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国会風景 寺嶋眞一 静岡 無職 2003/06/06
首相の言っていることには、哲学的要素が欠けている。だから、はっきり答弁できない。自分の意思を示すことができない。「後で考える」とか「まだ、これからだ」と言う。すると、いやな質問者は、自分勝手な解釈をしては、質問を繰り返す。首相は「そんな風に決め付けないでくれ」と言う。陳腐なやり取り。これでは、時間がいくら有っても足りない。うんざりする。
我々にとって大切なことは、哲学的な要素である。具体的なことは、個人・個人で同じにはならない。そのような事柄に関して、いちいち相手に不満を申し立てていたのでは、牛馬の調教のようなものになってしまう。他人への不当な干渉というしかない。「有るべき姿」を一致させたら、具体的なことは、責任者に任せるべきだ。「有るべき姿」の違いであれば、有権者の審判に従わなくてはならない。
351 文字
昔ながらの山桜 寺嶋眞一 静岡 無職 2003/06/04
自由党の「日本一新・新しい憲法を創る基本方針」の中に、「一、国及び国民のあり方について」とあり、(1)日本人の心と誇りを取り戻す。という項目があった。至極もっともなことと考えられるが、何となくうんざりさせるものがある。
日本人の心といえば歌詠みの発想法を指すのではないか。日本人の誇りといえば、序列観念に基づく自己慶賀のことではないか。うんざりする。もう、聞き飽きた。これも、私が、小学生のころから、日本崇拝を学校で叩き込まれたからであろうか。
日本語のばらばらな単語による雰囲気の表現には、意味もなければ誤りもない。議論にもならなければ、説得力もない。一国平和主義のようなものか。誰もついてくるものはいない。これでは、国際社会は渡れない。
自己慶賀に基づいた見方をすれば、日本史を書くときにも問題を起こす。ましてや、世界史などは書けない。歴史哲学とは無縁の態度を示す日本人は、世界の指導者になる資格はない。我々は、歴史から学ばなくてはならない。さもなければ、歴史は繰り返す。
昔ながらの山桜かな。 445 文字
個人主義を忘れた議論 寺嶋眞一 静岡 無職 2003/05/29
自民党が今国会への提出をめざす教育基本法の改正案の調整を本格化させた。最大の焦点となっている「国を愛する心」の取り扱いについては、「国」という言葉を「くに」や「郷土」に置き換えたり、解釈を明確にしたりする妥協案が浮上している。だが、わが国の教育の根本問題は個人主義のなさにある。「国」を「くに」や「郷土」におきかえたとて、わが国の没個性の是正に何の効果があろうか。国家主義に結びつくことを懸念する。統治機構を愛せと言いつつ弱腰の個人に犠牲を強いることになる。没個性の悲惨さは、先の大戦を見ればはっきりしている。為政者がこの強制に執着する理由も外にない。戦前の国家主義に回帰しないことを示す「解釈」を前文に明記することなども、自衛隊の戦車を特車と言い換えるような言葉の遊びに過ぎない。書いただけでは意味をなさない。どうして「あるべき人の姿」として、わが国の個人主義を育成することに教育の努力が絞られないのか。
403文字
日本人社会 SHNICHI TERASHIMA 静岡 無職 2003/05/12
日本人の多くは自分たちに主権(責任と権利)があるということを認識できないと言う点で低能力である。日本人の多くは自分自信が考えなくてもなんとかなっていくと政治家やマスコミに任せきっている点で不安定である(これも、能天気な点かな?)。それは、日本人の多くが自分と社会との一体感・哲学をもっていないから?自分の社会の諸問題、社会のあり方、社会の方向性などについて一貫した考え方を持っている、いや、哲学でも持っている人がどれだけいるのだろう?そういうことを考えないでもやっていける、そうするしかない。哲学を考えさせないようにできた言語の性格なんだと思われるのですが・・・。日本人は低能力なのか?狡猾なのか? 周囲の雰囲気に敏感で、同調しようとする人が多いのは、事実と思います。ご唱和の政治を理想としている。つまり、自分がない (無我) って事でもあるし、自分の考えでもないことに責任を押し付けられる事からは逃げたがるという至極当然の態度をとる人種である。420 文字
天下泰平・我関せず 寺嶋眞一さん その他 2003年5月9日 投稿
日本は世界を排除することに見事に成功した。その結果、いまや世界は日本を素通りしている。日本の排他主義の副産物としての孤立主義が日本を孤立させ、日本は一国平和主義のそれにむしろ安堵(あんど)している。これは、英米の世においては、異様な国の姿である。ハッピー・アイソレーショニズムと言うか、居心地のいい孤立主義とでも言おうか、昔ながらの精神構造を露呈して「天下泰平、我関せず」である。190 文字
日本人の知力の限界 SHNICHI TERASHIMA 静岡 無職 2003/05/09
小泉改革は不良債権問題をはじめほとんど失敗した。日本の衰退は長期化し、米国にとっての日本の戦略的価値は引き続き低下していく。米国は中国との新しい戦略的関係に頼らざるを得ない。アメリカは、中国をアジアの自然なリーダーと見なす。日本がアジア、とくに中国と韓国との歴史問題を克服できないことがその理由である。日本人に世界歴史が書けないのと同じ理由である。 非理性であっては、説得力を持たない。ブッシュ政権は日本重視の基本姿勢に変わりはない。ただ、米外交支配階層の主流からこのような日本観が出始めたこと自体、日本の衰退とその先行きに対する悲観論がいかに浸透しつつあるかを物語っている。287文字
日本人と政治 SHNICHI TERASHIMA 静岡 無職 2003/05/08
政治家と市民は委任される個人と、委任する個人の双務契約のようなものです。その契約内容が「公約」です。決してどちらが上か下かではなく、あくまでも対等の関係です。これが個人主義に立脚した民主主義の本来の姿です。政治家は「先生」でも「下僕」でもなく、ただ民意を実行する「執政人」だけの存在です。しかし、日本語にその原因があるのでしょう。私たちの没個性的な言語が現今のような歪んだ政治制度や社会を生み出したと思います。上下判断オンリーの考え方は没個性的なモノです。簡単に人を罵倒し、簡単に頭を下げる。こんな序列主義の醜い日本人を作ってしまったのは、われわれの言語だったのでしょう。 286 文字
三流政治からの脱却 寺嶋眞一さん その他 2003年5月8日 投稿
日本において真の民主主義が育ってないのは、戦後60年近く民主主義やってみて結局政治家とは「お上」であって自分達とはかけ離れた存在であり、選挙とは「われわれの代表を選ぶものである」という意識が欠落しているからである。この国の民は、個人特有の考えに着目し、個人を選出する力に欠けている。
政治家を、直接利害 (我利) が発生しない限り自分らの代表なんて少しも考えちゃいない。だから有権者であっても選挙に行かない人が多いし、政治とは自ら選んだ代表者が代弁者として参加し進めていくものと考えたこともない人が多いから、たとえその政策が誤った方向に向かったとしても、その個人を我々の代表と認可した自分らを自己批判することもない。
何党が何議席取った取られた云々より、「投票に行かない=民主主義の放棄」だということ、投票に行かないということがいかに一握りの人達が好き勝手 (恣意的に) に振る舞える世の中を造ってしまうかを啓蒙すべきだ。わが国は「政治家=直接利害関係のある人達の代表」が政治を動かすような前時代的な国から脱皮する時が来た。456 文字
世界は動く 寺嶋眞一さん その他 2003年4月23日 投稿
北朝鮮の核開発問題を解決するため2003年4月23日から北京で行われる米国、北朝鮮、中国の3者による高官協議に参加するため、北朝鮮の代表団が22日午前、平壌から空路、北京入りした。独裁体制の維持存続が目的なのか、その解消が目的なのか。双方で目的が違えば手段も違う。悪の枢軸・北朝鮮には、あらゆる国が武力による重圧を加える必要がある。重圧のみが、金正日に、「国体護持」の考えに再考を促す機会を与えることができる。侍の伝統を持ちながら、我が国は武力行使に踏み切ることができない。これが、我が国の憲法の矛盾である。カウボーイの伝統ある国は、ミサイルを発射できる。一国覇権主義の上に立って、戦わずして勝つことを考えなければならない。さすれば、世界は動く。一国平和主義には、それがない。338 文字
深慮遠謀 寺嶋眞一 沖縄 無職 2003/04/20
我が国とアメリカとの同盟関係について、アメリカの戦争に巻き込まれると心配する人がいる。まったく、その通りである。歴史的な話しになるが、ルーズベルトのやり方を見ればお分かりのごとく、日本を経済封鎖で締め上げておいて、苦しくなった日本が飛び出して来るところで叩くという方策をとるのである。このようなやり方で、非民主的な体制をつぶしてゆくのであるから、アメリカの同盟国は、アメリカの戦争に巻き込まれることは明らかである。この手法が、彼らの一国覇権主義を成功させている原動力になっている。この筋を我が国民が容認しないということは、我々が現今の英米の世から逸脱することになる。これは、我が国の自滅への道となる。我々は、英米との知的接触を強固なものにして行かなくてはならない。332 文字
*寺嶋眞一は、3月末日をもちまして琉球大学医学部を定年退職いたしました。
在任中は、格別のご厚情を賜り厚く御礼申し上げます。
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