勝負の世界
広沢虎造の浪花節の「次郎長伝・三十石船」の中に出てくる森の石松は、相手に自分が次郎長の一番子分だと言われて大喜び「酒を飲みねえ、すしを食いねえ」と相手に勧めているが、このように、序列が上位であるということは、日本人にとってこの上ない喜びである。日本人のこの「序列」を抜きにして考えられないということが、日本人の行動と他国民のそれの違いを決定付けているとも言える。
絶えず「上と見るか、下と見るか」を考えなければ話すことのできない日本語を使う日本人は、常々「人から上と見られたい」と願っている。上か下かを決めるために日本人には勝負がつき物である。だから、武力という問答無用の形で勝負を決することのできるサムライは、日本人の花形でもあるわけだ。男の子の祝いに武具を飾り立てて祝うのも、日本人の社会は勝負の世界だからである。
武力を基準にして全国民が上と見るか下と見るかの勝負を繰り返していたのでは、日本人の社会に下克上が起こり、混乱が絶えない。日本人全体が序列を基とする集団を組んで全国制覇に乗り出す。向上心ある日本人には、平和な世の中を求めることが難しい。
この上下争いを避けるためには、日本人全体にわたって個人の序列を細かく定めて、これを固定し、いわゆる身分格式にしたがって一人一人が定められた通りに「上と見るか、下と見るか」を行えばよい。これを落ち度なく励行すれば、天下泰平の世の中が到来するはずである。徳川時代は、このような仕組みで日本人社会に平和をもたらしはしたが、上と見るか下と見るかの果し合いをするためのサムライが身分の上下を固定されてしまっては、彼らが堕落するのも無理はない。
幕末には、黒船が日本に押し寄せて開国を迫った。そのとき、日本のサムライ達は武力の点で外国に太刀打ちできなかった。つまり、武力の点で、日本は列強から下と見られたのである。だから、明治時代の日本人にとって「富国強兵」は熱烈な望みであったはずだ。その後、日本の富国強兵策は着々と成功をおさめ、日清・日露の戦いを経て日本人を有頂天にしたが、今度の太平洋戦争で、せっかく今まで築き上げた序列をひっくり返されてしまった。そして、またもや、世界の四等国に成り下がり、低く見られた。そして、日本人は「このような争いには分がない」と思った。
戦後の日本は、経済発展に力を入れだした。「柔道でだめなら、こんどは碁で勝負をしよう」と世界の前に碁盤を持ち出してきたようなものであろう。経済戦争においても日本は着々と成果を収めて、いまでは国民総生産は世界第三位だという。自由世界というアメリカ派の中で数えれば、序列は親分アメリカの次である。ここで日本人は経済競争でアメリカを抜き去ることを考えるであろう。下克上を巻き起こして成り上がることは、日本人の願いだからである。世界を序列的に眺め渡して、その頂点に立つことは、日本人全ての願いである。これを日本人は「天下を取る」と言い表す。
日本人がなぜあのようにあくせくとし、倦まずたゆまず働くかは、序列社会の中にいる者にしか理解できないことである。何はともあれ、下と見られることが悲しいことで、上と見られることがこの上なき喜びであるという基準に立つことのできる人間でなければ理解できないことである。
しかし、ここで有頂天になった日本人が忘れてはならないことは、インド・ヨーロッパ語を使う人間たちは、このような価値判断を受け入れないことである。隣国が、この天下取りに狂奔する習性を持つ日本人を危険視するのは、故なきことではない。日本がたとえ世界一を勝ち得たとしても、彼らは日本を親分とする序列社会の中に入ることのない民族だということである。これが、日本人のフラストレーションにならねば幸いである。
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寺嶋眞一 「日本人の世界 (W)」の一部より、ドクターサロン16巻9月号 (8. 1972) に掲載。