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2008年11月11日(火) 13:17 454 子供には教えたくない日本社会の本質 (5/5)

> カレル・ヴァン・ウォルフレン 『日本/権力構造の謎 上』 ハヤカワ文庫 

>わが身を振り返って、当たり前のこととして受け入れていたことが、こうして客観的に記述されると、その異様さに戦慄すら感じた。

英文和訳を通して英米文化を取り入れると、不可解な現象が続出する。
英語と日本語は、それぞれ独立した言語だからである。

>日本は、表向きは民主主義の仮面をかぶっているが、実際は封建的な要素を残しているように見える。

日本語脳では、アングロ・サクソンのメンタリティは習得できない。

>確かに、日本も北朝鮮や中国と同様、儒教をもとにした東アジア文化圏であることを考えれば、驚くに値しない。

朝鮮語には階称がある。
したがって、「上と見るか、下と見るか」の儒教は朝鮮族にも受け入れられた。

>果たして我々は変わることができるだろうか?

我々にその意思さえあれば変わることができる。
その手段というのは、アングロ・サクソンの考え方を習得することである。


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2008年11月11日(火) 13:13 453 子供には教えたくない日本社会の本質 (4/5)

> カレル・ヴァン・ウォルフレン 『日本/権力構造の謎 上』 ハヤカワ文庫 (4/5) >P389

>警察の慈悲の論理は、少なくとも1870年代以来、日本の権力者がたゆみなく推進した権力観と軌を一にしている。

我が国では、昔から「かみ・ほとけ」が慈悲をたれることになっている。御上 (日本の権力者) もそれにならっている。

>今日、個人のレベルでは、あなたの上位者(先輩)がいちばん良いよう計らうから、それを信じなさいと言われる。

日本語を使用するときに階称 (言葉遣い) を使って考えるのは、ほとんど信仰に近い行いである。
日本人は議論ができないから、上位者(先輩)に従うしかない。日米関係のようなものか。

>地域集団のレベルでは、自民党と官僚が、同様の心構えで恩恵を施すことになっている。

地域集団のレベルでは、自民党と官僚が、御上の役割を果たしている。

>従属者から上位者への変わらぬ感謝は、無条件の忠誠についで、日本の社会・政治上の主要な統制力であった。

礼儀正しい日本人は、従属者から上位者への変わらぬ感謝を示すことになる。日本人の礼儀は序列作法だからである。

>そして、これは、現行の政治的秩序が究極的な恩恵と美徳であるという当局推進の信念と結びついているのである。

序列なきところに礼儀なし。これは、日本人にとって恐ろしいことである。われわれにとって、礼儀は恩恵と美徳の表れでなくてはならない。

>伝統的に、中国では恩恵が統治の一条件とみなされていたのに対し、日本ではそれは条件ではなく統治者の恩情から人々に施される例外的なものと考えられてきた。

中国語には階称が無い。中国人は序列社会を作らない。だから、人間が対等になる。

>上位者から特権や物品を分け与えられるのは、その上位者が人間味のある人物だからであって、従属者の当然の権利ではなかったのである。

日本人に権利というものはない。権利は事実ではなく、考えの内容だからである。
考えの内容は、日本語によると、この世の中の嘘・偽りとなる。


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2008年11月11日(火) 13:07 452 子供には教えたくない日本社会の本質 (3/5)

> カレル・ヴァン・ウォルフレン 『日本/権力構造の謎 上』 ハヤカワ文庫 >P371 国民の監護者

>その“闘争心”や、無理やり集団化させられること、会社の上下意識、また特に、会社が従業員を“家族”の一員として占有物さながらに扱い、独立した個人としての成長を阻むことなどから、“サラリーマン生活”は、明らかに軍隊の伝統を彷彿とさせる。

日本語には階称 (言葉遣い) がある。
だから、日本人は社会生活において「上と見るか、下と見るか」の上下意識から逃れることは難しい。

>実際、日本人の生活はたいていが高度に規律を要求する組織によって統制されている。

日本人は自己規律をもたない。いや、もてない。
だから、自己は外部より規定されなければならない。
高度に規律を要求する組織によって統制されている。

>憲法によって交戦権を否定している世界で唯一の国であり、その公式スポークスマンが、平和を愛するよう世界に訴えることができる国だといってはばからず、いつ、どこで、誰に戦争を仕掛けられても武力の行使を放棄しているという国が、軍隊組織を彷彿させるのは皮肉である。

明らかに軍隊の伝統を彷彿とさせる社会が交戦権を頼りにしたらどうなるであろうか。
なにしろ、感性あって理性なしの国である。いつか来た道を引き返すことになるのか。
危険な日本人を成り立たせている根本問題である。

>この国の中・高校生が、20世紀初頭のプロシア軍服のようなデザインの黒い制服を着ていることなど表面的なことにすぎない。

わたくしは、中・高校生の黒い制服は牧師の服装を真似たものかと思っていた。

>集団体操の重視をはじめ、技能の限界を超えた訓練のための訓練、“ガンバリズム”(あきらめず、理不尽なほど執拗に頑張り続けること)に対する社会的是認、若者の一途な努力の“純粋さ”への感傷的な絶賛、柔道、空手、剣道、合気道におけるスパルタ式の訓練、これらすべてが軍隊式の手法による社会秩序の維持につながる。

“ガンバリズム”は、日本人に上と見られる材料になる。それで、日本人の向上心を満足させている。
太平洋戦争も“ガンバリズム”であった。
“ガンバリズム”は怪我のもと。

>日本人にとって最も大切だと教えられる自己規制と忍耐は、忠誠とともに実は兵隊が涵養すべきいちばん重要な徳目である。

どこの国のアニマルも似たような取り扱いを受けている。


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2008年11月11日(火) 12:57 451 子供には教えたくない日本社会の本質 (2/5)

>カレル・ヴァン・ウォルフレン 『日本/権力構造の謎 上』 ハヤカワ文庫 >P334 従順な中産階級

>サラリーマンは会社に対する忠誠心を積極的に行動で示さなければならない。

日本人には自己が無い。
自己は情況次第で決まる。
だから、序列社会の一員として忠誠を誓う必要がある。

>示し方の一つとして、1960〜70年代の鉄道ストの際、徒歩で出勤したサラリーマンがいた。
>もっとも一般的な忠誠心のあらわし方は、残業したり、退社後も同僚や仕事の関係者と時を過ごすことである。
>1980年代には、有給休暇の一部あるいは全部を返上するサラリーマンがいる。

誰にでも観察できる分かりやすい方法で忠誠心を見せる方が自己の得策となる。

>こうすれば必然的に、家族との時間は、夜の11時から朝の7時までしかなくなってしまう。

家庭生活を犠牲にしているということも、わかりやすい忠誠心として周囲のものから評価される。
その評価が回りまわって自己利益に還元されてくる。
だから、日本人は序列社会をこよなく愛さなくてはならない。





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