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閉塞の元凶は、個人主義
106962 > 教育改革の限界
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/03/08 PM00 【印刷用へ】

> 閉塞の元凶は、個人主義
> 1385 教育改革の限界
> 坂元恵  ( 22 福岡 経理 ) 01/03/14 PM10 【印刷用へ】
> 少年犯罪など、いろいろな問題が浮き彫りになってきて、今の教育改革に繋がっていると思います。そこでは、もっとゆとりあるカリキュラムで、個性を大事にさせるようと言われています。総合学習の時間が設けられたり、奉仕活動の義務化も盛り込まれました。
> だからといって、果たして今の学生に、個性というのは期待できるのでしょうか。私も私の個性って何か分からない。人と違うことが個性というのならば、そんなものは誰もが持っているのではないでしょうか。更に個性を逆手にとった、横暴なものが増えるのではないかと思います。

個人に理性がないならば、個性を逆手にとった、横暴なものが増えるでしょうね。
日本人には、理性の教育が大切です。84116
日本人に理性 (リーズン) に関する理解が無ければ、個性を逆手にとった揚げ足取りに反論できません。84819

> 個性、個人という言葉を使って一見その人を尊重しているところを見せているけど、奉仕活動の義務化ということには、個性なんか配慮していない。

日本語には、未来構文がない。そして、日本人には、意思が無い。82057
それは、意思は未来構文の内容だからである。
意思 (will) の無い個人に奉仕活動をさせるには義務化しなければならない。93930
意思のない人間の個性は、アニマルの個性のようなものになる。
つまり、非言語活動に関する個性である。99945
それで、調教が必要になる。92478(正誤表:定時→呈示)
調教は、ナウな感じのする軍隊教練のようなものか。

> 教育改革の矛盾を感じます。教育改革の提案者自体、もうどうしていいのかわからないのではないでしょうか。

同感です。英米流の教育を日本語で解釈しても成り立ちません。82320
だから、現在の教育改革に矛盾を感じます。
教育改革の提案者自体も、英米人と日本人の考え方 (メンタリティ) の違いをどうしていいのか分からないでしょう。82285
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オスとメスの原基構造(動物の性原理)
106902 > 雌雄分化は “男ってなに?女ってなに?”の原点
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/03/07 AM04 【印刷用へ】

> オスとメスの原基構造(動物の性原理)
> 106886 雌雄分化は “男ってなに?女ってなに?”の原点
> 嶺山志保  HP ( 25 千葉 受付 ) 06/03/06 PM10
> クマノミなどの魚類の中には、生体になってからもオス⇔メスの性を変化させることが出来る。(集団の中で一番大きいのがメス。メスが死んだらオスの中で一番大きいのがメスになる。現メス以上に大きいオスが現れたら、大きいほうがメスになり現メスはオスに戻る。)
> 両性類だったら、オスからメス・メスからオスへの一方方向だけ。
> どちらの場合も集団の外圧状況によって決まる。外圧状況によって性を変化させることが出来るなんてすごいなぁ〜と思った。

環境に適応した生物の進化ですね。

> しかし、更にそこから適応した哺乳類は生まれたときから性が決まっている。“魚類→両性類→哺乳類”適応を重ねれば重ねるほど性を固定化していっている。

哺乳類は、最高の進化ですね。

>>雄雌原理である『運動性』と『安定性・保存性』の原理を、個体(成体)にも貫徹した方が、より分化・統合が進み、適応力を増したからだと思います。(68060)
> サルから人間への進化だけでなく、生物史レベルからみることで“男って?女って?それぞれの役割って何?”って、すごい奥深いことなんだと思いました。

遺伝子により、個体の形質が子孫に遺伝される。
人間も女だけ生存すれば、子孫を作ることができる。ただし、これはコピー人間 (クローン人間) である。
遺伝子は汚れやすい。つまり、遺伝子は、放射能などで傷つきやすい。
一旦遺伝子に異常が生じたら、コピー人間は、それで異常となり存続できないことが多い。多細胞動物では、奇形になる。つまり、子孫を残すことなく死に絶える。どんな忠実な複写機を使っても、原画の汚れを落せないようなものである。
多細胞動物は、ビールスなどとは違って遺伝子を突然に変異させて存在することが難しい。

自分の遺伝子が傷ついても子孫を残す方法がある。
それは、自分の遺伝子を半分だけ使って、残りの半分を他の個体から取ることである。
両個体の傷ついていない部分同士のみを使って子孫作りを行なえば、子孫の遺伝子から傷を除去することが出来る。
だから、人間 (女) には男が必要である。男は、人間の遺伝子 (生きた設計図) の片割れを保持するために生きている動物である。
この方法は、多細胞動物が子孫を残して生き延びるために極めて有効な方法になっている。
だから、小さなアリから大きなクジラまでが、雌雄異体であることには生物学的な意義がある。
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閉塞の元凶は、個人主義
106839 > 「傷つけ合わない」「批判しない」という行為には「寂しさ」が伴う
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/03/06 AM07 【印刷用へ】

> 閉塞の元凶は、個人主義
> 44312 「傷つけ合わない」「批判しない」という行為には「寂しさ」が伴う
> 瀬川直人  ( 23 大阪 会社員 ) 02/11/22 AM00 【印刷用へ】
> 今の若い人達は、小さい頃から「個性尊重、自分らしく、自主性をもって行動しなさい」などと言われ続けてきた。だからその人自身は個性的であろうとしてきたし、相手の個性も最大限尊重しようとする、プライベートな事柄も大切に考える。例えば相手に、「俺が好きでやってんだから」「別に誰に迷惑かけてるわけでもないし」みたいなことを言われれば、ほとんどの場合それ以上の言及はしないし、なんとかそれを認め合おうとする。(個人・個性を尊重しないといけないから)

同感です。個人主義も不十分のようですね。106000

> 若い人には「傷つけ合わない」という暗黙の了解みたいなものが存在しているような気がする。
だから、結果的に相手との意見(自我を含めて)の衝突はおこらない。
> こういった状態を表層的に捉えれば、今の若い人は、相手の気持ちを考え、自我のぶつかり合いで争いを起こすことも少ない、「優しい人」にみえる。
> ただ、本当のところそういった状態が望ましいものなのかといえば、少し違うような気がする。

同感です。だが、「議論をすれば、喧嘩になります」といった状態では、静かにしているより外ないですね。94775

> 今の若い人が形成する集団(仲間)には、圧力(仲間圧力)がない(弱い)のではないだろうか。それは、趣味によって形成される集団に近い。
> 趣味というものには、そもそも批判性(評価圧力)がない。(というか、そういう圧力から逃避した状態でしか「趣味の世界」は成り立たない) 

同感です。趣味は個人的なことで、議論できませんね。101058

> 圧力が(周りからの批判・評価)がない以上、どんなに人が集まろうとそこは、それぞれが個人的な充足を得る場でしかなく、それ以上の可能性を見出すことはできない。
> だから、圧力の働かない場(趣味の世界)は、個人の域をでることはない。

同感です。趣味の世界は歌会のようなものですね。82144

> 今の若い人の世界も同じような気がする。物理的には人と集まったり、繋がりを持ったりしていても、仲間同士の批判・圧力がないから本質的な部分では個人なのではないでしょうか。その反動として、執拗に人との繋がりを更に持とうとするのだけど、その方法が同じだから、堂々巡りにしかならない。

同感です。現実を批判するには、比較の基準となるもの(現実以外のもの)が必要です。104460
日本人の頭には、現実以外のものがありません。つまり、自分の基準 (自己・自我) が無い。105009
そこで、現実対現実の比較をすることになるが、これは横並びの競争になって序列判定にしかならない。94200
つまり、序列順位の判定談義では理想を指し示すことにはならない。95232
理想以外の内容で、執拗に人との繋がりを持とうとするのは難しいですね。93930

> 今の若い人達の「傷つけ合わない」「批判しない」という行為には「寂しさ」が伴っているような気がする。

つまらない序列順位の判定は、敬遠されますね。82942

> 確かに、若い人の仲間収束は強いものがあると思うけれど、それは本源的な意識が顕在化してきたという一方で、「寂しいから」(批判し合えない寂しさ)も一方にはあるように思う。

理想が話し合えないと、前進も無いでしょうね。ただ、迷走あるのみ。102019(正誤表: 考えることがでるので→考えることができるので)
この際、英米人の考え方を借りて現状の打開を図るべきだと考えています。106655
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その他(猿と人類)
106805 > 理の西洋人、情の日本人
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/03/05 PM07 【印刷用へ】

> その他(猿と人類)
> 22829 理の西洋人、情の日本人
> 浅野雅義  ( 34 滋賀 不動産 ) 02/02/02 AM00 【印刷用へ】
> オーストラリアに在住している著者から見て、極論すれば西洋人には感情はないのではないか。少なくとも、理(観念)が先行し、理に感情が追従する。よって感情を表現すべき場では、理によって演出された感情(怒り、喜び、愛情等)が表現される(特に交渉などでは、このコントロールが巧み)。

同感です。
英米人にとって重要なのは、理性 (reason) である。93383
感情に囚われていては、理性判断にも支障が出る。94416
感情は、理性的に表現される必要がある。
理性判断は、自分の考えた「あるべき姿」と「今ある姿」の比較の結果である。それが自分の意見となる。
「今ある姿」の内容ばかりを述べたのでは、自分の意見にはならない。実況放送・現状報告のようなものになる。82057
感情は、「今ある姿」の一部でしかない。しかも、感情は自分だけの個人的なことであるから議論にはならない。従って、感情は趣味のようなものである。83954(正誤表:「あるべき姿」関する→「あるべき姿」に関する)

「あるべき姿」は、未来構文の内容で、「今ある姿」は、現実構文 (現在構文) の内容である。
英語には、時制 (現在・過去・未来) があるが、日本語にはない。82320
いうなれば、日本文は、現実オンリーの内容で出来ている。だから、日本人の注目は、「今ある姿」の内容に限られている。
日本人の発言は、ナウな感じはするが、温故知新にはならない。105787

> 結果、西洋人は感情が豊かで、日本人は非常に淡泊で無感情であるという印象になる。しかし、日本人は常に諸処の感情を発散し、その感情を理でとらえることさえほとんどない(無意識に感情を発し続けている)。当然、理でとらえていない感情をコントロールしようと言う発想もないし、またそれをしようとしても得意ではない。

同感です。
日本人は、感情の理性的な表現方法を知らない。そして、感情をもてあまして時々爆発する。
「冷静である」というほめ言葉もない。常に「暖かい」がほめ言葉である。
爆発したところを英米人に付け狙われることになる。
かくして、この地球は英米の世になりつつある。83554

> つまり、感情に乏しいのではなく、日本人は多情なのである(情という言葉は英訳できない)。西洋人は、感情を想起すべき場でなければきわめて無感情に対応する(表現する理がなければ、感情を想起させない)。

同感です。
日本人の注目は、感情しかない。82144
それを押し殺すのが忍耐で、公言すると歌詠みになる。
県民感情の代弁者、国民感情の代弁者ばかりが選出されては、我が国の政治が成り立たない。104809(正誤表:つわものどの→つわものども)
日本人に、「理性的になれ」(Be rational!) といった忠告は無いが、感情理論といった言葉はある。
だから、我々は知的低水準から脱することが難しい。82476
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その他(マスコミ)
106718 > 学生を可能性から遠ざける大学教育
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/03/04 PM09 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 47615 学生を可能性から遠ざける大学教育
> 小西康雄  ( 38 大阪 企画 ) 03/01/12 AM09 【印刷用へ】
> 土木学科の学生に専攻の理由を聞くと、「自然を相手にするスケールの大きな仕事に挑戦したい」「社会基盤となる都市やインフラの整備に関わりたい」等、科学の追求とそれをとおした社会への寄与を積極的に求める意見が3/4を占めたそうです。

夢のある仕事がしたいのですね。尤もなことです。この世の「あるべき姿」を考えることには夢がある。81994

> しかし、学生の多くは建設業界には就職したがらないという話を聞いたことがあります。
> その理由は、業界の体質の古さ、自分の性格には合わない、汚職や談合などの社会的イメージの悪さ、業界の将来に希望が持てない、などが多数を占めており、業界自身が土木離れの原因としてあげる「3K」を理由にする学生は皆無だったそうです。

古い日本人の人情が災いとなっていますね。神様達も出雲に出向いて談合をやっていることでしょうから。83747

> 土木という業界は社会潮流から取り残されてしまい、充足の可能性を見出せないと学生たちは感じているようです。
> しかし、土木業界もこれまでの官庁主導の独善的体質・業界の私権的体質から、地域の人々が納得・充足できる社会資本整備への転換が求められています。
> 社会はパラダイム転換の過程にあるのですから、皆が新たな可能性を求めており、若者の活躍・充足の場も大きく広がっていると思います。

日本人の無哲学・能天気82476と談合体質は、容易には改善されないでしょうね。フランク・ギブニー (Frank Gibney) は、<人は城、人は石垣>の中で、『日本語は「私とあなた」の言語である。その目的は二人ないしそれ以上の人間の間のコミュニケーションの感情をつくりあげることであり、その際、人間関係を表現するのに驚嘆すべき微妙さを導入する。たとえば代名詞が省かれることは多いが、ていねいさの度合いによって「私」ないし「私たち」を表現する言葉はゆうに十種類はある。』と述べている。102033

> 土木出身者から「官僚出身の教授が多かったが、彼らは酔うと『日本を支えているのは誰だと思っているのだ』とよく話した。
> 学生たちは、官僚や教授が日本を支えているつもりでも、実際は足を引っ張っているのだと感じた。」との話を聞きました。

同感です。宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが書かれています。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話です。84220 『宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、宮「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、幹「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、宮「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、幹「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」』

> 社会の期待をそのままに知ることが出来れば、学生たちの活力は高まるはずです。
> にもかかわらず学生が閉塞する原因は、官僚・教授といった私権強者がその成功体験から脱却できないままに語る観念社会しか、知らないからではないでしょうか。
> 彼らが現実を直視し、時代認識・状況認識を得ることの重要性を感じます。

同感です。論理的、法的ないし哲学的判断のできる人物を官僚・教授を選ぶことが必要ですね。
フランク・ギブニー (Frank Gibney) は、<人は城、人は石垣>の中で、『英語を使うのは絶えず論理的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行なわせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば日本語には、”to be” [存在する] に当たる適当な動詞がない。 “being”[存在] とか “reality” [現実] のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」(concept) でさえも人工的につくらねばならなかった。』と書いている。84819
実学 (技術) のことはとにかく、観念に関しては日本人は無教養ですね。83415
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その他(マスコミ)
106686 > 何もしていなくても、ただそこに生きているだけで・・・
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/03/04 AM00 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 72004 何もしていなくても、ただそこに生きているだけで・・・
> 坂本伸一  ( 40代 青森 総務 ) 04/05/15 PM06 【印刷用へ】
> 誰もが流行のように、「ライフスタイル」「生涯設計」「老後プラン」等自分がどのように生きていくか懸命に考えようとするが、自分の周りが殆ど見えず、生きるため真に必要な情報は誰からもどのような手段を使っても手に入れられない。そんな中、どんな答えが見つかるだろうか。
> やはり根本的な社会のシステム・発想を変えない限り、透明度の高い状況は生まれてこないように思われる。もちろんそれは自分という個人にとって”都合の良い”という意味ではない。「おかしい」「変えたい」気持ちが、社会により反映されやすいという意味である。
> 「自分に心地よい」ことも「社会・環境に良かれ」と思って行っている事も、無意識のうちにとっている行動ですら、実は大抵の場合社会の上流にいる権力者(マスコミ・巨大企業・国家)によって誘導されているのではないか・・・。

同感です。
真っ先に、我が国の有識者・知識人が、無哲学・能天気を克服する必要があることを認識しなければなりません。83954(正誤表:「あるべき姿」関する→「あるべき姿」に関する)
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<日本語文庫新版への結び>で下記の段落のように述べています。

必要な政治議論を始めるための第一歩は明らかだ。権力者への問いかけである。官僚や経済団体の経済官僚たち、それにいくつかの政治家グループに対して、彼らが今何をしているか、彼らが考える日本の向かう先、そしてその根拠を問いただすのだ。国民は政治家を通して権力を行使する意志のあることを強く主張しなければならない82057。こうすることによって、日本の政治家にその本来の存在目的を思い出させるという、これまたなくてはならない一歩を踏み出すことになる。政治家の役務は日本人の総意を代弁することにあり、人びとの将来に気を使うことにある103994。自分の選挙区だけしか考えないものは政治家として劣ると言うことも、彼らにつねに思い出させなくてはいけない。

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潮流4 焦りの適応主体と目先収束
106655 > 大学生が授業に出るのはなんで?
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/03/03 PM02 【印刷用へ】

> 潮流4 焦りの適応主体と目先収束
> 68500 大学生が授業に出るのはなんで?
> 松尾茂実  ( 37 佐賀 経営コンサルタント ) 04/02/29 PM11 【印刷用へ】
> 私が学生だった’80年代後半は、大学は遊びに行くところで、授業には出ないものと決まっていました。入学すると先輩達とのオリエンテーション合宿があり、どの授業の単位が甘いか、授業に出なくてすむノウハウを教えてもらったものでした。学生はさっぱり授業に期待していませんでしたので教授も強いことは言えず、出席を取る授業でさえ、出席した5人くらいで順繰りに50人分の返事をしても教授は何も言えませんでした。

実学 (技術) の教育はともかくとして、教養に相当する英米の学問を日本語で行なうことは、いわゆる旧観念の連続思考となり、内容に意味を持たせることができません103296。それで、教授も学生も授業に期待するものは何もありません。まともな人ほど日本の大学いかなくなるかもしれませんね。‘學若し成る無くんば死すとも還らず’といった意気込みで英語圏の大学に、より多数の学生が留学することが教養教育打開の道筋になると考えられます101134。そうすれば、国際社会に出て未来に活躍する人材も期待できます。

> ところがここ数年、まじめに授業に出る大学生が増えてきました。
> 授業に出席するようになったのは、授業が面白くなったのではなく、まして役に立つからでは毛頭ありません。期待を封鎖した若者達が、新しい可能性を見つけることが出来ずに古い制度に絡め取られているに過ぎないのです。にも関わらず、出席率が増えたとたんに教授達は強気になって、「5回欠席したら、単位はやらん!」等の強権を発動し、授業出席率が100%に近い状態になっている学校さえあります。

日本人は意思が弱いので、古い制度に絡め取られやすいですね。82735
カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の中の<<システム>に仕える人びと>で下記の段落 (1),(2) のように述べています。

(1) 筆者は早稲田大学で四年間教えたことがあるが、その時に知ったのは、学内の最上位にランクされている政経学部でも、学生はほとんど何も勉強しないということだ。専門分野の本――――それも特別よく知られてもいない本のことが多いのだが――――を数冊読むだけだし、たいてい、読んだこともわずかしか頭に残っていないようだった。それでも学生が授業に出席するかぎり、通常は、単位を与えるようにと大学側から指示された。

> 古い規範や制度にとらわれず、新しい可能性を模索しようとしている健全な若者達にとって、しょうもない授業を聞くことは時間の無駄以外の何ものでもなく、まともな人ほど大学いかなくなる時代が近いうちに来るのではないかと思います。

(2) 卒業は、ほとんど自動的なものだ。ほかよりよく勉強した学生は、官庁や一流企業に入るチャンスが増える。だが、有名大学で四年間なにもしなかった学生の方が、能力はあるがランクが下の大学を出た者よりは、つねに、上位ランクの就職先を見つけられるのである。たいていの学生にとって、大学は、厳格な組織に組み込まれる企業に入る前の、つかのまの、息抜きの場にすぎない。
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国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?  
106585 > 閉塞の打破には新しい社会統合組織が不可欠
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/03/02 AM07 【印刷用へ】

> 国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?  
> 7 閉塞の打破には新しい社会統合組織が不可欠
> 北村浩司  ( 101 るいネット  ) 01/02/01 PM09 【印刷用へ】
> 現在新聞紙上では官民や政官の癒着が問題となっている。しかし問題になっているのは政治家や官僚のモラルやそれに対する、法の制裁の観点のみである。
> しかし私はこれ自体がゴマカシであると思う。そもそも官僚に巨大な許認可権や補助金の分配権が与えられ、かつそれが特権的な職業として固定化されていること自体に問題の本質があると思う。

我が国の政治家には、政治哲学がない83954(正誤表:「あるべき姿」関する→「あるべき姿」に関する)。だから、現実を理想の方向に導く意欲もない。そこで、政治そのものを官僚に丸投げする。その時、官僚は特権を手に入れる。
フランク・ギブニー (Frank Gibney) は、<人は城、人は石垣>の中のエピローグ<日本を世界に伝えよ>で、下の段落の如く述べている。

ほとんどの首相が官僚出身である日本では、一党支配が長く続いた結果、官僚に有利にことを運び、もともと官僚が持つべきでない免責的特権と、”半決定任務”を各省庁の役人に与えた。これでは財産も負債になる。決定を敏速に行なわねばならず、しかも責任ある決定を行なわねばならない世界において、この重すぎる官僚機構は、その戦術的な能率にもかかわらず、問題になっている。官僚はあまりにもよく仕事をやりすぎる。政治家の仕事ぶりは十分でない。

> 現在の官僚システムは資本主義の後進国だった日本が、先進国をキャッチアップするために、官主導で限られた資源や予算を重点配分する、あるいは特定産業を重点育成するために形成された、とよく言われる。キャッチアップのシステムとしては、過去はそれは有効だったのかもしれない。

目先・手先の感覚を頼りにして生活していた時代には、それでもやっていけた。105640

> しかし市場が成熟し、飽和した現代においては明らかにそのシステム自体のもつ弊害の方が目立ち始めている。膨大な財政赤字もある側面から見れば、予算の配分権を巡る官の既得権限の防衛的志向(抵抗)がそれを膨らませ続けたとも言える。
> 官僚組織の自己防衛志向、かつ現在の既に獲得した権限をフル活用しての抵抗、これらが重なれば改革が遅々として進まないのも当然と言える。

官僚個人は、有権者の審判を受けることもない。政治責任は、政治家の手の中にある。99205

> 最早彼らの自浄作用やモラルに、問題の解決を委ねる時は過ぎつつある様に思う。社会基盤が変化すれば、全く新しい制度と発想が求められるのは必然である。
> 固定組織あるいは社会的固定身分の制度に代わる、社会統合組織=開かれた集合という、新たな組織論の追求と具体的実践に、大いなる関心と期待を寄せていきたいと思う。

天下り問題など、人間の序列に伴う幣害がいたるところで発生していますね。開かれた集合にするには、序列人間を解放することが必要であると考えられます。106540
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国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?  
106540 > 学歴という身分から能力へ
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/03/01 PM05 【印刷用へ】

> 国家に代る新しい社会統合機構とは、何か?  
> 30819 学歴という身分から能力へ
> 冨田彰男  HP ( 38 兵庫 経営管理 ) 02/05/14 AM02 【印刷用へ】
> 学歴も身分制度です。

同感です。
身分制度は、序列制度です。94438
明治政府は、身分に代わる序列制度として学歴を採用した。いわゆる「学問のすすめ」である。
これからは、個人の能力により序列を定めるべきなのでしょうね。102897
だが、個人の能力は多岐の分野にわたるので、単純な階位制度にはならないでしょうね。
日本人が序列制度を好むのは、序列観念を持っているからである。
日本人が序列観念を持っているのは、日本語に階称 (言葉遣い) があるからである。82023
日本語の階称は、単純ではあるが、階位制度の基礎となるメンタリティを提供している。103971
だから、複雑な個人の個性を表現するのには適していない。

それにしても、人間関係において、「上と見るか、下と見るか」の序列が定まると、日本語での会話が容易になる。だから、人間が序列を作る。序列人間のこだわりですね。93729
逆に、序列関係のない人間に関しては、日本人の関心が薄い。94416
こうた事情により、日本人は個人の能力に関して井の中の蛙の状態に留めおかれているのであろう。
フランク・ギブニー (Frank Gibney) は、<人は城、人は石垣>の中の<日本文化のエコロジー>で、下の段落の如く述べている。

外国人とその問題に対する日本人の隔絶性の真の理由は、個人的レベルにせよ、国民的レベルにせよ、恥ずかしさとか、絶望的なはにかみではなく、関心がひどく欠けているからであろう。東京ないし大阪からやってきた日本人ビジネスマンがこんなに堅苦しいのは、生涯いっしょに暮す必要がなく、直接関連のあるビジネス関係の特定の初期レベル以上に好意を示しても、将来役に立つわけでもない離れた現地の人間と交際することに意義を感じていないせいではなかろうか。

> 本人の能力はどうであれ学歴でもって就職先とその後の人生が概ね決まります。近代になって封建時代の士農工商という身分制度がなくなると、社会全体の労働力をどのようにして分担・配置するかという課題が登場しました。そして、学歴が社会全体の分担・配置を決める指標となりました。つまり、学歴とは本質的に身分制度と同じものです。単に生まれついたときに決まっているか、20歳くらいまでの受験勉強という私権闘争で選別されるかの違い、つまり私権の拡大可能性があるかないかという違いしかありません(就職すると後は年功序列で昇進しますから、20歳までに一生が決まると言っても過言ではないでしょう)。
> 問題の一つは、士農工商であれ学歴であれ肩書きであれ身分が固定化され、本人の能力や努力とは無関係に評価されること、従って、サボり・堕落を助長することが身分制度の問題の一つだと思います。従って、固定化しないこと、能力・努力がリアルタイムに反映されることが今後の評価指標の一つの条件だと思います。
> 学歴という分担配置制度で統合されている社会が不全で一杯なものだから、大学の在り様が問題視され、評価圧力がかかり始めたのでしょう。引用した論説で問題になっているのは、評価しようにも評価指標が存在しないということです。評価軸がないものだから「評価を評価する」という問題が発生する。しかし、「評価を評価する」では堂々巡りにはまり、答えは出ない。封建時代の士農工商がお金という評価指標によって解体され学歴・肩書という身分に代わったように、学歴という身分制度も(リアルタイムに評価される)能力という評価指標に取って代わられ、いずれ解体するのでしょう。

同感です。序列観念の本質は、何回言い換えても序列観念でしかありえない。つまり、個人の能力を見分けるものにはなり得ないのですね。94200
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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
106390 > プロの否定
寺嶋眞一  ( 68 静岡 無職 ) 06/02/26 PM05 【印刷用へ】

> プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
> 18338 プロの否定
> 神家佳秀  ( 41 大阪 塾講師 ) 01/12/12 PM01 【印刷用へ】
>>たとえば、一切現実が変わらなくとも、より巧みな否定の論理があれば、何かを語ったことになるという、ジャーナリスト、知識人の言説がそれです18309。<<
> 私もそう思います。
> 多くのジャーナリストや知識人、いわゆる「プロ」こそ言っている中味の大半は否定のための否定にすぎない。

「あるべき姿」は、未来構文の内容であるが、日本語には未来構文はありません81994。それで、自分自身の「あるべき姿」という基準を持っていないのであるから82476、日本人には否定のための否定しか出来ませんね。
現実は、否定できません93461。だから、「プロ」は、現実を否定形で述べて見せる一種の遊びをしているようです88345。

> それにもかかわらず、その矛盾する構造が多くの大衆に悟られにくくなっている背景には、それに加担するかたちでメディアが「現代社会の問題は解決が難しく彼らプロの役割なんだよ。素人、大衆は彼らに学びなさい」といった風体で持ち上げているからではないのか。

素人・大衆は無哲学・能天気でありながら、プロに対しては、沢山の期待・願い・祈りを掛けているようですね。106379

> メディアによる洗脳といってもよさそうな行為は大衆の社会運動の芽を摘み取り続けている点で罪深いものがあると思います。

向かうべき処のない大衆の社会運動は、自家融解しがちですね。103884
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