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大学でありながら、考え方には無頓着な人が多いということ。
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自然の見方           (寺嶋真一の辛口時評 6/6)

 

日本人と英米人では、根本的に見方・考え方に違いがある。日本人は、感性を働かせて、感想を述べる。「今ある姿」を述べる。英米人は、理性を働かせて、理想を述べる。「あるべき姿」を述べる。日本人は、自然をごく自然に見て、歌を詠む。自然を材料にした解剖や分析などは行なわない。実況放送・現場報告の次元で自然に関する事柄を述べる。こまやかな感性が見せ所である。英米人は、自然現象の舞台裏のことを考える。自然を暴いて、その原理を得意げに述べる。名探偵ポアロのようなものか。英米人は、この種の説明を歓迎している。

英語の ‘apparently’ (見かけ上は) という単語を「明らかに」と訳すことが多い。日本人にとって、見かけ上であることは、明らかなことであるからだ。明らかな事柄であるにもかかわらず、現象のみを逐一語ることは皮相的な捉え方となる。

英国の自然科学雑誌「ネイチャー」(Nature:自然) は、内容の程度が高いことで知られている。私の専門領域である生理学も、ギリシャ語の「自然への探求(physiologikos)」から出ている。原理を求めるのが科学である。自然の原理を技術に応用すれば、製品の付加価値を高めることができる。科学技術というのは、科学的な技術のことであるが、科学は「あるべき姿」に関する考えで、技術は「今ある姿」に関する考えである。

日本人は、前者が不得意で、後者が得意である。こまやかな感性により、製品に磨きをかけ経済的優位性を示した。感想は、時には不平・不満の表れとなり、日本人はこれを自分の意見と思い違いしている。不平・不満は、感情的な人間を動かす動機となる。だが、理性的な人間の心を動かすまでには至らない。発想法が皮相的であるので心理・原理までには到らず「「ああ、空しい、空しい」を連発することになる。日本人は、英米人の考え方に理解を示す必要がある。そうすれば、さらに賢い国民になれる。
2003年 3月 30日 えんじゅ--24         798 文字 

 

 

考え方の違い    (寺嶋真一の辛口時評 5/6)       

 

「我思う。故に我あり」と言う時の「思う」の意味は、日本人と英米人では違っている。前者の場合は感じることであり、後者の場合は、考えることである。「感じる」は、現実をそのまま感じることであり、「考える」とは、現実の背後にある仕組みを解き明かすことである。「まことの心を歌いおきたく候。」と歌詠みは発言するが、日本人は手を加えることなく何よりも純に生きたいと願っている。英米人の場合は、「オズの魔法使い」に出て来る腹話術者がトリックを使って3人を騙していた時のように、暴露話に花を咲かせる。風流な意味など何処にもないが、現実の背後を掴むことは、彼らが得意になる話の内容である。

 

現在、我が国にある大学は、英米流の話の筋を発展させるべく建設されたが、風流の伝統は拭い難く、英米の物まねも能率を上げていない。それには、言語が関係している。日本語は、実況放送・現場報告のための現実形オンリーの言葉であり、英語は、現実の裏側(真理)を語る事ができる未来形を持つ言葉だからである。   
2002年 1月 30日 えんじゅ--23         431 文字 

 

 

発展する中国への対抗策            (寺嶋真一の辛口時評 4/6)

 

地球に住む人の四人に一人は中国人であるという。中国には、日本や英米の歴史的経験からは推測しがたい得体の知れない何物かがある。巨大な人口が、唯一の政権の下に支配されていることにもある。先進国の企業は、先を争うようにして中国に工場を移している。だから、先進国には失業者が増える。いくら中国で人を雇っても、労働賃金の高騰を招かない。つまり、労働力が豊富で中国人の平均的生活水準の向上は早急には望めない状態にある。日本人は、中国型の発展は望むべくも無いので、これからの発展は、英米に追従しなくてはならない。だがしかし、日本・中国では、手先の器用さを誇りにする民族であり、英米人は、「あるべき姿」に関する考えをこの地上において実現する仕事を得意としている。英米人の考え方は、未来構文の内容を使った考え方による。だから、日本人には、頭の使い方を英米流に変換するという未曾有の困難が待ち受けているといえる。しかし、これが完成した暁には、我が国民は在亜入欧の鬼に金棒を手に入れたことになるであろう。だから、我々は目先のことに囚われず、親・子・孫の三代をかけるつもりで、倦まず弛まず英語の習得に励まなくてはならない。これが、巨大中国に対する我々の有効な方策となる。
2002年 12月 5日 えんじゅ--22         523 文字

 

 

歌詠みのこと   (寺嶋真一の辛口時評 3/6)

 

日本人には、恣意 (self-will) があって、意思 (will) がない。恣意 (私意・我儘・身勝手) は言葉の発達していない幼児期の状態で、意思は、未来構文の内容を表すことのできる思春期からである。未来構文がなければ、幼児期は続く。恣意は、何処の国でも認められない。そこで、大人の恣意を抑制する為に序列観念を植え付け、序列作法を励行させた。戦後、序列作法は、「封建的だ」とされ、アメリカから自由が導入された。だが、日本人に英米人の如き理性判断 (rational judgment) ができるようになったわけではない。時制がない時には、現実以外に関する事柄が考察の対象から外される。だから、日本人には基準となる考えがなく、二分法 (dichotomy) が出来ない。つまり、日本人には正誤を判断することが出来ない。時制がない考えは、全ては「裏と表」の判断になる。かくして、理性によるブレーキの効かない自由の履き違いが起こった。現実以外に関する事柄の内容はバラバラな短語となリ、日本人の歌となる。かくして、日本人は、ひよわな花の歌詠みとなった。           2002年 9月 25日    えんじゅ--21      464 文字 

 

 

哲学の大切さ    (寺嶋真一の辛口時評 2/6)

 

去る6月はワールド・サッカーに日本国中沸いたが、トルシエ・ジャパン躍進の要因は、1) 組織としての危機感の共有、2) しがらみの排除、3) 信念へのこだわりなどと考えられる。外国人は、日本人に無いものを補ってくれることもある。能天気の人間には危機感が湧かず、序列人間には、序列しがらみの排除が難しい。哲学がなければ、信念へのこだわりもなく、諦観を選ぶ。これが、我が民族の欠点である。

 

英米では、博士 (doctor) といえば、言わずと知れた哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.) のことである。外国人もPh. D.の学位を取ろうとして我が国を目指してくるが、この国にあるものは理学博士などチマチマしたものばかりで、真の(哲学)博士にはなれない。日本人の考えは、全ての事が現実の中で成立っているためである。これらの日本的称号では、国際的に通用しないので、博士号をPh. D.とわざと英訳して、送り出すことにしている。哲学がなければ、所詮、学問自体も成立たない。      
2002
年 7月 15日 えんじゅ--20              429 文字

 

 

個人の考え        (寺嶋真一の辛口時評 1/6)

 

▼福田官房長官は鈴木宗男氏の公設秘書らが逮捕されたことについて、記者団の質問に答えて、「びっくりしている。まことに残念」と述べたうえで、「鈴木議員がご自身の責任、政治責任についてどのように考えているかが大事だと思う」と語った。個人の処遇は、ルールに従って客観的に判定されるものであって、鈴木議員個人の趣味・考えとは関係がない。また、本人の意向が通るような事柄は、ルールでは定められない。▼靖国問題は、日本人は、どうでも良い問題としてきた事柄である。ローマ人は、「趣味に論拠なし」と言った。問題が、個人の趣味の問題であるならば、政治家はその説明責任を果たすことができない。無哲学・能天気とは、個人に考えの無い事である。国がひっくり返っても責任者一人出ないのは、個人に考えが無いからである。序列によって命令だけが出ているのである。求められているものは、この世の「あるべき姿」のことである。それを外国人は、小泉首相に聞きたがっているのである。 2002年 5月 15日 えんじゅ--19        419 文字 

 

 

 

 

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