司馬遼太郎のこと B
(B6) 司馬遼太郎は、<この国のかたち 4・ (日本人の二十世紀)>の中で、「ロシア側は奉天敗戦後、引き下がって人を建て直し、訓練を受けて輸送されてくる兵員を待ち、弾薬を充実させています。そのときに平野に展開した日本軍はほとんど撃つ砲弾がなくなっている。訓練された正規将校は極めて少なくなり、いきのいい現役兵は極端に減っていました。日本国の通弊というのは、為政者が手の内――とくに弱点――を国民に明かす修辞というか、さらにいえば勇気に乏しいことですね。この傾向は、ずっとのちまでつづきます。日露戦争の終末期にも、日本は紙一重で負ける、という手の内は、政府は明かしませんでした。明かせばロシアを利する、と考えたのでしょう。」と書いている。
小松真一も、<虜人日記>の中で似たようなことを書いている。「負け戦は負け戦として発表出来る国柄でありたかった。調子の良い事ばかり宣伝しておいて国民の緊張が足らんなどよくいえたもんだ。もっとも今度の戦争は百年戦争だなど宣伝されていたのだが、どう考えても本当のことを発表する可(べ)きだつたと思う。外国をだますつもりの宣伝が自国民を欺き、自ら破滅の淵に落ちたというものだ。いずれにせよ「転進」という言葉が出来てから日本は一回も勝たなかった。今度の戦争を代表する言葉の一つだ。」と。
無知な国民が、国力の足しになるとも考えられず、これはどうしたことか。「日本は紙一重で負ける」と為政者が言えば、日本は本当に紙一重で負けることになるのか。言霊の威力を本当に信じたのか。司馬遼太郎は、次の段落で「不正直というのは、国をほろぼすほどの力があるのです」と結んでいるが、この国の為政者は、未来構文でつづられた自国の運命を直視できないのであろう。それは、日本語に未来構文がないからである。たとえ、その内容を国民に打ち明けたとしても、国民は未来構文の内容など空論として絶対に受け付けないであろう。彼らは、未来に関する事柄を筋道付けて考えることができない。その不安を取り除く方法は、国民を現実の情報から遮断する以外にない。そして、国民は無知に留まる。日本人の知的水準の低さは、どうもこの辺に起因するようである。この場合、修辞とはまさに未来構文のことである。
928文字
(B5) 司馬遼太郎は、<この国のかたち 4・ (76 士)>の中で、「江戸体制はいうまでもなく身分は世襲制だった。また中国や朝鮮のように科挙の制がなかった。なかったからこそ幸いだったといってよく、もし漢文の古典を朱子学の法則どおりに丸暗記して身分上昇せねばなせないような体制だったら、江戸後期の諸学は興らなかったろう。むろん、のちの近代化が不可能なほどにアジア的停滞におちいっていたにちがいない。」と書いている。
にもかかわらず、今の日本の教育は丸暗記の詰め込み主義に陥っている。どうして、この丸暗記の方法が是認されるかというと、試験制度 (選抜制度) がなければ身分上昇に情実主義 (えこひいき) が起こるからだという。だが、こうした試験によっても優れた個人を選ぶことにはならない。個人主義がないからである。個性豊かな内容は、未来構文の中に見られるが、日本語には未来構文はなく、日本人にはその考えもない。身分制度の撤廃に続く個人の解放により、我々の社会は更に進歩・発展するものと考えられる。
434文字
(B4) 司馬遼太郎は、<この国のかたち 4・ (81 別国)>の中で、「わたしは、22歳のとき、凄惨な戦況のなかで敗戦を迎えた。おろかな国にうまれたものだ、とおもった。昭和初年から十数年、みずからを虎のように思い、愛国を咆哮 (ほうこう) し、足元を掘りくずして亡国の結果をみた。」と書いている。
日本人は、感性を大切にする。気分・雰囲気は現実支配の頼りにはならない。自分でも判断できる「おろかさ」が避けられない。
英米人は、理性を大切にする。彼らは、「あるべき姿」としての内容を自己の世界観として持っている。政策の転換はあっても、世界観の転換はむずかしい。
268文字
(B3) 司馬遼太郎は、<この国のかたち4・日本人の20世紀>の中で、「なぜリアリズムを失ったか 、、、、 どうして大正のある時期に、日本はもう戦争はできない、専守防衛の国である、ということがいえなかったのでしょう。 、、、、 陸軍省や海軍省の省益がそれをさせなかったのでしょうな。官吏としての職業的利害と職業的面子が、しだいに自分の足もとから現実感覚をうしなわせ、精神主義に陥っていったのでしょう。物事が合理的に考えられなくなる。」と書いている。
してみると、日本人の精神主義は、合理的な考えを阻害する考え方であることがわかる。しかも、物事が合理的に考えられなくなるきわめて悪質な病である。意思 (will) は未来構文の内容であるが、日本語には未来構文がない。それで、日本人には意思がない本人に行動を起こさせるときには恣意 (self-will) を鼓舞する必要がある。日本人の精神主義は恣意 (私意・我儘・身勝手) の高揚である。恣意を胸に抱いて気合を入れると、気分・雰囲気に酔った勢いで行動に出ることができる。恐ろしく危険な日本病の一種なのである。
462文字
(B2) 司馬遼太郎は、<風塵抄 (58平和)>の中で、「平和とは、まことにはかない概念である。単に戦争の対語にすぎず、"戦争のない状態" をさすだけのことで、天国や浄土のように完全な次元ではない。あくまでも人間に属する。平和を維持するためには、人脂 (ひとあぶら) のべとつくような手練手管 (てれんてくだ) が要る。平和維持にはしばしば犯罪まがいのおどしや、商人が利を逐(お)うような懸命の奔走も要る。さらには複雑な方法や計算を積みかさねるために、奸悪の評判までとりかねないものである。例として、徳川家康の豊臣家処分をおもえばいい。家康は三百年の太平をひらいた。が、家康は信長や秀吉にくらべて人気が薄い。平和とは、そういうものである。
一国覇権主義は必要である。
武力行使を含む重圧も必要である。
反米デモなどどこにでもある。
平和念仏主義では、平和はやってこない。
370文字
(B1) 司馬遼太郎は、<権力の神聖装飾>の中で、「皇帝の権威を成立せしめるのは型であるということを、儒者の叔孫通 (しゅくそんつう) はよく知っていた。 、、、、その型を演技することによって皇帝は、ナマ身の劉邦その人ではなく、皇帝とはたぶんに形而上 (けいじじょう) 的存在であることがわかった。さらにいえば皇帝の尊貴さとは礼をおこなうことによってのみ臣下にわかるものだということがわかった。権力の魔法としての礼が中国に定着するのはこのときからである。この長楽宮での拝賀の儀式がおわったあと、劉邦自身がわが身が変身したことを知った。「わしは今日にしてはじめて皇帝の貴さを知った」といった。」と書いている。
中国語には、敬語がない。だが、日本語、韓国語にはある。だから、北朝鮮人の物言いも、日本人と似たものになる。
日本も韓国も共に儒教の国である。皇帝グループを除いた中国人には、儒教は馴染みの薄い教えである。
「上と見るか、下と見るか」の考えは、孔子の考えとは離れて、日本・韓国の国民には言葉を通して親しみのある考え方であったに違いない。
日本人の社会は、今日に至るまで、世俗の上下を争う社会となっている。これも向上心の表れなのであろう。
英米人の理性は、個人に基づいている。博覧強記を争わせる入学試験によっても、没個性のために理性判断は得られない。
それにしても、尊敬の念の育成にはとりわけ礼が必要であることを司馬遼太郎は指摘している。
604文字