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ノーベル賞受賞おめでとう
寺嶋真一(琉球大学)
terasima@med.u-ryukyu.ac.jp 2002年10月09日
1901年に始まるノーベル賞は、今年で102回目になる。昨年までの受賞者は、医学生理学、物理、化学の3分野で478人に上る。
だがしかし、日本人は7人である。一方、米国の3分野の受賞者は200人で、英国も70人になる。米国では毎年恒例の出来事にすぎないのだが、3年連続のノーベル
受賞が大ニュースとなる日本は、いささか時代がかっている。受賞者の学歴をよく見れば、その原因の違いを明確に示している。英米人は英米の研究室で研究をしている
のである。英語を基礎とする科学を、英米人と関わりなく勧めることは不可能に近い。英米人と同じ研究室で研究する機会を与えられることの効果は、研究者にとって計り知れないものがある。英米での良い学習環境の機会さえ与えられれば、日本人の受賞者の数も急増するに違いない。わが政府も、本格的にわが国民の英米での研究活動を増大させる必要がある。
2000年受賞の白川英樹氏は、1976年ペンシルベニア大学博士研究員となった。
2001年受賞の野依良治氏は、1969年米国ハーバード大学博士研究員となった。
2002年受賞の小柴昌俊氏は、1953年、米ロチェスター大大学院へ留学した。
494 文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)
日本人の社会
寺嶋真一(琉球大学) terasima@med.u-ryukyu.ac.jp 2002年10月08日
意味の表現には、文章 (陳述文・声明文) が必要である。文章には意味がある。間違いもあれば、矛盾もある。従って、議論の対象になる。「あるべき姿」は、未来構文の内容である。日本語では未来形の文章はできない。構文がないので、ばらばらな単語によるコミュニケイション以外にない。ばらばらな単語には、意味が無い。間違いもなければ、矛盾も無い。小言・片言により表現すると、歌詠みの和歌、俳句が出来上がる。官僚の行政指導が出来上がる。親方の牛馬の調教 (序列修行) が出来上がる。それぞれに、自分の想いを言い放つ。このような環境の中で、人は理性判断を身につけることが難しい。 276 文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)
法人化のこと
寺嶋眞一(琉球大学) terasima@med.u-ryukyu.ac.jp 2002年10月06日
ドイツの大学もフランスの大学も全部国立です。国立大学法人化の提案も、我が国の国立大には明治以来130年の無責任な歴史があるのです。無責任は、日本人の無哲学による。だから、政治責任者は大学に関する説明責任がとれない。
政府の「国立大の法人化」はその動機としては理解できる。それは従来の教育の為ではなく、これから注入される国民の金の為だからです。大学は金喰い虫だ、法人化してもっと稼がせろというのは,まことに皮肉ではあるが尤もなことである。理性なき人間の学問は、我々にとって価値が無い。日本は理性なき陋習を捨てる覚悟をしなければならない。
政府・官僚・有権者について、現在の不満を述べることは、比較的容易である。それは、その内容が実況放送の内容に類似しているからである。しかし、日本人に理性を持たせる話はその次元にはない。だから、日本人には難しい。それは、日本語に時制が無いからである。389 文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)
英語圏の大学
寺嶋眞一(琉球大学) terasima@med.u-ryukyu.ac.jp 2002年10月06日
アメリカやイギリスの優秀な大学は私大です。それがうまくいっているのには、彼らに理由・理性 (reason) があるからです。それで、彼らには哲学ができる。彼らの大学は、哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.) の世界である。一口でいえば、社会的価値観、宗教的背景、それに税制の違いで、大口寄付が受けやすいこと、研究費が全部国費で賄われていることが、日本の私大とは根本的に違うのです。良い教育・優れた学問の育成には、理性判断 (rational judgment)が必要である。英語は、理性判断を可能にする優れた言語である。だから、我々は、英語を習得する必要がある。
さもなければ、我が国の大学の教養部は、軒並み崩壊する。314 文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)
詰め込み教育・ゆとりの教育
寺嶋眞一(琉球大学)
terasima@med.u-ryukyu.ac.jp 2002年10月05日
実況放送の社会では、勉強しなくてはならないことが多くある。それは実況の記憶である。この現況が、ゆとりの教育を妨げている。実況のない国はない。だから、詰め込み勉強が必要になる。経験をしたら、その教訓を、必ず「あるべき姿」に纏め上げるように心がければ、記憶の量は少なくすむ。哲学は、記憶量を軽減する一種の圧縮技術である。このような要領を心得ている人は、頭の良い人と考えられる。つまり、学問のできる人なのである。詰め込み主義を排する人も、その重要性を強調する人も、この大切なことを置き去りにしているのであろう。252 文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)
日本人の世界
寺嶋眞一(琉球大学) terasima@med.u-ryukyu.ac.jp 2002年10月05日
日本語には、時制がないので゛日本人には、この世のことしか考えられない。
時制を使わない考え方では、刹那は常に永遠となる。「古池や、かわず飛び込む水の音」のようなものである。そして、真理は、この世の中にあると考えられている。これは、「あるべき姿」が未来にあると考えている英米人との大きな違いである。
日本人の頭が混乱を起こさないようにするには、目の前のことしか語らないようにする方が良い。だがしかし、希望は、未来の世の中で実現する。だから、その内容は、未来構文の形式で語られなくてはならない。さもなければ、実感は湧かないし、身も入らない。日本人が、未来社会の建設に、とかく興味を示さないのもこれが為である。300 文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)
頭のよさを発揮する時 寺嶋真一 2002/10/03
このところ、投書欄に北朝鮮に関する発言が多い。悪い国を悪いと言う実況放送的発言だけでは、人類の進歩は期待できない。我々には、悪い国を良い国に変える未来計画が必要である。我が国の未来計画ができたら、「I shall return!」や「We shall overcome!」などと、勇ましい掛け声をかけるのもよい。それに従って北朝鮮にそれ相応の圧力をかけて現実を変える必要がある。方法の選択肢は多いほど良い。「押してだめなら、引いてみな」である。我々の頭の使いどころである。「我、関せず」「触らぬ神に祟りなし」では、いつまでたっても我々の希望は実現しない。アメリカ頼みでは、待てど暮らせど世界的指導者にはなれない。我々の頭のよさを発揮する時が来た。 319 文字
個人のなさ 寺嶋真一 2002/09/29
無神論者の多いわが国で、神社参拝が注目を集めている。靖国神社に参拝を済ませた総理大臣に「公人としてですか、私人としてですか」と、記者は質問する。神様と公私の関係は非常に重要であることが分る。
また、R大学では、教育理念が「眞、公、和」であるか、「眞、個、和」かで揉めている。公は私に対する対立概念であるが、それが公私の問題の中に次元の異なる個人の問題が飛び込んで来る。個は日本人の概念の余りモノなのであろう。公にも私にも、個人の問題は存在するのだが、わが国にはその個人主義がない。
個人の自由は、個人意思の自由であるが、わが国人には、意思がない。つまり、全てを決まりにより行なうことになっている。わが国は法治国家であると誰もが思っているが、実は情治国家なのである。だから、法律よりも優先させて行なわなくてはならないものがあると総理は考えている。370 文字
未来社会の建設は 寺嶋真一 2002/09/29
民主党人事は、政調会長に海江田氏 熊谷氏は副代表になる。代表選で海江田氏は菅直人前幹事長、佐藤氏は野田佳彦衆院議員を支持しており、派閥均衡の体制をとることで混乱の収拾をはかった。これらは、現実の事柄である。
未来社会の個人構想は、未来構文を使用して語られなくてはならない。政治家の意思(will) は、未来構文の中になくてはならない。だが、彼らは、それを鮮明にする意思をもっていない。個人構想を鮮明にしなければ、支持を確たるものにすることはできない。
文章 (陳述文・声明文) は、意味を持っている。ばらばらな単語は、意味を構成しない。小言・片言では、政治はできない。この形式の発言で他人を動かしてはならない。小言・片言による恣意には、意味が無いからである。それでは、彼ら議員達は、一体何を騒いでいるのか。 347 文字
政治音痴 寺嶋真一 2002/09/25
55年体制の永続に有権者はうんざりしている。それで、政党離れ・無党派層が増える。閉塞感に悩む現実肯定主義者の国の矛盾である。「解党」を叫ぶ小泉総理と、「党内結束」を約束する鳩山代表のどちらを選ぶか。選挙結果を見なくてもわかりそうなものを。未来の国に関する選択肢を広げて有権者の要望に答えられぬものか。日本人には意思が無い。意思とは、未来構文の内容のことである。英語を使って書くか。態度・姿勢に関する話は、現在のことである。天下取りの話はもう聞き飽きた。
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