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ニュー・リーダーの時代 寺嶋真一 2002/02/08
小泉首相の支持率が、低下しましたが、初めからこうなる事は分かっていたはず。小泉さんが、声を張り上げても、言霊の威力は表れません。戦後政党という50年もかけて出来あがった新たな装いの序列システムを壊す事は無理です。「政官財の癒着」は、親密な縦の関係として日本の隅々にまで張り巡らせています。
外務省の人も、雪印の人も、序列作法に従って全員が序列の為に討ち死にしたのである。世の中が、ガラガラ変化しているのに、今だに序列制度に頼ってやっていけると思っている人の、あまりの多さに絶望します。その不自由さが、日本を引きずり落としているのだと、気がついて欲しいです。
今、人々が、意識していなくても求めているのは「新しい世界」なのです。今の政党のままで"手直し"によりどうにか成る程、原因は表面的なものではないのです。小泉さんは、小さな小競り合いに、ドンドン消耗して今だ先が見えないようです。いよいよ時代がニュー・リーダーを必要としています。
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日本人の政治音痴 寺嶋真一 2002/02/08
うつつ(現)・まぼろし(幻)・ゆめ(夢)は、日本人の考える現在・過去・未来に相当するものである。日本人は、とりわけうつつを重要視して「話に、うつつを抜かしてはいけない」と注意しあう。眼前の事柄にだけ注意を集中する。それ以外の事柄については、相当する構文がなくて単語はばらばらになる。従って、筋道立って考えを構成できない。フレーズでは、意味も無ければ間違いも無い。矛盾も無ければ議論にもならない。問答無用となる。人々には、発声の作り出す、雰囲気・印象により判断を下す習慣がある。
年間特別大賞に選ばれた6語は「米百俵」「聖域なき改革」「恐れず怯(ひる)まず捉(とら)われず」「骨太の方針」「ワイドショー内閣」「改革の『痛み』」であって、首相が政策などに説得力あるキャッチフレーズを駆使して、多くの流行語を生み出した点が評価された。キャッチフレーズ・キャッチワードは、直感により判断する有権者に受けがよい。大人気である。小泉首相は「率直に感じたことを言っているだけ。別に意図して言っているわけではない」と上機嫌で語った。日本人の政治音痴は、ここから始まる。
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雑感 寺嶋真一 2002/02/06
日本人以外は、和歌を読まない。だから、国際会議は歌会にはならない。国際会議は、「あるべき姿」を語る英米の会になる。歌会は、「今ある姿」の会である。だから、日本人には出番はない。歌人には、国際会議は面白くない。
「あるべき姿」の考えにめっぽう強いのが英米人である。英語による思考形式がこれを助ける。だから、会議には英語が用いられる。
英米においては、アングロ・サクソンの伝統が重きをなす。国際会議においては、英米が主導権を握る。彼等が主導権を握らなければ、会そのものが瓦解する。この世の「あるべき姿」は、英米人が提供するのである。
「あるべき姿」は目の前に無い事柄の陳述であり、「今ある姿」とは、その次元を異にする陳述である。
「安らかに眠って下さい。過ちは、繰り返しはせぬから」と言っても、それはただの感傷、ただ口先だけのことである。無哲学の人・能天気の人は真面目人間にはなれない。「あるべき姿」を述べて、それに向かって弛まぬ努力を続けるのでなければ、真面目な人とはいえない。信用もされない。
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個人を押しつぶす世の中の掟 寺嶋真一さん 公務員 2002年2月5日 投稿
私の知り合いに「公としての個」を論ずる人がいるが、これを論ずるだけの価値がある。田中真紀子前外相は典型的な自己主張の強い人だった。その人が解任されたことは象徴的なことで、それはそのまま小泉首相の個の運命にも通じる。 田中という個人は、外務省にも自民党にも結局は通じなかった。それなら小泉という個人はどうか。それが小泉人気はどうなる。 大橋巨泉氏が、民主党の議員を辞めた。これも象徴的である。巨泉氏は自分から辞めたので、解任されたわけではない。とはいえ問題の背景は同じであると、私は考える。その背景とは、個人と世の中の対立である。個人は世間の暗黙の掟、没個性に触れたとき、追い落とされる、あるいは形をつけられる。 自民党という世の中、外務省という世の中、民主党という世の中は、田中・大橋という個性を結局は受け入れなかった。個人は日本人の作る世間では許されていない。辞任が許されないのではない。「個人の意思」が許されないのである。「我思う。故に我あり」が認められないのである。世の中に公の個人がないということが、ここにもっとも明確に出ている。日本の世間は一旦そこに属したら、ヤクザ同様「足が洗えない」のである。 504 文字
田中外相のこと 寺嶋真一 2002/02/02
街の意見のほとんどが、「NGO問題で田中外相の責任を問うのはおかしい」となっているが、外相は部下を掌握してはいなかった。こうした状態で、外務の仕事ができるはずが無い。「事実をうやむやにする解決策である」と言われるが、何が事実かも有権者は理解できていない。それを知りたければ、今後ゆっくりと調べたらよい。過ちを繰り返さない為にも、温故知新はぜひ成し遂げなくてはならないことである。
私は、自分自身の見解を述べているのだが、こうした意見の事を「聞き飽きた」「偏重意見だ」「うんざりだ」と言う人もいる。一方、英米人に日本人の意見を見せると「どれもこれも同じ意見だ」という。一億一心に見えるらしい。しかし、日本人は、こうした一様性に「うんざりした」とは言わない、一方では辛抱強い人たちである。目の前の有様を見ながら歌を詠んでいるに違いない。だが、現象の背後に隠されている真理を掴む形式ではない。この国の民は、洞察力に乏しい。意見の選択肢も無く、閉塞感を伴う考え方である。身動きが取れなくなること必定である。
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個人の意思 寺嶋真一 2002/01/31
子供の頃、学校で「質問するのは、頭が悪いからだ」と言われた。悪くすると「なんだ、そんなことも判らないのか」とお叱りを受けた。そのうちに、判らなくても放って置くようになった。他人の言う事は自分勝手に想像をして済ませた。
英米人の国語の勉強は、如何にして誤解されることなく相手に自分の意思を伝えるかにある。その為には、意味の不透明な部分を残さないことである。相手に勝手な解釈を差し挟む余地を与えないことである。
今回のアフガニスタン復興支援国際会議へのNGO参加拒否をめぐりいろいろと取りざたされているが、首相の意思は正しく外相に伝えられていたのであろうか。外相の意思は、外務官僚に正しく解釈されていたのであろうか。
日本人は、兎角、責任者の意思を正しく伝える事よりも、自分の恣意を差し挟むことに興味を覚える。これでは、絶対神の神様も愛想を尽かさざるを得ないであろう。
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首相は、NGO排除の真相究明に消極姿勢 寺嶋真一 2002/01/30
小泉首相は30日の参院予算委員会で、アフガニスタン復興支援国際会議へのNGO参加拒否をめぐり、鈴木宗男衆院議運委員長の圧力があったとされる問題についても、「申し入れに対して、どう判断するかは役所の問題だ。結果的に外務省は(NGOと)協力していくと判断した。それでいいじゃないか」と語り、問題視しない考えを示した。「(NGOと)協力」は首相自身の判断することである。官僚任せにするから、国会で議員が紛糾するのである。
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日本人の混乱 寺嶋真一さん 公務員 2002年1月24日 投稿
閣僚は、首相の手足となるべき人である。外務官僚は、外相の手足となるべき人である。手足が長の意思に従わない事態が生じたら、責任体制は崩壊する。我が国人がこのルールに強い抵抗を示すのは、自分達の意思 (話の筋) が恣意 (私意・我儘・身勝手) に置き換えられているからである。恣意の存在を許しているのでは議論はできないし、個人主義に基づいた民主主義は達成できない。この陋習が、民主主義に従った個人の選出に意義を失わせる原因である。
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明確な未来像を示せ 寺嶋真一さん 公務員 2002年1月24日 投稿
小泉総理は「構造改革なくして景気回復なし」と叫び続けてきていますが、その先にどのようなわが国を望まれているのでしょうか。緊急事態に対処することは最も大切なことですが、以前のように景気が良くなれば、「それで良し」ということでしょうか。親の代、子の代、孫の代をかけて築き上げる結構な国造りに関する構想はないのでしょうか。国民が痛みに耐えるためにも、わが国と世界に関する小泉総理独自の明確な未来像を示していただきたい。206 文字
大学卒業について 寺嶋真一 2002/01/23
良い大学つくりは、社会に対する大学人の責務である。良い大学、社会に対する責務の理解が大学人に無ければ、大学改革などおぼつかない。過去の実績により、大学卒業の判定がなされるべきである。在学を続けても将来成績の向上が認められない学生を卒業させるよりも、将来成績の向上が見込める学生を卒業させる方がまだしもましである。
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