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自由の履き違い           寺嶋真一さん 公務員 20011119 投稿

 

英米人は、「良いと悪いの区別は、誰にでも分る」という。日本人は、「良いと悪いの区別は難しい」と言う。日本人に陪審制度が難しいのは、「あるべき姿」を考えた事がないからである。米国の司法省 (the Department of Justice) は、言うなれば「正義の省」である。正義とは、「あるべき姿」に的中しているということである。幼い一年生という年齢には生意気な行動をとる数人の子供が、授業中に机の上に立ち、卑猥な言葉を吐き、他の子供達を扇動して騒ぎ立てる。担任教師はというと、ただオロオロするばかりで教師としての毅然とした態度もなく、教師の力で収拾がつけられない。昔の学校は、序列観念と序列作法の鍛錬の場であった。日本人から序列を外すと、「あるべき姿」を考えたこともない人たちは、大人と子供の区別がつかない状態になる。これが、戦後に始まった自由の履き違いである。378 文字

 

 

昔ながらの山桜              寺嶋真一さん 公務員 20011116 投稿

 

ビンラディンは日本もテロの標的になりうるとはっきり言及したが、これは小泉総理大臣の歴史的大失政になるのであろうか。すなわち、小泉総理は第二次世界大戦の教訓にもかかわらず、とうとう軍隊を海外の戦場へ派遣してしまったのであり、これをしてビンラディンはアフガンへの宣戦布告ととらえたのである。どんな理由をつけても、相手にとって軍隊派遣は宣戦布告になってしまうのである。第二次世界大戦の教訓とは、もちろん憲法9条である。当時も日本を守るためだといって軍拡をした苦い経験がある。国家は国民の生命を守る義務が第一義的に存在するわけで、小泉総理はプレビジットを背景に、憲法9条をどうどうと破り、その結果事実上の宣戦布告をおこなって、国民をテロの標的となる立場においてしまった。かつての米大統領ルーズベルトと似たようなものである。日本は、憲法9条をたてに、アメリカに意見し、軍隊派遣をきっぱりと断る手段があったのにだ。アメリカへの貢献は国内の米軍基地への巨額な支援ですでに、どうどうと金により解決している。事実上の植民地たる地位をあまんじてまで。結局は憲法論議をせずに、時代に流されて、国民の喝采をもとに、世界の軍事的争いに加わってしまったのだ。小沢さんが憲法解釈をしっかりしなくてはいけないというのは、まさにこういう勝手な解釈による間抜けな事態にならないために、声を大にして言っていたわけだ。もう小泉総理に政権を任せるのは、大変危険である。

613 文字

 

 

議論する資格のない人を排除せよ 寺嶋真一さん 公務員 20011114 投稿

 

「理屈であれば、子供でも分る」と言う人がいる。だが、「世の中は、、、、、」の発想法により、自己の理性は曇る。他人の世界観にかかわり無く、自己の世界観を述べれば、ことはそれで終わりである。議論は、各人の世界観比べでなくてはならない。つまり、自己の世界観を持たない人を、議論の中に加えてはならない。彼らには、相手に示す世界観などなく、ややもすれば他人の考えにケチをつけることだけに興味を覚える。重箱の隅を楊枝でほじくる精神は、かような状況下で生まれてくる。聴衆に自ら選択肢を与えることのできない人物は、時間の浪費を呼び起こす議論の邪魔モノでしかない。だから、無哲学の人は、議論に加わる資格がない。かの有名な「日本人とユダヤ人」の本は259ページで、それにケチを付ける「にせユダヤ人と日本人」の方は、303ページあった。哲学のあるなしに拘わらず誰にでも発言させるのは、社会の正しい発展を妨げる。394 文字

 

 

自己の哲学 寺嶋真一さん 公務員 20011114 投稿

 

昔は、大日本帝国の雰囲気に酔っていた。つい最近までは、世界第二位の経済大国の雰囲気に酔っていた。真珠湾攻撃成功の折に提灯行列をした話は出ても、当時の日本軍の動きがアメリカに全て捕捉されていたことを話す日本人は少ない。日本人は「今ある姿」を喜ぶが、ルーズベルトは「今ある姿」の苦しみと悲しみに耐えて、ジャップが悪者であるという彼の「あるべき姿」を実現させることに成功した。英米人は、日本人は何故ドイツ人のように誠実さと悔恨の情が示せないのか、不思議に思っている。日本語の特徴には数々あるが、最大の特徴は、物事を真面目に考えられないことである。愛想笑いをして見せても、仏頂面をしていても、こうした事実は変わらない。英語を使うと、同じ中味の文章を違った次元で表現できる。日本語を使うと実況放送の一本槍で、自己の発想に欠けることになる。「知識伝授型の教育法が悪い」と言う人は多いが、こうした事情で、勉強も勢い詰め込み主義とならざるをえない。「各国の言語は等価値であって、どの言語で話してもその内容は同じだ」と考えることは、間違っている。我が国民も英語を体得して、自己の哲学を有する人間になるべきである。

497 文字

 

 

戦争協力法        寺嶋真一さん 公務員 20011110 投稿

 

戦後、憲法を基にした日本の外交防衛政策を根底から突き崩す「戦争協力法」を、まともな議論を全くしないまま与党が強行採決し、自衛隊を海外に派兵させる今日の事態は極めてマンネリ的である。一方で政権を視野におくばかりに野党第一党が、基本的に自衛隊の海外派遣には賛成の立場で、対立状況が見え難い国会に国民は失望しているのである。この閉塞状況を打ち破るべき社民党への国民から支援は余りにも少ないが、同党は、数が少ないからといって信念を曲げて「戦争協力法」を国民に押しつけることは絶対にしない。 「テロ対策特別措置法案」「自衛隊法改正案」「海上保安庁の一部改正案」のテロ対策三法案すべてに反対したのは、社民党だけである。自衛隊を海外に派遣して軍事行動する外国軍を支援し、軍事情報に関する機密・罰則を強化し、海上保安庁に攻撃力を持たせて自衛隊化を図るこの三法は、テロ対策に名を借りたどさくさ紛れの"日本の軍拡宣言"に他ならない。何事もこの国は環境・雰囲気次第であるらしい。米国から何の支援要請もないうちから進めてきたまさに自主的な(小泉首相)日本の軍拡内容であり、わが国目覚めの時である。 テロ対策という名目で国家による国民の盗聴や監視が際限なく行われる可能性がある。周辺国に緊張を高め、米軍などが引き起こした戦争に流されて加担していく同法の極めて重大な内容は、多くの国民の性質と相まって危ぐするところである。日本の将来への危ぐから、非軍事の国際貢献を主張する社民党への期待が多くの若い人から寄せられた。 小泉政権が発足してから景気は悪化の一途をたどり、失業率はついに五・三%となり、リストラは加速し、倒産企業が相次いでいる。構造改革を声高に叫んで「我慢」を強要し、何ら根本的な対策を行なわず、国民に将来不安と諦観を抱かせた上で、やったことが戦争協力法である。

769 文字

 

 

小沢氏の存在    寺嶋真一さん 公務員 2001116 投稿

 

「原理原則だけでは、政治はやっていけない」とか、「学校の先生ならそれでもいいのだが、、。」とか、小沢氏の政治姿勢に対する批判をよく耳にする。しかし今の日本人にとって原理原則ほど大切なものはない。原理原則無く環境との調和を求めるコンセンサス社会の中、自らの理念哲学を保持しつつ政治家として現実を目的に近づけようと努力することがどれほど難しい事か。人気商売であり、自己の利害にのみ動く機会主義者の多い永田町の中で、小沢氏の存在を奇跡にしてはならない。 

223 文字

 

 

大胆な政界のリストラ  寺嶋真一さん 公務員 2001112 投稿

 

中選挙区復活など、時代錯誤である。いずれ公明党は消滅するでしょう。二大政党制が政治の「あるべき姿」です。単純小選挙区制導入、比例選廃止で定数削減を大胆に実行する政界のリストラ必要であります。小選挙区で勝ち上がってこない政治家は見込みが無い。国民の税金を無駄にしない為、中途半端な政治家は当選できないシステムを作りましょう。

161 文字

 

 

不透明な社会               寺嶋真一さん 公務員 20011029 投稿

 

外務省で、公金横領に近いことが省ぐるみで行われている。これほど政府機能の腐敗、機能不全を象徴的に表しているものはないと思います。また、いわゆる狂牛病問題で役所の情報隠蔽体質がまた明らかになった。情報公開をしないためにおこる消費者の不安は大変なものがある。いずれ、農業生産者にもつけが回ってくるはずです。「ジャの道はヘビ」で、悪者達は、お互いに弱みを握り合って、暴露の恐怖におびえながらも、安泰に暮らそうと心がける。それで、社会は透明性の低い状態に留めおかれている。日本人の名誉は、見栄と外聞の中にある。名誉を守ることは、自己の行為を正すことを意味することなく、不正の隠蔽に努力することにある。人間教育の不足と言うべき社会現象である。

316 文字

 

 

歴史は繰り返すか          寺嶋真一さん 公務員 20011027 投稿

 

日本人は小心だから、なかなか思い切って現実を改革する決断がつかない。それなのに、テポドンでも落ちてこようものなら、ヒステリーを起こして極端に突っ走るおそれがある。マスコミの論調もすぐに過熱して戦前の例の如く「鬼畜米英」ならずとも「直ちに北朝鮮をたたけ」という見出しが躍るかもしれない。しかし、これでは又、歴史の繰り返しである。日本人の表現できる全てのものは、真事と真心である。真事は現実の事柄であり、真心は現実の感情である。全てこの世のことである。環境に刺激されて立ち上がるのみである。だから、熱しやすく冷めやすい。冷静に立ち上がることがない。現実の改革には、論理の矛盾を指摘することが必要である。日本人の営みは、事実描写と勝手な解釈を基としている。昔ながらの歌詠みの手法では時代を乗り切ることは難しい。改革運動の中の時代錯誤といえる。日本語は、「今ある姿」しか語ることの出来ない言語である。英語は、「今ある姿」と「あるべき姿」の両方を語ることの出来る言語である。ここで、重要なことは、日本人の大好きな義理と人情はこの世のことであるが、「あるべき姿」は我々の行くべきことになっているあの世に関することである。日本人は、「今ある姿」を語ることにより、個人の想い・意見は語られたものと信じている。英米人は、「今ある姿」は「あるべき姿」の論拠として、いかなる筋書きにも利用可能なものと考えている。 議論は、「あるべき姿」の比較でなくてはならない。だから、英語では議論が出来るが日本語ではできない。日本語で議論をしようとすれば、歌合せか数合わせのようなものになる。「議論をすれば、喧嘩になる」という人さえいる。 日本人の場合、基準を持って現実を批判することも可能であるが、逆に、現実を持って基準を批判することもできる。このおかしな論理により、矛盾を矛盾として捉える力も無い。日本人相手には正邪・正誤を論じても埒があかない。議論しても決着がつかない。そこで、議論はそそくさと片付けて、伝統的な歌合せ・数合わせを始めることになる。危機に際して、時代の閉塞感を感じている日本人は少なくない。 個人の意見を認めない。行政の責任者をおかない。悪い人を出さない。国がひっくり返っても責任者は出ない。いわゆる、この国の性善説である。過ちは認識されず、過ちの繰り返しは避けられない。学問は、体系化された知識を得ることにある。体系化された知識は「あるべき姿」の側にあって、「今ある姿」の側にはない。だから、日本人は大学の教養部に通学しても勉強する学問がない。英米人は、こちらが理屈を言えば食いついてくる。日本人は、理屈を言えば離れてしまう。これが、大きな民族性の違いである。大学の門をどんなに大きく開放しようとも、こうした民族性は変わることがない。サリン事件を日本より良く学んだのも英米であった。マルクス主義を共産国より良く学んだのも英米であった。この世の中に学ぶことは幾らでもある。英米人は学問を盛んにして、日に日に現実支配を強めつつある。英米人の考え方の基本は、英語の中にある。我々日本人は、どうしてもその基本を我が物にしなければならない。だが、日本人は、どうして自分達の期待が裏切られるかを未だに理解しようとしていないようだ。

1350 文字 

 

 

 

公明党指導者の恣意      寺嶋真一さん 公務員 20011027 投稿

 

2度の小選挙区制の下での衆院選に参加してみて、この制度は、国民一人一人の投票で政権交代が可能な、首相公選制にも匹敵する素晴らしい制度だと思っていました。ところが、その制度が「あるべき姿」の考えを持たない公明党指導者の恣意のために奪われようとしています。また、住んでいる地域によって選挙制度が違うのは、平等な選挙権という民主主義における最低限の権利さえ国民から奪います。何としても阻止して下さい。

197 文字

 

 

 

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