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その他
130181 > 市民の力にかける
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/07 AM04 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 49385 市民の力にかける
> 山崎紗代  ( 21  学生 ) 03/02/08 PM03 【印刷用へ】
> テレビから流される情報を有効なものと考える人はどんどん減っている。> 特に報道では、私自身、テレビから流される情報をおかしいと感じることがある。そのことは、NGOやNPOのメンバーとして世界で活躍する人々との交流や、インターネットやEメールを利用するようになってから特に増えた。

日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識かもしれませんね。126749

> そして今や、マスコミという傍観者を通さず、同じ市民(素人)の体験による情報の方が遥かに真実を伝えていると実感している。

個人の直接体験したことは、貴重な知識となりますね。実感が得られます。91213

> それにもかかわらず、テレビは子供騙しの報道を続ける。

知的低水準は、避けられませんね。82320

> 視聴率のために事実を誇張し、偏見に満ちた価値観で善悪を決めて情報を流す。

日本人に序列観念は避けられませんね。82023

> マスコミ以外からも様々な情報が得られる現代、そんな情報で市民の共感は得られるだろうか。

市民の共感が得られるかどうか以前に、市民には批判そのものができない。92478(正誤表:定時→呈示)

更に、マスコミ内でのタブーに触れれば、内外からの圧力に押さえつけられ、真実の報道が歪められる。「報道の自由」を主張しても、旧観念の規制からは逃れられない。こんなテレビの構造に市民の興味は薄れるばかりだ。

> しがらみの強い社会ですからね。125010

> 実感に基づく真実を知り、自らの体験で得た価値観を大切にして生きることの重要性、おもしろさに気づいた市民が多くいる。

声なき民のことですね。120432

> 旧観念がはびこるテレビの中で、いかなる議論が交わされても現実味は無く、傍観者から発信されるテレビの情報を、ただ受信するだけの行動に、社会の当事者である市民が魅力を感じなくなっているのは当然の結果である。

日本語は、傍観者の言葉です。84687
テレビの情報をただ受信するだけの詰め込み教育では、当事者の満足はえられない。83415
観念 (idea) は非現実である。だから、観念には現実味がない。82354

> 市民の力を信じたい。> 旧観念が社会を全面閉塞状態にさせた真犯人であるということに気づいた市民の力で、旧観念を取り除き、実感に基づく新たな社会構造を生み出さなければならない。

実況放送・現状報告の内容には、実感がありますね。86547
観念を日本語で語ることは難しい。82285
あなたの実感に基づく新たな社会は、向かう三軒両隣のようなものですね。95320

> 社会の当事者である市民が語り合う認識交流の場、そこから広がる可能性にかけてみたい。時代を作る当事者になりたい。> おもしろい時代を作るために、労力を惜しんではいけない。

智識ヲ世界二求メですね。101134
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学校って、必要なの?
130079 > 学校の役割とは?
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/05 PM11 【印刷用へ】

> なぜ勉強しなければいけないの?
> 3307 学校の役割とは?
> 飯野均  ( 24 千葉 学生 ) 01/04/17 PM01 【印刷用へ】
> 学問、勉強、学校、といったものには、大別して二つの流れがあると思う。「教」という文字には、子供を鞭で叩くという意味があるという。これには、子供は生まれたそのままではまだ人間ではなく、鞭で叩きながら道徳心や知識を教えることによって人間になるという考え方が表現されている。日本の学校では、単に講議をするだけではなく、掃除をさせたり、挨拶や礼儀・道徳、集団行動の規律などを教えたり、「しつけ」「精神性の成長」という機能がある。これが一つ目の流れである、「子供を社会的な人間にすることを目的とした学校」である。

人間に対する調教ですね。「子供を序列社会的な人間にすることを目的とした学校」ですね。92478(正誤表:定時→呈示)

> ピアノや書道などのお稽古事も基本的にこの考え方の延長線上にあるし、「読み・書き・そろばん」と言うように、寺子屋もそうしたものであっただろうと思われる。これを「東洋的流れ」と名付けたい。「勉強」という文字にも、(嫌なことを)強いてやる、という意味がある。

中国人も「勉強」の意味を誰もが知っているようですね。

> 学問発祥の地は、様々な見解があるが、一般的には古代ギリシャとされている。そこでは従来までは神話的に説明されていた自然の諸現象を、理屈だけで説明しようとする、他の文化と比較しても異質な文化が育っていた。現在の学問体系のほぼ全ての基礎がその時期につくられていったが、では、その学問の目的とはなんであったのか。プラトンによれば、最も高級な人間は、知識を目的として生きる人間だという。また、学問にもランクがあり、最も高級なものは形而上学や数学であり、現実のものを扱うほどにランクは下がっていく。建築や農業などの実用目的のものはそもそも学問としてみなされていなかった。「知ること」そのものが人間にとって至高の価値を持ち、実用目的で知識を追求することはむしろ学問の堕落だった。

実学 (技術) はランクが下なのですね。高校卒並みですかね。84032

> プラトンが創設したアカデメイア(学校)は、学問にまつわる様々な言葉の語源となったが、机上の空論といったニュアンスも含む。これを、「西洋的流れ」と名付けたい。それはもちろん義務的にやらなければならないものではなく、むしろ「楽しむ」ものである。学者の中にはこのような人間が多いのではないだろうか。

同感です。英米の大学は哲学博士の牙城をなしています。123837
 
> 「学ぶこと」にはこうした、目的も性質も全く異なる二つの流れがあるにも関わらず、それが混同され、区別されずに論議されることに問題があると思う。小学校や中学校は、義務教育というだけあって、東洋的流れが強い。だから本来は、びしびしと厳しい授業を展開するべきであると思うし、校則も従うのが筋である。しかしそこに西洋的流れからの発想である、「自由に好きなことをやらせる」「個性を伸ばす」といった価値観が混じるとおかしなことになる。

同感です。英語文を日本語の文章に訳すと、目的も性質も全く異なる二つの流れを一つにしたときの混乱を起こします。128704
「自由に好きなことをやらせる」「個性を伸ばす」といった価値観は、未来構文の内容に基づいています。だがしかし、日本語には未来構文はなく、日本人にはその内容もない。82123

> また、高校ともなれば数学や理科などはかなり高度な内容を学習することになるが、それがもともと実用目的ではなく、知ることや、知って楽しむということに価値があることを知らなければ、苦痛で、その上全く無意味な作業にしかならないだろう。
> そして大学では、自分が何のために大学に通っているのかはっきりと答えられない学生ばかりになる。それは、学問や学校が何のためにあり、自分が今まで何のために勉強してきたのか分からないからである。

我が国は、教育あって教養なしの国柄ですね。94159
無哲学・能天気であっては、自分が何のために大学に通っているのかはっきりと答えられないですね。82879
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企業を共同体に変えるには?
129964 > 「責任をとる」って一体何?
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/04 PM02 【印刷用へ】

> 企業を共同体に変えるには?
> 68 「責任をとる」って一体何?
> 坂井コータロー  ( 20 大阪 学生 ) 01/02/11 PM08 【印刷用へ】
> 今村栄さんが「自己責任」と題して現代に欠けているのは個人の責任感だと主張しておられたが、僕は現状を「責任」などという曖昧で高慢な言葉で語ることができる物ではないと思っている。

個人の意思というものを認めなければ、個人の責任感は出てこないのではないでしょうか。93729

> まず「責任」とは何なのか。「責任をとる」とはいったいどういうことなのか。人は軽軽しく「責任をとる」と口にするが果たしてその意味を本当に理解しているのだろうか。例えば、会社において失敗した場合、「責任をとる」と称し、辞表を出す。今村栄さんの例えでいうならば武士は責任をとり切腹する。???

単語の ’responsibility’ を Roget’s Thesaurus (意味で引く辞書) で引いてみると、liability (責任のあること), function (機能), directorship (管理者の職), mandate (命令), duty (義務) の5つがあります。
この場合の「責任をとる」は、さしずめ(管理者の職)を退くことに当たるのでしょうか。98352

> ちょっとまてよ。それは果たして「責任をとった」ことになるのか?むしろ僕には責任放棄のように思われる。現実逃避である。では果たしてどうしたら責任をとったことになるのか。それははっきり言ってわからない。

あなたのおっしゃりたいことは、責任には、(答弁の) 責を負うべきとか, (道徳的に) 責任のあるという意味もあるということでしょうね。94865

> ただ「責任をとる」という言葉にはそれを発することによって、無条件に物事が許されてしまうような、お手頃な免罪符のような気がしてならない。かつそれは強力であるがゆえに人はその免罪符に甘えきって、状況の本質を知ろうとしない。

そうですね。とかく、この世は無責任と言われているように、強力な免罪符ですね。91717

> 現代に必要なのは自己責任などではない。複雑で多様化しすぎた現代世界は、既に人間の想像力の範囲を超えてしまって一個人の責任は無意味である。

一億総懺悔の形式による責任の取り方ですか。指導者不在に近い状態ですね。84432

> 僕が今必要と思うのは、阪本一馬さんが言っておられた「覚」のようなものではないだろうか。僕は「覚」を、自分の言動がどこから来る物で、そしてどこに向かうのか。そしてそれによって何が引き起こされうるかをしっかりと知っておくことだと解釈する。そうすることが状況の本質把握の第一歩であると信じている。

あなたの「覚」は、英米人の現在・過去・未来に関する内容のようなものでしょうか。103994
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実現論って、何?
129919 > 同感!議論はもううんざり
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/03 PM09 【印刷用へ】

> 実現論って、何?
> 7311 同感!議論はもううんざり
> 北村浩司  ( 壮年 滋賀 広報 ) 01/08/02 PM07 【印刷用へ】
>>●つまり、私権闘争と倒錯観念が、現実や行動を捨象した観念思考を生み、更に主張や説得や議論を作り出したのである。7245 > 今まで生きてきて数多くの議論を経験してきた。そしてすっかり議論嫌いになった。無駄な時間としか思えなくなった。

日本人に観念 (idea) は意味が無い。だのに観念に関する話をしたがっている。82354
これは、日本人の高級指向によるのかもしれませんね。82023
意味のあるなしは気にならぬことである。すぐに雰囲気に酔う。108672
無駄な時間は節約すべきですね。82285

> それは議論しているうちに、本来解決すべき課題が何であるかがいつのまにか忘れ去られ、どんどん枝葉末節に(時には揚げ足撮りに)議題がずり落ちてしまうからである。そういう時は、概ね人の心は課題ではなく自分のほうを向いている。

「あるべき姿」の内容を持っていないのであるから、「今ある姿」との乖離を論ずることはできない。84116
揚げ足取りでもしているより外ない。無哲学・能天気であるから、本来解決すべき課題があるとも考えられない。82144
揚げ足取りでも成功すれば、本人の気分も優れ、周囲から受ける雰囲気も良好なものとなろう。105213

> それをいっそう極端な形で行ったのが、従来の掲示板なのだろう。
> やはり頭(体は)は課題を突破する為だけに使いたいものです。

「あるべき姿」と「今ある姿」の比較さえできれば、課題などはいくらでも見付けることができる。82251
だが、「あるべき姿」を考える頭を作ることは難しい。81994
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閉塞の元凶は、個人主義
129878 > 決めつけ思い込み発想
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/03 AM09 【印刷用へ】

> 閉塞の元凶は、個人主義
> 22385 決めつけ思い込み発想
> 伊藤俊朗  ( 40歳代 京都 塾講師 ) 02/01/29 PM01 【印刷用へ】
>>「ひとそれぞれ」って薄めるのも、「こいつはこういう奴だから」って決めつけるのも、何の可能性もない!とすれば捨て去るのみ!<<22140 > 自分と他者との差異(それぞれ体格容貌が異なるように、生い立ち遍歴等が異なるのは当然)に固執する発想は、外に(他者に)心を開かず、自分に都合のいい意識観念をいつまでも温存する、偏狭な自己絶対化他者否定の見方です。

自分と他者との差異が、外に(他者に)心を開かない人の口実に使われているにすぎないのではないでしょうか。
自分に都合のいい意識観念とは、矛盾した考えということなのでしょうか。
問題は、(他者に)心を開かない人の方にあるのではないでしょうか。

> 現状の閉塞感は、この「ひとそれぞれ」「こいつはこいつ」「わたしはわたし」等の人と人とを分断する、決めつけ思い込み発想に起因しているのではないでしょうか。

「ひとそれぞれ」で何か不都合があるのですか。
自分が「ひとそれぞれ」であると信じているからこそ、他人の意見を訊ねてみるのではありませんか。126819
「こいつはこいつ」「わたしはわたし」で何か不都合がありますか。
「こいつはこいつ」「わたしはわたし」とは、お互いの個性を尊重しあうことではありませんか。122467

> 新しい生活、時代を切り開く可能性を感じるには、他者(現実そのもの)への決めつけ思い込み発想ではなく、自他ともに納得共鳴できる、新しい時代認識に頭を塗り替えていくことが不可欠です。

同感です。自他ともに納得共鳴できる、新しい時代認識が必要ですね。82373
外に(他者に)心を開かない人は、他者(現実そのもの)への決めつけ思い込みの発想をしているのでしょうね。
私は、個人の考えを尊重すべきだと考えますね。さすれば、世の中の閉塞については、我々の指導者を改めることで対処することができる。82123
思考停止、談合、ご唱和、一億一心、一億総懺悔への道は避けるべきです。84432
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その他
129872 > 語り合うことの重要性
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/03 AM04 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 28596 語り合うことの重要性
> 岡村基之  (  大阪 会社員 ) 02/04/13 PM10 【印刷用へ】
>>その歯切れの悪さから展望の無さや閉塞感を露呈する記事や解説、そこで描かれる「現実」や「社会」は、わざわざ現実に蓋をしてしまう「〜ごっこ」や「茶番劇」のように映り、仮想の営みのように見えてしまう。<< 28558> 確かに最近、社会は「虚」「実」がわかりにくくなっているように思える。

同感です。われわれ日本人は、事実と意見を分けて考える考え方が不慣れですからね。84116

> 視聴率や購読率を重視するマスメディアの情報はわかりやすい面もあるが、インパクト勝負で、すぐに新しい情報へと移行してしまうため本来問われるべき問題が流されてしまい、ほったらかしにされてしまう事が多い。その情報を受け取る側の視聴者もその体制に慣れて(慣らされてしまい)、深く考えることなく徐々に新しい情報だけを求めがちになってしまう。

同感です。86547
「あるべき姿」を探求することのない人びとは、本来問われるべき問題を流してしまいますね。93557
そして、目先・手先の事柄だけに心を奪われている。85728

> そうやって流されて、深く議論がされなかった政治問題などは解決が先送りになり、同じ事件がまた繰り返され同じような事件に飽きた視聴者は政治家に愛想を尽かし、自分たちの国の政治に対する興味をますます失っていく。もちろん政治問題に限らず幼児虐待や無差別な猟奇的な殺人、環境問題まで分野は様々だ。

政治問題などは、先送りと積み残しばかりになりますね。83747

> 「解決策を考えましょう」と、議論を真剣に交わそうという場は皆無だ。> そしてとうとう興味が無いでは済まされない事態に陥りつつあることに危機感は感じるものの、議論をすることを怠っていたために解決策を講じることも出来ず、ただただ不満を募らせている。

同感です。自分自身の無為無策に不安感が付きまとっていますね。82285

> 「考える」という思考の川の流れは滞り、ただただ、その濁っていく川の水をどうすることも出来ずにあたふたとしている。「どうにかしなくては」という意識はあるものの、考えることから遠ざかってしまっている自分たちには解決策を講じることはが出来ず、どうすることも出来ないことがその危機感を一層大きな社会へのストレスへと変えていく・・・。

われわれには、英米流の教養が必要ですね。123837

> ただ、危機感を感じている人間がこれだけいるのだから議論の「場」さえ整えれば、意見を出しあう事は十分に可能だと思う。テレビのような早過ぎる流れの中では無理かもしれないが、NWの中ではいくつもの議題ごとにその「場」を作り話し合うことが出来る。

同感です。どうしたら考えられるかを考える必要がありますね。82373

> 考える事から離れていて、意見を出すには至らない人はまずは読むことで「考える」という行動のリハビリをして少しずつ議論に参加していけばいい。そんなに悠長に事を構えている時間はないのも確かだが極端な解決策をぶつけて失敗をするよりも、少しでも良い選択肢を作るほうがベストではないかもしれないがベターだろう。> とにかく一人でも多くの意見が出されることこそが肝要だ。

同感です。目先・手先の解決策では、単純で極端な解決策になりかねませんね。90612
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実現論って、何?
129779 > 新たなグランドセオリーとしての実現論2−傍観者、あるいは引きこもりとしてのアカデミズム
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/02 AM04 【印刷用へ】

> 実現論って、何?
> 32828 新たなグランドセオリーとしての実現論2−傍観者、あるいは引きこもりとしてのアカデミズム
> 岩井裕介  ( 30 山口 再開発プランナー ) 02/06/05 PM11 【印刷用へ】
> 現在のアカデミズム(学会など)や、マスコミに登場する学識、文化人の言動を見ていると、いかにグランドセオリー(あるいは統合理論)が無視されているかがよく分かります。>>社会の単なる傍観者に過ぎない。決して現実社会を生きる当事者なのではない。 (32569『超国家・超市場論19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない』)> とありますが、彼らは、傍観者であるがゆえに、(自分の身分を保守する以外に)どう生きていくのか、何を実現していくのか、といった当事者としての原理的立場というものがありません。

同感です。92993
日本人は、原理的に傍観者であって、当事者としての立場というものがありません。84819

> それを覆い隠すために、ワイドショー的に「わかりやすい」情緒に訴えたり、ネットの書き込み的に自意識への過剰な執着で周囲を辟易させたり、斜に構えるという言い方が適当だと思いますが、「相手がこう言うなら、自分はこう言ってやろう」というその都度の相手に寄りかかったり、という方法でしか生きられません。

同感です。95128
日本人の知的低水準を表していますね。91933

> あるいは、大学などの場合は、お互いに、自分の専門領域に引きこもり、不干渉を決め込んでいる場合がほとんどです。これを「自己準拠」ともいいますが、例えば、社会学者は社会を参照するのではなく、もっぱら社会「学」だけを参照する、その結果、社会学者は社会学者でない人に有益な研究成果を提示できない、そうした集団的自慰行為に成り果てていることも少なくありません。

英米流の模倣は、身に付かないようですね。128896

> 現在の大学院や、学部のゼミ、研究者の世界でもそうですが、例えば、性についての研究や、人類史に関する論考、政治に関する議論など(他の何かでもいいのですが)、異なる分野の議論が、共通の土俵の上で論じられることはまずありません。

教育があっても教養が無いのでしょう。94159

> かつては、マルクス主義、構造主義など、グランドセオリーといえなくもない理論もあり、また、それに挑戦する学者も多く存在しました。共通の地平を模索する動機づけの構造が、かつては存在し得たわけです。しかし、それらの理論は、インテリの間ではブームになったものの、現実には何も生み出せず、敗北していきました。そして、かつては、グランドセオリーを志向していた研究者も、次々に戦線を縮小し、個別の領域を発見し、引きこもっていくことになりました。

グランドセオリーは、教養の部類に属するものでしょう。83415

> その結果もあるのでしょうが、現在のアカデミズムは、共通の地平を求めることすらせず、それぞれ閉じた空間の中での優位性の確保に汲々としている、そういう非常に情けない傍観者に成り下がっていると言えるかもしれません。> これでは、人々の社会不全に答えるだけの新しい認識など生み出せるはずもありません。

自己の世界観を持つことなく、目先・手先の事柄に汲々としているのですね。102129
同感です。100065
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テレビが面白くない理由
129732 > 『傍観者であること』を専門の職業にしたのがマスコミ
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/01 PM09 【印刷用へ】

> テレビが面白くない理由
> 38114 『傍観者であること』を専門の職業にしたのがマスコミ
> 森本亜希子  HP  ( 20代 岐阜 受付 ) 02/08/18 PM04 【印刷用へ】
> この間のマスコミに関する投稿を読んで、マスコミの存在自体に対する犯罪性を強く感じました。今までのるいネットの議論の中でも言われてきたように、一握りの誰に選ばれたわけでもない専門家が、社会統合を担うのはおかしいってうこと。更に傍観者の立場では、何をしても非現実にしかならないということ。

現実構文 (現在構文) を使って実況放送・現状報告の内容を述べれば、まさに傍観者になりますね。82476
自己の意思を表すことがなければ、何事も実現しませんね。これもまた、傍観者である理由になります。98352

> そしてマスコミは、正にこの両方を備えている構造にあるってことに気が付いた。というか『傍観者』であることを、専門の職業にしてしまっている。これでは、その仕事といったら「傍観者」の大量生産に他ならないって思った。

マスコミばかりではなく、我が国の代表も国際会議での傍観者です。それは、自分自身の意思を表明し得ないからです。92993

> 当然そこから発せられる言葉は、どんなに現実の事件を扱おうが、『ひとごと』以外の何者でもなく、正に傍観者そのもの。そしてそれを見る私たちは、更に二重の傍観者であることになる。以前、演者と観客の話があったけど、正にマスコミ対視聴者も全く同じ構造にあるって思った。

同感です。日本人社会が全く同じ傍観者の構造を持っております。84819

> まずこの構造をしっかり認識する事。これが脱マスコミに不可欠だと思う。

傍観者は日本人の特性ですから、日本人を無視していながらマスコミの特性を直すということは難しいようですね。103994
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その他
129713 > マスメディアの危なっかしさ
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/01 PM06 【印刷用へ】

> その他(社会統合)
> 51683 マスメディアの危なっかしさ
> 半田弘之  ( 45 京都 塾講師 ) 03/03/15 AM09 【印刷用へ】
> 総白痴化政策の下のいわゆる娯楽番組などどうでもよいが、若干の知性の糖衣を被せたような番組こそが曲者であろう。背後に、エセ文化人や御用学者の意見を神妙に聞き入る一団が多く存在しており、これが不気味であり、かつ無視できないからだ。
> 多くは単純な二者択一を迫り、単細胞的一団(これらの人々は自らが日本の知性の代表と思い込んでいるので性質が悪い!)を巧みに誘導し、オカシゲな世論の形成を企んでいると思えてしまう。
> 「原子力事故は怖いですね。だから、原発は廃止しなければなりませんね」「電気のない生活は考えられますか。だから、原発は必要ですね」…正直、何とでも持っていけるものだ。もう少し考えろよと言いたくなる。

中庸の徳が必要ですね。82354
我が国には、何100万キロワットの原発が必要であるか。ということを正確に答えられる人。83954

> 宣伝が全てという状況が、怖い。社会の木鐸を自認している新聞だって、前の戦争での軍部への協力を思えば何を言っているかと言いたくなる。その時代の社会情勢を免罪符としているようだが、社会に抗えない程度の存在なら、次に問題になった時だって役に立つはずがないではないか。それよりも、積極的に軍部に取り入り国民世論を戦争に持ち込んだ罪に対する真摯な反省の無いことが恐ろしい。

同感です。84432
真摯な反省が可能になれば、二度と歴史は繰り返さないでしょう。104809

> 思慮の無い純粋な(単純な)正義感や善意は、結果として往々にして腐敗よりも恐ろしい状態を生む。私たちは自ら考えることのできる力を身につけるように励むとともに、どちらにでも動く一団に、より大きな影響力を与えられるようにその方法を模索していくことが大切だと思う。この現実社会で最終的決定はそれらの人々の手に握られているのが、残念ながら、否めないからである。

日和見主義 (機会主義) の一団に鉄槌を打ち下ろさなくてはならない。84116
それには、我々が理性に基づく批判を可能にしなければならない。力は正義である。83579(:ことニ思う→ことと思う)
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その他(若者と老人)
129698 > 学生達からも見放されつつある学校
寺嶋眞一  ( 69 静岡 無職 ) 06/09/01 PM02 【印刷用へ】

> その他(幼・少・青・壮・老)
> 62022 学生達からも見放されつつある学校
> 小西康雄  ( 39 大阪 企画 ) 03/09/25 PM11 【印刷用へ】
> 先日、大学講師が話題提供し、出席者が議論するという交流会に参加しました。話は、企業における人材管理がテーマで、「従業員の自己実現欲求に配慮することによって活力を引き出すことが必要である。」というものでしたが、個人的欲求に向かっても活力が衰弱するばかりの今の社会状況をみれば、ひどく現実離れした方針であるように感じられました。何より、講師と参加者との間のズレが明らかになるにつれて場がだんだんと重苦しくなっていったのが象徴的でした。

誰もが人間の欲求の階層(マズローの欲求のピラミッド)の自己実現 (self-realization) の段階に達するとは限りませんね。その達成は、個人の義務でもなければ責任でも無い。個人に関する結果です。98541

> 交流会の間、一言も発言しなかった大学生2人に会の後の懇親会で感想を聞くと、自己実現といわれても宗教のようにしか感じられないと話してくれました。よく自己実現が目的のように言われるが、実現したいものが見つけられずにいつまでたっても充実出来ないことこそが問題なのだと。
中身も無いのにそれが絶対であるかのように語られていることは、思想の呪縛から自由彼らにとっては宗教に近いのだと思います。

「階層説」はAbraham Maslow (1908-1970) の世界観でしょう。リンク
他のヒトは別な考えでよいのでしょう。そうでなければ、学問は進歩しませんからね。128896
Maslowの見方をも興味をもって聞いたらよいでしょう。84032
現実構文の内容を聞けば、それは絶対のようにも聞こえる。さもなければこの世の嘘でしょう。82193
個人主義がないということは、そういうことです。83415

> 近代思想から抜け出せずに現実社会と乖離する大学の授業に学生達も可能性が感じられないようで、講義や学説から離れ、学外で出会う人達との会話等のフィールドワークを中心に社会構造を追求しようと考えているとのことでした。

観念 (idea) は、日本人になじみが薄いですね。125150
「理屈などはどうでもよい。現実は見れば分かる」ということですか。100053

> 研究内容も体制も旧い枠組みの中に留まって変化できない学校だけでなく、同じ立場から批判だけを繰り返す評論家やマスコミにも期待出来ないことを学生達は気付いており、だからこそ学校から離れて社会に向かっているのだと思います。
学生達からも見放されつつある学校には、統廃合や学科再編といった小手先ではない、旧い枠組みを超えるという根本的な改革が求められているのだと思います。

つかみ所のない無い人間にならないために、評論家も同じ立場を固く守っているのではないでしょうか。82478
小手先の改革は、空しいばかりですね。98265
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