寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/15 19:43
全人教育のすすめ。教養を重んじる教育理念としての「全人教育」は「知育」「徳育」「体育」をバランスよく行うことで、調和のとれた良識ある人間を育てようとするもの。「歴史」や「思想哲学」を学ぶことは純粋な「知育」であってよいのか、つまり、丸暗記と受け売りのがり勉でよいのかということである。
よく「知ることは許す(寛容になる)こと」だと言われるのは、それらを思考しながら学ぶことで獲られる深い思考力によって「人間と社会」が理解できるようになれば、人間として他者に寛容になれることを意味して、「徳育」の要素も大きい。事実は現実の中にあり、考えは非現実の内容である。日本語は現実ばかりを語るために造られており、非現実の内容については現実離れがしているので日本人には信じることが難しい。
しかしながら、歴史をも数値化しようとする知育偏重教育の下ではそのような「自己の相対化」が行えず、試験等で獲た評価が「絶対的な自己評価」となりかねないが、「上と見るか、下と見るか」の評価は相対評価でしょうね。そうすると、我が国の伝統ともいうべき「上と見るか、下と見るか」の判断に従って評価の高い者が下を見下すようになる。
現在、日本で起きている「下におれ、下におれ」という官僚などのモラル低下は、知育偏重偏差値教育による結果であろう。同次元序列を求める目的での格差の検出が万能となっている。
--------------------------------------------------------------
寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/15 07:23
皇室・国体と日本人の精神的支柱についてですが、芥川様はけしからんとおっしゃるかもしれませんが、私としては皇室はあってもなくてもよいと考えております。
というのも、日本人が日本人であるのは天皇陛下が存在するからではなく、伝統として培われてきた精神を修することによるべきだと考えているからです。
日本語には階称・言葉遣いがあります。ですから、日本人には人間序列が必要となります。序列社会の最高位は天皇であります。
日本人は目に見えるものに対する依存心がものすごく強い。皇室が廃止されたら精神的に…というのでは、あまりに他者依存的ではないでしょうか。
他者依存的というか、日本語脳に依存しているのでしょうね。
もちろん、日本人の考え方を日本の伝統として残すという判断もよいと思います。
ただそれは、なくなっては困る「精神的・政治的支柱」としてではなく、日本の伝統だから護持するという判断です。
-----------------------------------------------------------
寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/14 12:01
敗戦の際には、国体の護持、つまり天皇制の堅持についてそれは必死に当時の関係のお歴々がマッカーサー元帥らと折衝し、天皇例が日本国憲法では日本の象徴として残されました。
日本語には人称がない。
日本人には、自己 (第一人称) がない。
自己の呼称は、周囲の環境しだいで「わたくし」「わたし」「わし」などと変化する。
全ての国民は、天皇陛下の御前では、「わし」ではなくて「わたくし」である。
自己の言葉が変われば、その人の考える内容も変わる。日本人の考えは環境に左右されて信頼できない。
「あるべき姿」が疎かで「今ある姿」ばかりが優先する。真理の探究が疎かで、目先・手先の事柄に執着して余念がない。
最近、新聞などから、気になることが、若者層へのアンケートの結果、天皇制について親しみが湧かない、税金の無駄といった意見が多くなっているとのこと。
天皇制が日本の過去、つまり敗戦の際にどのような経緯、結果をその存在が意味していたのかが全く勉強も議論もされていない。
どのような機序により日本人が序列制度 (天皇制) に愛着を示すかが全く勉強も議論もされていない。
この国の歴史教育(特に、重要な戦争への教訓、議論) が幼児期から全く成されていない、文部省の指導要綱、がこんな日本人を育てているなんて。
無哲学・能天気の国民は、とかく、この世は無責任ということになりますね。
----------------------------------------------------------
寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/13 15:19
先ず、マスメディアには多種いろいろ有りますが、主義主張を貫く気概のあるところが少ない。無哲学・能天気ですからね。
記事が売れさえすればいいという時の流れに身を任せというテレサテン(僕の好きな歌ではありますが)的な安倍晋三元総理の突然の辞任劇。日本人には意思がない。
あの時のバッシングは凄いものでした。今でも覚えております、あんな総理投出は憲政史上初めてだったからです。
しかし、もっと凄い投出しが福田康夫さんだったかも知れません、安倍さんには体調不良だとの言い訳があったからです。言い訳が必要。
ほんとかどうかは知りませんが、病院に入院され、権威ある病院側のご診断結果もバックに味方として取込んだ演出?だったのですから。演出も必要?
最近になりちょくちょく、そのとんでもない突然投げ出しをした安倍晋三さんが堂々とカメラの前でインタビューに応じているではあ〜りませんか。
インタビューを申し込むマスコミもそうだが、安倍晋三という政治家の鈍感さを感じ入ることしきりです。森喜朗と同じですね。考えることは何もない。
これに呼応するような日本の有権者、それも無関心マジョリティも多い。哲学のない政治の世界ですね。
小泉純一郎復活論とか麻生太郎支持の秋葉原おたくらもその例です。
-------------------------------------------------------------
寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/13 14:41
皇室制度を廃止した場合(つまり国体の堅持をなくした場合)我らは何を精神的、政治的な拠り所として、この日本という国を動かしていくのか。
日本人には階称 (言葉遣い) が大切。序列思考が大切。序列制度 (天皇制) が大切。序列社会が大切。今の英米の世には通じない。
日本語には人称がない。それで、日本人には自己 (第一人称) が無い。序列の間に自己の位置をみつけることにより自己を呼称を表明することが可能になる。
「わたくし」か「わたし」か「わし」かが決まる。さすれば、日本語の文章ができ、日本人の考えが出来る。だから、序列制度は日本人の考えの原点である。
何せ無哲学・能天気なのだから。
大半の若者が無関心だとは思いませんが、こと税金の無駄とか、全く必要とは思われない、と回答した連中には英語使用の対案を示した貰いたい。
先人が敗戦後、如何にして天皇制の維持、堅持のためにご尽力され、現在の平和な日本を創り上げてこれたのかを、考えてみなさい。これが、精一杯の努力でした。
------------------------------------------------------------
寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/12 01:58
「応益負担」原理によって国家の財政が安定することが「理想」である。
ただ、政策による受益者が資産家だからといってあまりにも高い税率にするのでは、努力をして成功した者を適切に評価しているとはいえないだろう。また、グローバル化した経済において、あまりに高い累進税は国内産業の空洞化を招く要因となる。これが「現実」である。
「理想」と「現実」は、異次元の内容で、頭の中で並置は出来ても混同はできない。人間に欲望ある限り必ず同一にはならない。だからこそ、理想に向かって現実対応策をもって真正面から対峙するのが政治家・官僚の責務である(最高累進税率40%は現実に偏りすぎではないだろうか)。
すぐれた現実対応策を持った人材を育成し、社会の中で活躍できるようにするためには、我が国の大学においても英語による学習をおこない、英国のオックスブリッジやパブリックスクールのような教養(culture)を重んじた精神修養をも含むエリート教育を行う必要がある。
さもなくば、英語を第二の公用語にするなどして、国内の大学出身でなくとも高級官僚としての昇進が排除されない仕組みを整備する必要がある。
------------------------------------------------------------------
寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/10 16:17
法は権力であるが、権力を制限するという機能をも持つ。
その意味で、成文の規範・マニュアルは重要である。
なぜなら、日本では「周囲に気を遣え」と言われて不当に残業などをやらされることが多いからである。
日本語には人称 (person) がなく、日本人には自己 (self) が無い。
自己は周囲の情況次第で決まる。だから、日本人・個人はつかみ所がない。
頭はよいが、信頼できない。
考えてほしいのは、実際に部下などに行動させられるということは、実際に「権力を行使している」のだということである。
「周囲に気を遣う」というと私たちは素晴らしいことだと判断し、規定を大幅に越えてまで残業をしたりする。
しかし、個々人のレヴェルが「塵も積もれば…」で社会のレヴェルともなると、「労働法を形骸化させる」という危険な状態を招く。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
------------------------------------------------------------------
寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/10 14:24
公正な社会の実現、維持には国民の不断の努力を要するのである。
欧米の労働者がマニュアル以外のことをやらないことが批判的に論じられたりするが、共同体のためとあらば法や自分を犠牲にしてでも尽くす(尽くさせる)ということは、非常に危険なことだという自覚がもっと必要である。
滅私奉公は、封建時代に、恣意 (私意・我儘・身勝手) 克服のために利用されましたね。修身ですね。
なぜなら、そのような自覚の欠如は、法を遵守し権利を正当に主張する者に対する嫉妬による非難や排除につながるからだ。
理性のない世界において、法を遵守し権利を正当に主張することは難しいですね。
日本では「理性より感情が優先されるべきだ(本音と建前)」という暗黙の規範がある。が、感情的な人間は困りものですね。
「多数者と同じであるべきだ(同調圧力)」という暗黙の規範もある。個人意見の持てない人たちの基準ですね。自己を表現できない日本語の問題でしょうね。
が、もし我々がより良い社会を目指すのならば、公的な空間においては「本音より法(規範)」「感情より理性」が重んじられる英米型の社会に変えていかなければならない。
------------------------------------------------------------
寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/09 18:45
1・民間から登用された校長が生徒の学力を伸ばすために、夜間学校を塾に開放し、生徒は月額2万円で補修を受ける。
教育委員会は反対、校長は断行し父兄も賛成が多かった。さすが民間出の校長と評価された。
丸暗記と受け売りの教育 (がり勉) の成果により人間の序列を決める社会が存在する。
序列に基づく上下が判断できなくては、日本語の階称 (言葉遣い) が使えない。
役に立たない事柄でも序列争いの手段として利用されている。なさけない民族性。
2・荒れた学校に赴任してきた校長は空手全国大会で優勝した経歴もある方で、生徒を呼び捨てにせず「君」ずけで話しかける。
また土曜日は先生たちが、無償で生徒の補修指導に当たる。公教育の場を金もうけの場には使用させない。
全人教育か。荒れた学校を見ごとにたちなおした。
力は正義ですね。力を示せば、荒れた学校も立ち直る。序列社会の中にあって、だれもが「君」づけか。
補修が金儲けになるかならないかの問題ではない。補修の存在自体が教育問題。これは社会問題です。
学ぶことが多すぎるのであれば、修業年限を延ばせ。
2・こそ日本の教育の原点か。本来無償であるべき義務教育が塾の費用として23万円家計に占めている金の時代?
日本人・個人の生活が時流に流されている。この世の中の「あるべき姿」を考え直す政治家はいないか。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
----------------------------------------------------------
寺嶋眞一 静岡 無職 70才代以上 2008/12/09 13:01
明治維新は、『江戸時代の教育を受けた志士が』、明治維新を成功したのであって、明治時代に教育を受けた人が成功したのでは無い。日露戦争もしかり。明治時代に教育を受けた人は、『太平洋戦争の敗戦・被爆・亡国の民化』という答えを得ました。西欧化は、西欧かぶれは、誤りだったのです。日本人の生き方は、漢字から、「平かな・カタカナ」を発明したように、東西南北の文化を受け入れて、第3のものを、作り出すことであって、鹿鳴館のように、そのまま真似をすることでは無いのです。今の地球は英米の世の中である。だから、我が国には開国が必要である。
我が国の第一回目の開国は、明治維新の時であつた。これにより、我が国民は外国との往来が可能になった。第二の開国は、敗戦後であった。我が国民は、社会の枠組みである従来の序列制度に疑念を抱くようになった。だが、我が国には、さらに第三の開国が必要である。今回の開国は、アングロ・サクソンの考え方を理解することである。さすれば我が国は、国際社会において、蚊帳の外に立つことはなくなる。現実世界の指導者にもなれる。
----------------------------------------------------------------