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近代国家への道 寺嶋真一 2001/12/26
「個が大切か、公が大切か」と争う人たちがいる。個は個人の考えに基づいたこの世の「あるべき姿」を示すものであるから、個は公の原点を成すものであるが、日本人には、私人と恣人の区別が無いように、個人主義と利己主義の区別が付けがたい。このような状態の中では、個人主義が成立つ余地はない。恣意は、何処の国でも受け入れられるものではないが、わが国でも公私混同の予防対策として公平無私・滅私奉公が唱えられている。意思と恣意の区別のつけられない事が、わが国の近代国家への道を妨げている。 235 文字
ボランティア活動の是非 寺嶋真一 2001/12/26
折角のボランティア活動も、滅私の観点から用意されているのであろう。「公」か「個」かの言い争いは、日本語の世界においては共倒れとなる。個が良くて、恣が悪くて、私はその真中なのか。おまけに公にも恣が付いているなど。私と恣の区別のつかない所での「公」と「個・私・恣」の優位比べは解けないパズルでしかない。個人と恣人との区別を知ることが先決である。 170 文字
仮の世 寺嶋真一 2001/12/26
都市・郊外などが、不規則に広がることを 「to sprawl out」 という。このスプロール現象が、基準のない日本人のあらゆる生活の中にはびこっている。基準のない中での暫定に次ぐ暫定である。日本人も、英米人も、この世が仮の世であることに変わりがない。同じ「仮の世」とはいいながら、日本人には眞の世 (天国) がないところが英米人と違うところである。だから、戦死した後までもこの世に戻って靖国神社に再集合しなければならないものと信じられている。現実にただ拘っているのでは、現実問題を解決するのも難しくなる。日本人の生活に、哲学的な基準を導入しなくてはならない。 274 文字
未来の事 寺嶋真一 2001/12/26
日本人の場合、未来の事を克明に述べるためには、現実形の構文を使わなくてはならない。未来に関する内容は、現実形の構文の中で現実離れを起こして、聞き手には中味を信じる事ができない。小言・片言の発言からは大意・要約の作成は難しい。未来構文がなく、意味がない。話の筋がないから、聞き手の勝手な解釈となる。キャッチ・フレーズ政治と評されるものになる。七夕の短冊に自己の思いをしたためるようなものか。我々には、未来の内容を信じさせる話し方が必要である。 220 文字
科学と技術 寺嶋真一 2001/12/26
科学は、自己の「あるべき姿」を追求する作業である。技術とは違う。わが国では科学と技術は並び称されているが、科学と技術は別物である。技術は科学を利用する事により利用価値・商品価値を高める事ができる。利用できない技術は役に立たないが、科学はそれとは別儀である。位置があって面積のない「点」を考えるようなものであろう。子供には「あるべき姿」の考察はむりである。子供が大人の学校に入学すると学ぶことがない。かくして、わが国の大学の教養部は崩壊した。さもなければ、教養とかけ離れた小手先の事に力が入る。いわゆる専門馬鹿を作る場となっている。我々は、哲学の重要性を認識しなければならない。 288 文字
個人と恣人 寺嶋真一 2001/12/26
「あるべき姿」を考えることのない私人は恣人なのであろう。自分自身に基準・信念がないのであれば、私人・私学・私企業は、恣人・恣学・恣企業であり、人々は私のつく人の集まりに信頼をおかず、敬遠すべきものとなろう。私が恣であるかぎり、個人は敬遠される。個人の考える思い付きは、アイディア撲滅作戦を受けて個人主義はなりたたない。私人・個人を恣意から切り離す事が、わが国発展のカギとなる。 188 文字
社会の活性化 寺嶋真一 2001/12/26
日本人の自発性は恣意の中にある。成人になっても私意は意思に置き換わることがない。この恣意 (私意・我儘・身勝手) を抑制する事が日本人の修業なのである。自発性のない滅私の働きをする役人が喜ばれている。社会の活性化を求める日本人には、根本的な矛盾がある。 124 文字
幼児性からの脱却 寺嶋真一 2001/12/25
日本人の恣意を抑えることは、日本人の自発を抑えることになる。人々は、個人の自発性を望まず、ただ単なる待機の姿勢を望んでいる。だから、通常、自発性のない役人が喜ばれる。人々が問題にするのは、ただ初動動作の出遅れだけであって、用意周到な計画性などは問題にしない。英米人は、恣意的発言を相手にしない。だから、子供は相手にされない。日本人は、恣意のことを本心という。アニマルの心である。日本人は恣意を理解しようと努力している。だから、「徹底的に本音」とか「開き直り」などという発言もある。日本人には、かような幼児性からの脱却が必要である。 265 文字
わが国におけるIT革命の限界 寺嶋真一 2001/12/24
英米流の考えでは、意思のない人物を、責任者の地位につけることは適当でない。日本人には恣意があって、意思がないのだからどうしようもない。話者がその重要な点を指摘することなく、聞き手が勝手に想像する。これは、以心伝心か。こうした時における話の筋の食い違いについて、誰も責任を取るものがいない。兎角、この世は無責任か。英米においてIT革命がどのように成功しようとも、日本人の意思の疎通には障害がある。
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近隣諸国からの信頼 寺嶋真一 2001/12/23
日本人には、意思がなくて恣意がある。能動であるものは恣意であるから人間生活に不都合であって序列修業により極力抑制される。すると、行動には、能動性がなくて受動性が出て来る。だから、日本人の物事の捉え方は、させられ体験・被害者意識ばかりである。自分には責任が無くて、戦争に関しても被害者ばかりとなる。それを見て外国の戦争体験者は腹を立てる。このことに関して日本人は正直であっても、国際的には通用しない。そこで、日本人同士がお互いの古傷を舐め合うばかりになるが、責任がないのであるから、仲間からも信頼がえられない。このような責任のない態度から脱しなくてはアジア諸国からの信頼も得られない。 291 文字