英語と大学     寺嶋真一(琉球大学) terasima@med.u-ryukyu.ac.jp        20030123

 

英語文法には人称 (person) があるように、日本語文法には階称 (hierarchy) がある。どちらの法則も文章全体の意味付けに深く関わっている。以下は、階称による判断と、英語による判断の違いである。

 

日本語の習得は、いわゆる「言葉遣い」の学習による。「上と見るか、下と見るか」の階称を序列順位に合わせてよどみなく使う方法を習得することである。この強弱が原因となって、敗戦以前に皇民化教育を受けた世代と、戦争に行かず戦後教育を受けた世代の間には価値観の亀裂があります。英米の世に打って出ることができない。亀裂があって自信がでない。我々も英語を習得して理性判断を身につけて国際的に活躍すべきである。

 

フォークとスプーンは、使用目的が違っている。フォークを使う目的のところでスプーンを使えば、作業能率が上がらない。フォークを使用すべき所では、やはりスプーンではなくて、フォークを使用するのは正しい判断である。このような判断をリーズナブルな判断という。リーズナブルとは、文字通りリーズン (reason) ・エイブル (-able) で「理性・理由になりうる」ということである。つまり、理性判断 (rational judgment) になっているということである。

 

リーズナブルな判断は個人個人に違いがあるから、個人はその個人的色彩において尊重される。理性ある個人の判断に着目し尊重することは、この現実の世界において個人の知力に力を与えることになった。だから、英米は英語による理性判断を使って実力を発揮し、この地球に英米の世を築き上げた。

 

英語は、科学・哲学に適した言葉である。日本語は、和歌・俳句に適した言葉である。中国語は、漢詩に適した言葉である。ヒンズー語は、インド哲学に適した言葉である。それぞれの言語に、それぞれの個性・特性を見つけ出して、それらを有効に利用することが我々には大切なことである。何事においても、古式床しく「上と見るか、下と見るか」の判断で切り盛りするのでは、有効利用も難しく、現実対応に更なる苦慮を強いられる結果となる。だから、英米流の教養を身に付ける為に、我が国の大学でも英語を使って教育を行なうべきである。我々も考え方を変えなければ時代に付いて行けない。          929 文字              (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)

 

 

ある国策の提案 /寺嶋 (03/01/13(Mon) 20:08) [3393] 

 

我が国の大学は、Sleep, Smile, Silence 3S型能天気の人々により占拠されている。それで、大学の教養部は軒並み崩壊した。改組されたとも言うが、それは、敗戦を終戦と呼びかえるようなもので、実質的に教養部が成立たないことに変わりない。

実際に即した事柄は、実社会に出てから学べばよいことであって、わざわざ大学に出て学ぶこともない。それで、さぼりが横行する。

実況放送・現場報告の為にある日本語で考えれば、どうしてもそのようになる。現状の変化に対応するのに、現場に基づいた考えだけでは、行き止まりがある。閉塞感が出る。現場から絶対的な距離をおいた「あるべき姿」の次元を考える未来構文が必要になる。未来構文の内容を考え語る習慣を獲得すれば、我々は能天気にはならない。

切って揃えられたようなことを言う国民にもならない。さすれば、個人主義も理解できる。

我々には、大学で学ぶべき新しい次元の考えがどうしても必要である。英語には、未来構文がある。だから、英米は、現実対応が適当で、徐々にではあるが、この地球上に力を伸ばして来た。我々も、この言語の力を利用しない理由はない。この着眼は、国策として採用する価値がある。              504 文字 (この文章は「開け電網時代」に投稿されたものです。)

 

 

英語学習の王道             寺嶋真一(琉球大学) terasima@med.u-ryukyu.ac.jp        20030111

 

我々は、子供のような大人をいつまで続けるつもりなのであろうか。日本語には、未来構文がない。構文がありながら、その内容を考えないのであれば、その人は思慮のない人ということが出来る。構文がないにも関わらず、その内容を考えようとする人は、雑念・煩悩に苛まれた人に見える。我々日本人が、睡眠(sleep)、微笑(smile)、沈黙(silent) 3S型能天気から脱却するには、未来構文のある英語を使って考えるのが良い。

 

英米では、「意思のある所に、方法がある」(Where there's a will, there's a way.) と言う。意思は、未来構文の内容である。日本語には、未来形がない。日本人のような意思のない人は、万事受身の態度をとる。意思のない人が、行動に踏み切るのは大変な努力を要する事なのである。行動に踏み切る時の掛け声を「精神一到何事か成らざらん」という。これは、朱熹の文で、精神を集中してなせば、如何なる難事でも成功しないことはない、ということである。要するに、行動を開始するには、気合を入れることが大切になる。未来構文の意味するところに従って手順通りに行なう事を意味していない。だから、結果としての行動は、刹那的であり迷走する。待ちの政治に見られるような日本人の消極性は、言語の問題でもある。

 

言語を習得することは、考え方を学ぶことでもある。いつまでも、日本語を使って実況放送・現場報告の発言を続けていても仕方がない。さりとて、英米人の考え方を日本語に移しかえることは極めて難かしい。だから、英文和訳を主体とする我が国の英語教育は能率が上がらない。それで、日本人は、今日に至るも英語下手である。英語を英語として学ぶことが大切なことである。四六時中、英語で話す環境が理想的である。これは、英語学習の王道である。            757 文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)

 

 

5801 英語学習の王道?             篠原健二(会社員) hopitomoyu@kdde.ne.jp                       20030113

 

英語学習が日本人の考えと行動を論理的に矯正すると考える人がいる。しかし、英語を四六時中利用している当のアメリカ人の行動の暴力性と非合理性が、その人の主張を完全に反駁している。英語を話すこと、英語で書くこと、その中に合理性と理性の種があるのではないことは明らかである。おそらく、そのような事を主張する人は、西洋の外国語は英語しかないとか、西洋人とは英米人のことであると信じているのだろうが、大きな見当違いである。確かに、英米人のエリートが日本人のエリートにはない合理的思想と論理的思考能力を持っており、それを実現しているのは事実と認めるとして、その理由が英語であると信じてしまうとは、はなはだ非見識としか言い様がない。どうして英米人の、あるいは西洋人の、一部のエリートが日本人にとって手本になるのかもうすこし本気で考える必要がある。 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)

 

 

Re:5801             寺嶋真一(琉球大学) terasima@med.u-ryukyu.ac.jp        20030113

 

篠原健二

 

私は、英語学習が日本人の考えと行動を論理的に矯正することが出来ると考える人の一人です。アメリカ人の行動の暴力性と非合理性だけが、アメリカ人の全てではないはずです。アメリカでは、頭が良くなくても、精神状態が正常でなくても英語を話します。英語を話すことと英語で書くことには、合理性と理性の可能性が存在します。個人の才能を伸ばす可能性があります。切って揃えられたような、個性のない人間にはなりにくいのです。西洋の言語は英語ばかりではないが、西洋人であっても英語を使わない国民は、その力を十分に発揮できないと考えています。英米人のエリートが日本人のエリートにはない合理的思想と論理的思考能力を持っており、それを実現しているのは事実と認められます。学問の世界では、フランス人もドイツ人も英語を使いますが、その理由は英語の特性にあるからだと信じています。英米人の優れた点を見つけ出して、我々の手本とすることが必要であります。我々日本人は、明治時代から絶えずそれをやって来ました。

433 文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)     

 

 

国のあり方       寺嶋真一    2003/01/06

 

私から見れば確かに小泉純一郎内閣は弱い、北朝鮮に好き勝手にされている。しかしその責任は内閣だけでは無い。

1に有権者・ 世論の関心の無さ、能天気による政府支援の無さ。寧ろ、小言・片言を使った政策批判と称する言動にある。

2に憲法9条のせいである。これはハッキリ言えば無為無策で居なさいと言っているのと同じです。

それを憲法の前文とか何かに照らし合わせて勝手な解釈を作り上げて自衛隊の活動としている。もうそんな事をしている時代ではない、ハッキリ憲法9条の修正条項か但し書きを追加して自衛隊は国家を守る軍隊とすべきでしょう。独立国家に自国の軍隊が居てはいけないわけは無いでしょう。その上で専守防衛の国防省で行けば良いでしょう。このままでは憲法9条が国家安全の足かせになりかねません。

北朝鮮が何をしても「したければしろ、受けて立つ」、戦争も起きてもしょうがないぐらいの気構え・態度で北朝鮮との交渉に臨むべきです。何処の国に対しても友好的な関係は大切だが、もう舐められ外交は終わりにしてほしい。指導的立場にある国は、何が正しいかを世界に公言すべきである。必要とあらば相手国にあらゆる手段を使った重圧を掛けられるだけの実力を持つべきです。その為には憲法9条の改正と国民世論が大切です。

533 文字

 

 

政党政治のこと             寺嶋真一    2002/12/24

 

民主党の熊谷弘前副代表らとの合流を目指す保守党は12月23日、政党と政党要件(国会議員5人以上)を満たさない少人数の政治団体への分割により、新党を発足させることになった。我が国の政治にとって、二大政党制など、夢のまた夢である。我が国の構造改革には、議員の頭の構造改革も伴わなくてはならない。民主政治の手本として、英米人の考え方を見習う必要がある。

 

英語は、アングロ・サクソン民族の言語である。彼らは、リーズン (理性・理由) に基づく判断を得意とする。いわゆるリーズナブルな判断である。それ以外の判断は、盲目の判断である。

 

英米人は、英語を使う。英米流の考え方では、政治は二大政党政治になる。有権者が論理的な二分法を活用している国では、保守か、反保守かの選択になる。つまり、二大政党制になる。英米流の判断ができない有権者の政治では、政治の安定化を求めるための一党独裁制か、不安定なままの多党政治になっている。どちらも、真の民主政治には到達しない。我が国の場合は両者の中間型で、政権交代の機能しない多党政治になっている。このように、民主国家の看板にも自ずから、その質的な違いが出て来る。我々に、英米流の判断力が身に付かなければ、二大政党政治の導入もままならない。この国の政治に筋を通すこともできない。           545 文字 

 

 

英語教育法の間違いから         寺嶋真一(琉球大学) terasima@med.u-ryukyu.ac.jp        20021221

 

私が残念に思うことは、この国の英語教育においては、英米人の考えを日本語を通して理解しようとしていることである。「英語を外国語として学ぶ場合には、、、、」という特別の前提条件には、致命的な危険が伴っている。このやり方は、あくまでも便宜的なものであって、英米人の主張の根拠を理解することが難しい。

英語の助動詞shall は、ジョーン・バエズ (Joan Baez) WE SHALL OVERCOME (勝利を我らに) のように固い決意を表すときに使う。マツカーサー(Douglas MacArthur) は、日本軍に追われてフィリピンを去るとき”I shall return!(私は、必ず帰ってくる)と固い決意を示したと言われている。私のこの発言に対する理解は「未来において、私は帰る」である。これで、私には彼の意思が理解できる。モーゼ (Moses) の十戒(Ten Commandments)の中には、shall ばかりが出てくる。出てこないのは、"Respect your father and mother." (汝の父母を敬え) 一つである。これは、命令形になっている。命令形は、日本人に理解しやすい。

 

厚生省検疫課長であった宮本政於の著した「お役所の掟」は考えさせられる本である。高官達は、will (意思) も示さなかったし、 shall (あるべき姿) もなかった。個人の意思でもなければ、神の意思でもない。成るに任せた自然体である。Willのない言語を話す人は、自発性に欠けている。宮本政於には、willもあったし、shallもあった。しかし、それらは全て無視された。これが我が国の個人主義の無さと言うものである。日本人が自分の意志らしきものを示すことをためらうのは、周囲から、それがもとで徹底した意地悪をされるからである。Shall Willで構成される構文の内容を毛嫌いしているからである。本能的に目の仇にされる。「そんなこと、聞かされてもどうしようもない」というところか。なるほど、英語で考えなければどうしようもない。日本人に発展の期待が持てない原因がここにある。日本人は、個人を守る場合も、国を守る場合も、自己の意見を言わない方針で行く。これは、自己の守りの為であって、他人の助けにはならない。待ちの姿勢は、エンドレスである。わが国民は、日本の常任理事国入りを期待している。英米は、でしゃばりである。次々と提案してくる。果たして、この、自己の意見を言わない態度は、国際社会の指導者に相応しいものか。

 

物言えば唇寒し秋の空、とは、何も封建時代に限ったことではない。自由・民主のこの世の中にも通じる。日本人には、これを打破する勇気がない。裏づけとなる理屈が見当たらないからである。「理屈を言うな」「現実は、そんなものではない」という。これは、文法的な問題でもある。文法的に成立たないことは、考えの誤りでもある。「話にうつつ () を抜かしてはいけない」ということで、発言はあくまでも現実の次元に踏みとどまっている。現実のみを肯定するのは実況放送の形式である。ゆめ () の中で語る構文はない。未来の次元に軸足を定めた発想法がない。英米人とは、話が合わない。話の次元が合わない。現実の気分・雰囲気ばかりの改革運動ではテンポものろい。もっと理論に基づいた基本的な改革運動が必要である。英語を通した考え方の普及がこの国には必要である。1395文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)

 

 

自由の付け       寺嶋真一    2002/12/08

 

公団経営で国の骨格を作ろうとは、いかにも日本人的発想である。国民は、「我、関せず」であり、国の骨格に関しても受益者負担である。これも、日本人の自由主義か。個人の自由か。筋を通す事が嫌いで、不採算になれば計画自体に支障が出る。古代から、道路は国家安全のための「あるべき姿」ではなかったか。地方の人が不便でなければ、「今ある姿」で事足れりとするのか。万里の長城も、一日にしては完成しなかった。 194 文字 

 

 

無意味な対立   寺嶋真一    2002/12/06

 

道路関係4公団民営化推進委員は200211月30日の会合で、推進派と慎重派が激突した。両者の感情的な対立も含めて抜き差しならない状況に陥っていた。日本人の議論は、喧嘩になる。だから、議論ができない。

アメリカの高速道路は無料である。国家防衛系 (national defense system) として建設されたからである。ヒットラーのアウトバーンと同じ発想である。北はカナダとの国境 (90号線) から、南はメキシコとの国境 (10号線) までである。東は大西洋 (95号線) から西は太平洋沿岸 (5号線) までである。網目をなす高速道路は、有事の際の物資・兵員の輸送になくてはならない。

インター・ネツトも敵から身を守るために軍が開発した分散型の情報網である。平和の恩恵を受けて、我々も無料で使用できる。

GPS (global positioning system) も軍が開発した。これにより、砂漠に居る兵士が自己の位置を確認できる。平和の恩恵を受けて、我々はこれも無料で使用できる。

国の「あるべき姿」を練り上げてから現今の政策を割りださないと、国家百年の計が空中分解する。各々の委員は国土の「あるべき姿」を描いてみせる必要がある。公社・公団は、その為の単なる手段に過ぎないのではないか。多数の方策を掲げて首相に好きなものを選ばせたらよい。 557 文字

 

 

根本的な教育改革          寺嶋真一(琉球大学) terasima@med.u-ryukyu.ac.jp        20021208

 

毎日新聞の雑記帳(2002.12.05)によると、授業中にメールをするのは女性84%、男性77%。メール以外にも、居眠り82%、友だちとおしゃべりするが77%。授業中に食事をするとの答えも8%あったということである。レポータの大西康裕氏は、「子供の学力低下の結果? それとも、授業の中身のせい?」と疑問を投げかけているが、そんな事ではないようだ。実は、学問に関する器の問題である。英米流の学問を日本語でやるからである。

英米人は、真理は現実の背後にあると考えている。だから、真理の探究が必要になる。

だから、高等教育が必要になる。「あるべき姿」即ち真理は未来形で表現され、「今ある姿」即ち現実は、現在形・過去形で表されている。「あるべき姿」と「今ある姿」の内容は、決して考えの上で交じり合うことが無い。だから、議論が可能になる。日本語には、時制がないので、人々は真理が現実の中にあると考えている。だから、事実を丸暗記することが勉強になる。詰め込み主義でくたびれる。このやり方でも、序列順位は定める事が出来る。これが、向上心に繋がっている。

日本語で考えれば、英米人の学問には意味がない。日本語には英語に相当する構文がないので、その内容が宙に浮く。空論となる。つまり、哲学は有ること・無いことの無いことに相当する。日本語には、英米流の真理を探究する余地は無い。全ては、現実を見ればわかることだからである。だから、目的意識なく在学する。授業中に別の事をしなければならなくなる。

日本人の勉強に英語を徹底導入する事が真の教育改革になる。さすれば、国際社会で通用する人間も急増する。 682 文字 (この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。)


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