力をします。それで天皇制という一種の家元制度の中での臣民・皇民といった序列人間になることに強い愛着を持ち、お互いに見えない序列の鎖で繋がれているようです。海外に雄飛することにも消極的であります。
「みんな、仲良く」と口ではいうが、実際には、序列なきところに礼儀なしとなっています。日本人の礼儀は、序列作法だからであります。

(3)「政府」とは諸外国では「省庁」迄ですが、日本では「基幹産業企業」迄含まれるのです。日本の「基幹産業企業」の経営担当役員に官僚の意向を無視して自由な経営戦略策定が可能だと思いますか?「政官業癒着」と言うシステムを介して「官」の意向が「業」に「上意下達」されているのです。日本人にとっては何事につけ「上と見るか、下と見るか」の判断が大切です。
階称ありで人称なしの日本語は日本人気質の根源となっているのかもしれません。
日本人の序列は階称 (言葉遣い) により作られて、日本人の間で序列に関する状況証拠により強固に保たれています。だが、英語には階称はありません。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思がなければ現在の閉塞状態を打開する方策も見つかりません。

(4) 「あるべき姿」の内容を未来構文で表現し、「今ある姿」を現在構文の内容として考え、両者を比較した上で現実対応の方策を割り出すことの出来る人は、物事を理解しているといえます。両者の比較検討ができなければ、ただ物事を知っているというだけのことになります。職業教育は、ただ知っているだけでよいのですが、知識人なるには、理解が必要です。
高度な職業人を作るには、知識人に職業教育を施す必要があります。そのためには、大学院の教育の充実が必要です。
意思 (will) は、未来構文 (未来時制) の内容です。だがしかし、日本語には時制 (tense) がないので、未来構文はありません。
意思に関する文章を作らない日本人は、意思薄弱にみられます。以心伝心を旨とするアニマルに近く見えています。
意思の無いところに自由意思 (voluntary) は考えられなく、真の自由 (liberty) も想像できません。
意思の内容が見当たらないのであれば、ボランティア (自由意思に基づく人の) 活動の重要性なども理解されません。
ボランティア活動の奨励は、半強制的な勤労奉仕と変わるところがありません。だから、個人主義も成り立ちません。
その意味で日本は「偽りの自由主義国家」です。

(5) その結果、日本の産業界は「ガラパゴス産業界(世界標準から孤立した産業界)」と呼ばれ、国際競争力を失ってしまったのです。(GDP/人=世界18位) 
学歴あって教養のない本質的には馬鹿な官僚が1〜10まで産業界を指導しているのです。
それを官僚にさせているのが、とりもなおさず、我が国の政治家であり有権者です。
ただ事実だけを語る人は子供のようであり、事実と考えを混乱させて語る人はインテリにはなれません。
いずれにしても、日本語脳の持ち主は切って揃えられたようなつかみ所の無い無哲学・能天気の人間になります。
日本人は未来に関する不安を拭い去ることは出来ない。それは、日本語には未来構文がなく、未来の内容が存在しないからであります。
未来の内容が無ければ、それを語ることもできないし、それらを比較して選ぶことも、決めることも出来ません。
この国には何でもあるが、ただ夢と希望だけが見当たりません。その日暮しの有様が不安を呼びます。
未来に関する不安を持つ老人は多数いるが、政治指導者に確たる未来構想がなければ、その年寄りの金余りの資金を財力に見合った景気回復の起爆剤とすることも難しいです。

(6) 意思 (will) は未来構文 (未来時制) の内容です。未来構文は日本語にはありません。
自己の意思を明確に示すことができなければ、罪悪感も責任感も湧きません。国がひっくり返っても、責任者は出ません。
当番・お役目気風の官僚に政治がゆだねられている。
此の儘、馬鹿な官僚指導 (序列指導) の体制を続けていると、日本は座して死を待つことになりますよ。今、日本に必要なのは「ガリ勉の人」ではなく「自由な発想をする考える人」なのです。
役に立たない事実を丸暗記して (rote memory) 受け売り (regurgitation) する人は必要ないのです。「自由な発想をする考える人」に活躍の場が与えられる社会が必要なのです。
知識は、ただ物事を知っているだけでは表層の水準です。理解してこそ深層の水準に達します。時流に流されないためには、深層に達することのできる教養ある人間が必要です。
英米流の高等教育の成果を手に入れるには、英語だけでも考えることのできる日本人の育成が必要です。そうすれば、理性判断 (rational judgment) が獲得できるので盲目の判断 (blind judgment)を排除できます。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。
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2008年09月30日(火) 16:36 447 あいまいなこと

日本語で話す場合は、環境が決まらなければ、自分自身も定まらない。こうした事情により、日本人は序列社会の環境に強い愛着を持っている。序列があれば、自分が定まる。序列なき所に礼儀なしである。
日本語には、人称がない。日本語脳は、受け売り・猿真似は受け入れることが出来ても、個人の考えを受け入れることは難しい。だが、序列思考は権威主義に弱い。首を縦に振る。
「総論賛成、各論反対」では、各論は現実構文の具体的な内容であり、総論は奇麗事というか空理空論に近く、実現の熱意を欠いた内容になっている。
意思は、未来構文の内容であるが、日本語には未来構文がない。それで、個人の意思の内容も定かではなく、意思の強さも闇の中である。常に傍観者的態度をとっていると言える。
政治家は、現実対応の優劣を他者と競う必要がある。「押して駄目なら、引いてみな」で、政治家には議論が大切である。議論成り行きは、民の興味の湧く事柄であるはずだ。
日本人の頭の中には、現実構文の内容しか入っていない。だから、未来の内容に関しては、「やってみなければ、わからない」とか「なってみなければ、わからない」という気の無い返事をすることが多い。自分に関する発言が「、、、、、だろう」「、、、、、だろう」と現在に身をおいた推測・憶測の連発になる。未来構文があれば、未来のことを断言できる。自分の頭を使っていない証拠であろう。
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2008年09月27日(土) 06:50 446 国策の英語教育

インド人や英米人には、哲学がある。ヒンズー語や英語には、時制があるからである。インド人は哲学を瞑想により得ている。英米人は哲学を経験より得ている。
哲学を経験から得た場合には、思考結果は現実の世界で力を発揮する。それで、今の地球は英米の世になった。
中国人や日本人には哲学がない。中国語や日本語には、時制がないからである。賢明な孔子でさえ、現実の世界を出て考えを進めることはできなかった。
宗教は人を動かす。哲学は現実の世界を動かす。人は論理の帰結を使って原子力のような力を手に入れて世界を動かす。英米の大学は、哲学博士 (Doctor of Philosophy, Ph. D.) の牙城となっている。
世界を前進させるためには政治の力が必要である。政界で主導権をにぎるにはリーズナブルな個人の発言が欠かせない。今の日本人には個人意見がないので政界の主導権は握れない。我が国は、財力に見合った貢献を世界にすることが少ない。

「あるべき姿」は考えの内容で、「今ある姿」は事実の内容である。考えと事実は別次元の内容であるが、日本語には時制がないので、考えと事実を区別することが難しい。事実だけを語る人は、子供のようである。考えと事実の区別のつけられない人の発言は、空理空論となる。日本語脳の持ち主は、このいずれかになる。
我々に必要なことは、「今ある姿」の内容をどのようにして「あるべき姿」の内容の方に近づけるかという方策を考え出すことである。それが我々一人一人の個人的な建設的意見となる。だから、脳内において考えと事実を分離して並置することは必要である。それには、時制のある言語が必要である。

日本でも英米でも子供は自分の考えが無いので大人に従わなくてはならない。
政権与党が子供のようであり、進歩的野党が現実対応のできない空理空論の持ち主ということにでもなれば、我が国には立つ瀬がない。永久に世界の主導権を握ることはできない。
「人はパンのみに生きるものにあらず」といわれているが、パンの話しかしない人は、閉塞感に襲われる。
日本人が政治音痴であるのは、政治哲学がないからである。それは、個人の哲学を問題にしないからである。
国策により英語だけでも考えることのできる日本人を育てる努力が必要である。
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2008年09月26日(金) 13:37 445 人物と言葉

アメリカの政治家で有名なのは、リンカーン (Abraham Lincoln, 1809-1865) とジェファソン (Thomas Jefferson,1743-1826) である。二人とも南北戦争や独立戦争で国難の時にあり、多くの言葉を残した。リンカーン記念堂 (Lincoln Memorial) もジェファソン記念堂 (Jefferson Memorial) も建物の中はガランとしていて、中に主人公の像がある。日本人であれば、さしづめ巨大な襖絵で建物の内装をするところであろうが、これらの建物の内壁には文字だらけである。生前に主人公の書いた文章である。その文に主人公を讃える意義がある。日本人が建物を造る場合は、気分・雰囲気を問題にするが、感性あって、理性なしである。これが日本人と米国人の違うところである。これが日本人のひ弱な点である。米国人の人物の讃え方は、日本人とは違う。かれ等は、言葉そのものを讃える。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と言われるが、日本人の場合は残念ながら小人で精神年齢は12歳、同じて和せずの民である。現実は千変万化してとどまることを知らない。気分・雰囲気は、この世界の中にある。が、日本語脳の持ち主は、この世界から抜け出すことは難しい。議会には、遠い未来の内容を指し示す政治家がいない。会議は紛糾すれども、その意義は少ない。
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2008年09月25日(木) 01:23 444 システムの建設

高速道路の完全無料化はよいことである。そのために、高速道路を軍事予算で建設するとよい。軍隊は金儲けをしない。米軍が建設した高速道路やGPSやITは、米国に税金を払うことのない日本人でも無料で使える。これらのシステムの建設は、国家安全の為に極めて重要なものばかりであった。

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2008年09月22日(月) 05:33 443 非常に危険なこと

「上と見るか、下と見るか」の考え方に熱中する日本人の判断は、自己慶賀と自虐の間を行ったり来たりしている。
太平洋戦争の開戦当初は自己慶賀の教育をされ、戦後は自虐史観を教えられて私は育った。
戦後の復興期には自己慶賀に酔ったが、人が無哲学・能天気であることはいつの時代も変わりがなかった。
入試地獄は今日でも続いている。学問を種にした人間序列 (学閥) に自分の名前を連ねるために、まる暗記 (rote memory) と受け売り (regurgitation) のガリ勉に励む。ガリ勉による結果の格差が人間の価値を決めると信じられているからである。先輩と後輩の間に自分の名前をさしはさむことが、この国では何よりも大切なことと考えられている。
日本人には、自己がない。暗記と受け売りのガリ勉には、自己の考えはなくて通る。自己の考えなどは、あって不要のものである。滅私であることが、公明正大であると考えられ、教育あって教養のない人間が育成される。だから、我が国のインテリには、生きる力がない。国がひっくり返っても、責任者は出ない。一億総懺悔となる。これは、一億総歌詠みの状態であって、感性あって理性なし。全ての国民が、国政のハンドルから手を離した状態になっている。とかく、この世は無責任。個人主義のないことは、よくよく考えてみると非常に危険なことである。
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2008年09月16日(火) 09:46 442 空しいガリ勉の結果

暗記と受け売りの勉強は空しい。
どんなに数多くの方法を挙げることができても、それを実行する意思がなければ現実の結果は得られない。
意思のあるところに現実対応の方法がある。(Where there’s a will, there’s a way.)
意思は未来構文の内容であり、日本語には未来構文がない。だから、日本人は方法を実行に移す段階で頓挫する。
意思の内容を明らかにすることのできない人物に民の信頼は集まらない。
政府は問題の先送りと積み残しを繰り返して、問題は山積する。
金余り現象はあっても、その金を景気回復の起爆剤として利用することは難しい。
無為無策の状態に囲まれて、民は閉塞感にさいなまれている。


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2008年09月15日(月) 00:32 441 自分の考えを育てよう

(A) 日本人は、'現実'と'考え (非現実)' を分けることができない。
現実だけを考えれば、矛盾がない。
現実に考えた内容 (非現実) を入れると矛盾が生ずる。
現実だけを話すと、その内容は正しいが、その人は子供のようになる。思慮がないからである。
だが、残念なことに、日本語で話せば、理想の内容はこの世の嘘・偽りになる。
「それ、嘘・本当?」の中の嘘になる。

(B) 英語では、「あるべき姿」は未来構文 (未来時制) の内容となるが、日本語ではそうはならない。日本語には時制がないので、日本人の話は、言うなれば、現実構文 (現在時制) ばかりの文章で成り立っている。
「意思のあるところに方法はある」といわれているが、意思は未来構文の内容であって、現実構文の内容ではない。
だから、意思の内容を現実構文の中で言い表すと、この世の嘘・偽りになる。

(C) 日本人は自分の意思の内容を話すことはできないし、他人の意思の内容を求めることもない。腹の底・胸のうちは、どろどろ・もやもやしたものになっている。以心伝心に期待を寄せているが、これは勝手な解釈をしてもよいということか。
意思のあるなしを問題とすることなく政治指導者を選出しても、社会改革の手段とはならない。意思の表明が当事者を作る。実況放送・現状報告の内容ばかりでは、ただ傍観者の発言となる。

(D) 未来構想なくして、未来への夢と希望は得られない。未来のために金を投資する意思も出ない。金余り現象はあっても、その金を景気回復の起爆剤として活用することはできない。
この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない。閉塞感だけが全国を覆っている。
昔なら閉塞から諦観へと進むのであろうが、自由を求める現代にあってはそうはいかない。
「仕方がない」の台詞は、外国人からも批判されている。
我々には、この世の嘘・偽りを本当にしてみせる力が必要である。考える力が生きる力となる。

(E) こうした言語事情もあって、日本では英米流の高等教育が成り立たない。キャンパスには退屈男・退屈女があふれ、4年間を遊んで暮す。それで、大学の教養部は崩壊した。外国のエリートも日本への留学を避けている。暗記と受け売りの練習で鍛えられた日本のからの留学生は、英米の大学にも適応できない。我が国では、職業教育は成り立つが、教養教育 (大学教育) が成り立たない。我が国は教育あって教養なしの国である。





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