司馬遼太郎のこと A


(A1) 司馬遼太郎は、<石鳥居の垢>の中で、「陸軍当局そのものも自己暗示にかかってしまうほどにつかいつづけたのは、例によって誇大な漢語のフレーズであった。たとえば無敵皇軍とか神州不滅とかという、みずから他と比較することを断つという自己催眠の呪文 (じゆもん) である。無敵とか不滅とかという、このばかげた言葉を、給料をもらっている軍人という専門家が言いつづけ、言いつづけることによって、自分たちの本体の基礎にあるフィクションを覆いかくし、さらにはそのフィクションの上に戦略を成立せしめ、ついには世界を相手に戦争をするという、他の国なら狂人以外に考えそうにない大戦争をはじめてしまったのである。」と書いている。

キャッチフレイズは、今日でも政治家などか使っている。
日本人の場合は、そのフレイズが偉大な思想・構想の要約でないところが致命的である。
日本語には、「あるべき姿」を述べるための構文 (未来構文) がないので、その想いは、小言・片言・独り言の類になる。発想は明確な意味をなさない。和歌、俳句のようなものか。
そして、日本人は、これに酔う才能を有している。
今の地球は、英米の世の中である。世界を相手にするなら、当然、英米人を相手にしなければならない。
我々の形而下学 (物理学) の世界は、彼らの形而上学 (メタ物理学) により有効に支配されている。
だから、一億総歌詠みの国は、教育方針の転換を図らなくてはならない。
それには、英語による考え方を受け入れることがどうしても必要である。
627文字


(A2) 司馬遼太郎は、<大正生まれの「故老」>の中で、「その装備は満州の馬賊を追っかけているのが似合いで、よくいわれる「軍国主義国家」などといったような内容のものではなかった。このことは昭和十四年のノモンハンでの対ソ戦の完敗によって骨身に沁 (し) みてわかったはずであるのにその惨烈な敗北を国民にも相棒の海軍にも知らせなかった。その陸軍が強引に押しきって、ノモンハンからわずか二年後に米国と英国に宣戦布告をしているのである。こういう愚行ができるのは集団的政治発狂者以外にありうるだろうか。」と書いている。

日本人は、対ソ戦の完敗を教訓として生かすこともできず、米国と英国に宣戦布告を控えることができなかった。
あからさまな愚行は、理性の人のすることではない。発狂者以外にはありえない。
なぜ、日本人は、集団的政治発狂者になるのか。それは、理性がないからである。
日本人にあるものは、俗に「精神力」と呼ばれている恣意 (私意・我儘・身勝手) の力である。
感情に任せて恣意の力を暴走させる。大和魂の表れか。
それを抑える理性のブレーキの無い動力車であることが致命的である。とことん先に行ってしまう。
日本人は、理性の人ではなく、根っから感性の人である。
日本人は、哲学者ではなく、伝統的な歌詠みである。
こうした事情が、日本人を政治音痴にしている。
557文字


(A3) 司馬遼太郎は、<大正生まれの「故老」>の中で、「まことに戦争はイヤである。しかしながら政治的発狂はスキである。というイヤ・スキではまだまだ日本人は油断がならず、イヤダイヤダと言いながら集団ヒステリーをおこしつつ戦争ごっこをしている反戦騒ぎをみると、そのアジビラの文体と言い、アジ演説の口調と言い、なにやら東条という人がつい思いだされてならない、、、、、、。」と書いている。

「日本人は、フィーリングでものを言うからな」と誰かさんが言った。
「我思う。ゆえに我あり (I think, therefore I am.)」の「思う」は、英米人の「考える」であり、日本人の「感じる」である。
日本人は、感性を働かして感想を述べる。そして、行動にでる。で、太平洋戦争には戦略というものはなかった。「本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか」という日本人の発言は感性に関することである。
英米人は、理性を働かして理想を述べる。そして、行動にでる。だが、かれ等は理想的な行動に出るのではない。理想的行動を念頭において、現実的行動に出るのである。それで現実世界での迷走が避けられる。現実支配が可能になる。
489文字


(A4) 司馬遼太郎は、<石鳥居の垢>の中で、「日本の参謀本部の作戦は、「師団は師団である以上万国均一」という一大フィクションのもとに樹てられ、遂行されたのである。「そいつはどうもちがうなあ」などと、もしそのフィクションに対し、ただの常識を強力に主張する新聞、もしくは言論人が多数存在したとすれば、日本の運命も変わっていたに違いない。、、、しかしそういう言論は一行も存在しなかったのである。理由は、知識人や言論人のだらしなさではなかったように思える。たれ一人としてこの単純なことに気づくものがいなかったのではないだろうか。」と書いている。

日本人の発想内容は、英米人のように「あるべき姿」と「今ある姿」に区別されていない。
「あるべき姿」は、未来構文の内容で、「今ある姿」は現実構文の内容である。
日本語には時制の区別がないので、この種の考えの区別も無い。
「師団は師団である以上万国均一」という陳述が「今ある姿」に関するものであるならば、相手が事実誤認をしていることを指摘することもできた。
また、それが「あるべき姿」に関するものであるならば、「今ある姿」と対比することによって現実を批判することも可能であった。
だがしかし、「あるべき姿」と「今ある姿」に区別されていないのであれば、ただのそういう発言というよりほか仕方がない。したがって、事の正否に言い及ぶ範疇にはない。
日本人が議論下手なのは、このような理由による。
599文字


(A5) 司馬遼太郎は、<人間が神になる話>の中で、「昭和二十年以前の日本人は天皇を、たとえば稲荷 (いなり)さんや天満 (てんま) さんなどとおなじグループの、そしてそれよりは神格の高い神であると本気でおもっていたろうか、、、。「ある時代人が何を思っていたか」ということは歴史を感覚としてとらえる上できわめて重要なことなのだが、しかしごく最近の、それも日本人の共通の問題であったことさえ、それを感覚の課題としてとりだすのはこのように困難なのである。歴史小説などは、そういうものに厳密であろうとすれば、ひょっとすると書きようもないものかもしれない。」と書いている。

感覚は、移ろう。
日本人の共通の問題であっても、厳密であろうとすれば、感覚の課題として取り出すのは困難なのである。
日本人が感覚に固執している限り、日本人の共通の問題を書きようもない。
だがしかし、歴史的事実を哲学の課題として取り出すことは可能である。
「あるべき姿」に関する内容であるならば、「今ある姿」と対比することによって現実を批判することも可能である。
だから、日本人には難しいとされる歴史教科書も書けることになる。
481文字


(A6) 司馬遼太郎は、<見廻組のこと>の中で、「幕末に世に出て、ほろびゆく徳川家に対しオクタン価の高い忠誠心を発揮した幕臣の多くは唯三郎のような越階 (おつかい) 者である。、、、、名前をあげてゆくときりがない。かれらは先祖が幕臣になったのではなく、自分自身が新規に幕臣になるという感激を体験したし、その感激は同時に衰えゆく幕威に対する悲嘆になり、ときには幕府に仇をなす反幕勢力や分子に対する激しい憎悪になったにちがいない。」と書いている。

日常の「上と見るか、下と見るか」の判断は、日本人の言葉となって言い表される。
だから、日本人には、序列順位昇進の喜びがある。この喜びは、今も昔も変わらない。
昇進の努力を促すものは向上心である。
現今の大学進学者の学校選びなども、このような判断の下に行われている。
横並びの比較は、どんぐりの背比べのような状態にとどまることも多い。
だが、いったん手に入れた序列を否定することはむずかしい。
他に価値判断が得られないからである。
日本人の考えにはリーズン (理性・理由) がない。
「義理 (序列) が廃れば、この世は闇だ」となる。閉塞感がある。
475文字


(A7) 司馬遼太郎は、<戦車・この憂鬱な乗物>の中で、「ある大学で慢性的につづいている他派への相互の残虐行為というのを最近くわしくきいたが、それはかつての日本軍が中国人に対して加えたそれとひどく似ているようにおもえて、暗然とした。
日本人は地球から消えてしまえと思いたくなったほどだが、しかし昭和初期よりこんにちがめぐまれているのは、この土俗的ファナティシズムが政治権力と無関係の学園の構内だけで政治あそびとしておこなわれていることである。
これらが市民社会になだれこんでくる事が珍事としてときにおこるにせよ、昭和初期 (昭和二十年まで) のように権力を構成する連中が常住あの気分や調子になっているのではないためにわれわれはたすかるのである。」と書いている。

日本人には、リーズナブルな答えを求める習慣がない。
いわんや、大学においておやである。
だから、せっかくの努力も空しい結果に終わる。
我々は、考え方を根本的に改めなくてはならない。
そのためには、リーズンの獲得を目指した英語の習得が欠かせない。
439文字


(A8) 司馬遼太郎は、<戦車の壁の中で>で、「日本の戦車兵は絶望というより、日本人くさい諦観 (ていかん) の壁の中にいた。戦時の戦略外交ができるだけの政治家をもっておらず、かといって戦争をやめるだけの勇気のある政治家もおらず、戦車の数はわずかしかなく、それも型がずいぶん遅れていて、その型の生産さえストップしていた。むろん戦えば必ず敗けるということは、どの戦車兵も知っていた。
ところが、私にとっていまでもふしぎにおもうことは、自分が乗っている兵器の頼りなさについて不平をこぼした戦車兵というものにであったことがなかったということである。

司馬氏の戦車兵に関する不思議は、司馬遼太郎氏自身に関する不思議でもある。
兵器の頼りなさについての結論は、理性判断に基づいている。
日本人は、個人に何らの理性をも期待していない。
だから、理性判断の結論を他人に語るには及ばないし、また、他人に尋ねるにも及ばない。
意思は、未来構文の内容である。だがしかし、日本語には未来構文がない。
日本人は意志薄弱で、意思決定が極めて難しい。個人の意思に基づく行動には出られない。
そこで、日本人は、危機に際しては、目をつぶって観念するしかない。これは、諦観である。
諦観がえられれば、不平を述べる必要も存在しない。
532文字


(A9) 司馬遼太郎は、<戦車・この憂鬱な乗り物>の中で、「昭和初期の権力参加者や国民ほど愚劣なものはなかった。江戸文明は成熟した政治家や国民を生んだが、大正末期から昭和初期にかけて出現する高級軍人や高級官僚は飛躍的にひらけた国際社会のなかにあった日本の把握や認識がまるで出来ず、幼児のようであった。」と書いている。

世界から隔絶された我が国の江戸文明は、それ相応の成熟した政治家や国民を生んだ。
だが、現在の地球は英米の世である。高級軍人は消えたが、高級官僚は残った。
軍人も官僚もどちらも日本語を駆使する日本人である。
英語にもとづいて下されるアングロ・サクソンの判断の仕方は、いまなお理解不能である。
英米人の判断は、リーズン (理性・理由) に基づいている。
だから、上下判断を使う日本人がいくら精神修養を積んでも、英米人の知力を手に入れることはできない。
英語を第二公用語とするなどして、努力目標を和魂漢才から和魂英才に切り替える必要がある。
412文字


(A10) 司馬遼太郎は、<戦車の壁の中で>で、「戦車戦は、勇気が主題になるものではなく、武装と防御力の差がすべてを決するということも知っていた。それでもなお、「こんな戦車で戦えるか」と、口に出していう者をついぞ見なかったというのは、あれはどういうわけであろう。」と書いている。

日本人の意味する勇気は恣意 (私意・我儘・身勝手) の力で、英米人の理性判断 (rational judgment) に基づく勇気とは別物である。つまり「強盗をするのにも勇気がいる」といったようなものである。「こんな戦車で戦えるか」という結論は、理性判断に基づいている。だから、日本人がいくら精神鍛錬を積んでも、英米人の勇気を手に入れることはできない。
304文字



2004年,平成16年5月25日 (ホームペイジ開設一周年記念)

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