温故知新  寺嶋真一 (琉球大学)  terasima@med.u-ryukyu.ac.jp     20030216

 

戦前は「付き合いが悪いぞ」と言われ、いろいろなことに狩り出された。「何事もお付き合いが大切」で、私は「本土決戦」「一億玉砕」することになっていた。他人と同じであるならば、たとえ死んでも安全と思っていた。が、思いがけない原爆投下があって敗戦となり、生き延びることができた。イラクや北朝鮮の人たちも、これと同じ考えでいるのであろうか。

あの時は、ルーズベルトとチャーチルが話し合っていた。今回は、ブッシュとブレアである。英米人の指導者が話し合うと世界が動く。ヒットラーも東條も動かされた。

 

現在の地球は、英米の世である。

そこには、中核となる人たちがいる。白人で新教徒である。彼らの言語は英語であって、民族の名前をアングロ・サクソンという。略してWASP (White Anglo-Saxon Protestant) という。彼等の数はそれほど多くはない。

その他大勢が数の上では圧倒的であるが、WASPには力がある。民主主義も彼等の仲間内であれば支持されている。有意義な話し合いができるからである。だが、何事も頭数のみで決着するとは限らない。他の民族の出身者である我々は、彼らの用意した舞台の上で、踊りを踊らなくてはならない。

アメリカにおいては、アイルランド人の子孫が大統領になったり、ユダヤ人やアフリカ系黒人が政府の高い地位に付くこともできる。が、それは、彼らがWASPの用意した舞台の上で、器用にもそれ相当の踊りを踊ることができたからである。哲学も科学も、政治家も学者も、こうしたことは皆同じである。

そうでなくては、問題を起こす。中でも大切なことは、リーズナブルな提案をすることである。何事も比較の問題であるが、個人のリーズンが少なくなるにつれて、その人の信頼度も落ちる。

イラクのサダム・フセイン (Saddam Hussein) も、北朝鮮の金正日 (Kim Jong Il) も、アングロ・サクソンの用意した舞台の上で踊りを踊ることができれば、長生きすることができるであろう。

 

我が国民は、日本語の恩恵を受けている。我々の国語は、こまやかな気遣いを表現できる言語である。目の前の事柄に注意を集中させて技術開発を促す。これにより品質の良い日本製品が生産され、販路も世界規模で拡大している。かくして、日本語は我々の生計を大きく助けている。

私は、英語と比較したときの日本語の特性・個性を述べてみたいのである。日本語をネタにして「上と見るか、下と見るか」の話をしようとしているのではない。更に知的な能力を身につけたいと望むならば、それを可能にする優れた言語の特性・個性についても考えてみたいのである。

私は、英語推進論者であるが、我が国民は日本語・日本文化を捨てなくてはならない、といったような荒唐無稽な話をしようとする意図はない。ただ、科学者のように、教科書も英語、論文発表も英語、学会講演も英語といったような学術的仕事をする大学人は、英語に堪能である必要があると述べているのである。いくら翻訳を盛んにしてみても、考え方の差は埋めることはできない。だから、その解決策を考えている。

逆に、大学へ行く必要も無い人は、小中学校で英語の授業を受けても、徒労に終わるであろう。それは、英語を話す必要というものがないからである。要は、挨拶程度の英語の必要性ではない。

英語を使った考え方に習熟する必要のある職業人が、英語を習得しているかどうかを問題にしているのである。是非、我が国の大学でも英語に堪能な人を育てたい。

 

「今ある姿」(things-as-they-are) は現在形、「あるべき姿」(things-as-they-should-be) は未来形の内容である。英語には時制があるが、日本語には、時制がない。それで、日本語は「今ある姿」のみを語る言語と考えることが出来る。

「あるべき姿」の内容を「今ある姿」の内容に変換できれば、それは創造である。「今ある姿」の内容を「今ある姿」としてこの地上に再現すれば、それは模倣である。

「今ある姿」を「あるべき姿」と比べて、その違いを指摘すれば、それは現実批判である。「今ある姿」を「今ある姿」と比べて、その違いを指摘すれば、それは格差の検出・横並びの発想になる。同次元序列の没個性的な争いも起こる。

何事も比較の問題であるから、「あるべき姿」の内容を考えることができないならば、善悪の判断も難しくなる。神様の言葉も信じることができない。

「今ある姿」に関するチマチマしたことも大切であるが、それしか喋らない人間は異様である。能天気なのであろう。

未来形の内容には、個人的な違いが見られる。だから、未来形の内容に興味を抱く人には個人主義が理解できる。

現在形 (現実形) だけを使って考える考え方を、未来形や過去形をも使って考える考え方と比較すると、民族性の違いの一端が明らかになる。日本人と英米人の違いも理解できる。 1995文字 この文章は「高等教育フォーラム」に投稿されたものです。

 

 

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