寺嶋眞一の意見 29


□北朝鮮との接し方 寺嶋眞一    静岡 無職 2003/07/11

我々は、歴史から学ばなくてはならない。金正日体制の崩壊を狙って、江戸の幕藩体制と場合と同様にアメリカの砲艦外交で行えばよい。誰もが重要視する話し合いの重要性など、何も今更強調することはない。相手は、話し合いを重要視する相手をこれまで無視してきた。それに引き換え、武力行使の選択肢をも排除しない相手には、自ら進んで話し合いを望んでいることがわかった。武力行使の選択肢のない我が国でも、相手にそれなりの重圧を加えなくてはならない。

独裁者がいなくなれば、北朝鮮は普通の国になる。

韓国が望めば、そのとき合併も可能である。

わが国は韓国の場合同様に、北朝鮮にも礼を尽くさなくてはならない。288文字


□信念か、成り行きか 寺嶋眞一    静岡 無職 60才代 2003/07/05

衆院本会議を2003年6月4日通過したイラク復興支援特別措置法案の採決で、稲葉大和元科学技術政務次官が起立をせず、反対した。稲葉氏は「(憲法の禁ずる)集団的自衛権行使につながるおそれがある。自衛隊の任務は専守防衛に限るべきで、海外派遣すべきでない」と説明した。

稲葉氏は、集団自衛権そのものに反対なのであるか。それとも、憲法で禁じられているがために仕方なく反対するのであるか。

彼の態度は信念なのか、成り行きなのか。これをはっきりさせないと、つかみ所の無い人間となる。232 文字


□恣意のこと 寺嶋眞一    静岡 無職 2003/06/27

早稲田大学は2003年6月23日夜、岩井方男・学生部長名で、全学生に「破廉恥な犯罪行為の容疑者として、学生が警察に逮捕された」と事件を取り上げ、「自由と放縦とを混同してはなりません。皆さんは早稲田大学の学生であれば、多少度を過ごしても許されると思ってはいませんか」と警鐘を鳴らした。

意思 (will) と恣意 (self-will) の見分けが付かない人間は、自由 (liberty) と放縦 (self-indulgence) の見分けも付かない。意思を尋ねる質問は「為すべきか、為すべきでないか」と未来構文の内容を求めるものである。恣意に関する質問は「やりたいか、やりたくないか」で現実構文の内容である。わが国においても英米においても、子供は通常後者の質問にしか答えることができない。

自民党衆院議員の太田誠一党行政改革推進本部長(元総務庁長官)は2003年6月26日、鹿児島市の公開討論会で、早大サークルの強姦(ごうかん)事件が話題になった際に「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」と発言した。

人々が英米流の判断力を獲得しない限り、わが国は三流政治から逃れられない。 493 文字


□新しい国際社会の一員としての時代 寺嶋眞一    静岡 無職 2003/06/14

2003年6月6日、参議院本会議で有事法制関連三法案が可決され、成立いたしました。戦後の日本で、憲法に明らかにされた戦争放棄の規定、平和国家の中で積み重ねてきた自己慶賀が根底から覆されていくことを、ひしひしと感じます。少なくとも、占領下の体制がこれで変わります。新しい国際社会の一員としての時代が始まったと言わなければなりません。

日本人は、日本人論が大好きである。他国には見られない現象である。これは学問ではない。昔から続いている「見栄と外聞」「上と見るか、下と見るか」の品定めの問題に執念を燃やしているのである。だから、フィリピン人論もインドネシア人論もこの国では盛んにならない。この話題は、日本人の民族学とは無縁である。日本人が欲しているものは、自己慶賀である。これに失敗すれば自虐的になる。歴史教科書の問題も首相の靖国参拝の問題もこうした次元の問題で、世界に向かって日本人の個人的哲学を示すには至っていない。常に内向き姿勢である。「自分さえ良ければ、、、、」と言うことか。この伝統的な頭の使い方が、日本人の国際化を妨げている。466文字


□天皇制廃止論について 寺嶋眞一    静岡 無職 2003/06/09

天皇制を廃することに賛成の人も、わが国のこの制度が日本語の序列観念を基礎としたものであることを説明しない。だから、それに代わる日本語以外の言語に基づく考え方の習得がはなはだ良くない。破壊は、創造につながらない。万葉集の時代から、現代に至るまで、日本人は「海行かば、、、、」である。自己の序列に忠誠を誓う心は消えない。没個人主義である。表面的なことばかり追いかけても、所詮、学問にはならない。人が世の中を動かすことにもならない。213文字


□「あるべき姿」と「見栄と外聞」 寺嶋眞一    静岡 無職 60才代 2003/06/07

福田官房長官は「国の緊急事態に対処するための制度の基礎であり、今後国民保護法制を始めとして、必要な法案整備をしていく」と述べ、「あって当たり前の法であり、そんな大げさなことではない」と、わが国のあるべき姿について説明した。

 「近隣諸国に懸念があるのではないか」との見栄と外聞に関する質問については、「心配するならそれは誤解であり、それを解くことは必要だ。しかし、そんな大きな不安はないと思う」との認識を示した。

わが国の判断がとかく遅れがちなのは、その判断基準があるべき姿によるものではなく、見栄と外聞にあるからだ。256文字


□積極的日本人 寺嶋眞一    静岡 無職 2003/06/04

頼まれ仕事をするはずの官僚が国会審議や議員の活動に口をだすことを禁止します。真の有権者代表である政治家自身が政策を立案・決定する本来の制度に改めます。これによって、能天気の政治家の官僚依存がなくなり、真の国民主導の政治が実現します。

国民の生命・財産と基本的人権を守ること、日本国憲法の国際協調主義、平和主義を鮮明にします。自衛権の発動としての武力行使は、わが国に対して直接の武力攻撃があった場合に行使します。国際平和維持のための活動については当事国に武力以外のあらゆる重圧を加え、わが国が国連を主導し、その決議に従って積極的に働きます。268 文字


□まじめ人間の育成 寺嶋眞一さん その他 2003年5月30日投稿

義理は序列制度・観念を指す、人情は恣意を指す。どちらも、古い日本の遺産である。見栄と外聞は、表の世界。一番大切な世界とされている。だが、表と裏を使い分けるのは、現実の中にしか住むことのできない日本人の知恵、窮余の一策といったところである。裏話は、決して邪悪な話という意味ではない。理想は、現実の外にある。理想が正しいのであれば、現実の人は誰でも罪びとである。だから、理想に照らし合わせて、自分は謙虚にならなくてはならない。それで、まじめな人間が出来上がる。そうすれば、我々も英米人と対等な付き合いができる。253 文字


□判断基準の違い 寺嶋眞一    静岡 無職 2003/06/07

福田官房長官は有事法制3法が参院で可決・成立したことについて「国の緊急事態に対処するための制度の基礎であり、今後国民保護法制を始めとして、必要な法案整備をしていく」と述べ、「あって当たり前の法であり、そんな大げさなことではない」と、わが国のあるべき姿について説明した。

「近隣諸国に懸念があるのではないか」との見栄と外聞に関する質問については、「心配するならそれは誤解であり、それを解くことは必要だ。しかし、そんな大きな不安はないと思う」との認識を示した。

わが国の判断がとかく遅れがちなのは、その判断基準が「あるべき姿」によるものではなく、「見栄と外聞」にあるからだ。森のざわめきに耳を傾けるようなものか。英米の判断基準「あるべき姿」によらなければ、わが国は三流政治から脱出できない。

見栄と外聞は、この世の出来事。あるべき姿に関する構想は、別世界のこと。あるべき姿を胸に抱いて、この世の情況にどう対処していくかが人生である。 411文字


□一国の平和 寺嶋眞一    静岡 無職 2003/06/06

意見あるもの同士が、話し合いをするというのなら、聞く価値がある。選択肢を提供する話し合いである。私も聴衆の一人として品定めもできる。ところが、意見のないものが意見のあるものに対して、不平不満を述べるのであっては、何の価値も無い。無いものねだりであっては、暇つぶしにしかならない。無いものねだりの無いものとは現実における理想の内容のこと。理想をこの世で手に入れる道筋を明らかにすることが何よりも大切。日本の一国平和主義は、この世の中においては万能ではないことがわかった。「我、関せず」とか「自分さえよければ、、、」は、外国人に喜ばれない。この種の自己慶賀は賞賛されないことがわかった。 291 文字


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